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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第五章『落日』


 クライフがフィオリ・アル・レガージュとの転位陣に着いた時には、既にグランスレイとロットバルトが到着していた。
 人払いを済ませている事、転位陣が法術院と王立学術院とに挟まれた、普段からさほど人の行き来の無い場所に敷かれている事もあり、転位陣の付近にいるのは二人だけだ。その上で、レオアリスの姿もなかった。
 クライフがまずグランスレイ達へ報せたように、グランスレイもレオアリスへの連絡を一先ず置いていた。レオアリスが任務上、今ファルシオンの元を離れるのが難しい事を慮ったのが第一だが、グランスレイにしてもクライフにしても、またロットバルトにもそれぞれ、この後突き付けられるだろう結果を、避けたいという想いが奥底にあった為だろう。
 ロットバルトがクライフと目を合わせ、彼の立つ左側の建物――法術院を示した。
「先ほどフレイザー中将と会いました。法術院の地下に部屋を手配をしてもらっています。院内へはその扉から」
 クライフはすぐそこにある通用口を見て頷いた。
 三人のいる場所からは前方に、左右二つの建物の壁に挟まれた空と中庭の庭園が見える。背後は王城の壁になっていて、細い明かり取りの窓が五階部分まで交互に設けられている。壁の向こうは階段部分だ。窓の他に階段一階へ直接出入りできる扉が一つあり、レガージュから荷が運ばれた際は、この扉から一旦城内を抜けて街に降ろす事になっていた。
 商業利用が定着してきた為、もっと利便性の良い街中に転位陣を移すか、新しい転位陣を置いて欲しいと、王都の商業組合やレガージュの交易組合から要望が出ているが、アルジマールは面倒くさがって対応を後回しにしている。
 遠くに雲雀の声が聞こえる。中庭から流れる風は、春の陽差しの温もりを含み穏やかだった。
 ずいぶん長い間、そこに立っていたように思えた。
 やがてクライフ達の足元に敷かれた転位陣は、おもむろに光り始めた。
 転位陣そのものが二、三度ゆら、ゆら、と揺れると、陣の中央に人影が浮かぶ。次には、巨大な絵を一面に貼り付けたかのように、三人はそれまで目にしていた中庭と王城の壁面では無い、全く違う景色と向かい合っていた。
 グランスレイとロットバルトには見覚えのある、緑の草地と崩れた石壁、その向こうに広がる青い空と更に濃い水平線。フィオリ・アル・レガージュの砦跡――大戦時の補給線だったこの転位陣の、レガージュ側の敷設地点だ。
 風景はすぐに消え、そこから切り出されたように四人の男達が立っていた。
 レガージュの領事スイゼルと、レガージュ船団長ファルカン、船団員らしき若い男、そしてザインだった。ザインまでがこの場を訪れた事で、レガージュもまたこの件を、彼ら自身にとっても重大な問題だと捉えている事が窺えた。
 そして、彼等の足元に、麻の布袋が横たえられている。ちょうど人ひとりを包んだほどの大きさだ。
 クライフが息を呑み足を踏み出し掛け、グランスレイの伸ばした手が焦りを抑えるように、その肩を押さえた。





 トゥレスはしばらくの間、三階の階段の踊り場から二つの建物に挟まれた庭を見下ろしていたが、彼等が法陣から現れた男達と共に法術院に入ったのを見届け、その場を離れた。
(レガージュとの転位陣……という事はあれは十中八九、レガージュの人間だろう)
 転位陣から現れた男達の内、一人、トゥレスにも馴染みのある空気を纏う男がいた。あの中で最も、グランスレイよりも、トゥレスが対峙を避けたいと思う相手だ。
 そして反面、敢えて対峙したくなる。
 よく似た空気――
(まさか、レガージュの剣士ザインか。レガージュの守護者までが何の用だ?)
 人気のない廊下を歩きながら、何か今フィオリ・アル・レガージュと関わりが発生するものがあっただろうかと、トゥレスは思考を巡らせた。
(あの包み――見たところ死体だな。レガージュの剣士が付き、転位陣を使って早急に運ぶべき、王都に関わりのある人物――グランスレイ殿やヴェルナーが出迎えたという事は、第一大隊の関係者かもしれん)
 第一大隊が何かしらの任務を帯びていたとは聞いていない、が、秘密裏に動いていても別に不思議ではない。
(秘密裡に動く内容だとすると、恐らく俺が関わった件だろう。ならルシファー絡みか)
 第一大隊の任務はロカから消えたイリヤ達の捜索、そしてあの麻袋に包まれた人物は、その手掛かりか――いずれにしても第一大隊にとっては重要な案件に違いない。
 一応ルシファーに、この動きを知らせておくべきかと考え、自分から連絡を取るすべは無かったと、トゥレスはあっさりその考えを捨てた。
(西は西――俺が綻びを繕う義理もない)
 トゥレスが歩く廊下は、内政官房のある北棟へ続いている。左側は中庭に面して建つ法術院とを隔てる壁、右側には地政院の過去の資料を収蔵した書庫が並んでいて、時折明り取りの窓がある程度で薄暗く、他に人影が無い。
 幾つかの扉を横目に通り過ぎ、トゥレスは一つの扉の前で足を止めた。何の不自然さも感じられない仕草で扉を開け、中へ入る。
「入室の許可も求めないのか、無礼な」
 刺を含んだ声が掛かり、トゥレスは頭を下げた。
「大変失礼致しました。しかしこのような滅多に人の利用しない書庫に、どなたかを訪ねるように入るというのは、万が一人に見られた際いささか不都合が生じると思いまして」
 顔を上げ、正面の男を見る。
「ヘルムフリート殿」
「小賢しい事を」
 ヘルムフリートは室内にある唯一の机を横にして、彼が座るには簡素すぎると思わせる椅子に、鷹揚に腰掛けている。扉の前に立つトゥレスを忌々しそうに眺めただけで、近寄れという素振りさえ見せない。
 トゥレスも敢えてその位置のまま近寄らず、ヘルムフリートがわざわざ自分をこの場所へ呼び出した用件を尋ねた。
「如何されました。この時間、このような場所にお呼びとは、お珍しい」
「お前がヴェルナーの門を潜る理由は無い」
 ほう、とトゥレスはヘルムフリートの顔を見た。どうやらヘルムフリートの意向は変わったようだ。
「私はヴェルナー侯爵家の次期当主だ。軍の大将級程度と関わりがあると見られては、ヴェルナー侯爵家も軽んじられよう」
「とすると後継を侯爵がお決めになったのですか」
「父などではない、陛下が私をお認めになったのだ」
 トゥレスは僅かに双眸を細め、目の前の男を眺めた。
(なるほどなぁ)
 確かに王がそう告げたのだろう。ヘルムフリートの表情や態度からは、自らの威光をトゥレスが感じ取っていると信じて疑っていない様子が窺える。
 ヘルムフリートは椅子に腰掛けたまま、顎を持ち上げ、視線はトゥレスに当てる事無く言葉を継いだ。
「いいか、私とお前は一切関わりは無い。そう肝に命じておけ。一切だ。そして今後は、不穏な行動は慎め。万が一余計な事を口にしたら、今の立場は無いぞ」
「承知しました」
 あっさりとそう返し、トゥレスは再び頭を下げた。
 資金調達という面ではやや痛いが、もともとトゥレスの計画の中心に置いた駒ではない。
 ヘルムフリートは自分の今の言葉が、トゥレスの目的さえも中断すると思っているだろうか。
(思っているんだろうな)
 口元に浮かぶ笑みを抑え、身体を起こす。
「しかし、もし何か必要が生じた際は、微力ながらお力添え致します」
「不要だ」
 トゥレスは笑って左腕を上げ、敬礼を向けた。
「では、失礼致します」
 把手に手を掛け扉を開けようとした時、それまで鷹揚に構えていたヘルムフリートが初めて、椅子の上で気まずそうに身動ぎしたのを視界の隅に捉え、トゥレスは扉の前で半身を向けた。
 トゥレスが振り返ると思っていなかったのか、ヘルムフリートは咄嗟に視線を逸らした。しかしトゥレスが再び把手に手を掛けようとするのを見て、吐き出すように口を開く。
「貴様、先日の件に関わってはいまいな」
 トゥレスは手を下ろし、ヘルムフリートを見た。
「先日――?」
 そう繰り返してすぐ、ヘルムフリートの示す事は思い当たったが、トゥレスは敢えてヘルムフリートの言葉を待った。この男の心の動きに興味があったからだ。
 ヘルムフリートは苛立ちを強め、声を荒げた。
「とぼけるな! あの襲撃の事だ!」
「ああ、それですか。ご安心ください、私は手を出してはおりません」
「安心? ふん」
「弟君もご無事で良かった」
 細い眉が不快そうに寄せられる。「いっそ死んでいれば面倒は無かったのだ」
「そうでしたか。お身内が襲撃された事を憤っておられるのかと思いましたが――貴方のお気持ちを推し量るのは非常に難しい」
「私を愚弄するな!」
 弾かれたように言い放ち、ヘルムフリートは椅子から立ち上がるとトゥレスを睨み据えた。
「いいか、もう一度だけ言うぞ。貴様ごときが余計な手を出すな。あれに関しては私が処遇を決める。私がだ! 私が爵位を継いだら、真っ先に全ての権利を剥奪し、追放してやるのだ―― ! あれは己の傲慢さを後悔し、私の足元に縋り付いて許しを請う事になるだろう」
 トゥレスはつい二日前に向かい合った、この男の弟の姿を思い浮べた。
 爵位継承の意志は無いと、そう明確に告げた。そしてそれを、トゥレスからヘルムフリートに伝えて欲しいと。
 トゥレスが襲撃を指揮した事、その裏にヘルムフリートの意思がある事を想定した、牽制ではあったが――
(はは)
 余分なものを取り除いてみれば、少なからず二人の利害は一致しているはずなのだが、こうも相容れないものかと他人事ながら憂慮さえ覚える。
「貴方のご意向は理解しました。しかし――実は弟君から伝言を預かっておりまして」
「伝言?」
「貴方にです。お聞きになりますか」
 ヘルムフリートは初め頷きそうな面持ちを見せたが、すぐにさっと顔を染めた。
「何故お前があれの伝言などを――まさか、寝返ったのではあるまいな!?」
 そうくるか、とトゥレスは肩を竦めた。
「まさか。私とは正反対の場所にいる相手ですよ。ただ私と貴方が面会したのはお屋敷の警備の記録で判る事です。それを知られて仲介を頼まれたと、そんなところで。まあ――貴方が正式に侯爵家を継承なさる事が決まったのであれば、弟君の伝言も最早不要かと」
「貴様ごときの言葉を信じろと言うのか」
 その問いには敢えて返さず、トゥレスは黙ってヘルムフリートの判断を待った。
 ヘルムフリートはトゥレスが黙っている事に苛立ちを見せつつも、その瞳や口元に明らかな葛藤を覗かせていたが、ややあって、吐き出した。
「聞く必要は無い」
「――承知しました」
 トゥレスは頷き、改めて敬礼を向けた。





 レガージュの男達が、運んで来た布袋を丁重に横たえる。
 部屋の中央に置かれた卓の上で、布袋はずしりと重く空気を纏うように感じられた。
 レガージュ船団長ファルカンが、傍らの部下に、シメノス河口で遺体を発見した時の様子を語るよう促し、クーリと名乗った若い男が緊張気味に口を開く。
 グランスレイとロットバルトはクーリの話を聞いている。クライフは卓に近寄った。
 布袋に手を伸ばし、三箇所結ばれている紐の、足元のそれを解く。
 指先が震える。
「……今朝、シメノスの河口の溜まりに浮かんでいるのを見つけました。溜りにいつからあったのかは分かりません。最近雨が降ったのが三日前ですから、その後だと……雨が降ると大抵、溜まりの物は流されちまいますから」
 二つ目の結びを解く。胴体の辺りだ。フレイザーが隣にいた。最後の一つの結びを残したまま、クライフは湿った麻布を持ち上げた。
 傍らでフレイザーが微かに息を飲む。彼女はそれをすぐ抑えた。
 黒い、見慣れた軍服が胸の辺りまで覗いている。見慣れないのは無数に走った裂け目だけだ。
「かなり、損傷がひどくて、その、顔は判りません」
 クライフは最後の、顔の位置を結んでいる紐に手を伸ばした。指先が紐を上手く掴めず、クライフは苛立って二、三度右手を握り込んだ。
「クライフ」
 フレイザーが肩に手を当てる。クライフは視線を逸らさず台の上の遺体を見据えたまま、紐を解き、顔を覆う麻布を開いた。





 ヒースウッドは伯爵邸の三階の、柔らかな絨毯を踏んで長い廊下を歩き、目的の部屋の前で足を止めた。首を左へ巡らせた先に、もう一つ扉がある。
 イリヤの為の部屋だ。
 その隣に部屋を用意したのは、イリヤの為でもあった。イリヤの心痛を和らげる為――快方に向かってはいたが、予断を許さない状態が続いている。ルシファーが手を尽くさなければ恐らく、昨日の夜まで保たなかっただろう。
 命を賭して王子を守った彼等に、ヒースウッドは強い尊敬の念を抱いていた。自分もそうあるべきだし、そうありたい。いついかなる時も。
 ヒースウッドはそうした想いの籠もった息を吐き、扉の把手に手を掛け、下に押して扉を開けた。室内は厚手の日除け布が陽射しを遮り、仄暗い。奥に置かれた寝台に目をやり、ヒースウッドは途端に背筋を伸ばし、膝をついた。
「ミオスティリヤ殿下―― !」
 イリヤが寝台の脇に椅子を置き、腰掛けている。寝台に落としていた視線を上げ、ヒースウッドへと、ゆっくりと移した。
 驚いたが、この部屋はイリヤの部屋と扉で繋がっていて、行き来には何の問題もない。ただイリヤは昨日面会した時と同じ服装のままで、昨夜からずっとこの部屋にいたようだった。
「知らぬ事とはいえ、許可も求めず、大変失礼致しました」
 イリヤはヒースウッドを見つめ、すぐに逸らした。
「容態の確認をさせていただいても、よろしいですか」
「――死んだかどうか?」
 声には鋭い刺と、ヒースウッドは気付かなかったが、拒絶が含まれていた。
 ヒースウッドは思いがけない言葉に慌てて首を振った。
「いや、まさか」
 イリヤの機嫌が悪いのはもしや、彼の容態に問題があるからだろうかと、チラチラと寝台へ目を向ける。
「死んだかなどと、滅相もない――彼はミオスティリヤ殿下の、大切な護衛でございます。勇敢に命を賭して殿下をお護りした」
 イリヤは急に立ち上がった。
「彼は―― !!」
 だがすぐに激情は掻き消え、表情を表さない顔つきに戻り、椅子に腰掛けた。
「いいよ」と声が投げられる。
「ご無礼を申し上げたかと存じます。誠に失礼致しました」
 自分の不用意な発言がイリヤの不安を煽ってしまったのだと焦りを覚え、ヒースウッドはひたすら言葉を継いだ。
「しかし、誓って、私は本心から、彼の回復を願っております。彼は近衛師団第一大隊大将が、殿下の御身の守護にお付けになった優秀な人材です。この先も御身をお護りするに不可欠な人材であり、そして我々も、第一大隊大将とは今後密にやり取りを」
「ああ、そういう事になってるのか――それで」
 イリヤが呟き、ヒースウッドは彼を見上げた。
「殿下?」
「はは――。……いいよ、確認しなよ。だいぶ回復して来てる、安心して」
 許された事にヒースウッドはほっと息を吐き、もう一度深く頭を下げ、それから腰をかがめるようにして寝台に近寄った。
 横たわる男の顔が見える。まだ血の気は薄いが、呼吸は昨日よりもずっとしっかりしていた。
「おお、これなら……」
 イリヤは椅子に座ったまま、冷めた眼差しを身代を覗き込むヒースウッドに向けている。
「良かった、これなら今日にも目を覚ましそうです」
 ヒースウッドの面に浮かんだ喜色に、イリヤの瞳が逸らされる。
 ヒースウッドが安堵して体を起こした時、寝台の端に置かれていた手が、彼の体重を受けて寝台の木枠を軋ませた。
 ヒースウッドは視線の先にそれまでと違う動きを感じ、はっとして寝台の顔を見つめた。イリヤはヒースウッドをちらりと見て、眉を顰める。
「確認が済んだなら、早くルシファーに報告したらいい」
「ミオスティリヤ殿下……、目を」
 ヒースウッドの声に含まれた響きに引かれ、イリヤは瞳を戻し、立ち上がった。
 寝台の男が、その瞳を開けている。
 束の間、イリヤは茫然とした面持ちで寝台を見下ろしていたが、よろめくように傍らに近寄り、膝を落とした。
「――ヴィルトール中将―― !」





「――ヴィルトールじゃない」
 クライフは肺の奥から、全ての息を吐き出すように、そう呟いた。
 現われた顔は無惨に崩れていたが、すぐに判った。髪の色も違う。
 だが、遺体がヴィルトールではなかった事、その事が、単純な安堵に繋がる訳ではなかった。クライフ達はこの男も知っている。短い黒髪と、体格。改めて苦いものが込み上げる。
「エトムントか……」
 ヴィルトールと共にロカへ向かった隊士の一人だ。合わせて六名、右軍少将ファーレイ、その部下のロルフ、ウーヴェ、そしてこのエトムントと、法術院から派遣された法術士デュカー。エトムント達三名は、ヴィルトールが選りすぐった精鋭だった。
「――河口で見つかったのは彼だけですか」
 ロットバルトの問い掛けにファルカンが頷く。
「周辺を一通り捜しました。海に流されてしまえば、もう辿りようがありませんが……」
「この問題を、あなた方がどうお考えなのか、それをお聞きしてよろしいか」
 そう問いかけたのはザインだ。ザインは改めて近衛師団の四人に向き直り、鋭い光を宿した瞳を向けた。
「今日という日に、関わりがある事なのか――。レガージュ近郊で何かが起こっているのかいないのか、その有無だけでも構いません。我々に示せる範囲をお示しいただけないか」
 ロットバルトはグランスレイを見て、ザインと向かい合った。
「現時点では、レガージュに関わる問題までは発展していません。そしてまた、レガージュが直接の対象となる可能性も今は低い。ただ、看過できない問題です。我々は今回の隊士の死の、その原因を突き止め、早急に対処する必要があります」
 ザインと領事のスイゼルが視線を交える。ザインは卓の上に横たえられた遺体を見つめた。
「王都の問題は我々が直接触れるものではない。お示し頂いた今の内容で、当面我々レガージュも、警戒だけは怠らないように徹底しましょう。関連しそうな情報が得られれば、すぐにお知らせします。できれば我々にも、情報提供を頂きたいのですが」
「承知した」
 グランスレイが頷く。
「レオアリスに――」
 一旦ザインは、今ここにいないレオアリスの姿を、視線で追った。レオアリスがファルシオンの護衛に就いている為にこの場にいない事は、ザイン達にも判る。
「大将殿にもお伝え頂きたい。必要に応じて我々フィオリ・アル・レガージュは協力を惜しまない意思がある。そのような事態にならない事を当然、望んでいますが」





 レオアリスはカイの物見による視界を閉じた。
 そのまま瞳を閉じ、ゆっくりと息を吐く。
「覚えがある。ルシファーの風による裂傷と見ていいだろう」
 傍らに立っていたロットバルトは、レオアリスの表情を見つめた。レオアリスの面に微かに浮かぶのは、今回の探索を指示した自分への自責の想いだ。
 法術院の地下で遺体の検分をした後、ロットバルトはその足でレオアリスへ報告に訪れた。ファルシオンの傍を離れる事は難しいが、伝令使の目を通して行う「物見」の手法なら、隣室でも事足りる。
 遺体の負った、剣などの通常の武器によるものとは明らかに異なる傷。それは先日、ルシファーと対峙したラクサ丘から戻ったレオアリスの、衣装に刻まれた痕跡と類似していた。カイを使った物見はその確認の為だ。
「河口で発見されたのはエトムント一人だけです。まず想定できる状況は単純に二つ。他の五人は無事か、発見されていないだけか」
「――」
「次に、この状況から辿れるとすれば、シメノス流域でしょう。戦闘の最中にシメノスに落ちたのか、この件に関わった誰かが遺体を流したのか、それは現状の情報のみでは判別できませんが」
 一度言葉を切る。誰かが、と言ったが、既にルシファーが関わっている事は確定的だ。
「ロカはシメノスから南に二十数里ほど離れた位置にあります。騎馬での移動でも一日近くを要し、敢えて遺体を流す為に運ぶには手間が掛り過ぎる距離です。ルシファーが運んだのなら距離は関係ないとも言えますが、そうであれば一層、シメノスを選んで流す事に意味を見出しにくい。となると問題が発生したのは恐らく、シメノス流域近辺と考えていいでしょう。ロカからシメノス河口までの範囲で、消失点そこを絞り込めるかもしれません」
「ヴィルトール達が転位した先か」
 レオアリスは大理石の床を睨み付けるように見据え、呟いた。
「ルシファーはイリヤを連れ去った。その場所に、ヴィルトール達は恐らく、辿り着いた。シメノス流域の、ロカより以南――イリヤを政治的に利用する目的なら、それ相応に遇するだろうな。流域の主要な街は」
「四都市です。ゲント、アル・アーケン、ローレィン、ボードヴィル」
 ロットバルトの上げた街名に引かれ、レオアリスは瞳を上げた。
「ボードヴィル……ここでもか……。軍都はボードヴィルだけだな」
 無言で返った視線が、レオアリスの推測を肯定している。
「一昨日のお前の推論――イリヤを連れ去った相手がその存在を利用しようとするのなら、一定の兵力・・・・・が必要だと言った。イリヤという旗印を掲げる為の、圧力たり得る基盤が」
 傍らの卓に左手をつき、立ち上がる。ラクサ丘でのルシファーの館の復元、その情報がどこからルシファーに伝わったのか。
「復元に関する情報がルシファーに流れたのは王都、でなければボードヴィル――ボードヴィルの正規軍。一昨日の時点では、ワッツからは取り立てた情報は無かったが……赴任したばかりだ、そう簡単にどちらとも答えは出ない」
 そもそもボードヴィルは西方公の管轄域にある。ルシファーとの縁は王都から眺める以上に深いのかもしれない。当初から目の前にあった存在、それこそが正答なのか。
 革の手袋に包まれた手を握り込む、その音が内心を表すようだ。
「確かめるしかない。もう俺達は時間を費やし過ぎた。陛下が王都を空けられた今日、ヴィルトール達の足取りが掴めたのは、偶然じゃなく、恐らく秘匿の価値が無くなったからだ――つまりは、ルシファーは、今日動く可能性が高い」
 レオアリスは謁見の間への扉へ視線を向けた。今は面会している者は無いが、レオアリスはファルシオンの傍を余り離れる訳にはいかない。ただ、スランザールとベールがそこにいるのが幸いだ。判断に時間を要しない。
「ロットバルト、一里の控えに付いた部隊とボードヴィルに残った部隊、それぞれの構成を確認してくれ。それから、あの地域を所管する領事と繋ぎを取れるか」
「ヒースウッド伯爵ですね」
「単刀直入に聞こう。ルシファーとの関わりが無いか――最近誰かを迎えていないか。もし推測が当たっているなら、領事、又はボードヴィルを含めたあの周囲に、王都が疑念を抱いているようだと示せば、事を起こす前の牽制になる」
「より明確な意思を示すのであれば、ヒースウッド伯爵を王都へ召喚すべきかもしれません。その点は、老公のご判断を」
 レオアリスは頷き、その場に控えていたカイへ、右手を伸ばした。
「カイ、ワッツの所へ飛んで、一里の控えの中に不穏な動きは無いか、状況を確認してくれ。陛下が一里の控えを発たれるまでは、お前もそこにいろ」
 ただ一里の控えの正規軍を率いるのは、大将ウィンスターとワッツだ。そして王には、アヴァロンとアスタロトが付いている。
(問題は、一里の控えよりも内側だ)
「ボードヴィルが無関係だった場合の、次の拠点となり得る個所も並行して洗ってくれ。スランザールか大公から指示があれば、すぐ連絡する」
「承知致しました。またご報告に上がります。それから、レガージュのザイン殿からは、必要に応じて協力を惜しまないと」
 レオアリスはザインの姿を思い浮かべ、その時だけ口元に笑みを浮かべた。
 退出するロットバルトとは反対の、謁見の間への扉に手をかける。
 美しい彫刻が施されたその扉を開け、その向こうに戻る事が、本当に今の自分が取るべき行動なのか――レオアリスは胸の内に湧いた焦りと不安を、呼吸と共に押し込め、謁見の間への扉を開けた。






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