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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第一章『萌芽』


 手の中で細い鎖が滑る。
 鎖の先で、微かに光を弾く青い石が揺れた。
 束の間その光を目で追った後、レオアリスは鎖を持ち上げ、首から掛けた。
 軍服の襟の中に落とし込まれた石はすっかり身に馴染んだ物だったが、改めて意識すると気持ちが引き締まった。
 今日で謹慎も解け、八日振りに任務に戻り、王のもとへ上がる。
 レオアリスは手のひらを上にして両手を胸の前に持ち上げ、改めて身を包む黒い軍服へ視線を落とした。袖を通すのは謹慎前以来で、随分久しぶりに思える。
「七日間か――、長かったな」
 そのまま想いを掴むように両手を握り込む。
 七日の間何もできなかった事を考えると、本当に時間をただ費やしてしまったのだという後悔にも近い感覚があった。
 アスタロトに――正規軍に課せられた西方公ルシファーの捜索は一向に進んでいない。ルシファーの館には全くと言っていいほど、足取りを辿れるものは無かった。
 レオアリスは彼の伝令使をグランスレイ達に預けてルシファーを探させていたが、カイも気配を辿れず、ロットバルトも独自に情報を集めてはいるものの芳しいものは出ていない。
 正規軍の中には少なからず焦りと不安が広がっていると聞く。王都全体がこの件の行方を見つめているはずだ。
 四大公爵家の一角の離反が、この国に何を運ぶのかを。
 特に今、この時期に。
 西海との関わりへの疑念はもちろん伏せられてはいるが、それを除いても『西方公』の離反が意味するものは、いずれ人々の胸中から口の端に昇り始める。
 この四月、月の末日に予定されている、西海との条約再締結の儀式に影響があるのではないかという不安。
 レオアリスが謹慎に入って三日目の今月五日、条約再締結の儀式に向けた西海の使者が訪れている。
 締結の場として示されたのは西海の皇都、イスだった。
 それを聞いて驚かない者は一人としていなかっただろう。
 場が選ばれる条件は、互いの国境から二里以内の地であることが第一に挙げられる。アレウス国で行われる場合はこれまでの五回、常に変わらず、かつての不可侵条約締結の地、水都バージェスを指定していた。
 だが、西海はその都度変わる。
 西海の都市そのものが、バルバドスの海を移動し続けているからだ。
 その時々、最も大陸に近付く都市が指定された。
(それが今年は、皇都イス――。ただの偶然なのか)
 疑念と微かな不安が付き纏う。
 西海の使者が要請した内容を、レオアリスはもう聞いていた。レオアリスの――、剣士の帯同を認めないという西海の条件。
 王はそれに対してその場では返答を返さず、最終的なアレウス国側の体制は儀式七日前までに伝える事になっていた。
 条約再締結の儀式で王の警護に付きたいという想いは変わってはいないし、より強くなっている。
 けれど今、その可能性はどれだけあるだろう。
「――考えても仕方ない」
 全ては王が決める事だ。
 レオアリスが警護に付く必要があると王が判断すれば、それに合わせて西海への返答を整える。
 レオアリスは顔を上げ、廊下へ出た。
 玄関の扉を開けて外に出ると眩しい青空が一面に広がり、レオアリスは瞳を細めて空を見上げた。雲一つ無く、どこまでも続いている。
 四月の空は澄んで明るく輝き、それだけで気持ちを弾ませた。飛竜で上空を行くのに格好の空だが、残念ながらハヤテは第一大隊の厩舎に預けてある。
 まずは王城に上がり王へ謁見するが、一旦近衛師団に立ち寄りそこでハヤテを受け取ろうと、レオアリスは門を出て、官舎の前の道を歩き出した。

 この通りは近衛師団第一大隊と正規軍西方軍の官舎が並んでいる。どの隊も将の官舎の並びにその隊の副将や中将達の官舎を配していた。これは原則、有事の際に迅速な対応を取れるよう意図したものだ。
 ただ第一大隊では、官舎に暮らすのはグランスレイとロットバルトだけで、家庭があるヴィルトールなどは城下の街に住んでいる。
 この辺りの街路樹は楠で、常緑の葉をゆったりと茂らせ日差しを柔らかく遮っている。鮮やかな緑の葉の間を抜けて零れる陽射しが、通りの石畳に切り絵のような淡い影を描いていて、朝早くその中を歩くのは清々しかった。
 士官棟がある第一層へ向かう方向、ロットバルトに貸与されている館の門に差しかかった時だ。
 ふいに右側の塀から、銀色の鱗に被われた長い首がにゅっと突き出した。
「わっ」
 驚いた頬に鱗のひやりとした感触が肌に触れる。
「――ハヤテ、お前か」
 青い瞳がぱちりと瞬く。嬉しくなった。
「久しぶりだなぁ。……あれ?」
 喉を鳴らして擦り寄るハヤテの首を抱えるようにして軽く叩きながら、何でロットバルトの館の塀からハヤテが首を出すのだろうと思ったところで、真鍮の格子門が開いた。
「――上将? 何をされているんです」
 ロットバルトが塀越しにハヤテの首を捉まえているレオアリスを見つけ、まずそう尋ねた。
「いや、何をしてるって……」
 それはレオアリスが問いたい疑問だ。
「ちょうど良かった。今ハヤテをお届けに上がろうと思っていたところです」
 レオアリスが問い返す前にそう言うと、ロットバルトは左腕を軍服の胸に当て、敬礼した。
「おはようございます。晴れて謹慎が解けて何より」
「おはよう――連れて来てくれたのか。ありがとう」
 ロットバルトは笑って頷き、擦れ違わなくて良かった、と言った。
「師団まで行くつもりだったから、ちょっと早く出たんだ」
 門の中を覗き込むとハヤテの向こうにもう一騎、ロットバルトの乗騎である漆黒の飛竜が翼を休めている。
「我々も直接王城に上がるつもりなので、副将もすぐにおいでです」
 そう言う間にも翼が風を叩く音と共に、漆黒の飛竜が通りに降りた。飛竜の背からグランスレイが降り立ち、敬礼を向ける。
「おはようございます。昨日の内にハヤテをお連れしておけば良かったのですが、それを怠っておりました。申し訳ありません」
 グランスレイは頭を下げた。相変わらず生真面目だと、心の中で笑う。
「いや、連れて来てもらって助かった。まあそうしたら時間もある、もう一度今日の動きと状況を確認させてくれ」
 ロットバルトが頷いて口を開く。
「まずは王城に上がって王へ謁見し、その段階で正式に王から謹慎が解かれる事になります。その後、総司令部で改めてアヴァロン閣下とハイマンス参謀長にご挨拶されてから、隊に戻って頂きます」
 第一大隊に戻った後は定例の左中右中隊の合同演習の場で、全隊士に謹慎が解かれた事を告げる。
 必須ではないとグランスレイは言ったが、レオアリスはけじめとして話をしたかった。隊の士気に関わる事だ。
 ただロットバルトやグランスレイ達は逆に、その点の心配はしていなかった。今回のレオアリスの謹慎は、レオアリス自身の失態というよりは事態を落ち着かせる為の色合いが強い。
 西方公を取り逃がした事が表向きの理由だが、それはアスタロトも同じ立場だ。
 正規軍を動かす必要がある事による王の判断で、隊士達もそれは判っている。
「一応昨夜原稿はお届けしていますが、貴方がご自身の言葉で話されればいいと思いますよ」
「うん」
 レオアリスは頷くとハヤテの手綱に手を掛け、ふとある事を思いついてロットバルトを見た。
「そういや、一隊の謹慎って、お前が謹慎食らって以来だっけ? だよな。他は出てないよな」
「そうですね」
「じゃ、三年振りか。――三年無いって、なかなか優秀なんじゃないか?」
「ではありません」グランスレイが呆れた口調できっぱりと告げた。
「そもそも大将と参謀中将がそれぞれ謹慎経験者というのが我が隊だけです」
「……あー」
 駄目だった。
「ははは」
「いやお前、笑う?」
「失礼――。まあ前の謹慎で他の隊士の気が引き締まったんでしょう。結構やらかしたからな。次も暫く無いと思いますよ」
「……自分を良く判った発言だな。まあ――仕方ない。これをまた反面教師にしてもらうか」
 そう言ってレオアリスはハヤテの背に跨がり手綱を引いた。
「上将」
 ロットバルトが自らも騎乗しながら声をかける。
「今日、夕食は西地区フォルトナー通りの店を押さえてあります。場所は後ほどクライフ中将から」
「へえ? 判った」
 ハヤテの翼が風を煽り、銀色の飛竜はふわりと空へ浮かび上がった。



「昨日、四月九日を以って謹慎を解く」
 王は正面に膝を付き顔を伏せたレオアリスを見つめ、ゆっくり続けた。
「ご苦労だった」
 端的な言葉だが、その奥に含まれたものを充分に伝えている。
 レオアリスがいるのは八日前謹慎を命じられた時と同様に、謁見の間ではなく王の執務室で、同席者は大公ベールとスランザール、総将アヴァロンの他にはグランスレイとロットバルトだけ――違うのはアスタロトが同席していない事くらいだ。
 王の背後にある壁一面の広い窓からは、明るい陽射しが落ち込み執務室を染めている。その向こうに広がる庭も緑が鮮やかだった。
 特に儀式張りもせず、重苦しい雰囲気も無い。
 安堵する反面、今回の件を深堀りしにくくもある。
 西方公の離反、加えて行方が未だに掴めない事も――、王がどう考えているのか、その真意を問いにくい。
 西海が提示した、条約再締結の条件についても。
 レオアリスは或いはそれらを、この場で確認できるのではと考えていたが、レオアリスの考えを余所に王は黄金の双眸を向けた。
「今回の処置では、ファルシオンに大分責められた」
 苦笑含みの口調でそう告げる。この場で耳にするとは思っていなかった話題で、レオアリスは思わず王の顔を見つめた。
「明日、そなたを行かせると約束している」
 声の響きからは何となく、ファルシオンとのやり取りが想像できる。王の面にも普段はあまり見られない父としての表情が覗き、傍らのアヴァロンが珍しく片頬に笑みを浮かべた。アヴァロンは同席し、その様子を見ていたのかもしれない。
 これほど長く安定して国を治めてきた王も我が子に手を焼く事があるのかと思うと、レオアリスは胸の奥が温まるのを感じた。
「喜んで伺わせていただきます」
「もう一つ――」
 気構えたレオアリスへ、王は先ほどと変わらない口調で続けた。
「一昨日、そなたの故郷へ書物を届けておいた」
 レオアリスの瞳が見開かれる。
 毎年一度、書物を届ける――。かつて王と、レオアリスの祖父達が交わした約束だ。
 王にとっては取るに足らない、十八年も前の約束にも関わらず、それは毎年欠かされる事はなかった。
 レオアリスはそれらの書物で色々な事を学び、知識を得て、国を知り、見た事の無い王都への憧れを抱いた。
 まだ自らの姿も知らず、剣の主とも知らない、王への。
「今回は彼等にそなたの顔を見させてやれなかった。さぞ私を恨んでいる事だろう。少し日を置いて、改めて帰ってやるといい」
 七日間の謹慎の期間中、ただ考える時間が多くて――何度も会いたいと、そう思っていた。一年の中でほとんど帰る事ができない分、それがある四月上旬を祖父のカイル達も待ち詫びていただろう。
 今回は仕方がないと、そう諦めていた。
「――お心遣い、有難うございます」
 湧き上がった様々な想いに、レオアリスはぐっと唇を引き結び、深く一礼した。
 退出しようとして一度立ち上がりかけ――再び膝を付く。
 纏い付くように不安がある。
 去年の十二月の、ファルシオンが巻き込まれた事件。今回のフィオリ・アル・レガージュの件。そこには二件とも、西海の画策が根本にある。
 それでいて条約再締結に対しては、西海には他意がなく、これまでと変わらず締結するという態度でいる。
 正体が見えず意図も定かではない状態で、国としてはまだ表立った対応をするつもりはない。
 ただ、レオアリスがすべき事と望みは明確だった。
「――陛下」
 王の為に剣を持つ。それが自分自身が何者かも知る前からの、ずっと変わらないレオアリスの望みだ。
 ここに在る理由。
 王の視線が正面からレオアリスに落ちる。
 静謐さとそこにある叡智、思慮、力、そして底知れぬ深淵。
 幾度もこの黄金に導かれながら、レオアリスがその真意を読み取れた事は無かった。
 ふと――、遠い存在だ、と思う。
 あまりにも。
「何かあるか」
 レオアリスは覗き込んでいた深淵から意識を戻した。
 ほんの一瞬、その深淵をどこかで見たことがある、と、そんな考えが頭の奥を過ぎった。
 掴む前にすぐに消える。レオアリスは跪いたまま姿勢を正した。
 西海の要望を王がどう捉えているのか、そして自分はその場に付く事ができないのか。
 それを聞きたい。
「先日の――、西海の使者が持ってきた要望について、伺いました」
 アヴァロンはレオアリスを嗜めようとしたが、王は片手を上げた。
「気になるか」
「はい。この要求だけではなく、レガージュの件も含めて、西海の意図がどこにあるのか、それが見えません」
 息をゆっくり吸い込む。
「私にはどうしても、不安があります」
 スランザールが肩を揺らしたのを視界の端で見て取り、レオアリスは諫められるのを予期して唇をぐっと結んだ。
「それは、わたくしも同じ考えでおります、陛下」
 スランザールはそう言った。王へと向き直る。
 スランザールがこの件で同意するとは思っていなかったレオアリスは、驚いてまじまじと皺深いその面を見つめた。レオアリスの視線を感じているだろうスランザールは、レオアリスへは何らかの意思を示すでもなく、王へと訴える。
「今回の警護からレオアリスを外すというのは賛成致しかねます。あくまで条約の再締結が目的のもの、警護は形式、であれば、西海が戦力に拘り我等がその条件を容れるというのは、本来の趣旨に外れたものでありましょう」
 室内の視線は王へ集中している。その表情からは何も窺えない。スランザールは言葉を重ねた。
「西海の意図がどこにあるか――、それをまず突き詰めるべきではございませんか」
 ベールやアヴァロンも黙ったままだが王の答えを待ち、しん、と静まり返る。
 執務室に落ちた沈黙を、衣擦れの音が破った。
 王はその場の者達を見渡し、常に無く――慎重な口振りで告げた。
 ただそう思えただけかもしれない。
「そなた等が危惧するところを無視するつもりはない。状況を踏まえた上で結論を出すべきだろう。いずれにせよ、皆の前で話をするつもりだ」
 そう言うと王は、この話題の終わりを示すように椅子の背もたれへ身を預けた。そうなればもうそれ以上は重ねて問う事はできない。
 レオアリスは王の面を見つめ、そこにある想いが何なのかを考えながら、深く一礼した。
「――差し出た事を申し上げました。御前、失礼致します」




 昼間クライフから渡された地図を片手に、レオアリスは一人、大通りを歩いていた。
 クライフとフレイザーは準備があると言って先に出て、ロットバルト、グランスレイ、ヴィルトールも他に寄ってから向かうらしい。レオアリスは夕方の六刻半に士官棟を出てきた。
 士官棟の前からずっと続いている緩い坂を下って行く途中、七刻を告げる時計塔の鐘の音が響きだした。
 陽の沈んだ藍色の空に吸い込まれるように鳴り渡る。
「やべぇ、時間だ」
 レオアリスは足を早めた。七刻に店だと言われていたのだ。もう少し早く出るつもりだったが、さすがに七日分溜まっていた書類はそう簡単に片付かなかった。
 夕暮れの賑やかな通りを行き交う人々の間を、肩がぶつからないように縫うように歩く。すぐ横を馬車が車輪が石畳を噛む音と共に通り過ぎる。
 今歩いているフォルトナー通りは、東西南北の区画でそれぞれ中心的な役割を果たす、王都でも一番の大通りの一つだ。商隊が頻繁に利用することから車道が広く取られて歩道と分離され、六台の馬車が裕にすれ違えるほどの幅が取られていた。歩道も充分な広さがあったが、人が多いせいでそれでも狭く感じる。
 通りをずっと下ると王都の街門に行き着き、街門からは西の基幹街道が始まって辺境部まで続いていく。
 この国の物流の豊かさや繁栄を物語るように、通りは東西南北、それぞれ真っ直ぐに、街道とその周辺地域と王都の街とを繋いでいた。
(西方公の離反の影響はまだそれほど出てきてないな)
 賑やかさと喧騒――、王都はいつもと変わらない。ただ、長く続くようならいずれ、不安は形となって見えてくる事になるのだろう。
 しばらくして中央に円形の噴水がある十字路の角を曲がる。クライフの手書きの地図だと、この角の二件目が指定の店だった。
「ここか」
 看板を確認して短い階段を上がり、弓なりの屋根が掛かった玄関の奥にある扉を押し開ける。
「いらっしゃいませ」
 二十代半ばの給仕が愛想のいい声を投げる。
 硝子窓がついた扉の向こうに広い客席があるが、クライフの名前を告げると給仕はそこには向かわず玄関にある階段から二階へ案内した。
 廊下に扉が四つあり、その一番奥で立ち止まる。
「失礼します、お客様が」
 といって給仕が扉を開けた瞬間、室内から派手な炸裂音が響き、紙吹雪きと色とりどりの紙の紐が飛び出した。
「十八歳、おめでとうございまーーッす!!!!」
 クライフの明るい声が弾ける。
 炸裂音とクライフの声の余韻を引きつつ、紙吹雪きと色鮮やかな紙紐は扉の真ん前にいた給仕の頭の上に舞い落ちた。
「――」
 給仕の肩越しに、まだ廊下に立っていたレオアリスとクライフの視線が合う。
 室内で振り返ったフレイザーやヴィルトール、ロットバルト、グランスレイの瞳がすうっと怒りを孕んだ。
 空気が凍り付く。
 クライフは頭をぎこちなく何度も行き来させ、紙吹雪きで装飾された給仕と、その向こうにいる唖然としているレオアリスを見比べた。
「――あ、あれ?」
「あれ、じゃないだろう……」
 ヴィルトールはつくづく呆れ果てた顔でクライフの頭をはたいた。
「ほんっと、バカバカバカ! あんたってばもう、あり得ないわ! せっかく驚いてもらおうと思って皆で準備してたのに台無しじゃない、どーするの!」
 フレイザーがクライフの襟首を掴んで揺さ振る。
「いや、これは、え」
 我に返った給仕は真っ青になり頭を下げた。
「も、申し訳ございません! せっかくのご予定を――、大変失礼致しました!」
「ちょ、貴方が気にする事はないわ、全く貴方のせいじゃないんだから。このお調子者が」
「悪かった、確認しない俺が悪かったよー」
「まあ取り敢えず上将、中へ」
 ロットバルトは恐らく何かもうクライフのやる事はどうでもいい的な感じで笑い、廊下に出てレオアリスに中に入るよう促した。
「ああ――」
 何が起こったのか唖然としたままだったレオアリスは、まだ恐縮しきりの給仕の横を抜けてふと彼の肩に乗った紙吹雪きをつまみ上げ――、込み上げた笑いを堪え切れず噴出した。
 蹲り、床に片手をついて腹を押さえる。横っ腹が引き攣るようだ。
「――はッ、は……腹痛え!」
「良かったァ、受けたぁ」
「良かったじゃないわよ、呆れてらっしゃるんでしょ、もうほんっとバカね」
「毎回毎回懲りないなぁ」
 フレイザー達のやり取りを聞きながら、レオアリスはこの間も大笑いしたな、と思い出しつつ蹲ったまま肩で息を整えた。結構腹筋に来る。
「あー腹ねじれた……」
「良く笑いますね、貴方は」
 傍らに立っていたロットバルトが何やら感心気味な視線を落とす。
「今のはすげぇツボだった。でも確かに最近良く腹抱えるくらい笑ってる気がすんなぁ」
「全部クライフのせいですけどね」
 ヴィルトールとフレイザーの間でクライフはしゅんと肩を落として情けなさそうだ。
 大きな犬が叱られているようなその姿にまた笑いが込み上げるのを堪え、レオアリスは改めて室内を見回した。
 さほど広い訳ではないが六人掛けの食卓があり、その隣に団らん用に長椅子と低い卓が置かれている。食卓にはもう幾つか温かな料理が並べられていた。
「――これ、わざわざ準備してくれたのか」
 ヴィルトールが笑って飲み物の杯を差し出す。
「せっかくの誕生日が謹慎中だったでしょう」
「八日でしたよね」
「そうだった。さすがに何か忘れてたな」
 朝に王から書物の話があったように、今年は届けに行けないと残念に思っていたが、こうして祝ってもらう事と結び付けては考えていなかった。
 というより初めてだ。
 去年までは、自分がいつ・・生まれたか、余り深く考えた事が無かった。
「派手に祝って差し上げられる訳じゃないですが、我々の気持ち程度で」
 ヴィルトールがそういう言い方をしたのは、レオアリスが生まれた日が、ただそれだけを祝える日ではないと判ってもいるからだ。
 その想いを感じ、レオアリスは笑みを浮かべた。
「いや――嬉しい。有難う」
 考えてみればもう王都に来てから四年経つのかと、しみじみ思う。
 長かったようにも、あっという間だったようにも感じられる。
 フレイザーはクライフの襟から手を離すと、ぱんと軽く両手を合わせた。
「良かった。じゃあ始めましょう。ほら上将、座ってください。今日一日お疲れでしょう」
 それぞれ席につくと、ヴィルトールはにこやかに笑いながら傍らのクライフの肩を叩いた。
「今回は失敗しちゃいましたが、安心してください。来年はクライフは外しますんで」
「何言ってんだ! ――上将、来年は隊全員で盛大にやりましょうね!」
「一人は欠員――」
「副将! 乾杯のご発声を!」
 グランスレイは二人のやり取りを眺めて一度溜息を落としたものの、苦笑を浮かべて立ち上がった。硝子の杯を掲げると、全員を見回してからレオアリスへ顔を向ける。
「この四年――」
「小難しい事は止めてくださいよ、楽しいお祝いなんだから。短く短く」
 クライフをじろりと睨み、グランスレイは一度咳払いをした。
「上将は短い間に立派に成長された」
 グランスレイにそう言われると、一段と嬉しい。王都に来た初めは、レオアリスはグランスレイの部下に居て、軍の事、兵法、剣技、様々な事を学んだ。
 グランスレイが居なければ、今のレオアリスも無かっただろう。
 ヴィルトールもクライフもフレイザーも、ロットバルトもだ。彼等が居なければできなかった事がたくさんある。
「我々も貴方と共にあり、成長させていただけたと思います」
 杯を掲げ直す。
「改めて――、上将の誕生の日を祝って」
 乾杯、と六人の声が唱和した。





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