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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第四章『言祝ことほぎ』


 ロットバルトは飛竜を上昇させ、ヴェルナー侯爵家の敷地を見渡した。敷地中央に侯爵の館があり、渡り廊下で繋がった現在の夫人が住む館と、その後方、東側にヘルムフリートの館が置かれている。南面は広い庭園と別館、ロットバルトが育った館はそれらとは別にある。
 上空から見ると繋がりの薄さが際立つと、そう思える。そうした事が一切配慮されていない造りだ。そういえばこれまで、家族、とそんな言葉を使った事があっただろうかと、頭の片隅に浮かんだ。
 今更どうなる訳でもないが。
 ヘルムフリートを訪ねたというトゥレス――
(兄がトゥレス大将を呼ぶ目的が見えないな)
 ただ、同じ敷地内にあっても、年に数度顔を合わせればいいところで、兄がどういう人間だと、そう評価するにも人となりを知らない。
 ヘルムフリートがトゥレスを呼び、何を話すのか――自分に判る訳がないとも思えた。
 裏門で控える記録簿は退出の記録を取っておらず、ブロウズやトゥレスがいつ出たのか、そこまでは読み取れない。それよりも、ブロウズとの入邸の時刻は記録簿上では四半刻毎の記載で、殆ど差が無かったのが気になる。
 ブロウズがトゥレスに気付いた可能性もあるだろう。
 嫌な予感があった。
(ブロウズが気付いたとしたら、トゥレス大将の跡を追ったかもしれない)
 そこで何かがあり、ブロウズは書状を届けられる状態では無くなった――
 ブロウズの顔を、トゥレスは一度見ている。もう一度顔を合わせれば気付かれる可能性が高いと考えたから、ブロウズをトゥレスから外したのだ。
 ただブロウズの後任で付けた者から連絡が無いのは、トゥレスに問題が無いからか。
(いや、まず兄を訪ねた時点で一報があるはずだ。それが無いという事は、気付かれて巻かれたか、或いは……)
 考えるほど、トゥレスを示す色は暗さを増していくように思えた。
 初めはただ公の場での発言に違和感を覚えたからだ。トゥレスの発言は一見その場を収めようとする発言に取れるが、その実問題を炙り出すようだった。
 ロットバルトが頻繁に王の謁見や軍議に同席するようになったのは最近の事で、過去のトゥレスの言動までは把握していない。
 念の為に意趣を探るつもりでブロウズを付けたものの、トゥレスがこうまで裏で立ち回っている部分が大きいとは考えていなかった。
(これまでも同じだったのか――最近の動きなのか)
 ここ最近こうした動きを見せ始めたと考えると、より不穏さが漂う。
(今さら間諜では手間が掛かり過ぎる。直接トゥレス大将に揺さぶりを掛けてみる方が効果があるかもしれないな。できれば会議等の公の場が望ましいが、だとすると明日。それでは遅い――)
 動く為にレオアリスにどう説明すべきかと、その問題が浮かぶ。同じ近衛師団大将として、レオアリスはトゥレスの行動に何ら疑いなど抱いていないだろう。これまで合同演習の場などで見るトゥレスには特に疑念を抱くべき所は見えず、普段の態度はレオアリスにとって付き合いやすいものでもあったはずだ。
 トゥレスはレオアリスと同じ、王の御前試合により近衛師団に迎えられ、レオアリスほど特殊ではないにしろ短期間で大将の地位についた。
 そうした親近感も加わり、疑っていないどころか信頼の念もある。
 だからトゥレスを探ろうとした時、レオアリスには話さなかった。探った上でさほど問題が無ければ、そのまま何事も無く収めるつもりだったからだ。
(余り証拠となるようなものも無い。いきなりトゥレス大将が疑わしいと言っても、俄かには納得されないだろう……)
 思考の合間、視界の隅で、何かが光を弾くのを捕らえた。
「――?」
 次いで風切り音が届く。
 頭の奥に閃いた警鐘に手綱を引こうとした瞬間、飛竜の右翼の薄膜を、一本の矢が貫いた。
「!」
 回転の掛かった三枚の矢羽が薄い幕を裂く。
(対飛竜用か――!)
 対空戦で飛竜を落とす為に矢羽を広く強化したものだと、視線がまずそれを捉えた。そして、切り裂かれた翼の損傷範囲。
 ――墜ちる。
 飛竜が声を立て、体勢を大きく崩す。鞍から身体が滑り、ロットバルトは咄嗟に伸ばした右手であぶみを掴んだ。
 放り出された身体が振り子のように揺れる。飛竜はまだ何とか飛行を保っているが、上下に大きく揺れ、すぐに掴んだ手が持たなくなるのは目に見えていた。
 素早く視線を巡らせる。地上は第二層、軍の士官の官舎が並んだ区域だ。官舎の屋根までも、まだ二階建の官舎の三倍近くの高さがある。
 その屋根の上に人影が動くのが見えた。
 人影が手元の弓を引き絞る。矢じりの先が飛竜を追って動く。
「まずい――」
 飛び降りるには高すぎる。飛竜の身体に掛かる手綱に左手を延ばそうとした時、再び放たれた矢が、飛竜の左翼の根元に突き立った。
 視界が急回転する。
 飛ぶ力を完全に失った飛竜の身体は、為す術もなく真下にあった士官の屋敷目掛け落下した。
 衝突の衝撃に身構える余裕も無い。
 屋根に重い飛竜の身体が激突し、メリメリと屋敷が軋んだ。
「っ」
 幸い飛竜が緩衝材となって屋根に叩きつけられる事は避けられた。それでも身体が何度か跳ね、飛竜か屋根か判別がつかないままに打ち付けられ、視界が暗くなった。




 レオアリスはハヤテを士官棟に隣接する厩舎に降ろし、士官棟の入り口を抜けて中庭に出た。
 ほぼ中天にある太陽から強い陽射しが落ち、白い回廊に囲まれた中庭は眩しい程だ。手をかざして瞳を細め、回廊の日陰を選んで歩き出した時、鳥の声が聞こえた。
 カイがレオアリスの肩に降りる。
「カイ――」
 黒い嘴が開き、ヴィルトールの声が流れた。
『未だ正規軍の動きはありません。法術士が所持品からイリヤ・ハインツかラナエ・ハインツのいずれかを辿れるかもしれないと、現在準備に取り掛かっています。施術に時間を要する為、恐らく明日になりますが……またご報告します』
 ヴィルトールの言葉を伝え終えると、カイは口を閉じた。カイの喉を撫ぜ労う。
「所持品からか――行けるかもな」
 アルジマールが手配してくれた法術士だ。多少時間は掛かってもイリヤかラナエ、巧くすれば二人ともに辿り着けるかもしれない。
「カイ、またヴィルトールの所に戻れ。ヴィルトールに『任せる』と」
 カイが再び姿を消した時、「上将」と声がかかりクライフが士官棟の入口から歩いてきた。そろそろフレイザーも演習場から戻る頃だ。
「今の、ヴィルトールですか」
「ああ」
「どうですか、状況は。いつもみたいにのんびりしてねぇで、さっさと見つけて貰いたいですけどね」
 軽口を言いつつも、クライフはヴィルトールの能力を充分理解している。ヴィルトールが任務を果たすのにさほど日数はかからないだろうと、クライフの面には気軽な色があった。
 レオアリスはそれが判っていて笑い、回廊を歩き出した。
「現場が手掛かりほぼ無しだからな、それなりに時間はかかるかもしれないが、ヴィルトールなら何とかするだろう。もう次の手に移ってる」
「でしょうねー。あー、俺も身体動かしたいっすよ。ロカに行けば良かったなぁ。……あ、もちろん遊び気分じゃないですよ」
「判ってるって」
 二人は話ながら執務室の扉を開けた。石造りの棟内は、陽射しが降り注ぐ中庭より空気が冷えていて、すっと肌を撫でた。
 レオアリスは室内を見回し、もう戻っていると思っていたロットバルトの姿が無い事に足を止めた。
「あれ、ロットバルトは戻ってないのか?」
 グランスレイが立ち上がり目礼をしながら頷く。
「もうそろそろ戻ると思いますが」
「――どこか寄ってんのかな」
「調べものじゃないですか? 文書宮とか」
 クライフが本を捲る手付きをしながら自分の机へ行くと椅子を引き、腰かけた。
「かもしれない」
 ただ、ヴェルナー侯爵が正規軍を動かしたかどうか、それは至急の確認事項だった。
(他に立ち寄るかな――関連する事があったのか)
 ロットバルトがこの状況で不必要な行動を取るとは思えない。おそらくヴェルナー侯爵を捕まえるのに時間がかかっているか、何かしら関連がある情報を聞いてそれを確認する為に寄っているのだろう。
 だが、室内の冷えた空気と不在を告げるような執務机の空席――
 決して珍しくは無いその光景が、何故か際立って見えた。






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