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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第五章『落日』


 アレウス国西沿岸は、そのほとんどが西海に面している。
 西沿岸部の海域はわずか一間たりともアレウス王国の関知するところではなく、岸壁を境にくっきりと二国は分かたれていた。
 不可侵条約締結の地、水都バージェスは、この西海沿岸の中央やや南寄りに位置し、街の大半が海面に張り出すようにして造られている。街を縦横に仕切る水路が水都と呼ばれる由縁であり、かつてはバージェスを美しく華やかな都に成さしめていた。
 実際大戦以前、バージェスは諸外国との交易により、現在のフィオリ・アル・レガージュよりも栄えていた。アル・レガージュが街にまだ、交易の道を拓いた女性の名を冠していなかった頃の事だ。
 その栄華も、大戦の終結後、一切が消え去った。
 激戦に飲み込まれ、そしてアレウス国と西海との不可侵条約が締結された、その舞台となってからは。
 西海を越える船が絶えた為に交易は瞬く間に衰退し、最盛期には街道に引きも切らず列をなしていた商隊も、一里より内には近寄らなくなった。
 半年も経たず、バージェスから住民が消えた。
 今は無人の街が、風と波を受けて虚ろに佇むのみだ。
 そしていにしえの海バルバドスの海原はこの数百年の間、あたかも二つの国の境にはこれまで何事も無かった顔をして、静かに横たわり続けている。





(ここが一里――)
 ワッツはそれを見上げ、分厚い胸を動かし、息を吐いた。
 街道の両側に、細く背の高い石造りの指標が建っている。白っぽい表面に刻まれているのは古い文字だ。
『ここより先、バルバドスとの条約を示す地』と。
 不可侵条約締結と同時に王の命により設置されたもので、角は長年の風雨により磨耗し丸くなり、所々苔蒸しているものの、三百年の歳月を経て尚、街道の左右に旅の目的を問う関所のように控えている。
 指標石はここだけではなく、きっちり百間間隔毎に建ち、上空から見ればバージェスを半円状に囲むように見えるはずだ。
 結界のようなものなのだ――西海とのとば口・・・を閉ざす為の。
 ここを越えたとたん警笛が鳴り響く訳でも、武器を手にした兵士達が飛び出してくる訳でもないが、人々の意識に対して、踏み入る事を避けるよう無言で訴えるものだった。
 その指標石の手前に、三階建ての白い館が一棟、人の背丈ほどの高さの煉瓦塀に囲まれてぽつりと建っている。辺り一帯に草原が広がっている為に余計、その館はうら淋しさを纏っていた。
 この館が使われるのは五十年に一度、不可侵条約再締結の折だけだ。
「全隊、館の前に方形陣を組め! 一里の内には一歩も入るなよ!」
 ワッツは筋肉で被われた身体を馬上で伸ばし、まだ続々と街道を進んでくる兵達に号令を掛けた。
 門前に騎馬を置いた西方軍第七大隊大将ウィンスターの前に、兵士達は馬上から降り騎馬と共に、一部の乱れもなく整列していく。
 やがて兵士千五百名が全て揃い整列を終えると、ワッツが片腕を上げるのを受け一斉に踵を鳴らし、続いて右腕を胸に当て敬礼した。騎馬達の逸るような荒い息遣いが続く。
 ワッツとエメルはそれぞれ左右から陣を回り、ウィンスターの両側に騎馬を並べた。
 ウィンスターは目の前に揃った兵士達をぐるりと見渡した。
「これより一刻後、我等はここに国王陛下をお迎えする」
 朗々と張り上げた声が風に乗って渡る。方形陣のあちこちに立つ軍旗が風に煽られ音を鳴らした。
「条約再締結の儀が行われるのは此度で六度目――過去に五度、全て何事もなく、平和裡に進められてきた事だ。これまで同様、今回も二国間に於いて不可侵条約は再度調印され、我等は明日、陛下を再び、この場に於いてお迎えするだろう。だが私も含めこの場に誰一人、経験した者は無いのも事実」
 ウィンスターの言葉を受ける兵士達の面は、誰もが等しく緊張と昂揚に張り詰めている。
「この一里の控えで陛下をお迎えし、条約再締結の儀の推移を見守り、万万が一、有事にあっては即応するのが我等が務めにして、誉れだ。髪の毛一筋ほども怠るな」
 兵士達が一斉におうといらえ、腰にいた剣の鞘を鎧に打ち鳴らす。分厚く重なった金属音が一瞬辺りを圧した。
 ワッツは立ち昇る気勢に押されるように視線を空に上げた。雲一つ無く晴れ渡った、遮るものの無い澄んだ空が広がっている。
 重要なのは、不可侵条約の再締結。
 その事だけだと、つい他の問題を棚上げしそうになる。
 ルシファーへの情報の出処と、ヴィルトールの行方と。
 もっとも今この場に至っては、一里の控えの一員として王を待つ事以外、ワッツにできる事はないのだが。
(レオアリスのとこに情報が入ってりゃいいが)
 恐らくレオアリスも今は、ファルシオン守護の任務で身動きは取れないだろう。
 決して軽んじる任務ではなく、レオアリス自身の意思もファルシオンの守護を重視するだろうが、ただ、同時に自ら動きたいと考えているはずだと、ワッツは思い浮かべた。かつて黒竜の穿った穴に落ちたアスタロトを、助けに飛び出した時のように。
(立場か――)
 喉の奥に引っかかっているものを呑み込む。
 視線を下ろすと、ワッツは再び居並ぶ兵士達へと意識を向けた。



 風の煽る軍旗の音を耳にしながら、エメルはそっとウィンスターと、その向こうのワッツを見た。
 千五百名もの兵士からなるこの威風堂々とした陣形を前にすれば、ヒースウッドの考えは余りに甘いものに思えてくる。この兵の意志を統率するのはヒースウッドでもルシファーでもない、大将ウィンスターだ。
 黒竜との戦闘の折、指揮を執って事態の収拾を見事果たした、近年の正規軍の中でも他に比肩する者の無い実績を持つ。
 この場にあり、ウィンスターのその経歴は際立ってエメルに身に迫った。
 ワッツはウィンスターを支えるだろう。黒竜の折と同じく。
 だからこそ王が、この時期、二人にこの地を任せたのだ。
 ここで改めて冷静になって考えれば、ヒースウッドの考えはエメルの将来を危うくする。
 ワッツが王都の近衛師団第一大隊大将と親しい事、それを利用した方が、エメルにとってよほど有意義だった。
 館の門が開かれ、ウィンスターの指示を受けた兵士達が、王を迎える最後の確認の為、敷地内と建物に検分に入っていく。他の兵士達は束の間緊張を解かれ、王がこの地に現われるまであと一刻ほどの間を、草地の上に腰を降ろして思い思いに休憩を始めた。
(ワッツは)
 視線を巡らすと、ワッツは騎馬のまま兵士達の間をゆっくりと回っているところだ。
 エメルはこの機会にワッツに話をしようと考え、それからすぐに思い直した。
 王がこの場に訪れる前は、余り具合が良くない。どんな形で王に伝わるか、判らないからだ。
 話をするなら、王がバージェスに入る頃合いが相応しいだろうと思った。





 フィオリ・アル・レガージュは、この国の重要な輸送路である大河シメノスの河口に港を開いている。シメノスを遡れば、西の軍都ボードヴィルの膝元を通り過ぎ、遥か王都まで船で荷を運ぶ事ができ、王都との交易の主要な運搬路だった。
 ただ最近はかつての砦跡に転位陣が開き、法術によって王都との行き来を容易くしていて、水路での運搬は急ぐ必要のない、大量の品を運ぶ場合に限られてきている。
 シメノスを遡る船はここ数日無く、昨日、他国の交易船が港を離れてからはレガージュから交易に出る船も、入ってくる他国の交易船の予定も無い。今港に停泊しているのはレガージュの交易船と交易船の護衛を担うレガージュ船団の船だけだった。
 今日の条約再締結の結果を待つのがレガージュ交易組合の主な関心事で、港は滅多に無いほど静かで動きがなかった。
 船乗り達は船の点検や清掃を行うか酒場に集い、商人達は倉庫の荷を確認して回り、街の通りにも人影は少ない。女達は家の中や建物の中庭などで、家族や隣近所と条約再締結について、延々噂話を交わしていた。
 レガージュ船団の団員であるクーリは、朝から時間を掛けて自分の乗る七番船を点検していたが、あらかた片が付いたのを見てひと休みがてら、船縁の手摺りに肘を乗せ、光を受けながら河口に注ぐシメノスの流れを見渡していた。
 その場所に目を向けたのは、この街の住人の習慣のようなものだ。
「――おい、溜りに」
 クーリは甲板にいた仲間を振り返り、河口に注ぐ手前の、対岸の岩場の辺りを指し示した。そこは岸壁がシメノスに張り出し、河の水が滞留する小さな淵になっている。
 呼ばれてクーリに近寄った同僚のゼンは、眉をしかめるように目を凝らし、口をヘの字に曲げた。
「ああ、人だな。また流されてきたのか」
 しょっちゅうある事だ。増水した河に呑まれたか、うっかり足を滑らせたか、船が転覆したか、そうした理由でシメノスに流された者が良く、この河口の溜りに木の枝や諸々と一緒にとどまった。
 大抵どこの誰かは判明しないが、レガージュでは彼等を見つければすぐに水から引き上げ、丁寧に埋葬した。このまま海に出れば波が西海へ運ぶかもしれず、それは出来る限り避けてやりたかった。
 他の同僚に声をかけて集め、桟橋に繋いでいた小舟で対岸の岩場に漕ぎ寄せ、波に揺れる身体に近づいた彼等は、半分水に沈んでいる身体を見てうっと息を呑んだ。
 余りに無残な有様だったからだ。黒い衣服はどうやればこうなるのか、ズタズタに切り裂かれてその下の身体に同じ数の深い傷を走らせ、顔を確かめるすべも無い。無数に走った傷をシメノスの水が洗っていた。
「こいつはひでぇ……」
「ファルカン団長を呼んでくる」
 上流で何か争いがあったのだろうと、ゼンがシメノスに飛び込み、抜き手を切って対岸へ泳いでいく。
 荒っぽい海の日常に慣れたレガージュ船団の男達にもいささか腰を引けさせるその遺体を、何とか小舟に引き上げ対岸に戻ると、ちょうど桟橋に団長であるファルカンが駆け付けたところだった。
 ファルカンは桟橋の木板の上に横たえられた遺体の様子を一目見て、緑の両眼を険しく細めた。遺体の傍らに膝をつき、ややあって口を一文字に引く。
「これは――」
 低い、歯の間から押し出すような呟きが漏れた。
「団長?」
 ファルカンの只ならない様子に、クーリやゼン達は不安を覚えた。ファルカンは束の間その遺体を見据えていたが、一つ息を吐き、顔を上げた。
「カリカオテとザインに、すぐに領事館に来てもらうよう伝えろ。それから、この遺体を領事館へ運ぶんだ。俺も行く」
「組合長と、ザインさんに――団長、一体」
 領事を含めてその四者が集まるという事は、大きな問題が発生した事を意味している。
 ファルカンは遺体の傍から立ち上がり、もう一度、横たわるその身体に視線を落とした。
 無残に引き裂かれているものの、この男の纏う服は記憶に新しい。
「彼は溜りに浮いていた――上流から流されてきたんだな?」
「そうです。おそらく昨日か、早くて一昨日頃でしょう」
「――」
「団長、この男は」
「お前達もひと月前にこの軍服を見ただろう。――近衛師団だ」






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