『空の朝食』
公務の日の朝。
それはいつも変わらず慌ただしい。
ゆったりした朝に変えるのは己の意志次第なんじゃないだろうかとかそんなことはともかく、今日もレオアリスは離れがたい寝台の中で、二度寝とハヤテとの早朝散歩と、二つの魅力的なせめぎ合いを頭の中で繰り返したあと、結局後者を選んで飛び起きた。
これもいつものことだ。
六刻きっかり、ちょうど遠くで時計塔の鐘が響き始める。
ずばっと脱いだ部屋着を寝台に放り、壁に掛けていた近衛師団の士官服を左手に掴み、階段を駆け下りる。水場で顔を洗って士官服に袖を通し、玄関へ向かうついでに厨房で棚から林檎と干し肉を一つずつ取った。
七刻には士官棟にいなくては。
館の敷地内にある小ぶりな厩舎に駆け込む。ここまで四半刻もない。いつも通り。
「ハヤテ」
弾んだ声に、銀翼の飛竜が待ち兼ねたように首を伸ばした。
冷えた鱗に左腕を回して長い首を軽く叩き、干し肉を差し出した。
「おはよう、飛ぼう」
レオアリスの言葉もせっかちだがハヤテはもっとせっかちだ。干し肉を奥歯に咥えるのもそこそこ、レオアリスを首に掴まらせたままトコトコと歩き出した。
空を駆ける勇壮な姿と地上を歩く姿との落差が激しい。レオアリスは口元を綻ばせつつ地面を蹴り、ハヤテの背にすとんと収まる。
もうハヤテは厩舎の外に出ていて、官舎の庭先から空へ向かい、銀色の翼を広げた。
風が身体を取り巻き、過ぎて行く。
春めき始めたばかりのこの時期、上空ともなれば一層風は冷たいのだが、青い空がどこまでも自分を包み込むように広がり、とても心地良い。
すっかり王都の外へ出ていて、眼下には緑の色が増し始めた畑や林が広がっている。
「いつも通り思いっきり飛んだ後、王都の周りをぐるっと一周して戻ろうぜ」
翼をゆったりと羽ばたかせ風を切るハヤテは、本当に嬉しそうだ。
「ハヤテ、朝メシ足りないだろ? もう一つ持ってくりゃ良かったな。リンゴ食う?」
視線が上がり、差し出した林檎に首が振られた。レオアリスの朝食だ。食べろと言うように長い首を傾ける。
「第一の厩舎に行ったら朝メシまだだって言っとくよ」
そう言ったところで毎回厩舎の管理官にはバレているのだが。
『上将がそうやって甘やかすからハヤテが食べてない振りするんですよ。量はともかく、決まった時間に食事する習慣をきちんとつけないと。まぁ育ち盛りですから仕方ないですが』
「育ち盛りだってさ、たくさん食ってもっと速くなれよ」と言ったら『煽らないでください』とたしなめられた。
手にした林檎を齧る。
爽やかに広がる果汁と軽い歯触りが、空の上ではより一層美味しく感じられる。
寝起きの乾いていた身体に染み渡るように思えた。
「やっぱり朝食は空でだよな」
果物なら一番は水気の多い桃や葡萄が好きだが、ハヤテの背の上で食べるには、片手でも食べられる林檎がちょうどよかった。
もう一個あっても良かったな、と思うのもいつものことだ。けれど食べている時間が惜しい。
それはハヤテも同じのようで、レオアリスが食べ終わったと思うや、ハヤテは速度を上げた。
「行くか」
手綱の張りを感じ取り、ハヤテが翼を畳む。
ぐんと急降下した。真下を流れるのは大河シメノスだ。
風が耳元で唸り、シメノスの川面が見る見る近付く。
「ハヤテ──好きに飛べ!」
着水ギリギリでハヤテは首を持ち上げ、今度は川面に並行して駆けた。ハヤテが纏う風がシメノスの輝く川面を割り、波打たせる。
そのままシメノスの岸にある低い監視塔の横をすり抜け、一本立つ背の高い箱柳の木を躱すように飛ぶ。
レオアリスの喉から笑い声が弾け、ハヤテもまた嬉しそうに双眸を細めた。
再び空へと駆け上がり、ぐるりと縦に大きな円を描く。
もう一度。
更に大きな円が空を切り裂く。円が頂点に達する前に、レオアリスはハヤテの背を離れた。
耳を震わせる風の音、ぐるりと回る視界の、透ける青い空と地上のシメノスの光、緑の大地。
──王都。
朝日を受ける王城の尖塔、そこに座すのは彼の──
縦に旋回したハヤテがレオアリスの身体を受け止めた。
空中散歩の時間はあっという間だ。王都の時計台の示す時刻を確認し、ハヤテの首を王城へ向ける。
レオアリスはまだ物足りなさそうなハヤテに同調する気持ちを抑え、手綱を繰った。
最後にもう一度だけ、銀翼の飛竜は空の中で弧を描いた。
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