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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第五章『落日』


 王が露台に現れると、歓声は最高潮に達した。
 この日、王が姿見式を行う広場に詰めかけた三千人もの住民が、露台の前を埋め尽くした。王城まで来たものの広場に入りきれなかった人々や、城門の影も見えない内に諦めた人々も含めれば、およそ十万人が暮らす王都の住民の半数近くが、王と王太子を一目見ようと一度は姿見式の広場へと足を向けた事になる。
 それほど五十年に一度という、西海との不可侵条約再締結への住民達の関心は高く、街は高揚していた。
「ああ、もう、こっからじゃ良く見えないわ。父さんが早く起きないから!」
 マリーンはうんと背伸びをして、群衆の頭が重なり合う遥か先の、王とファルシオンがいる露台を透かし見た。王城の窓が陽射しを弾いて眩しい。
「悪かった悪かった。しかしこんな様子じゃどこも変わらんよ」
 父親の言葉どおり、場所が多少前になった程度では状況は変わらず、マリーンは「やっぱり夜から並ぶべきだったわ」と溜息をつき、再び背伸びして手をかざした。
 二階に張り出した露台に王とファルシオンが立ち、その一段下に今回の衛士である四十九名が並んでいる――はずだ。
「あれかしら、レオアリス」
 ファルシオンの後ろの、硝子戸の傍にも何人か立っている。立っているくらいしか判らない。ただ、あの位置に立つのは、今まで近衛師団総将アヴァロンや内政官房長官のベールくらいだった。
「多分そうよ、ほら父さん! ねぇちょっと、一段と凛々しくなったんじゃない?」
「いや……ここから見えんだろうそんな」
 浮かれすぎだ、と、もう見る事を諦めているデントは、マリーンに背中を押されて義理立て程度、ほんの少し首を伸ばした。それから更に伸び上がる。
「ああ、うん、また成長したんじゃないか」
「父さんだって」
 わあっと歓声が上がり、それから露台を中心にして静寂の波が、城門近くのマリーン達の所にも打ち寄せて来た。
「何なに? ああ――」
 王が前に進み出たのだ。それが判る。民衆は王の言葉を待ち、眼差しを注いだ。
 王は一度広場を見渡すと、まずは早朝から集まった事を労い、住民達が祝祭を楽しんだ事を喜んだ。
 決して声を張り上げている訳ではないにも関わらず、マリーン達にも明瞭に届く。広場が静まり返っているからだけではなく、法術が声を拾い拡げるからだ。
 声は深い思慮と威厳に満ち、永く玉座に在って国を治める存在に相応しいと誰もが思い、そして胸の奥底に安堵をもたらす響きだった。
 この存在がこの国の――自分達の庇護者なのだという、無意識の安堵。この王さえ居ればこの先も変わらず国は安泰だと、そう思わせる。
 王の声――
「今日、この国は五十年振りの不可侵条約再締結の日を迎えた。前回の再締結から重ねた五十年が平和裡に過ぎた事は、何より価値ある結果であっただろう」
 人々はじっと、王の語る言葉に耳を傾けている。
「既に我等は大戦を過去のものとして久しい。地を覆っていた艱苦は遠くなり、繁栄と安寧を得て来た」
 王は再び、一歩前へと進んだ。その場の空気が王の動きに押されるように思える。そしてまた、引き込まれるようにも。
「今改めて大戦を語るとすれば、明けぬ夜のようであった。長く暗い、出口の見えぬ道を行く如きもの。だが今この日を迎えているように、不可侵条約が結ばれる事により、終結を迎えた。それは双方が、平穏と安寧を強く望んだからであろう」
 おそらく今この広場に集まる人々が、胸の内にも大戦の混乱と戦場を、明確に思い描く事はなかっただろう。剣戟や、土と汗と血に塗れた鎧が立てる音、立ち昇る煙の筋と、風に交じる血と焼ける肉の臭い――腐臭。
 憎悪、怨嗟、絶望、苦渋、悲哀、悲嘆、渇望、希求。
 タウゼンや、レオアリス、アヴァロンでさえも、――真には。
「人の心には、平穏への強い希求があり、己の信念や理想があり、困難を乗り越えてそれを成す力がある」
 黄金の瞳が、その場の一人一人を捉えていくように感じられる。
「私にも、そなたらにも、それがあろう。おそらくはそれこそが、私が永い時を掛けて目にしてきた価値なのかも知れぬ」
 人々は身動ぐ事も忘れ、王ただ一人を見つめていた。
 王の立つ場所はその時、晴れやかな空の覆う王城の露台ではなく、果てのない荒れ野の丘の上に見えた。周囲にはそこかしこ煙が燻って棚引き、厚く垂れこめた灰色の雲の隙間から、幾筋かの陽光が荒れ野へと注いでいる。
 傍らに立つ者も無く、王ただ独り。
 どれほどの時を、王が眺めてきたのか。
「意志や希求に限りはない。実体もなく触れ得ぬが、触れ得ぬが故に如何なる力も意志や希求を消し去る事はできず、如何なる状況、如何なる暗闇に於いても、我等の目は光を探すからだ。そして光は意志に力を与える」
 太陽の光が一際明るく、王城と前庭を照らすように感じられた。既に王の立つ場所は、何も変わらない王城の露台であり、民衆達の前だ。
「望み、求め、それを成す。その力が全ての、一人一人の中にある。私はそなたら一人一人が、それを成す事を望む」
 しばらくは穏やかな静寂が広間に満ちていた。
 王は民衆を見渡し、人々の騒めきが戻る前に、右手を上げてファルシオンを手招くと横に並んだ王子の肩に手を置いた。
「私が不在の間は、この王太子ファルシオンを代理として置く。私と同様に支えて貰いたい。ファルシオン、そなたは良く国内を見渡せ」
 ファルシオンが父王に向き合い、王の意を受けるように顔を伏せる。
「承知いたしました」
 わっと歓声が湧き上がる。
 次に内政官房長官ベールが王とファルシオンに向き直ると、民衆の歓声は次第に小さくなった。
 ベールが深々と一礼し、そして声を張る。
「此度の古の海バルバドスとの条約再締結が、国王陛下の御名を以って、平穏のもと執り行われん事を祈念申し上げる」
 ベールの宣言は朗々と流れ、広場の端にいる人々の上にまで響いた。
「我等がアレウス国王陛下の恩寵が、幾久しく我等と我等の国土の上に在らん事を」
 晴れ渡った青い空が、この先五十年の平穏を約定する今日という日に相応しいものだと、集まった民衆の誰しもが思った。
「国王陛下の更なる万歳ばんさいを、心より祈念申し上げる」
 広場を埋める人々がどよめき身を揺する。
「国王陛下万歳!」
「王太子殿下万歳!」
 唱和は王城の外壁と城壁とに反射して大気を震わせ、王都の街へと溢れ出て流れて行く。姿見式の会場に入れず、まだ城壁を巡る堀の前に残っていた人々や、通りを歩く人々、家々の窓辺や運河を渡る舟からも人々が唱和の響きに顔を上げ、青い空を背にした王城を見上げた。




 まだ唱和が続いている内に王は露台を離れ、薄い光の落ちる城内へと入った。ファルシオンが続いて城内へ入り、アヴァロンとレオアリスも歩き出す。
 冷えた城内に入ると、唱和の残る広場の熱との対比が身に迫るようだ。レオアリスは前を歩く王の後ろ姿を見つめた。
 謁見の間で感じた不安は、王を讃える民衆のうねるような意識の前で、束の間薄れていた。人々が王を求め敬う想いを、王が確かに受け取ったと、そう思えたからかもしれない。
 けれどこうして未だ明け方の冷気が残る場所では、あの時よりもまざまざと感じられた。
 そして先ほどの、民衆へ向けて告げた王の言葉が、その理由のつかめないまま重くレオアリスの胸に落ちている。
「――」
 アヴァロンがレオアリスへ、ほんの僅か視線を向け、だが特に口を開く事無く長い廊下を歩いていく。アスタロトやセルファンら衛士、参列していた諸侯も無言でゆっくりと、その後に従った。
 大階段を下り、ほどなく王城の中庭に出る。太陽の光とは違う淡い光が、中庭をうっすらと染めていた。
 アルジマールの法術――転位陣が白く放つ光だ。
 光を放つ法陣と、その向こうに続く白い渡り廊下を背に、法術院長アルジマールは灰色のかずきに包まれた頭を深々と下げた。
「準備は全て整っております、陛下――いつなりとお命じください」
 王はアルジマールの前に立った。正規軍副将軍タウゼンが膝をつき、顔を伏せる。
「西方第七大隊は七刻に、一里の控えに到着致しました」
 王は頷き、ファルシオンを手招いた。ファルシオンは王の傍に寄り、じっと熱心に王の話す言葉を聞いている。
「さあ、炎帝公、セルファン大将、法陣に入りたまえ。出る先はまあ安全だし平地だが、法術での移動はあまり心地のいいものじゃない。体勢と気持ちを整えておくといい」
 アルジマールは法陣を見下ろしていたアスタロト達へ、右手を広げて光る円を示した。
 まずアスタロトが法陣へと足を進める。白い石段を降りて、法陣の前に立つレオアリスに近付く。
 真っ直ぐ前に向けられていた深紅の眼差しが、揺れた。
「アスタロト」
 押さえた声で、レオアリスはアスタロトを呼んだ。
 アスタロトの足がほんの一呼吸分止まりかけ――、踏み出される。ゆっくりと法陣へ向かう。
「確かに俺は判ってないし、正直、良く判らない」
 互いに視線は合わせないまま、距離が近づき、通り過ぎる。法陣の縁にアスタロトの革靴の先が掛かる。レオアリスはそのまま言葉を続けた。
「――今は、だ」
 アスタロトの肩が一度揺れた。
「考える。だから、帰って来たらきちんと話そうぜ」
 法陣に入ったアスタロトの身体が、足元から上がる光を受け、薄い布で隔てられたように霞んだ。
「――うん」
 背を向けたまま、アスタロトは口元に、いくつもの感情が入り混じった笑みを浮かべた。そこには安堵と――自嘲も含まれていたかもしれない。
 法陣の中に数歩進んで向き直り、肺の奥から息を吐くと、それから顔を上げてレオアリスを見た。
 お互いにまだ幾分のぎこちなさと気まずさが残っていたが、これまで二人が向き合って来た距離に、今は戻ったようにも思える。
 レオアリスとアスタロトはほぼ同時に、視線を外して互いの正面を向いた。王とファルシオンがそこにいる。
 僅か二日――決して軽んじられない任務をそれぞれに負っている事で、自然と姿勢が正される。
 続いて法陣に近付いたセルファンは、レオアリスの前で立ち止まった。
「レオアリス」
「セルファン、陛下の守護を頼む」
 セルファンは頷き、レオアリスの瞳を見た。口元をほとんど動かさず、低く告げる。
「トゥレスの動向には、目を配れ」
「――」
 レオアリスがすぐに真意を問い返さなかった事をどう思ったのか、セルファンはそれを言葉にする前に、法陣円に踏み入った。続いて西方将軍ヴァン・グレッグや西方軍第一大隊大将ゴードン、正規軍兵士と近衛師団隊士、アヴァロンを除く衛士全員が法陣の中に立った。
 ファルシオンが王の前に膝をつく。レオアリスや、スランザール、諸侯達も同様に膝を落とした。
 アヴァロンが半歩、法陣を跨ぐ。王はゆっくりと、法陣の中に入り、中央に進んだ。
 ベールが再び、王と王国の更なる繁栄を宣言する。アルジマールの詠唱が始まった。
 法陣を包む光が揺らぎ、中に立つ王やアスタロト達の姿が、その光の揺らぎにつれて薄れていく。
 途切れず流れる詠唱――
 円内の姿が揺らぐ。王の姿が。
(――王!)
 膝をついていたレオアリスが、無意識に身を乗り出した刹那、王と衛士達の姿は拭い去られるように消えた。
 法陣がゆっくりと光を消していく。完全に光が消えると、まるで初めから、そこには誰もいなかったようだった。
 諸侯が次第に、小言で感嘆の言葉を交わし始めてからも、レオアリスはしばらく、半ば茫然と、自分の中にあるこの感情が何なのか掴めないまま、足元に残された法陣円を見つめていた。




 回廊を走って渡る硬い靴音が聞こえ、すぐに執務室の扉が開いた。クライフとフレイザーは顔を上げ、入口に立った事務官のウィンレットが持ってきたものが果たして吉報か凶報か、それを見つめた。
 クライフが奥歯をぎり、と噛み締める。
「ウィンレット、見せてくれ」
 青ざめた面持ちのウィンレットが手にしている書状へ、クライフは立上がり右手を伸ばした。
「……フィオリ・アル・レガージュの領事館からです。レガージュの伝令使が、すぐに返信を持ち帰りたいと」
「レガージュ……」
 書状に目を通すクライフの横顔に、フレイザーの視線が注がれる。恐れている事が告げられるかもしれない不安が、彼女の瞳の中にあった。
 そして、この二日、ずっと探していた情報が、今出てきたのだという確信と。
「何て書いてあるの――?」
「――」
 クライフは目を伏せ頬を歪め、一度、自分を落ち着かせるように息を吐いた。ウィンレットを見ないまま、喉に引っ掛かった言葉を、絞り出す。
「――ここに、運ぶように・・・・・伝えてくれ」
「クライフ、運ぶって、何を」
 何を運ぶというのか。
 クライフの表情は厳しく張り詰め、やはりフレイザーもウィンレットも見ずに、そこに誰かがいるかのように正面を睨んでいる。
「シメノス河口で、遺体が見つかった。かなり損傷が激しいらしいが、近衛の軍服を身に付けてる」
「――」
 翡翠色の瞳を見開き、フレイザーはクライフの手元を見つめた。ウィンレットが左腕を胸に当て、踵を返す。
「……ウィン、ちょっと待て」
 クライフはウィンレットを引き止めた。
「ここじゃ騒ぎになるかもしれない。半刻後に、レガージュとの転位陣で待つと、返事を」
「承知しました」
 ウィンレットが鋭く頷き執務室を出ていくと、クライフは今度はカイを呼んだ。クライフが伸ばした右腕の上に、レオアリスの伝令使が姿を現わす。
「上将――いや、副将とロットバルトに、すぐ転位陣へ来て欲しいと報せてくれ。法術院にある方だ。今日使ったのじゃない。レガージュの河口で……隊士の遺体が、見つかったと。半刻後に転位陣へ運ばせる」
 カイが一声鳴いて姿を消す。クライフはまるでカイの姿を思いがけず見失ったかのように、数度目を彷徨わせ、それをすぐに瞼の内に隠した。
「ああ、あと場所か、くそ」
 フィオリ・アル・レガージュとの間に敷かれた転位陣は、王城の敷地内の法術院横にあり、まずは王城へ行って、どこか人目に付かない場所を用意する必要がある。
「フレイザー、俺達もすぐ」
 言い掛けて、クライフはふっと口を閉ざした。「いや……フレイザーは、ここに残っててくれ」
 先ほどからずっと、クライフはフレイザーと目を合わせるのを避けている。それはおそらく、彼がフレイザーの中に答えを見つけるのを避けているせいだと、フレイザーは理解していた。
 まだ決まった訳ではない――そう言おうとして、その言葉は却って無責任だと思い直した。敢えてクライフの前に立ち、正面から見つめる。
「何言ってるの。私も行くわ、当然。場所の手配は私がするから、貴方は転位陣に回って。余り時間は無いでしょう」
 クライフはフレイザーをじっと見つめ返し、今度は感情を区切るように息を吐いた。
「――分かった。急ごう。多分先に副将とロットバルトが着くはずだ」




 グランスレイとロットバルトの元にクライフの伝言が届いたのは、レオアリスがファルシオンに付いて謁見の間に戻るのを見送り、王城の西の大階段を二階へと差し掛かった時だった。大階段のてすりに降りたカイを見て、グランスレイの表情が変わる。
 カイが伝えたクライフの声には、極力抑えられていたが、狼狽の響きが確かにあった。
「隊士の」
 グランスレイが低く呟く。そこにも悔恨の想いが滲む。ロットバルトは先に立ち、グランスレイを促した。
「行きましょう。レガージュを繋ぐ転位陣は法術院横にあります。先に人払いをする必要がある」
 再び大階段を下り、先ほど王の出立を見届けた中庭へと向かう。
 王が転位に使用した法陣は今回の為に敷かれたもので、中庭の南に置かれていた。今向かっている法術院があるのは中庭の東側、王立文書宮と並び、庭園に張り出すように建てられている。
 広い中庭に十字に掛かる、白い艶やかな石で組まれた渡り廊下を速足で歩き、法術院へと向かう。
 格子の間から望む美しい庭園――緑と陽光に溢れたそこには、一つとして不安など無いように見える。
(レガージュ)
 ロットバルトは視界を流れる庭園の緑の向こうに、つい一月前に目にした濃紺の海を思い浮かべた。
 今、彼が渦中にあると考える西海の海の印象と、その色はかけ離れている。
 この庭園の情景と同じ――レガージュは、そういう印象だ。全く違う所から不意に飛び込んできたというような。
(河口と言ったか)
 遺体の発見場所。
 いつ発見されたのか。
 どんな状態で。
 すぐにそれが判る。
 そこから導き出せるものがあれば――
 自分が避けている想像――その遺体が誰か――そしてそれ・・をレオアリスへどう伝えるのか。意識の片隅にあるその想定を、ロットバルトは敢えて押し遣った。






「王は一里の控えの館に入る頃ね」
 ルシファーは身を預けていた優美な長椅子から背を起こし、青い空を切り取る窓の向こうを眺めた。その中を、斜めに分けるように鳥が飛ぶ姿が見える。先ほどまで鳴いていた雲雀だろうか。
「コーネリアス」
 瞳を向けた先、黒檀の艶やかな円卓を挟んだ正面に、ヒースウッドが腰掛けていた。
 ルシファーを見つめていたヒースウッドは緊張し、もともと張っていた背筋を更に伸ばした。本来自分はルシファーと向かい合って座る立場になどなく、膝をつくべきなのだと、ヒースウッドは今でも真剣にそう考えている。
 ルシファーは花が綻びるように笑みを浮かべた。
「昨日も言ったとおり、貴方にはこれから、最も重要な役割を果たしてもらうわ」
「はい。既にボードヴィルに残った兵士達には、正午に講堂へ集合するよう指示しております。まだ事情は説明しておりませんが……それでもよろしいですか」
 ルシファーが頷く。
「それはミオスティリヤ殿下が講堂へお姿を現わした時に判ること――」
 暁の瞳が深い色を湛え、光を弾く。ヒースウッドの耳に届くのは、一定の間隔で時を刻む時計の歯車の音と、ルシファーの声だけだ。
 これからヒースウッド達が呼び起こす激動など、微塵も感じられないほど静かだった。
「貴方は予定通り、正午にミオスティリヤ殿下をお迎えに上がり、講堂にお連れして。その時に、彼が同行する事が重要よ。そうする事で殿下のご不安を、少しでも和らげて差し上げられでしょう」
 ルシファーは慎重な声と眼差しで続けた。
「もちろん、貴方がミオスティリヤ殿下をお支えするために、心から尽くし殿下の御心に寄り添う必要がある。その事を常に忘れないで」
 ヒースウッドは息を呑み込み、椅子に坐したまま無言でゆっくりと頭を下げた。
「――一度、様子を見て参ります」
 それから決意を秘めた面持ちで立ち上がり、ルシファーへ再び恭しく一礼すると、廊下へ出た。






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