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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第四章『言祝ことほぎ』


「アスタロト様――」
 何度か目のアーシアの問いかけの合間に、違う声が混じった。タウゼンだ。
 アスタロトは夢から覚めたように我に返り、立ち上がった。どれほどしゃがみこんでいたのだろう。
(うわ、みっともない――)
 壁際の置き時計を見れば、まだ帰ってから半刻も経っていない。タウゼンの声が再び、扉越しにくぐもって聞こえる。
「ご裁可を頂きたい件があり参りました。よろしいですか」
「――い、今行く」
 慌てて部屋の鏡台の前に行き、みっともない顔をしていないか確認して、深呼吸を一つしてからアスタロトは扉を開けた。
 タウゼンと、参謀総長のハイマンスも傍らにいて、アスタロトを見て深々と一礼する。
「公休中にも関わらず、患わせて申し訳ございません」
「いや、いい。それより何かあったのか、二人揃って――」
 シュセールとアーシアがタウゼンの向こうにいて思わしげな眼差しをアスタロトへ向けているが、つい視線を逸らしてしまった。
「先ほどヴェルナー侯爵から、南方軍を動かす要請がございました。そのご許可を」
「南方軍? ヴェルナー侯爵って、何故」
「侯爵のお身内の方が、フェン・ロー地方のロカという街近郊で数日前から行方が判らなくなっていると。その捜索のご依頼です」
「フェン・ロー? あの辺は最近問題があったのか?」
「いえ――四月に入って以降、ルシファーの捜索に各方面、隊が動いておりましたので、逆に野盗などは鳴りを潜めていたと思います。捜索を打ち切った為にまた動き出したのかもしれませんが」
「――判った、まずは至急対応してくれ。侯爵から詳しい説明は?」
 アスタロトはヴェルナー侯爵の名から、ロットバルトを思い浮かべていた。当然、レオアリスを。レオアリスがアスタロトを訪ねて来たのは、その話だろうか。
(軍の話なんだ――)
「我々がこの足で内政官房へ伺うつもりです。お手元に後ほど、資料をお届けいたします。まずは現地の調査から始めますが、経過は逐次ご報告させて頂きます」
 アスタロトは頷いた。タウゼンは一度、少し言い淀むような様子を見せたが、そこで姿勢を正し、厳しい面持ちでアスタロトと向き合うと、アスタロトの予想のしていなかった事を尋ねた。
「本日は、近衛師団第一大隊大将殿とはお会いになりましたか」
 驚いて、アスタロトはタウゼンを見つめた。
「――会ってない。何でそんな事を聞くんだ」
 少し声に刺があるのが自分でも判っていた。
 タウゼンは、『反対』なのだ。
 一方タウゼンの答えを聞くまでもなく、質問の背景は想像できた。
「一刻ほど前に総司令部へ公の在籍の確認と面会の申し出がありました。おそらくヴェルナー侯爵の依頼についてでしょう。この後近衛師団へは事務官を行かせて確認し、そうであれば南方軍が動く事を連絡します」
「――私は、何もしなくていいってこと?」
「この件であれば、公のお手を患わせる必要は無いかと」
 アスタロトは半ばタウゼンを睨み付けるように見据え、しばらく黙っていた。ハイマンスやアーシアが気を揉んでアスタロトとタウゼンの様子を見比べる。
 アスタロトはタウゼンに文句を言うかと思えたが、ややあって息を吐いた。
「判った、いいよ」
「――失礼致します」
 深々と一礼し踵を返して廊下へと出るタウゼン達の後ろ姿を見送り、アスタロトは露台への硝子戸へ歩み寄った。
「アスタロト様」
 アーシアが思わしげな表情で、アスタロトを呼び止める。アスタロトはアーシアを振り返り笑ってみせた。
「ごめんね、篭ってて」
「いえ、それは。でも先ほどレオアリスさんがいらっしゃったのは、ヴェルナー侯爵の事以外もあるかもしれません。直接お訪ねになって、お話した方が良くありませんか」
「タウゼンが行くっていうんだから、いいよ」
 突き放すように言ってしまってから自分に眉を潜め、アスタロトはアーシアに背を向けた。
「とにかく、どうせ軍の話なんだから、ちゃんと動けばそれでいいの」
 まだ話したそうなアーシアを居間に残し、罪悪感を押さえてアスタロトは露台へ出る。
 前面に広がる広い庭園を見渡す。屋敷の左には、先ほどアスタロトが戻って来た四阿あずまやのある池や瀟洒な橋を渡した水路がある。
 正面の庭園の向こうに紅の鱗をした飛竜が二騎、翼を休めていた。タウゼンとハイマンスの飛竜だ。この後ヴェルナー侯爵を訪ねると言っていたから、厩舎に入れなかったのだろう。
「――皆、自分のやるべき事をちゃんと、やってるんだ。それだけじゃん」
 それだけの事で、だから自分も、求められる事を、しっかり果たさなくてはいけない。正規軍将軍として――アスタロトとして。
 タウゼン達はアスタロトにそう行動するように求めている。当然、兵士達も。 てすりに置いていた手を開き、特に何も考えないまま、炎を想い浮かべた。
 炎こそが、アスタロトが正規軍将軍として存在する理由だ。
 アスタロトがアスタロトである由縁――

 縛る力・・・

 はっとして手のひらを見下ろす。
 炎はそこに無く、ただ、しばらくすると蝋燭に灯るようにゆっくりと燃え上がり、手のひらに揺れた。
「――」
 じっと手のひらを見つめていると、すぐ下の玄関が開き、タウゼンが館を辞する声が聞こえた。礼を述べるシュセールの声。
 玄関に掛かる屋根の下からタウゼン達が出てくる。顔を合わせたくなくて、アスタロトは部屋に戻った。
 アーシアはもういなかった。



 タウゼンはシュセールに送られアスタロト公爵邸の玄関を出ると、預けていた飛竜にまたがる前に屋敷を振り返った。
 白鳥と例えられ称えられる白く優美な屋敷は、陽射しを受けて静かに佇んでいる。
「ヴェルナー侯爵のご依頼の件、近衛のレオアリス殿が公に面会を希望した事と同じでしょうが、公はご自身で話をされたかったのでは」
 ハイマンスもタウゼンが何を懸念しているかは理解している。いずれ問題として苦慮する前にと、そう考えての事だが、ハイマンスには今の段階ではまだ早いように思えていた。
 タウゼンはその心情を見て取ったものの、頬を厳しく引き締めた。
「お可哀相だが、いずれご自身でも理解される」
「こちらの勝手な都合だけ言わせてもらえば、大将殿がアヴァロン閣下の後任を辞退してくれれば丸く納まるのですが」
「有り得ないだろう。彼の剣は謂わば公の炎と同じだ」
 タウゼンは慎重な口振りで声を押さえた。
「何よりそれこそ、決めるのは陛下のご意志のみ。陛下のこのところのご差配――西海との条約再締結を機に体制を動かされるおつもりかもしれん」
「しかし、彼はまだ若いでしょう」
「当然すぐにアヴァロン閣下の後任とはなるまい。他の二人の大将もまだ候補から外れた訳ではなく、推す声もある。年齢も風当たりが強かろう」
「となれば、まずはファルシオン殿下付きに」
「そうだな。その上で実績を積ませるおつもりではないか。いずれにしても、王に剣を捧げる剣士が王の守護者となれば、王家の権威は更に磐石となる。その方向で進むだろう」
 アスタロトの私室がある三階の窓へ一度視線を投げ、タウゼンは手綱を引いて飛竜をふわりと浮かせた。
「だからこそ我々は、公が苦しむとあらかじめ判っていながら、それを見過ごす訳にはいかん。恨まれても、それが公の御為なのだ」






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renewal:2013.5.25
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