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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第二章『風姿』


 扉はただの木材の板と真鍮の蝶番から出来ていると主張するように、微かに軋む音を立てて開いた。
 館に入った者が一番先に目にするのは、左右から優雅な弧を描いて二階へと続く一対の階段だ。正面には楕円の飾り硝子をはめ込んだ白い両開きの扉が、玄関広間と館内を区切っている。吹き抜けの広い玄関広間の床は白木の板が格子組に張られ、そこに玄関扉の上部にしつらえられた複数の窓から柔らかな陽射しが落ちていた。
 来訪者をそっと招くように、閑かで、気持ちの良い空間だった。
 恐る恐る覗き込んでいるヒースウッド達を尻目に、アルジマールは躊躇いなく踏み込むと、右手の階段に近寄った。上がり口の手摺りの横に、磨き上げた木の花台と青い花瓶が置いてある。花は活けられていなかった。
「ああ、良かった、ほぼ完璧だ」
 アルジマールは花瓶を持ち上げ、降り注ぐ光にかざした。
「こういう小物まで復元できてれば問題ないよ」
 アルジマールは花瓶を戻すと続いて正面の扉を開け、何の躊躇も無くすたすたと中へ入って行く。ヒースウッドは部下達に待機を命じ、急いで追いかけた。
 軍靴の底が白木の床に当たって軽く固い音を立て、予想していなかったその音に、ヒースウッドは束の間まじまじと床を見つめた。
 本物、に、思える。
「ううむ」
 二日酔いの朝のように目が回った。
 扉の向こうは短い廊下が伸び、左右に一つずつ扉がある。突き当たりには窓が一杯に広がり、青い空と彼方の水平線が見えた。廊下は窓の手前でまた左右に折れ続いている。
 アルジマールは左右の扉をそれぞれ開けた。客間と、食堂。
 食堂に入って、奥にあった扉をまた開く。
「院長?」
 そこは配膳室になっていた。壁にしつらえられた棚に食器が並んでいる。アルジマールは一番上の皿の表面を指の腹で撫でた。
「ちょっと埃被ってるな。あの先が厨房だね」
「厨房?」
「うん」
 配膳室を過ぎ、半円上の間口を潜ると、アルジマールのいう通り厨房があった。戸棚や収納庫を開けて回る。
 ひとしきり眺め、アルジマールは頷いた。「なるほどね」
 一階を全て見て回ると、アルジマールとヒースウッドは玄関広間に戻った。ヒースウッドの意識からは、もうこの館が法術で復元されたものだという感覚はすっかりなくなっている。
「じゃ、二階に行こうか」
 ヒースウッドにはアルジマールが何を考えているのか判らず、幾分声を上ずらせて尋ねた。
「アルジマール院長、その、どうなのですか」
「どう?」
 アルジマールはどうも一人だけ納得していて、それが余計焦りを覆えさせ、ヒースウッドは説明を求めてアルジマールの前に立った。立ちはだかる感じだ。
 何か、ルシファーとの関連を伺わせるものはあったのか、それが気になった。
 ルシファーが現われていない状態で、これ以上アルジマールが何か探し回る前に時間を潰したかったのもある。
「この屋敷は、一体」
「ああ、そうか、説明してあげなきゃね」
 アルジマールはそう言ったものの、立ち止まる時間が惜しいのかヒースウッドを迂回して右側の階段へ向かった。
「院長」と声をかけたが立ち止まる様子は無い。
「そうだなぁ……まず、これだけ早く、正確に復元できたのは何故だか判る?」
 右側の階段を昇りながらアルジマールは三段下のヒースウッドを振り返った。それでもまだヒースウッドの方が頭の位置が高い。
 ヒースウッドは面食らって首を振った。
「いえ、わたくしに、法術は、とんと」
 アルジマールはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「全く知らないの? ……まあ仕方ない。簡潔に話そうか。要するにこの館はね、時が止まってたんだ。多分、そうだなぁ――、少なくとも二百年はずっとだね。だからこの地に刻まれていた記憶も鮮明で、それを元に僕は短時間で復元ができた」
「に、二百年――しかし時が、というのを何故」
「術の最中からそうじゃないかと思ってたんだけど、確信を持ったのは中に入ってからだよ。どの花瓶も花は活けられてないし、食糧庫もすっかり空、水瓶も空。底に埃が薄ら積もってた。でも二百年分じゃあない。多分しばらく使ってなくて、その後保存したんだろう」
「保存……でありますか」
「何の為かな。――それでいて今、壊したのも」
 アルジマールは独り言のように呟いた。弧を描く階段を登り切り、白木の板張りの上に藍色の絨毯を敷いた廊下に立つと、左右を見回す。
 階段側は吹き抜けの玄関広間に面し、手摺が造られていた。反対の壁には扉が合わせて二つ、左側の奥は廊下が右に曲がっているのが見える。
「二階に書斎があればいいな。書物の刊行年で年代が判るし、書簡とかには名前があるかもしれない」
「アルジマール院長」
「何? まだ説明してない事あったっけ」
「いえ――、部下達を上がらせて宜しいでしょうか」
「構わないよ、君たちも好きに調べるといい。あ、ただし中の物を勝手に持ち帰らないでね」
 そう言い添えると、アルジマールは手前の扉からどんどん開け始めた。
「客間と、ここもか」 廊下を曲がって行く。「二階の中庭を囲んでる造りだな」
 ヒースウッドは階下の部下達に合図を送り、アルジマールを追いかけた。
 相変わらずルシファーが現れる気配は無い。
 もしかしたらルシファーが関わりを示唆したのは、ヒースウッドの思い違いではないかと思えて来た。
 廊下を曲がった先にもまだ廊下が続いている。南側は窓で、北側に二つの部屋が並んでいた。突き当たりにも扉がある。
 北側の、二つ目の部屋を覗き、アルジマールは嬉しそうに手を打った。「書斎だ」
 ヒースウッドはぎくりと身体を固め、それから走り寄った。
「院長――」
 覗いた部屋の中は、東西の壁に書棚が設えられ、正面は一面腰高の窓、その前に白家具の机が置かれている。窓の外には二階部分に作られた小さな中庭が見える。アルジマールはもう壁の書棚から何冊か書物を引っ張り出していた。
「やっぱりだ」
「な、何が……」
 呼吸を押さえて近づいたヒースウッドへ、アルジマールは書物の最初の項を開いて差し出した。
「多分一番新しい方の書物だよ。刊行は二百五十年前だ。でも見てほら、使ってる紙は数年しか経ってないみたいじゃないか」
「――」
 その通りだ。ヒースウッドは手渡されたその本の項をそっとめくった。後ろめたさを覚えたのは、それがルシファーのもので、彼女の一端を覗き見ようとしているように感じられたからだった。
「戦記――」
「そう。大戦の記録だね。僕も読んだよ、それ。ここにあるものは大体読んだな」
 書棚に並ぶ数百冊の書物の背表紙を、アルジマールは改めてぐるりと見渡した。
「ここ二百年来のものは無さそうだ」
 机に近づき無造作に抽き出しを空ける。
「ふうん、抽き出しの中は空か。室内にも書簡らしきものは無いね。調べるとしたら書物かな」
「ここの本をですか」
「うん、全部ね。一冊一冊見ていくしかないけど。――あともう一つ部屋があったな」
 アルジマールはすたすたと書斎を出て、廊下の突き当たりにある扉の前に立った。
 ヒースウッドと廊下に所在なく立っている正規兵達を振り返る。
「この部屋が最後だね。多分ここがこの館の主の部屋だよ」
 アルジマールの手が真鍮の把手を握る。
 ヒースウッドはその時、扉の下から静かに、風が流れ出しているのに気が付いた。





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