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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第三章『陰と陽』


 ファルシオンは薄い陽光に彩られた階下の広間を見下ろし、真っ直ぐに伸びる深緑の絨毯の左右に跪いている諸侯の中にレオアリスの姿を見付けると、柔らかな頬を安堵に緩めた。
(良かった――無事だ)
 帰還した事は、ロットバルトが約束した通り近衛師団から一報を受けていたが、直接無事な姿を目した事でようやく気持ちが落ち着いた。
 それからファルシオンは、改めて傍らの父王の姿をそっと見上げた。ファルシオンがこの席へ王からの召命を受けたのは、ほんの半刻ほどの前の事だ。特に何の為という事前の説明は無かった。
(父上が私をここに呼んでくださったのは、私にまた、何か、できることがあるのだろうか)
 そう思うと、ファルシオンの心の中に喜びが湧き上がる。父王が、先日のレガージュでのファルシオンの果たした役割を認めてくれている――ファルシオン自身を認めてくれている、その証のように思えた。
(父上のお役に、立てるかな)
 喜びと共に、深い誇りもまた、ファルシオンの胸を染めた。これから、彼が成長していくにつれて、父王の補佐をしていく事になるとファルシオンは理解していた。そしてその役割が年齢を重ねるに従って比重を増していく事について、漠然とした理解ではあるが、心に秘める決意が幼いファルシオンにもあった。
 それは決して容易い事ではないが、この先必要なものをしっかりと身に付けていけばいいのだ。父王の元で学ぶ時間は、これから幾らでもある。ファルシオンにはそれが待ち遠しくもあった。
 内政官房長官ベールが議事の開始を告げる。
「各々立ち上がられよ。今回、陛下が十四侯として貴侯等を召集された目的は二点ある。一つは離反した元西方公ルシファーの件、一つは月末の条約再締結の件」
 天窓から差し込む幾筋もの薄い陽射しの中で、参列者達は伏せていた面を上げ、さざめく衣擦れの音と共に立ち上がった。ベールが彼等を見渡して続ける。
「一つ目――、およそ一刻半前、法術院長アルジマールと近衛師団第一大隊大将レオアリスがルシファーと接触した。場所は西海沿岸、ラクサ丘」
「接触――」
 あちこちで驚きの呟きが上がる。
「西――、ルシファーと、接触、とは」
 最初に躊躇いがちに尋ねたのは財務院長官代理を兼ねるゴドフリーで、日頃は落ち着いた細面に、ここ最近の混乱からかやや疲労の色を浮かべている。
「一戦交えたと言った方が早いか」
 ざわりと空気が揺れ、ゴドフリーは一層沈鬱な表情になった。騒めきを皮肉を含んだ酷薄な声が打つ。
「法術院長と師団第一の大将。どのような繋がりなのか、俄かには見えんな」
 ロットバルトは声の主を見た。
(東方公)
 アルジマールが半歩前へ出て身体を向ける。
「第一大隊大将に協力を依頼したんです。協力というか、要するにまあ僕の護衛というか。陛下は西方第七軍を護衛につけてくださいましたが、ルシファーの所有だったと思える館を復元するのに、失礼ながら正規軍兵士では、彼等の生命を保証しかねたもので」
「随分な言いようだ」温度の無い笑みがアルジマールへと返る。「まあそれもルシファー相手には事実であろうが、正規軍は承知していたのか。アスタロト」
「我々は」
 アスタロトは、この場合どう言うのが一番いいのかと迷うように、束の間口籠もった。
「大公」
 正規軍副将軍タウゼンが軽く手を持ち上げ、ベールへ発言の了承を求める。
「この話、現場部隊の状況も併せてご報告する必要がありましょう。西方将軍を始め各方面将軍の同席をお許し願いたい。控えの間に控えさせております」
「許可する。入らせよ」
 扉の内側に立つ近衛師団隊士が手元の紐を引き、廊下へと合図を送る。ベルゼビアは薄い笑みを浮かべたまま続けた。
「正規軍へは事前に知らせていなかったと考えていいようだな」
 アスタロトはタウゼンの意見を確認するように彼を見たが、タウゼンは肯定も否定もする素振りが無い。
「アルジマール、第一の大将も、余り勝手は困った話よ。両者とも国の方針を弁える立場にあろう――特に近衛師団大将ともなれば」
「レオアリスは」
 反射的に反論しかけたアスタロトの腕を、タウゼンが素早く抑える。「アスタロト様、私的な立場での擁護は無用に」
「――何だよ。別に私的なとかじゃ」
 アスタロトはタウゼンを睨み、それでも唇を閉ざして視線を落とした。
「絡むなぁ、東方公」
 トゥレスがレオアリスへと僅かに肩を寄せ、そっと囁く。「言い返したっていいんじゃねぇか? 正当な理由があるんだろう」
 レオアリスはやや首を傾け、斜め後ろの二人を見た。グランスレイが微かに首を振り、ロットバルトが低く返す。
「求められない限り我々からの弁明は不要です。この件はアルジマール院長の範疇であり、既に陛下へはご報告しています。それ以上に言うべき事はありません」
 トゥレスはちらりとロットバルトを眺め、肩を竦めた。
「そうだな……」
 頷きはしたものの、レオアリスはまだ躊躇いを残した。
 弁明を口にする場ではない事はレオアリス自身理解しているが、アスタロトがつい庇おうとする前に矛先を変えたいという思いもあった。
 正面に戻した瞳をスランザールに向ける。
 この場で処遇を決めるはずだっただろうと、そう急かす視線を受けて、スランザールは長い髭の下で苦笑を浮かべた。
「自らの処遇で手っ取り早く済まそうというのは、少しばかり根性が足りんのう」
 微かな呟きを聞き止めたベールが瞳を向ける。二人の正面に立つベルゼビアの追及がまだ続いた。
「近衛師団は王の意思の元に動く組織だ。簡単に他の者の要請を容れては、その絶対が崩れる。大将の地位にあればこそ、そこを十二分に理解しているはずであろう。貴侯の立場で忘れて貰っては困るな」
 賛同するように頷いたのは地政院副長官、それから司法院の二人――財務院のゴドフリーは微妙な表情のままで、内政官房副長官ヴェルナーは特に表情を変えていない。第三大隊のセルファンは厳しい面を崩していないが。
(妥当だな)
 ロットバルトはそれぞれの表情を見て取り、心の内でそう呟いた。この場の反応は想定の外にも内にも振れていない。
(しかし――)
 レオアリスとセルファンとの間に立つトゥレスへ、一度視線を向ける。
(それまで想定の範囲・・・・か――)
「僕に全部やれってことですか、東方公。初めから戦闘目的ならともかく、他にも気を遣いながらじゃだいぶ荷が重いですよ。正規軍だって、まさか炎帝公に出てくださいなんて言えないですし」
「しきたりを学べと言っている。特に貴侯はな」
 口出しのはばかられる緊張した空気を払ったのは、幼い響きだった。
「決まりを守るのは大切だと思う」
 きざはしの上に視線が集中する。ファルシオンは幾つもの瞳を真っ直ぐに受け止めた。幼い黄金の瞳が澄んだ光を宿す。
「レオアリスが呼ばれなければ、アルジマールはここにいなかったかもしれない。そうだったほうが良かったとは思わない」
 重い空気が黄金の瞳の色を移したような清澄なそれに変わる。
 反面、参列者達の間に別種の緊張が走った。王太子の地位は確かに四大公を従える位置にあるが、実際に国政に対する影響力は一目瞭然で違う。言葉を選ぶ必要はあるものの、四大公にはどの一人にも、王太子の意見を諭し退ける力がある。
 しかしベルゼビアはファルシオンにゆっくりと向き直ると、恭しく一礼した。伏せた面の下で、誰も見る者もなく口元が僅かに吊り上がる。
「――左様。殿下の仰せの通り、法術院長を損失して良しとは私も思いません。私は少しばかり形式に拘り過ぎたようです、お許しを」
 ファルシオンは父王を見上げた。その面に微かだが笑みを認め、自分の発言が誤りではなかったのだと、ほっと安堵の息を吐く。
 ちょうどそこへ、扉が開き正規軍の四人の方面将軍達が入室した。西方将軍ヴァン・グレッグが先に立ち、北方将軍ランドリー、東方将軍ミラー、南方将軍ケストナーがすぐアスタロトのやや後方に並ぶ。
「揃ったな。では改めて、状況を説明しよう」
 ベールが視線を巡らせる。
「先日、正規西方軍第七大隊から、ルシファー捜索の一環で、西海沿岸のラクサ丘に消失した館跡を発見した旨、報告があった。周辺住民の証言から、消失したのはこのひと月以内と考えられる」
 静まり返った室内で、ベールの言葉に質問を投げ掛ける者は無い。
「法術院長アルジマールが復元を申し出、陛下が改めて命じられた。現地での判断はアルジマールに一任されていた。従ってアルジマールが今回下した判断は、一定内で陛下の了承のもとと考えて良い」
 ベールの視線は隠す事無くベルゼビアへ向けられており、視線を受けてベルゼビアは薄い唇の端を笑みの形に吊り上げた。
「一方で本来であれば卿の言うとおり、法術院長が直に近衛師団大将を動かした事は組織としての意義を失した判断でもある。形式上ではあるが、双方に何らかの措置をと考えてはいた。しかし」
 ベールもまた、口元に薄く笑みを刷いた。双眸の、王より淡い金色の虹彩に光を過らせる。
「卿の指摘はこの場の参列者に問題を明示し認識させ、かつ両名とも充分に理解したであろうし、何より――、王太子殿下は今回の結果をこそ重視された。陛下」
 きざはしの上の王へ、視線を上げる。
「この度の件、これにおいて必要な措置は済んだと考えて宜しいかと存じます」
 アスタロトがぱっと頬を輝かせ、ベールを尊敬の眼差しで見つめた。
 王はきざはしの下から見上げるベールを一度、射抜くように見据え――、ふっと笑みを閃かせた。
「それで良い」
 ベールが一礼し、参列者達もそれに習う。
 レオアリスも顔を伏せ、それからゆっくり、息を吐いた。処分を覚悟していたとは言え、例えばここでまた謹慎になれば、それだけでもう条約再締結の場へレオアリスが同行する事は叶わなかっただろう。
「続けよう。詳細は省くがアルジマールが復元した館は、かつてルシファーが所有していたものだと判明した」
 ロットバルトは普段と変わらず淡々と進行するベールの面を見つめた。ベルゼビアとファルシオン、それぞれの発言を受けての采配は卒が無く合理的だ。
 水面下の意図に対しても・・・・・・・・・・・
(水面下で――、大公の采配の実際の目的は、陛下への働きかけか)
 アルジマールやレオアリスへの処分を避けたのは、やはり条約再締結を見据えての事だろう。
(大公もスランザールと同様の考えをお持ちのようだ)
 レオアリスを条約再締結の場に付けるべき、と考えている。その為、王に、暗にレオアリスの同行を促している――
 ある閃きが、思考をそこにとどめた。
 促す・・
 スランザールやベールが、王へ促そうとする、という事は。
(――陛下は)
 視線を向けたレオアリスは正面へと面を上げていて、頬の線からは表情は判らない。
 ロットバルトはその視線の先にある玉座――そこに座す王の姿へ、双眸を上げた。
「捕捉はあるか」
 ベールがラクサ丘での経緯を説明し終えアルジマールへ投げかけると、アルジマールは考え込みながら頷いた。
「そうですねぇ、やはり、ルシファーが事前に復元を知っていたという点でしょうか」
 アルジマールの発言の意味を噛み締め、参列者達、特に正規軍将軍達は驚きの色を浮かべた。
「知っていた? どういう事だ、法術院長」
「ルシファーは貴方の動きを、予め知っていたとお考えなのですか?」
 第三大隊のセルファンが始めて口を開き、懸念に満ちた声でそう尋ねた。
「では我々の中に誰か裏切り者がいると? 馬鹿馬鹿しい!」
 南方将軍ケストナーが目を怒らせ、セルファンと、そしてアルジマールを睨む。アルジマールは法衣に包まれた肩を竦めた。
「先走り過ぎだよ、将軍。それはまあ無いと断じるのは危険だけど、いきなり和を乱す事を口にするのは避けた方がいいんじゃない?」
 ケストナーは苦虫を噛み潰したような顔で「全く、いつものらりくらりと」と呟いたが、東方将軍ミラーの諫める視線を受けて押し黙った。ミラーが顔を向ける。
「という事は、どこから漏れたかは明確ではないのですね」
「その通りだ」
 ベールが代わって頷く。
「ただルシファーの能力から言えば、多少の防御陣ならかい潜り、室内で交わされた会話から情報を入手する事は可能だろう」
「畏れながら――、その可能性を前提にするのは、誤った解へ導く事にもなりますまいか。私は最悪を考え、内通者の存在に重きを置いた方が良いように考えます」
 ベールはミラーの言葉を吟味するように瞳を細めた。「卿の考えは陛下も同様であられられる。アスタロト、アヴァロン」
 呼ばれた二人がそれぞれの場所で姿勢を正す。
「正規軍、近衛師団内部、早急に経路を調査してもらいたい」
 アスタロトは一度、息を吸い込み、面を伏せた。
「――承知した」
 アスタロトの青ざめた頬に陽射しが当たる前に、傍らにいたタウゼンがベールと王へ身体を向ける。
「大公、西方軍ヴァン・グレッグから、現地での対応についてご報告させていただきたい」
 ベールが頷く。タウゼンの後ろに控えていたヴァン・グレッグは居住まいを正し、深く一礼した。
「申し上げます。西方軍第七大隊大将ウィンスターからの報告によりますと、先ほどの大公のご説明通り、法術院長護衛の部隊はラクサ丘より、レガージュの旧砦転位門に転位したとの事です。部隊指揮官中将ヒースウッドの一報では、重傷者は無し、現在ボードヴィルへ帰投の途にあります」
 彼等は無事だったのか、とレオアリスは一先ず安堵を覚えた。あの風の中で重傷者が無かったのは幸いだろう。
「ルシファーの行方は引き続き、捜索致しますが、今回の件を考えると恐らく通常の隊編成では捕縛は困難と考えられ、編成を変える提言について、許可いただきたく」
「その事だ」
 ベールはヴァン・グレッグの言葉を片手を上げて止めた。ヴァン・グレッグが口を閉ざし面を伏せる。
「十四侯の召集目的の一つ。これまで捕縛を最優先としていたが、図らずもルシファーの敵対の意図は鮮明になった。また、法術院長及び近衛師団第一大隊大将を以ってしても、捕縛ないし退ける事は困難とも判った」
 ベールはきざはしの上の王を見上げその意思を確認し、再び階下に並ぶ諸侯を見渡した。
 最後に、アスタロトを。
「この時点より生死は問わぬものとする」
 声も無く、ただ空間が張り詰める。
 それぞれの思惑の中、始まってから一切言葉を挟まず階下のやり取りを見下ろしていた王が、玉座の背もたれから身を起こした。
 謁見の間を覆う気配が揺れる。広間全体が動くようにも思えた。
「正規軍将軍アスタロト」
 アスタロトが打たれたようにびくりと肩を震わせ、王を見上げた。
「近衛師団第一大隊大将レオアリス」
 レオアリスはアスタロトの姿を視界の端に捉えながら面を伏せた。
「法術院長アルジマール」
 アルジマールがゆったりした法衣の中で背筋を伸ばす。
「今後いずれかの隊がルシファーと再び遭遇した時は、そなた等は求めに従い、即応せよ。でなければ厳しかろう」
 黄金の視線が移る。
「タウゼン、ヴァン・グレッグ、ケストナー、ランドリー、ミラー。躊躇えば兵の損失と考えよ」
 タウゼンと四人の方面将軍が深く一礼を返す。
 広間の空気はぴんと張り詰め、呼吸の音すら憚られるほどに静まり返った。
 その中で、ただ一人――喘ぐような浅い呼吸が微かに聞こえた。
 レオアリスは瞳を動かし、呼吸の主を見た。
 アスタロトの白い頬は薄い陽光の中でも尚蒼白で、端から見ても一目でそうと判るほどだ。
 周囲の諸侯は誰しもアスタロトの様子に気付いている。
 その理由も。
 アスタロトとルシファーの交流は周知のものであり、今参列している者達はそれぞれの立場から、アスタロトの様子から目を逸らし、ただ正面を向いていた。
 彼等の根にある感情が同情でも否定でも、王の下命と正規軍将軍という立場に、口を挟む事は許されないものだからだ。
 だが、アスタロトに西方公と戦えと。
 それは、厳し過ぎる下命だ。
 理性が止める前に、レオアリスは感情で動いていた。
「畏れながら、陛下」
「上将」 グランスレイとロットバトが異口同音に止めたものの、その前にもう言葉は口を突いていた。
「本日、ルシファーと剣を交えた経験上、三名の中では私に最も利があると考えます。今後のルシファーの対処は私へ第一にご下命いただきたく」
 どっと心拍が上がる。本来が正規軍の範囲――越権行為だ。
 視界の端に、驚き戸惑っているアスタロトの姿が見える。アスタロト自身にも、余計な口出しかもしれなかった。
 それでも、アスタロトを戦わせるのは避けたかった。例えそれがアスタロトの願いに反して、自分がルシファーを斬る為に動くと明言する事だとしてもだ。
「無礼な――」
 鋭く尖った声が打ちかかる。そう言ったのは王でもベールでもなく、アスタロトの傍らに立っていた副将タウゼンだった。タウゼンはレオアリスを真っ直ぐに睨み据えた。
「正規軍将軍――炎帝公に対して、力不足だと言いたいのか? 例え公の友人であり王の剣士と言えど、我等が戴く将を軽んじる発言を認める訳にはいかん」
「タウゼン、止めろ」
 アスタロトが驚き、声を震わせる。その制止を聞こえないように、タウゼンはレオアリスから視線を動かさない。タウゼンの放つ視線には敵意すら感じられる。
「軽んじている訳ではありません、しかし」
「近衛師団は近衛師団、立場は互いに違うのだ、馴れ合うべきものではなく、余計な口出しは無用に願いたい」
「タウゼン!」
 アスタロトが髪を振るようにしてタウゼンを睨む。場を制したのは、王の傍らに立つアヴァロンだ。
「レオアリス、控えよ」
 落ち着き払った声が低く言い渡す。
「陛下は即時対応を第一に、そなたを始め三者にお命じになっておられる。そなたの剣は確かに有効であろうが、誰がまず当るかは制限するところではない」
 アヴァロンの叱責は口調こそ厳しいが、レオアリスの立場を慮ったものでもある。
 レオアリスは想いを押し込め、そっと息を吐くと深く顔を伏せた。
「申し訳ございません――先刻のルシファーとの対峙で、意識が逸っておりました」
 アヴァロンは次にタウゼンにその眼を向けた。
「タウゼン。貴侯も場を弁えよ。正規軍の立場を殊更強調する事が名誉を維持する訳ではない」
 タウゼンもまた、我に返ったように恐縮した表情になり顔を伏せた。
「無様なところをお見せいたしました。伏してお詫びいたします」
 アスタロトは顔を伏せているタウゼンの姿を見つめ、ぎゅっと唇を噛み締めた。
(前はあんな事、言ったりしなかったのに)
 どちらかと言えば、正規軍内にレオアリスに対する批判があった時は、タウゼンは擁護する側だった。十八年前の、バインドが絡んだ『反乱』の事実が明らかになる前であってもだ。
 けれど最近は、タウゼンはレオアリスに対して、厳しいものの見方をするようになった。
 正規軍と近衛師団とは異なる目的のもとにある組織なのだと、時折そう口にする。
 タウゼンがそう言う意図を、アスタロトも気付いていた。
 ブラフォードが指摘した事、エレノアが考えている事、それと同じだ。
(――勝手に、決め付けて)
 彼等が考えているような事じゃないのだから、そこまで気にしなくていいのに。
 自分で右往左往して、周りは周りで関係ないところで騒いでいる。
(ファーなら、答えをくれたかな)
 一人でルシファーを訪ねたあの夜のように、また明確な答えをくれたかもしれない。
 王が捕縛から方針を変えた今も、アスタロトはルシファーと話をしたかった。
 あの夜の言葉、それからファルシオンの祝賀の夜会でくれた言葉。それは思い出すごとにアスタロトを力付けてくれる。
 ベールが何か説明しているが、想いに押し退けられ頭に入ってこない。片方ではこんな事ではダメだと自分を叱責しながらも、思考はルシファーへ傾いた。
(もう一度、会えたら――せめて)
 話ができたら。
 でももう、ただ捕まえるだけではなくなってしまった。
(私は――)
 レオアリスが自分を庇おうとしてくれたのは嬉しかった。とても。
 でもレオアリスがルシファーと戦うのは嫌だ。アスタロトの想いを知っている以上、きっと今日みたいに剣を振り切れない。
『君がルシファーを斬ろうとしないから』
 一方で、ルシファーは、多分――。
 だったらアスタロト自身がルシファーと戦った方がいい。
(でも私は)
 自分が矛盾しているのが、すごく判る。
(どうしたらいいんだろう)
 苦しくない方法が、どこかにあればいいのにと、縋るように思う。
 ゆるゆるとあてもなく彷徨っていた瞳が、ふとある物に引き寄せられ、止まった。
(絵――)
 視界に白く浮かび上がるようだった。
 アスタロトの視線を見計らったかのように、声がした。
「スランザール殿、その絵は?」
 思考に沈んでいた意識が、新しい空気を求めるように水面へ、顔を出した。天窓から注ぐ薄い陽射しがやけに明るく感じる。トゥレスがスランザールが持っている額縁を示している。
「先ほどから気になっていましたが、今回の件に関係があるのですか」
「――」
 スランザールは一度王を確認し、また手元の絵に視線を落とした。
「復元したルシファーの館からアルジマールが持ってきた、西海の第一皇子――前皇太子の肖像画じゃ」
 今度の驚きは一番大きかった。どよめき、顔を見合せる。
「西海の、皇太子?」
「何故そのようなものが、西、いや、ルシファーの館に」
「皇太子――、いや、第一皇子と言えば、もう既に亡くなっているはずだ。その肖像画?」
「ルシファーと西海とは何らかの関係があるのですか」
 レオアリスはグランスレイとロットバルトをちらりと確認した。二人の瞳に自分と同じ考えを認め、改めて参列者達を見渡す。
 彼等はまず、西海の皇太子という言葉そのものに驚いている。
 表面上なのかもしれないが、あながち演技してるようにも見えない。だとすると、国の中枢にいる彼等にも、ルシファーとの関わりは知られていないのだ。
「やはりルシファーは西海と通じていたのか――。となれば、条約再締結の直前の離反は、元からそう図っていたのではないか」
 南方将軍ケストナーがまくしたてるようにそう言いながら、財務院のゴドフリー達を睨む。
「だとすれば由々しき問題だ。先ほどの内通者の話も、そう考えると辻褄が合う。ルシファーの周辺を洗い出せば内通者が誰か」
「止せケストナー、先走り過ぎだ」
 北方将軍ランドリーは苦々しい口調でケストナーを諫めた。ゴドフリーは一言ならずあるだろうが、反論をぐっと堪えてケストナーから視線を逸らしている。レオアリスは彼の表情をじっと見つめた。
(ゴドフリー侯爵は、恐らく知らない――見た限り)
 内政官房のヴェルナー侯爵は表情を変えていない。最初に絵の事に触れた時はどうだったか判らないが。
 ただ内政官房副長官として、知っている可能性はある。
 アスタロトは今も呆然とした様子でスランザールの手元の絵を見つめている。
(ルシファーと西海の皇太子との関わりをご存知なのは、やっぱり陛下とスランザール、大公――東方公もご存知かもしれないが、僅か四、五名程度)
 東方将軍ミラーが混乱を代表するように一歩前へ出て、スランザールへ問い掛けた。
「スランザール殿、貴方はどうお考えなのです。お考えをお聞かせいただけませんか」
 スランザールがこの場ではどう答えるのか、レオアリスは密かに息を呑んだ。
 伏せるのか、暴くのか。
(もう俺達には聞かせた内容だ。同じ内容は伏せる意味は少ない。けど、それで)
 スランザールの考えの一端が、それで見えるかもしれない。
 スランザールは黙っている。レオアリスはベールを見たが、ベールがスランザールに代わって口を開く様子はない。
 憶測を含む騒めきはその間も収まる事無く続いている。レオアリスが、スランザールには今ここで語る考えはないのだと考えた時、トゥレスが口にした言葉が騒めきに影を落とした。
「まさか、ルシファーは、大戦の頃から西海と通じていたのではありませんか」
 柔らかい布を鋭利な刃で切り裂くような感覚があった。伏されているものを暴こうとする鋭さと、もう一つ、それぞれが目を背けようとしていたものを突き付けた事の鋭さ、その二つのもたらすもの故だろう。
 アスタロトは深紅の瞳を燃やし、激しい怒りと共にトゥレスを睨んだ。そしてもう一人、セルファンもまた傍らを睨む。だがトゥレスは二人の視線など気付かないように、スランザールを再度促した。
「スランザール殿、どうかお考えを」
「トゥレス、踏み込み過ぎだ、らしくない」
 詰問にも似た口調に少なからず懸念と――違和感を覚え、レオアリスは抑えた声でトゥレスを諌めた。スランザールがここで明らかにしようとしないのであれば、そこに考えがあるのだ。
 トゥレスの視線がレオアリスへ向く。ごく低い囁きが、漏れた。
「お前は、聞いているのか」
「――トゥレス?」
 答えはスランザールではなく、玉座から下りた。
「昔語りになろう」
 鋭く薄い白刃の茂みに手を差し込もうとしていたような、そんな感覚から解放され、ふっと広間の空気が和らぐ。
「両名の関わりが生じたのは大戦の前――、そして大戦の開戦と共に関わりは消えた」
(陛下――)
 レオアリスはスランザールとベールへ、素早く視線を走らせた。和らいだ空気とは裏腹に、スランザールの面に、微かな焦燥が浮かんだようにも、見える。
(――)
 黄金の瞳が薄明の空間を薙ぐ。
 息を詰める諸侯と、ベール、そしてスランザールを見渡し、王は口元に微かな笑みを刷いた。





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