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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第四章『言祝ことほぎ』

二十

 アスタロトは舞踏会の始まった広間を抜け出し、夜風が緩やかに吹く庭園に降りた。華やかな騒めきを夜の薄闇で隔て、静かに息を吐いて白い玉石の敷かれた道を歩き出す。
 広い庭園は腰辺りまでの高さに整えられた緑の埴栽が美しい模様を造り、一定間隔に置かれた庭園灯が丸い灯りを投げ掛けている。管弦の音は細くなりながらも、絶えず広間から響いていた。
 ふわりと膨らんだ裾が、少し歩きにくく感じる。青地に黄色を取り入れた、大人びた華やぎのある衣装で、身に纏っているのは嬉しかった。
 似合うとか、綺麗だとか、何人も誉めてくれた。
 でも今は何だか、歩きにくい。
(――)
 自分でも知らない内に溜息が一つ零れる。
 レオアリスはずっとファルシオンに付いていて、ファルシオンが下がるのと一緒に、退席してしまった。
 話をしたかったと思う反面、その考えから解放されて、どこかほっとしている自分がいるのが判る。もう退席してしまったのなら、どう話しかければいいかとあれこれ悩む必要もないし、周りが何か言う事もない。
 それに話したらどうしても、明日の話になる。
(明日の話――、帰って来てからでいいや)
 そうしたら、王の警護にアスタロトが選ばれた事も、何でもないように話せる気がした。
 そっと零した息が夜に広がる。
「アスタロト公爵」
 背後から声が掛かり、アスタロトは少しびっくりして首を巡らせた。二十代半ばか、黒髪の、がっちりした体格の青年が遠慮がちに近付いてくる。
「何――のご用?」
 とアスタロトは、自分が盛装をしている事を思い出し、貴婦人らしく優美な扇子を口元に当て、青年を振り返った。この仕草、レオアリスが見たら腹を抱えて笑いそうだ、とちらりと思う。
「ビトー子爵家のエスクードと申します。以前、その、ご挨拶させていただいたのを、覚えておいでですか」
 一切覚えていない。
「そ、そう、エスクード様! お久し振り」
 苦しい状況を無理矢理乗り越えたが、エスクードはそんな様子に全く気付いておらず、アスタロトはほっと息を吐いた。エスクードが素早く辺りを見回す。
「アスタロト様は散策ですか――き、奇遇ですね、私もです。夜会の華やかな雰囲気に当てられてしまって……」
「やっぱ――やはり、貴方も? わた――くしも、恥ずかしながら、ああした華やかな場は苦手で。お、おほほ」
 一応、社交辞令として相手の心情に添うのが作法だと、大叔母のエレノアが言っていたと思う。アスタロトが同じ思いだと聞いて、エスクードは顔を輝かせた。
「今、お一人ですか?」
「え? ええ」
「そうですか!」と言ってエスクードはアスタロトの手を握った。アスタロトは思わず身を引いたが、「あ、済みません」と詫びつつもしっかり掴んで離さない。むしろ握る手に力を込めた。
「ちょっと、あの」
「いや、その、よろしければ私とぜひ、ご一緒に散策を」
「先約だ」
 アスタロトが答える前に、冷酷な声が横から入った。右手の小路の奥からだ。
 丸い広場に小さな噴水があり、周りに長椅子が置かれている。そこに座っていた長身の男が立ち上がった。
「アスタロト公は私と約束をしている。無粋な真似はすまいな?」
「げっ、ブラフォード」
 エスクードはブラフォードを見て少し青ざめ、かつ濃い落胆の色を浮かべ、慌てて握っていた手を離した。居心地が悪そうにその手を後ろに回す。
「し、失礼しました――お約束とは知らず」
「え? 違」
 相手がもう少し近い立場だったら張り合ったのだろうが、エスクードは早口でそう言って、挨拶もそこそこもと来た道を歩いて行ってしまった。
「約束なんてしてないって――」
 声は聞こえていたはずだがエスクードは振り返らず、アスタロトは束の間ぽかんと口を開けてから、いつの間にか傍らにブラフォードがいるのに気付いて睨み付けた。
「約束した覚えないんだけど! 勝手なこと言わないでよね!」
「あんな有象無象にいい顔をしてどうするつもりだ? はっきり断らなければいつまでも付いて回る。それともあれで我慢するつもりだったのか」
「はぁ?!」
「つれなくするのも上等な女の条件だ」
「――うわ、意味判んない」
 アスタロトは思いっきり眉をしかめてブラフォードの横を抜け、さっさと歩き出した。ブラフォードが腕を伸ばして前を遮る。
「何?」
 睨み付けたアスタロトに対して、先ほど自分が座っていた小路の先の広場を示しつつ、ブラフォードは鷹揚な笑みを浮かべた。
「気が短いな。少し話をするくらいの余裕も持てないのか。それとも不得意な相手は避けて通るか? アスタロト公爵家当主、正規軍将軍ともなれば、対話の重要性は先刻承知だと思うが」
「嫌味だな、相変わらず。私がムキになって頷くと思ってんだろ。お生憎サマ! ふん!」
「この程度がむきになる事か?」
 ぐっと息を呑み、それから顔を逸らした。
「――判ったよ! すんごくヒマだから話くらいしてあげる」
 ブラフォードは喉の奥で笑ってアスタロトの手を取り、不請不請のアスタロトを優美な仕草で導くと、噴水の縁石に座らせ、その前に膝をついた。貴婦人としての完璧な扱いと、いつの間にかすんなり座っている自分にさすがのアスタロトもつい感心し、それにまあ、悪い気はしなかった。
(レオアリスは――やんないな)
 そんな姿を想像すると何だか可笑しい。
 レオアリスが例えば、今のように自分の手を取って、想いを表すように膝をつくなんて――
 自分の想像に心臓が跳ね、どっと血が巡った。
(無い無い――! 似合わないし!)
 例えば、あの光に満ちた舞踏会の広間で、手を差し伸べて
「舞踏会は放り出して来たのか」
 アスタロトは座ったまま飛び上がった。
「な――、何か悪い?!」
「アスタロト公爵に舞踏を申し込みたかった男は、山ほど居たろうに。まあお前は近衛師団第一大隊大将とでなければ踊らないかもしれないが――」
「な、何、それ」
 アスタロトは考えを見透かされたように感じ、血をどっと昇らせた。
「踊るワケないじゃん! 有り得ないよっ、レオアリスとなんて――友達なんだから、そんなの」
「そうか? ならば安心だ」
「こ、この間から勝手に、訳の判らないことばっか言わないでよね」
「お前が彼に想いが無い事は、前にも聞いたが――もしや傷付いているのではないかと思って心配していた」
「……何で?」
 ブラフォードがくすりと笑う。
「彼は先日、求婚されたようだからな」
 思わず、息が止まった。
「え――」
 求婚
 知らない
 誰に
 ふっと名前が口を突いた。
「――エアリディアル王女……?」
 ブラフォードは口を閉じ、それから声を立てて笑った。
「ハ……なるほど――なるほどなぁ。お前はそれが不安なのか」
「な、何!?」
 何で笑うのだろう。それより、実際はどうなのか、それが知りたい。それだけ。
「エアリディアル王女――なるほど、陛下のお考えにはあるかもしれん」
 アスタロトはぎゅっと唇を噛み締めた。目の前がくらくらする。
 ブラフォードは口元を歪めた。
「安心しろ。求婚と言っても、お前が悲嘆に暮れるほどの相手じゃない。フィオリ・アル・レガージュの剣士、ザインの娘という話だ」
 瞳を瞬かせ、ブラフォードの言葉から拾った名を繰り返す。
「――ザイン」
 この間のだ。確か、ユージュという名前の。可愛らしい、元気そうな娘で、レオアリスと凄く親しそうだった。
「求婚したのはその娘のようだな。兵達の間では話題になっていたと私のところまで噂が回ってきたが、知らなかったのか?」
「――」
 知らない。
 レオアリスとはほとんど話をしていないし――、誰もそんな事はアスタロトには伝えなかったし、タウゼン達は何も言わなかった。
 もちろん、彼等は知らなかったと思うが。
「そ……れで、レオアリスは」
「さあな。あくまで噂が伝わってきただけだ。大袈裟にもなっているだろうが――」
 薄い笑みを浮かべ、アスタロトの瞳を見つめる。
「剣士同士なら、何の問題も無い。あながち噂だけでは終わらないかもな」
「――」
 あの少女なら、王は認めるのだろう。
 それとも、エアリディアルなら。
 心臓が不規則に脈を打つようだ。
 黙り込んだアスタロトをしばらく見つめていたブラフォードは、やがて呆れとからかいとが入り交じった息を吐いた。
「口先で違うの何のと言っても、お前は本当に判りやすい」
 アスタロトはただブラフォードを見た。
「まあお前の想いが伝わらないとは言わんよ、私も。だが、諦めろ」
 理由は判っているだろう、と――
 アスタロトの手を取り、青い手袋の上から手の甲に軽く唇を寄せる。
「お前を手に入れるのに私は、努力は惜しまないつもりだ」
 答えの無いアスタロトに笑い、ブラフォードはそっと手を放してその場を離れた。




 レオアリスが戻った時には、夜会の主会場は晩餐が行われた大広間から次の広間に移り、宮廷楽団の奏でる管弦の調べが流れる中、華やかな正装を纏いゆったりと踊る人々の影が、艶やかに研かれた御影石の床に落ちて揺れていた。
 余り中まで進む気にはならず入口の辺りに立ち止まり、レオアリスは誰か――アスタロトかロットバルトか、スランザールかがいないだろうかと広間を見渡した。できればスランザールかアルジマールと話をしたかったが、スランザールの姿は広間には無く、元々アルジマールはこうした場には出てこない。
 アルジマールは今も探索を続けてくれているのだろう。だがもう丸一日、アルジマールからはかんばしい連絡は無かった。ヴィルトール本人からも連絡は入らないままだ。
 今日はクライフやフレイザーが士官棟に詰めている。そろそろグランスレイも士官棟に戻った頃だと思うが、進展があれば連絡が入るはずはずだった。
「――」
 レオアリスは思考に沈んだまま、庭園へ面した硝子戸へと壁沿いに足を向けた。
 数歩歩いたところで「大将殿!」と声が掛かり、足を止める。声の方へ目を向けると、壮年の夫妻が娘を伴い、にこやかな笑みを浮かべながら早足に歩み寄って来た。
「大将殿、初めてお目にかかります。私は地政院で街路保全官長を務めております、グレナダ家当主のホーン・グレナダと申します。これは妻と、娘のセシリアでございます」
「初めまして――グレナダ子爵。ご挨拶いただき恐縮です」
 グレナダはレオアリスが自分の爵位まで知っていると判り、喜びを浮かべると、更に一歩近寄り握手の為に手を差し伸べた。
 握手をして会釈を返し、許されるならそれで終わらせて庭園に出たかったが――自分の立場でそれはできないと、当たり障りの無い挨拶や時事の会話を二、三交わす。その間にもレオアリスに気付いた参列者が集まり始め、それを見たグレナダ子爵は傍らの娘の肩を、押すようにして示した。
「いや、お恥ずかしながら私どもの娘が、大将殿に非常に憧れておりましてな。大将殿、僭越ながらどうか一曲、娘と踊ってはいただけませんか」
「え? いや――」
 子爵は頬を染め俯きがちに視線を落としている娘を、他の参列者に先を越される前にと、更に背中を押した。「ぜひ」。それを見た他の参列者がもう二組、「大将殿、私からもぜひご挨拶を」と半ば割り込むようにして声を張る。グレナダ子爵はじろりと彼等を睨んだ。
 こうした夜会での舞踏は相手と交流を持つ手始めの儀礼であり、また互いの交遊を周囲に知らしめるにも有効な手段だ。例え裏ではいがみ合っていても、表向きは友好的な振りをしてみせる事もある。
 社交上の礼節を備えた者であれば踊って当然、何より女性側からの申し込みを断るのは名誉を傷つける行為として非礼に当たる。それが王城内のごく普通の考えである事は、さすがにレオアリスにも判っていた。
(困ったな)
 それでも遠慮したいというのが普段からの本音だが、今はより一層、気の進まない思いが強かった。
 状況を考えれば、本当はここにいる事にすら焦りを覚える。
 上手い断り方が無いかと考えを巡らせた時、ロットバルトの姿が少し先に見えた。運良く視線が合うとすぐ、ロットバルトは彼を取り囲んでいた娘達やいずれかの貴族の夫妻達の輪をそつなく抜けて、レオアリスの方へと歩いてきた。



 それほど掛からず解放され、レオアリスは庭園への硝子戸を抜けた。夜風が纏う長布を揺らす。
「失礼だったかな」
 背後の硝子戸を隔てて眩しく透ける広間の灯りを振り返り、取り敢えずそこを確認した。
 ロットバルトが巧みに、グレナダ子爵だけではなく他の相手も含め角が立たないように断ったお蔭で、彼等が気分を害した様子は無かった。まあどちらかと言えば令嬢達の目は――彼女達だけでなくその親達も、後半ロットバルトへ集中していて、特に昨日の襲撃の事を聞きたがったのもあるが。
「まあ問題はありません。陛下が先ほど庭園へお出になりましたので、近衛師団大将が庭園へ向かう事に疑問を唱える者はまずいない。それに今の貴方はお立場上、相手は慎重に選んだ方がいいでしょう」
「立場上――そんなものか」
 レオアリスは灯りにうっすらと浮かぶ庭園を見渡した。低い埴栽と玉石を敷いた白い小道が、円や方形の美しい幾何学模様を描き、夜の中に溶けるように広がっている。見渡せる範囲には、王の姿は無かった。
 十数枚も並ぶ広間の硝子戸に沿って張り出した大理石の階段を、庭園へと降りる。階段を降り切ると靴底が玉石を鳴らした。
 少し歩いて振り返り、レオアリスは夜の中に輝く広間の灯りを見つめた。風に乗る管弦の調べ。
「何も、変化は無いんだな――当然か」
 改めてその想いが口を突く。ロットバルトの答えは、レオアリスも頭の中に思い浮かべた通りのものだ。
「仕方ありません。公言は決してできない事ですから」
 レオアリスは頷くともなく、整えられた道を歩き出した。
「ヴィルトール達が無事でいてくれればいい――イリヤ達が」
「――」
 祝宴の灯りに浮かぶ美しい城と、今口にした言葉と、何と隔たりがあるのだろうと、そう思った。
 あんな華やかな場所では、自分が抱えている焦燥はまるで筋違いにさえ思えてくる。
「……そう言えば、長老会から何か情報は得られたか?」
 ロットバルトはイリヤとヴィルトールの消息を追うのに、今朝ヴェルナー侯爵家の長老会筆頭ルスウェント伯爵の元を訪ねていた。視線の先でロットバルトが首を振る。
「所領内で不審な動きは無いと、そこが確認できた程度です」
「そうか――動きがないだけでも、まだ少しは安心だな」
 そうは言ったものの、逆に何があったら問題なのだろう。不安を呼ぶ要素など、始めから無いのではないか――そう思えてくる。
 問題は無い。
 王がそう判断したのだ。
 この宴も。
 明日の条約再締結の儀も。
 月の光に白く照らされた、白い道。逸れていく左右の分岐は見えにくい。
 時折設けられた広場の、四阿や噴水。分岐する道を選べば、立ち現れる物も違う。
(それだけの事か)
 今自分が抱く違和感や焦燥は。
 別の場所から見れば、解決は容易い事なのかもしれない。
 ふと前方から歩いて来る人影に気付き、レオアリスは足を止めた。
「上将?」
「道を変えよう」
 言い終わる前に、ロットバルトも薄い灯りに揺れる影に気が付いた。
「――」
 歩いてくるのはヘルムフリートだ。変えよう、とは言ったものの既にお互いに相手が認識できる距離になっていて、レオアリスは仕方なく歩調を緩く、再び歩き出した。ただ目礼でもして擦れ違って終わればいいのだが。
 次第に距離は近付き、夜目にもヘルムフリートの浮かべる表情まで判る。先ほどの大広間よりも、もっと近い距離だ。あの時は斜め後ろから見ていた面が良く見えた。不快さを隠さない視線は、しかしそこに誰もいないかのように真っ直ぐ保たれている。
 似てないんだな、とレオアリスは心の中で呟いた。
 外見もそうだが、纏う雰囲気が違った。二人の父であるヴェルナー侯爵の持つ空気とも異なる。
 細い面は高圧的で高慢さを感じさせ、反面どこか、脆さも覚えた。
 ヘルムフリートは二人の横を真っ直ぐに抜け――レオアリスが息を吐きかけたところで足を止めた。
「挨拶も無しか」
 硬質な声にロットバルトが振り返り、ヘルムフリートを見つめる。
「ご挨拶は先ほどさせて頂いたでしょう。もっとも兄上が私と話をしたいと、そうお考えくださるのは光栄ですが。我々の間には常に会話が足りない――特に今は」
 ヘルムフリートは片側の眉をぴくりと引きつらせた。
「ヴェルナー侯爵家の次期当主ともなれば、物言いもご大層な事だ」
 レオアリスは刺と、――それから恐らくこの兄弟の間に深い溝を穿つ、最大の要因を含むその言葉に、ちらりとロットバルトを見た。ロットバルトは特段感情を覗かせる事無く、卒の無い笑みを返す。利害関係を調整する際に、いつも彼が浮かべるものだ。
「次期当主は貴方ですよ、兄上。そのような益体やくたいもない事を口にする者がお側にいるのかもしれませんが、耳をお貸しになる必要はありません。できれば、そうした者を近付けない方が良いでしょう」
「私に指図する気か。それとも皮肉か? わきまえろ」
「まさか。権力に近ければ、蜜を吸おうとする者もまた周囲に群がるだろうと――推測です」
 ヘルムフリートが苛立ちを吐くように低く返す。
「お前の周囲の方が、今や多く集っているのではないか」
「近衛師団とは言え、大隊中将程度の地位では、誰も利用できるとは考えませんよ」
「近衛師団など問題ではない。お前がいずれ手に入れるものを見ているのだ、奴等は」
 ロットバルトは改めて、ヘルムフリートと向かい合い、瞳を見据えた。
「失礼ながら――、兄上にもご理解頂きたいと常々考えておりましたが、私は今の立場を気に入っております。このままヴェルナーには戻らず、近衛師団に留まる心積もりです」
 ヘルムフリートは初めて、レオアリスへ視線を向けた。道端に転がっていた石が、彫像位にはなったという程度の視線だが。
 侮蔑の色もあらわなその眼で、再びロットバルトを見据える。
「くだらん、近衛師団など――自らが総将にという意志も無いのだからな。ヴェルナー侯爵家の次男が中将程度の地位に甘んじて、恥を晒してくれるものだ。もっともそうやって、父上が地位を整えるのを待っているのだろうが」
 レオアリスは内心で息を吐いた。ロットバルトがどう言おうと結局、ヘルムフリートは彼の中に浮かんだ不信を消そうとしない。
 昨日ロットバルトと話をしたトゥレスが感じた事を、やはりレオアリスも感じた。
 同じ視点で物事を見るには、二人の間は隔たり過ぎている。
「私は兄上が次期当主となられ、ヴェルナーを一層盛り立ててゆかれる事を期待しております。心から」
「心にも無い事を」
 ヘルムフリートは吐き出した。
「――お前など、ヴェルナー侯爵家には不要だった」
 玉石を踏んで一歩近寄り、唇を歪める。
「私がヴェルナーを盛り立てる事を期待しているというのが真実ならば、昨日の襲撃で余計な抵抗などしなければ良かったのだ」
 思わず視線が上がるのを何とか抑えたが、レオアリスは怒りを覚えて拳を握り込んだ。
(――何だ、今の)
 余計な抵抗をしなければ?
 それは、あのまま命を落としていれば、と――
(落ち着け。俺が踏み込む話じゃない)
 ただ、聞き流すには困難な、危うい言葉だ。どこまでヘルムフリートの意思・・を示しているのか――ヘルムフリートがあの件に関わっていたのか、判別はつかない。
「いっそお前の弟が死んだ時に同じ道を辿っていれば、今余計な事に心を煩わせる事も無かった。そうすればあの出来損ないも喜んだだろう」
 落としていた視線が上がる。レオアリスはヘルムフリートと、ロットバルトを見た。
 弟
 いや、それよりも。
(――何、言ってんだ)
 事情は知らない。だが、まるで大した話題では無いように――
 レオアリスは湧き上がる怒りに押され、口を開いた。
「幾ら何でも」
 ロットバルトの手が右腕を掴む。指先に込められた力が、却ってレオアリスの怒りを冷ました。
「次期当主ともあろう方であれば、ご自身の言動一つが他者からのヴェルナーへの評価に繋がると、お気付きになった方がいい――」
 声は冷静だ。いや――色が無い。
 蒼い瞳に浮かぶ光を受け止めかね、ヘルムフリートは視線を逸らせた。
「貴方が誰と、どのような話をするのも自由です。何を述べ、望むのも」
 ロットバルトは薄い刃が喉元を切り裂くように、言葉を重ねた。
「だが迂闊に行動に移す事は、ご自身だけでなくヴェルナー侯爵家の礎の崩落を招く」
 ヘルムフリートの表情が強張った。「――何を言いたい」
 敷き詰められた玉石を踏みしめる音が、ここに停滞していた泥のような空気を割った。
 レオアリスは足音の方へ顔を向け、はっと息を呑んで膝を落とした。
「陛下―― !」
 ヘルムフリートもロットバルトも振り返り、膝をつく。
 先ほどヘルムフリートが歩いて来たのと同じ道から、王がゆっくりと歩いて来る。
 王の周囲だけ、空気がその色さえ違え、宵闇は道を開けるように思えた。
 剣が喜びを訴え、鼓動を刻む。
 王はレオアリス達の近くまで来ると、足を止めた。少し後方にアヴァロンが控えている。
「珍しい顔触れだ」
 低く、笑いを含む声、ただそれだけの響きが、心の奥底まで見抜くように全身を掴んだ。
「心地よい月夜に、語らいは付き物か」
 王が状況を見透かしているのは明らかで、三人共にただ恐縮して頭を下げるほか無い。風が王の衣と周囲の草木を揺らす。
「フォルージ‐フュルスト・フォン・ヴェルナー、ヘルムフリート。面を上げよ」
「――は!」
 王の叱責を予期し、肩をびくりと揺らして、ヘルムフリートは青ざめた顔を持ち上げた。
「先ほど広間では、ファルシオンと何やら話をしていたようだが」
「――」
 ヘルムフリートが喉の奥に息を呑み込む。王は口元に微かな笑みを浮かべた。
「そなたは筆頭侯爵家の長として、次世代を支える人材とならねばならん。ヴェルナーの果たす役割を考えれば、一人では成し難い事だ。父や弟、長老会と協力し、国の繁栄に努める事を期待している」
「あ――有難き御言葉、しかと心得ます―― !」
 身を石膏のように固めてそう言い、それからヘルムフートは王が自分をヴェルナー侯爵家フュルスト・フォン・ヴェルナー後継者フォルージと呼んだ事に、勝ち誇った視線をロットバルトへ向けた。レオアリスから、ロットバルトが呆れた苦笑を隠すのが見て取れる。
(――でもこれで、問題は改善するかもしれない)
 王がヘルムフリートを後継者と認めているならば、ヴェルナー侯爵も強硬にロットバルトに侯爵家を継がせようとはしないだろう。
(良かった)
 面に出さないように安堵の息を吐く。
 ヘルムフリートは更に王の言葉を二言、三言受けた後、それまでとは打って変わった悠然とした足取りでレオアリス達の横を抜け、広間の灯りへ向かった。
 夜の庭園を、ほんの少しだけ肌に冷えて感じる風が静かに渡っていく。レオアリスは夜の光が白い玉石の上に落とす、王の微かな影を見つめた。
 まだ王が歩き出す様子はない。王城の広間から零れる楽の音が遠巻きに届く。
 今なら王に、率直な考えを伝える事ができると思った。
 イリヤの事や、ルシファーの動きへの懸念、西海の意図への懸念――つい先ほど聞いた、ファルシオンの不安。
(――)
 呼吸を整え、会話の許しを得ようと口を開きかけた矢先、王は庭園へ向けていた顔を戻し、レオアリスを呼んだ。
「レオアリス」
 緊張を巡らせ顔を上げたレオアリスの様子を見て、王が口元を和らげる。
「少し、話をしよう」
 そう言って引き返した先の十字の道を、奥に白い飾り屋根を覗かせる東屋へと歩いて行く。
 レオアリスはアヴァロンを見て、アヴァロンが自分だけに行くようにと無言で指示するのを確認し、一旦ロットバルトへ視線を向けてから立ち上がった。






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