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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第一章『萌芽』


 離反した西方公に対し、正規軍全軍に捜索の指示が下され、国内全土で行われていた。
 兵士達は国の根幹を担う公爵家の離反という事態が俄かには飲み込めず、半信半疑の中で捜索を進めていた。理由が示されていない分、尚更だ。
 ただ彼等もまた、命令を下す上層部すら離反の理由を明確に認識していないとは、さすがに考えてはいなかっただろう。
 捜索に当たる中で西方公の離反が声高に掲げられる事は無かったが、それでも正規軍が誰を追っているのか、ほどなく王都中の噂になった。ひそひそと囁かれるそれは噂の常で、やがて尾ひれが付いて回り出す。
 何故裏切ったのか。財務院での待遇が気に食わなかったのだ。西方の領土だけでは満足できなくなったのではないか。
 四大公というこの国でこれ以上ない地位にありながら、なお上の――、究極の地位を欲したのだ――と。
 いくら西方公でも、国王になんて高望み過ぎだと笑う声が多かった。現王以上にこの国の王に相応しい者がいる訳がない。いるとしたらそれは王太子ファルシオンだけだ。
 それでも西方公が国王の地位を望み、それ故に離反したのだとしたら――
 西方公が王に反旗を翻し、軍を組織して王都に攻め上がってくるつもりだ、と、そうした噂がまことしやかに立ち上がった時、王は国土全体に向けて触れを出した。
 西方公が離反して五日目の事だ。
 もうほぼ捜索は袋小路に入っていた。


「ったく堪ンねぇぜ、今度は質問攻めだ」
 西方軍第一大隊中将ワッツは、どかりと腰掛けて全身で息を吐いた。王城第一層にある兵士達が集まる食堂で、今は勤務を終えた正規軍兵士達や近衛師団隊士達が食事や酒を楽しんでいる。
「羨ましいぜお前んトコは対応が無くてよ」
 ワッツは分厚い手のひらで、剃り上げた頭と岩のような顔をいっぺんに撫でた。
 王都の正規軍第一大隊は王都内の捜索を行っている。いまさらルシファーが王都になどいる訳はないと九割方判っているが、万が一を考えて捜索は続けられていた。
 王は西方公の離反を正式に公表し西方公の爵位を剥奪すると共に、その地位と職務については暫定空位にすると公布した。財務院長官にはゴドフリー侯爵を代理で置き、西海との条約再締結後に新たな人事が行われる事になる。
 一連の措置が淡々と行われた事によって、王都の住民達は根拠の無い噂をただの噂で済ませるようになった。代わりに西方公が何故離反したのかと、しょっちゅう聞かれる。
「どっちが聞き込みしてんだか判らなくなってくる。俺達は理由なんざ知らねぇしか言えねぇし、街のヤツラから西方公の行方が返ってくる訳でもねぇし、お互い答えがねぇから同じとこぐるぐる回ってるみてぇな気になってくらぁ」
 クライフは酒瓶を持ち上げ、ワッツの杯に酒を注いだ。強い酒精の香りが漂うそれをワッツは一気に飲み干し顔色も変えない。
「ご愁傷様だ。ま、俺達だって好きで何もしない訳じゃねぇ」
 クライフはそう言いながらもう一度杯を満たし、空になった瓶を掲げて給仕を呼んだ。ワッツは二杯目も一口で呑み込み、「高ぇ酒なのに」というクライフの恨み事をやり過ごして肘を付いた。
「そりゃま、お前んとこの大将殿は動きたくてたまらねぇだろうからな。炎帝公はこの件で出ずっぱりで、だからって進展もねぇ」
 そう言いながら厳つい顔に似合わないどことなく思わし気な表情を浮かべたのは、ワッツもレオアリスの気質を良く知っているからだ。アスタロトの事も。
「全然噂もないか」
 クライフの問いにワッツは頷いた。「無いねぇ。ま、無いだろうな」
 西方公が自分から消息を断ったとなれば、簡単にその跡を追えるとは、おそらくほとんどの者が考えてはいない。
 この王都にいるとも思っていない。
 それを承知の上で探すのは――、ある意味の見せ芸だ。
 ワッツはクライフが明日レオアリスに伝える事を含んで、もう少し情報を加えた。
「街の住民達も不安がっちゃいるが、それだけだ。俺達が思うほど動揺はしてねえ。ま、今は祝祭の準備でまた盛り上がってるところだからな、そいつも手伝って何つうか、妙に浮き足立った感じだぜ、街は」
「西方公っても、一般にゃ生身の相手じゃねぇからなぁ。わぁって一時騒いでみても、考えてみりゃ顔も知らねぇって落ちだろ」
 離反という言葉に対する漠然とした不安はあるにはあるが、具体的に住民達の暮らしに何か影響が出ている訳でもなく、遠巻きに眺めている状態のようだ。
 おそらくは、どこか劇でも見ているような、そんな興味半分の感覚があったに違いない。
 誰しも――この西方公の離反が国を揺るがす事態に発展するとは、思っていなかった。
 彼等はそれほど長く、平穏の時代を過ごして来た。
「ただ、月末の条約再締結に問題がないかどうか、そこらへんは結構噂になってるな」
「――やっぱそこか」
 クライフは彼には珍しく暗い表情を浮かべた。フィオリ・アル・レガージュでの一件から、ルシファーが西海と何らかの関わりがある事は判っている。
 この時期の離反が条約再締結に何かしら関係してくるのではないかと、そこはクライフ達も最も懸念しているところだった。
「月末までにはケリ付けてぇな」
 ワッツはそう言いながらクライフの向こうを見て「お、お前んとこの参謀殿だぜ、おーい」と、にこやかに手を振った。
 ちょうどロットバルトが料理の皿を載せた盆を手に、ずらりと並んだ卓の間を歩いてくるところだ。
「今頃飯かい。ここ空いてるぜ」
 自分達の隣を手で示す。
「うおー、お前ホント誰にでも気兼ねねぇな!」
 こういう食堂では未だにロットバルトの周囲は、遠慮がちな空席が目立つのが常だ。近衛師団の隊士にしろ正規兵にしろ単純に苦手なだけの緊張でもないのだが、どっちみち厳粛な会議の場のようになってしまう。
 ただ一番の問題は、本人が全く、これっぽっちも、周囲の空気を問題にしておらず、改善しようと思っていない事だろう。
「たまに飲むぜ。ここでだがな」
「マジ?! 何の話すんだよ?」
「別にフツーに、まあそれぞれの隊の話だな。戦術論とかよ」
「うっ、そういやお前、そんな面して結構頭良かったな……」
「そんな面たぁ何でェ」
 クライフが妙な感心をしている間にもロットバルトは二人のいる卓に近寄ると、ワッツに軽く会釈した。
「お疲れ様です。進展は如何ですか」
「思わしくねぇ――が、想定内だろ」
「まあそうでしょうね」
「うわ、何かフツウ!」
 怯えるクライフを冷たく見下ろしたロットバルトの肩越しに、レオアリスがひょいと顔を覗かせた。
「席そこか? あれ、何だ、ワッツじゃないか」
 レオアリスは手にしていた銀の盆を卓の上に置き、ワッツの隣に腰かけた。
「クライフと飲んでたんだ?」
「暇でして」
「暇?!」
「今上がりですか、随分遅い時間ですね」
 ワッツの指摘通り、もう夜も十刻近い。
「さすがに書類が多くて……謹慎明けだからな……」
 溜息を付きつつ、レオアリスはもう匙を取り上げて、銀の器に盛られた煮込み料理をぱくりと口にした。今日の献立は鹿肉と芋や玉葱を葡萄酒で煮込んだものだ。兵士達の為の食堂だが、なかなか洒落たものを提供し、量もあって味もいいと評判だった。
「ははは、ま、謹慎の一つも喰らうのが立派な軍人ってモンですよ。俺も若い頃は一回やらかしましたからね。そうやって成長してくんで」
「え、じゃこん中で謹慎食らってないの俺だけか?」
 クライフはわざとらしく驚いて顔を上げた。
「マジかよー、何だかんだ言うわりにゃ俺が一番真面目なんじゃん。あーでも何か悔しいわ、ハブみてぇ。俺も謹慎受けようかな」
「無期限でどうです。理由は幾らでも出せますよ」
「――いや、それ謹慎じゃねぇし。あれ? ちょ、目がマジ?」
 クライフとロットバルトのやり取りに笑い、レオアリスはあっという間に空になった皿に匙を置いた。
「でもお陰で書類の方は全部片付いたし、明日からはいつもどおりだ。やっぱりほっとするな」
「それァ良かった。ところで祝祭の準備はどうです」
「あ、それ……」
「秘密ー!」クライフが卓に乗り出し肘をつく。「ま、見てろ、てめぇのトコにゃ負けねぇよ」
「ほぉー、どうせ無難に劇だろう」
「う」
「今回うちは破壊力すげぇぞ」
 ワッツは岩のような顔でにやりと笑った。
 この月の二十日から行われる春の祝祭は、王都の祭りの中でも一番大きなものだ。例年四月の二十日から月末までの約十日間に亘って街が盛り上がる。
 秋の収穫祭や年末年始の祝賀などでは基本的に街の警護を行う軍も、春の祝祭ではそれぞれ大隊ごとの単位で参加するのが恒例だった。軍に対する親近感を持ってもらうという趣旨だ。
「破壊力あり過ぎだろ。お前んとこ特に筋肉系揃ってんじゃねぇか」
「何でぇ、もう中身知ってんのか、つまんねぇな」
 と言いつつワッツはごつい笑顔のままレオアリスとロットバルトを見た。
「ま、大将も参謀殿も、我が隊の出し物にどうぞご足労を」
「いやっ、俺は」
 レオアリスは思わず防衛に入った。聞いている限りでは、あまり近付きたい出し物ではない。
「気合い入れてんですよ、俺も王都の祝祭とは当分おさらばですからね」
 その言葉にクライフは肘を付いたままワッツを見た。
「そういやお前、七軍に赴任するの、ありゃ本決まりか」
「ああ、決まった」
 ワッツはあっさりと頷いた。「またウィンスター殿の下だぜ。有難ぇんだか厄介なんだか――、まあ、引っ張ってもらえんなぁ幸せだ」
 クライフは身を起こし、椅子にどかりと座り直した。
「あーあ、残念だぜ……せっかくの飲み仲間が」
「俺もそいつぁ残念だ」
「いつ行くんだ? 来月か?」
「いや、今はこんなんでバタバタだが、儀式の前には着任しろと言われてる」
 驚いて顔を上げたのはレオアリスもだ。
「え――随分早いな。再締結が無くたって、普通人事は祝祭の後だったはずじゃ」
 ワッツがレオアリスに酒の瓶を傾けて見せ、レオアリスは断る意味で右手の手のひらを向けた。ワッツは少し残念そうな顔をしたが、特に何も言わずに斜め前のロットバルトの杯に酒を注いだ。
「それ俺の酒――ま、いいけどよ」クライフが肩を竦める。
「再締結の儀式では西方第七軍が一里の控えを担うんです。第七軍は陛下をボードヴィルにお迎えし、その後は一里の外に控えるって予定で」
「――そうか」
「だから大将、とりあえずそこでまた会えますよ」
 万が一レオアリスが衛士五十名の中には入らない場合にしろ、一里に控える事になるのだろうとワッツもそう言った。
 それからレオアリスを真っ直ぐ見るとにやりと笑い、そこだけは職務を離れて続けた。
「頼んだぜ――また」



 まだ飲み続けるというクライフとワッツに別れを告げ、レオアリスとロットバルトは食堂を出た。二階建の建物は白い石の壁を街灯の灯りに薄く浮かび上がらせている。
 通りに敷かれた石畳みを時折風が吹き抜ける。日中は暖かくなったが夜の風はまだ肌寒く感じられた。レオアリスは玄関前の短い階段を降りながら、一階の壁に並ぶ窓の灯りを一度振り返って笑った。
「あの二人、朝まで飲むんだろうな、今日は」
 ワッツの西方への赴任が決定的になったと聞いて、クライフは心底残念そうだった。レオアリスも同じ気持ちだ。
「赴任か。前にウィンスター大将から聞いちゃいたけど、実際ワッツがいなくなると思うと寂しいな」
「そう言えばワッツ中将とは、公と同じで付き合いが長いんでしたね」
「ああ。まあ長いったって結局、王都に来る前一ヶ月程度の話だけど」
 王都の御前試合を目指していた時の、西の大森林カトゥシュの森で会ったのが始まりだ。
 捕まったんだけどな、と言って隣を歩くロットバルトへ視線を上げた。
「言ったっけ」
 呆れを含んだ視線が返った。
「初耳ですね。何をやったんです」
「御前試合の資格がカトゥシュに棲む竜の宝玉だったんだ。それを取りに行ったら、カトゥシュに黒竜が降りたせいで正規軍が森を封鎖してたんだよ」
 それは知っているらしく、ロットバルトは頷いた。
「当時私は学術院にいましたが、周囲では議論そっちのけでその話題でしたよ」
「それで、森でアスタロトを探してた正規軍についでに捕まったんだ」
「ついで……?」
 いや、正確にはついでではなかった。
 それにもう一つ。
(ああ、そうだ――、アナスタシア、だったな)
 アスタロトを継承する前の、彼女自身の名だ。
 浮かぶ面影は今よりもやはり子供っぽさが残り、――ただ何故か、つい最近見たようにも思えた。
「俺もアスタロト達も、ワッツには色々助けられた。多分あの時ワッツがいなきゃ、状況が大分変わってたんじゃないか」
 ワッツはアスタロトやレオアリスがいたから助かったと言うが、それだけではない。現場を率いる指揮官として、今考えてもワッツの能力は秀でていた。
「だからウィンスター殿は、この時期にワッツを第七軍に欲しがったんだろうな」
「確かに、組織を跨げるのであれば我々が欲しいくらいの人材ですからね。有事で特に能力が活きる質でしょう」
 ウィンスターがワッツの赴任を急ぐのは、西方公の離反が関係しているだろう。
 西は騒がしくなる。
 ウィンスターはそう読んでいるのかもしれない。
「西か……」
 レオアリスは今回の騒動の中で気になっていた事を、改めて思い出した。その点を尋ねるのはやはり少し躊躇われる。
「聞いていいか」と言って視線が返るのを少し待った。
「ヴェルナーは西に所領が多いだろう。あんまり立ち入る事じゃないとは思うが――今回の事は絡んでくるのか」
 レオアリスの問いにロットバルトは珍しい、という顔をした。ロットバルトの家の事など、普段ほとんど話題にしない。
「すぐに直接的な影響は無いでしょう。ヴェルナーは北方公の長老会に属していますから」
 公爵家、或いは侯爵家には、広範囲の所領とその権限を持つ当主を支える為の組織である、「長老会」が存在する。侯爵家は自ら長老会を持つ他にいずれかの公爵家長老会に属し、九十九家の諸侯は公爵、侯爵家の内一つの長老会に属していた。
「そうか、――良かった」
 レオアリスは遠慮がちながら、息を吐いた。
「何がです」
「いや――、今さらお前を引っ張られても困るし」
 そんな事かと言うようにロットバルトは笑った。
「それは無いでしょうね。跡継ぎには兄がいる。充分です。まあ今更子供じみた事を言うつもりはさすがにありませんが、面倒な後継争いをやらかすつもりも全く無い」
 そうは言いながらも、ヴェルナー侯爵が実質ロットバルトを跡継ぎに目している事はレオアリスも伝え聞いている。もしヴェルナー侯爵がロットバルトを正式な後継者にすると宣言すれば――、単純にその言い方で通りはしないだろう。
 とは言えロットバルトの事だ、それは全て了解した上で言葉なのだろうが、表情からは心情は伺えなかった。
「――」
「領地経営をするのは面白い経験ですが、今はそれだけで充分ですね。今預かっている区域だけなら、領内に損害が出ない中で実験的な手法を試せる」
 言葉の意味をしばらく考える事になった。
「……もしかしてそれ、やってるのか」
 いつの間に、とレオアリスはこれまでの日々を振り返った。そんな時間があっただろうか。おそろしい。
「大体そういうのは一切やらねぇのかと思ってた」
「跡継ぎ云々とは別に、義務と、まあ教育の一環です。さすがに領地経営を全く知らないでは長老会と話をできない。それなりに興味もありましたしね」
 興味があったというのは本音の部分だろう。
「経験の有無は周囲との折衝の上でも影響しますよ。軍で実戦の経験があるのと無いのとで、内部でも対応が違うでしょう。それと同じ事です」
「なるほど――それはあるな」
 それなりの地位にあっても、実戦経験の無い者の発言は軽んじられる傾向にあるのは確かだ。
「けどそうか、驚いたな。どこの土地なんだ?」
「南方のフェン・ロー地域です。貴方も以前一度行ったでしょう。あの場所は」
「――あの」
 その先は口には出さずに言葉をしまった。
 イリヤを一時預かった館のある土地の事だ。イリヤが滞在している時に一度だけ、彼等の様子を見に行ったことがある。ロットバルトには思い入れのある場所なのだと、その時に知った。
「まあ充分と偉そうな事を言っても、実際それ以上は手が回らないと思いますよ。父もそこまで私を買い被ってはいない」
 そうかな――、と思ったがそれは言わなかった。ただ、買い被りではないと思う。
「西方に関しては、西方公長老会筆頭のゴドフリー侯爵は大変でしょうね。先日開かれた長老会は大荒れだったと聞いています。誰も離反の理由を知らない。陛下は彼等長老会の責を問うおつもりはないようですが、先日の会合はそのまま空中分解しかねない状況だったようですよ」
「当主がいなきゃな……ただ所領の管理は途切れさせる訳にもいかないんだろう」
「そうです。しかし当然、利害が絡む。急に目の前に、宙に浮いた利権を突きつけられたようなものです。収拾を付けるのは簡単ではないでしょう」
「――頭に入れておこう」
 王城の警護を行う上で、少なからず問題になってくるかもしれない。ならなければいいが。
「次の西方公が決定するまで、幾つか山があるかもしれませんね」





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