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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第三章『陰と陽』


 ユージュは第一大隊の士官棟を出て、レオアリスの隣で仔犬がまとい付く様子を思わせる足取りで歩きながら、上気した頬で周りを見回した。
「王都って本当にすごいねぇ。レガージュより大きい街ってボク初めて見たから、もうびっくり」
 レオアリスと、それからクライフ、ヴィルトールと四人で連れ立って歩いていると、ユージュの素性を知らない隊士や正規軍兵士達が不思議そうな視線を向けていく。誰だ? という問いに、一昨日上将が戻った時に連れて来た娘らしい、という声が返る。
「祝祭、もっと遊びたかったなぁー」
「もう少しいられたら良かったけどな」
 ユージュ自身の希望で今日の昼、アルジマールの転位門を使って帰る事になっていた。これから第一大隊の午前中の劇を観て、ユージュの王都滞在はひとまず終わりだ。
「うん。でも、もう丸一日、父さんを独りにしちゃったし」
 寂しそうに落とした瞳を、すぐに明るく輝かせる。
「だからまた、父さんと来るよ」
「そうだな」
 レオアリスがユージュの頭を撫でると、ユージュはくすぐったそうに首を竦めた。ほんの少し、頬を染める。
「昨日はどうだった。グランスレイとフレイザーと、一緒に見て回って」
「楽しかった、すごく!」
 打って響くような答えが返った後、あ、と口を開いた。
「?」
「えと」
 黒い瞳が僅かばかり、躊躇いを浮かべて彷徨う。
「どうかしたか」
「うん――ボク、帰りに送ってもらった時、先に家に入って、それでフレイザーさんと副将さんが、ちょっと話してたんだけど」
 数歩後ろを歩いていたクライフがぴくりと肩を動かした。ヴィルトールがクライフへ視線を向ける。ユージュはクライフの物問いたげな、それでいて走って逃げたそうな視線に気付かず、ぽつりと続けた。
「帰ってきたら、フレイザーさん、何か元気がないみたいだった」
「フレイザーが?」
「うん――何かすごく……でも喧嘩しちゃったのかと思ってそう聞いたんだけど、何でも無いって」
「――今朝は」
 どうだっただろう。レオアリスが昨日の礼を言った時は笑っていた。
 クライフが後ろからユージュの肩に手を掛け、どことなく強い口調を発した。「ユージュ、フレイザーはどうして」
「ユージュ……!」
 遠くから思いがけない声に呼ばれ、ユージュは驚いて辺りを見回した。黒い瞳を大きく丸く見開く。
「――父さん!」
 大通りの脇の芝に降り立ったばかりの飛竜から、ザインが飛び降りる。
「ザインさん」
 レオアリスも驚いて足を止めた。その場にいた近衛師団隊士や正規軍兵士達は、ザインと呼ばれた男と、その男を父さんと呼んだユージュを、呆気に取られて見つめた。
「ザ、ザインって、レガージュの剣士――だよな」
「上将と同じ」
 レオアリスがザインと呼んだのだから間違いない。
「じゃあ、あの娘、こないだのレガージュの」
「俺が見た時は子供だったぞ。覚醒したって――成長もすんのかぁ」
 おそらく、この王都で剣士が三人揃ったところなど、見る機会があるとはレオアリスの部下の隊士達でさえ、誰一人考えた事は無かったに違いない。


「父さん、どうしてここに」
「レオアリスから連絡を貰った」
 ザインが眠りから覚めたのは昨日の夜明け前だ。伝令使がザインを待っていた。
 驚いているユージュを真っ直ぐ見つめたまま、ザインは通りを大股に近づき、厳しい顔でユージュを見下ろした。
「戦ったのか、お前は――」
 ザインの声には抑えた憤りが滲んでいる。瞳に揺らいだ光に、ユージュは息を飲み込んだ。
「父さん、ボク、その」
「――」
 両手を握り締め、ザインを降り仰ぐ。
「だって……! あいつが父さんの剣を!」
「そんな事はいい!」
 びくりとユージュは身を竦めた。父がこんな厳しい声を発したのは初めてだ。
「……だって」
 俯いたユージュをしばらく見つめた後、ザインは左腕を伸ばし、娘を抱き締めた。
「――無事で良かった……」
 伝わってくる力の強さと、それでいてその腕が僅かに震えている事に気付き、ユージュは瞳を落とした。
「ごめんなさい」
 それから、父が飛竜で、おそらくほとんど一日を飛び続けてここへ来ただろう事と、祝祭の華やかさに薄れていた一昨日のルシファーとの戦いの恐怖が安堵と裏返しに湧き上がり、ユージュはぎゅっとザインに抱き付いた。
「ごめんなさい……」
 ザインが左手でユージュの髪を梳く。
「もう黙って行くなよ、約束だ」
「父さんだって、同じ事したじゃない」
 ユージュは可笑しくなって笑い、ザインは返す言葉に詰まって眉をしかめた。
「でも、約束する。一人じゃ……」
 一度言葉を切って、息を吸い込む。
 父から身体を離し、ユージュはその顔を見上げた。
 もう会えないかとあの時思った。
「ルシファーが、怖かった」
「――」
「戦うのが怖かったよ」
 怖い、という言葉が生粋の剣士である父にどう響いたのかは判らないが、ユージュはそのまま続けた。
「怖いのは、ボクが半分だから?」
 ザインは僅かに戸惑い、ユージュの後方にいたレオアリスへ視線を流した。
 レオアリスも躊躇うように首を振る。
 怖い、と――
 そう感じた事はザインやレオアリスには無い。
「――自分を知っているんだろう。逆に言えば、それさえ判っていれば剣に呑まれる事もない」
 ザインはユージュを安心させようと、膝を屈め目線を合わせた。
「それにお前は、もう戦う事なんて考えなくていい。俺の剣はすぐ戻る」
 ユージュはじっと父親の瞳を見つめ、きゅっとその唇を引き結んだ。
「――ううん。ボクだって何かあったら戦いたい。剣士だもん」
 ザインの剣がいつ戻るか、確実な時期など判らない。ユージュは父を助けてレガージュの街を守りたいと、それもまた本気で思っている。
「それは――」
 ザインはややあって口を閉ざし、ユージュの頭に手を置いた。
「まあ今結論を出す問題じゃない、いいさ。それより、レオアリスに礼を言ったのか」
「そうだ――! レオアリスが来てくれたおかげで、ボク助かったんだよ。あの時のレオアリスは父さんよりもカッコ良かったな」
 頬を輝かせ、ユージュはザインの左手を握ると、レオアリスを振り返った。
「父さんより……?」
 ザインが不平気味の呟きを洩らす。
 ユージュは改めてレオアリスの前に立った。
「レオアリス、助けてくれて有難う。ホントにね、あの時死んじゃうかと思ってたから凄くホッとしたし、凄く嬉しかった!」
 元気の良さが可笑しくなってレオアリスは笑った。
「ああ。でもザインさんの言う通りだぜ。もう何も言わずに出てくるのは無しだ。絶対に」
「うん」
 ザインの手を握ったまま、もう片方の手でレオアリスの右手を握る。
「ボク、レオアリスのこと大好きだよ」
 興味津々周りに立ち止まっていた近衛師団隊士や正規軍兵士がどよめいた。
「レオアリスは?」
「俺も」
「ホント?! やったあ!」
 宝物を発見したようにユージュはぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「あ、この流れさあ」 ヴィルトールはのんびりした仕草で、傍らのクライフの肩をぽんと叩いた。
「何だ?」
 レオアリスを見上げ、ユージュが満面の笑みを浮かべる。
「じゃあじゃあ、ボク、レオアリスのお嫁さんになってあげる!」
「へぇ」
 うおおお! と周囲が湧き上がる。
 その声に掻き消されがちに、ヴィルトールは苦笑した。「ああ、やっぱり。いや、隊士達がいるし止めた方がいいんじゃないかと思ったけど、遅かったね」
「遅かったねじゃねぇ! アホぅ! つかユージュ!」
 慌てふためき、クライフはユージュの肩を掴んで振り向かせた。周囲の盛り上がりっぷりが物凄い。
「あのなぁ、お前今十歳じゃねぇの! 外見バリバリ花の乙女なの!」
「えー?! 何ー?! 聞こえないよー!」
「だーかーらー!」
 祝祭気分も手伝った歓声の中、ヒヤリと、白刃を喉に当てられるような空気が漂った。
「ユージュ……お前……」
 凍てつく冬のような空気がザインから漂ってくる。無責任な歓声がぴたりと止んだ。
「結婚なんてまだ早い! 父さんは許さんぞ!」
 周りに立ち止まっていた隊士や兵士達は、いきなり緊急の任務でも思い出したかのように踵を返し、ささっと一目散に走り去った。ヴィルトールがザインを眺め、腕を組む。
「あぁ、剣が復活しそうだねぇ」
「だからヴィルトール、てめぇ何でそんなに平和なんだ。あーせめてロットバルトがいりゃ良かった」
 兵達が走り去る前に上手く場を収めてくれたのに、と頭を抱える。あれでは今日の夜には噂が第一層全体に広まっていそうだ。
 ザインは面を蒼白にしてユージュの肩に左手を置いた。剣士としての精悍さはもうどこかに消えてしまっている。
「ユージュ! お、お前そんな、結婚なんてだめだっ」
「え? ボクまだ結婚しないよ。だってせっかく眠らなくて良くなったと思ったら、父さんが寝てばっかだし。まだ父さんといたいもん」
「――ユージュ……」
 ザインはあからさまに安堵の表情を浮かべた。そのザインを見て、レオアリスが笑い声を立てる。
「アハハ」
「上将……今どっか別の所にいましたか」
 クライフを振り返り、レオアリスは可笑しそうに口元を緩めた。
「いや、やっぱり女の子の父親って皆こうなんだと思ってさ。ヴィルトールもか?」
「私は娘に結婚なんて申し込むヤツは殺します」
「お前目がマジなんだよ怖ェよ」
 はぁ、とクライフは溜息を吐いた。
「俺って結構常識人だよな……ああ。――とにかく、今の冗談て事で収めていいっすね?」
「当たり前だ! 本気の訳がないだろう!」
「え、ボク本気だよー。ねえレオアリス、ボクじゃ駄目かなあ」
「ユージュ!」
「上将」
 レオアリスはほんの一瞬だけ、読み取れない色をその瞳に浮かべた。クライフがおや、と思う中、ユージュに笑みを向ける。
「まあ、レガージュでちゃんとザインさんから剣を学んで、今まで見て来なかったものを色々見て、それでもそう思ったらな。多分変わるぜ、そういうの」
「……変わらないもん」
「どうだろうな」
「ちぇ」
 ユージュは頬を膨らませ、唇を尖らせた。




「――驚いたよなぁ」
「何が」
 最終日午前の演目もそろそろ終わりに近づいている。舞台の袖から眺めながらクライフはしみじみ呟いた。客席は相変わらず娘達で一杯だ。
「何が」
 ヴィルトールが眼を細める。
「いや、さっき上将、結構マジで答えてたよな」
「ああ、やんわりした言い方だったけど、なかなか容赦無かったねぇ」
「全く全然そういう方面は疎いのかと思ってたぜ」
「あれだけはっきり言われたらなぁ、さすがに判るだろう」
 クライフは腕を組み、舞台上のロットバルトが台詞を言う度に湧き上がる悲鳴に近い歓声を面白くも無さそうに眺めた。
「ち……何だあのモテ方、腹立つわぁ。――やっぱアスタロト様が好きなんだと思うか?」
「まあそう思うよ、私はね。あのお二人はその域をずれてる気がしないでもないけど……」
 アスタロト様は最近違うかな、と付け加える。「だが上将はやっぱり、いつかはアヴァロン閣下の後を継いで王布を纏いたいだろう――」
「え、そりゃ当然じゃね? つうか今の話と関係あるか?」
「ああ、いや。……話が逸れた。悪いね」
 ヴィルトールの曖昧な答えに、クライフは呆れたように眉をしかめた。
 それから、楽屋を振り返る。グランスレイが今舞台に出ていて、フレイザーはこれまでいつも舞台袖から見つめていた。
「フレイザー、来てないな……」







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