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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第二章『風姿』


 良く晴れた日で、緩やかな風が南から吹いている。
 春の祝祭三日目の今日、四月二十二日から三日間、王城では第一層を一般解放し、近衛師団や正規軍の出し物が始まる。とはいえその為の専門の場所がある訳でもなく、それぞれ城門の近くに広い天幕を張り内容に合った設備をしつらえるのだが、正規軍、近衛師団の各大隊の天幕が並んでいる中から、観客達は自分の観たいものを選んで入る事ができた。例年多いのは劇や飲食系で、劇は無料だから人気が高い。

 第一大隊の会場に向かう為、レオアリスが士官棟の玄関を出て五段ばかりの階段を降りた時、通りから声を上げこちらへ手を振る人物が見えた。
「大将殿、いいところで会った。ちょうど君を訪ねようと思ってたんだよ」
 かずきで顔は隠れていたが、声と灰色の法衣を纏った背格好が特徴的だ。
「アルジマール院長?」
 レオアリスはアルジマールが何故ここにいるのかと驚き、それから芝生を横切ってアルジマールに近付いた。
「そうそう僕」
「どうしたんですか? いつもほどんど法術院を出ない貴方が――こんな朝から。それに今日は、館の復元の為にもう出られたのかと」
 緑鮮やかな芝生の前庭のちょうど真ん中辺りでレオアリスはアルジマールと向かい合った。グランスレイとロットバルトが少し離れた場所で待っている。
「うん。これから出かける。多分今日中に終わるよ。その前に君に渡したいものがあってさ」
「俺に?」
 何かと見守る間にアルジマールは懐に手を突っ込んでごそごそと動かし、何かを掴んで引っ張り出した。服の前袷まえあわせから巻物やら触媒やらが二つ三つ、ごろんと足元に落ちる。
「ああ、落ちちゃった」
「……適当に突っ込みすぎじゃ?」
 多分今日の復元の法術が記されているだろうにとレオアリスが膝を屈めて落ちた巻物などに手を伸ばした時、首にぱさりと何かが掛けられた。軽い、革紐の首飾りだ。
「?」
 胸の半ばに掛かる革紐の先に、親指の先程度の長方形の銀板が括りつけられている。銀版には見た事の無い紋章が刻まれていた。
「護符だよ。あげる」
「護符? ――はあ」
 何の為の護符だろう、と首を傾げる。
「今からずっと、必ず常時身に付けててね。そこがすごく重要なんだ。判った? まあ、ちょっとした転ばぬ先の杖って言うかね」
「……判りました」
 別に邪魔になるものでもなくアルジマールが意味があると考えているならと、レオアリスは一度銀板を指先に挟んで眺め、承諾を示すように右手の中に握り込んだ。
 それを眺め、アルジマールはうん、と満足そうに頷き、手を振った。
「じゃ、僕ちょっと西海沿岸まで行って来るよ〜」
「いってらっしゃーい」と見送れと言うような軽やかさでそう言って、アルジマールはまた士官棟前の通りへ歩いて行った。
「復元の結果、よろしくお願いします」
 背中に掛けた言葉にアルジマールがまた手を振る。グランスレイとロットバルトはアルジマールを見送りながら、レオアリスの傍に立った。
「アルジマール院長は何を?」
「護符だってさ」
「護符?」
 レオアリスは銀板を示して見せた。ロットバルトが眉をひそめる。
「何故貴方に護符を?」
「さあ。いきなり渡された。まあ、何か理由はあるんだろう。今度時間のある時に聞こう」
「暢気ですね。アルジマール院長の事だ、単なる護符ではないでしょう。こちらから特に依頼をしていない以上、九割方彼に都合のいい内容だと思いますよ」
「そうだよなあ……」
 やや不安そうな面持ちでレオアリスは束の間じっと銀板を見つめたが、刻まれた見慣れない紋章からは読み取れるものがなく、持ち上げると軍服の襟の中に落とした。
 気になるが、不穏な気配は感じられない。
「まあ了承しちまったし、取り敢えず腹を裂かれなきゃいいか」




 その館はかつて、海面から高く屹立する岸壁の上にあった。今は館の痕跡をうかがわせるのは、足の長い緑の下草から遠慮がちに覗く白い土台だけだ。
 岸壁の上に立つと遮るものもなく、遠い水平線が見渡せる。右斜めの水平線上、微かに陽炎のように揺らぐ島が見えるが、恐らくここ三百年はほとんど渡る者は無かっただろう。
 何故なら目の前に広がるのは西海の領海、バルバドスの海だからだ。沿海の住民達は滅多な事がない限り恐れて漁の船も出さない。
 この辺り一帯はラクサ丘と呼ばれる地域で、高くそそり立つ頑強な岸壁が西海に沿って続いていた。その断崖は西海との境界をはっきりと示す為に作られたようにすら思える。
 岸壁をなぞるように左へ進んでいくと、三里ばかりで過たず西南の交易都市フィオリ・アル・レガージュに辿り着けた。
 右へ進めば、およそ百二十里、馬で四日の位置に西都バージェスがあった。西海との不可侵条約締結の地であり、条約再締結の際バージェスはアレウス国側の舞台となり、王が西海へ入る時はその入口となる。

 ヒースウッド達が息を飲んで見守る中、空間が青い空を抱いて歪んでいく。
 歪みながら淡い輝きを放つ膜の向こうに、どことも判らない、薄暗い部屋が見えた。
 灰色のかずきを被った頭がぬっと現れる。続いて上半身と膝、更に全身が現れた。
 アルジマールがすっかり芝の上に足を置くと、歪んでいた空間は何事も無かったかのように閉じた。残ったのは緑の芝とその上に広がるどこまでも青い空だけだ。
 第十代法術院院長、希代の大法術士――その姿は想像とは違って随分と小柄で、体格の良いヒースウッドの半分くらいしかない。これほど小さい体で法術を使うとはと、ヒースウッドは妙に感心した。
 アルジマールは被きの頭を巡らせた。
「君たちが第七大隊の護衛?」
 すっかり呑まれていたヒースウッドだったが、発っせられた声の予想外な幼さにも驚き、つい敬礼もなく頷いた。
「よろしくね。まあ君たちは大丈夫だから。僕も、  もいるしね」
 聞き取り難く、何の事かと尋ねる前に、アルジマールはヒースウッド達に背を向けて辺りを見回し、はしゃいだ様子で頷いた。
「あー、これはいいね。結構残ってるよ」
 ヒースウッドから見える被きに隠された横顔の中で、口元が笑みの形に吊り上がる。
「それに、大当り・・・だ」
 ヒースウッドはぎくりとし、思わず唾を飲み込んだ。
 大当りというそれが、何を差すのか、ヒースウッドには判る気がした。
 いや、その為にこそ、彼が今日ここにいるのだ。
 離反した西方公ルシファーの痕跡を見いだす為に。
(何が見えているのか――)
 ヒースウッド達には判らないルシファーの痕跡が、ここにあるのか。
 子供のような外見に侮るのはそもそも間違い――、相手は軽く三百年もの歳月の間法術を積み重ねた大法術士なのだと、ヒースウッドは改めて気を引き締めた。
「さて、早いところ始めるかな。君たち、一緒に復元されて困るものがあったら少し離れててね」
 そう言うとヒースウッドの返事を待たず、アルジマールは消失して土台だけが覗く屋敷跡を、ゆっくりと回りだした。
 唇から詠唱が零れる。何の準備も予備動作もなくアルジマールは術に入った。
 ぎょっとしてヒースウッドは部下達を振り返った。
「さ、退がれ――三間半……いや五間だ」
 小隊を退がらせヒースウッドも同じ位置まで退がると、百名の正規軍兵士達は、岸壁に打ち寄せる波音と軍旗を煽る風、そしてアルジマールの詠唱のみが響く中、緑なす岸壁の上に陽光の降り注ぐ、一見のどかとも言える光景を固唾を飲んで見守った。




 白い天幕がバタバタと風に煽られ音を立てる。中は木箱を並べて緩い傾斜をつけた二百席ほどの簡易な客席を造り、前方に一段高い舞台が据えられていた。
 舞台中央にクライフが立ち、客席に集まった隊士達に向かって声を張り上げた。
「いよいよ今日から三日間、一年に一度の大舞台だ! ここが我等が第一大隊の腕の見せ所だぜ!」
 クライフが拳を振り上げ、左右に並んだ今回彼の補佐をする三人の少将がそれに続く。クライフは今年も出し物の総責任者だ。
「いいか野郎共、やるからにゃ優勝狙うぜ! 気合い入ってんな?!」
 揃っていた数十名の隊士達がおおっ、と拳を上げて呼応する。
「三日間、死力を尽くせ!」
「おうっ!!」
「普段の訓練より気合い入ってんなー」
 舞台の端に立ってその様子を眺めていたレオアリスは感心して呟いた。
「クライフがですか、隊士がですか」
「いや、両方」
「自分で言ってるとおり、クライフには一年で最大の大舞台ですからね」
 ヴィルトールとフレイザーがそれぞれ笑ってそう言う。
「もういっそ祝祭担当中将にしましょうか、あいつ」
「やだ、似合う」
「祝祭担当中将……」
 確かにクライフには妙に似合う。
「俺は台詞を覚えるだけで精一杯でこの後憂鬱なのになぁ。結局何だかんだあってあんま練習もしてねぇし、何とか出番なくならないかな……」
 出し物の内容は紆余曲折あった末、無難な劇に落ち着いた。
 主役を努めるのはレオアリスではなく、クライフの部下の中軍少将だ。
 当初の案の主な役どころにクライフはレオアリスやロットバルトを考えていたのだが、紆余曲折の中でロットバルトに却下されというか見向きもされず、レオアリスにも辞退されて、じゃあ若手で、という事で決着したのだ。
 ただレオアリスとロットバルトが出ないのでは観客数に関わると、クライフは全く出ないのは断固とした承知しなかった。観客投票数の一番多い隊が優勝するのだからそこは絶対に譲れない。
 話し合いの結果、レオアリス達はほんの一部だけ出る、ただしそれなりの役で、という事に落ち着いたが、レオアリスは今月に入ってから謹慎を受けたから逆に主要な役でなかった事が不幸中の幸いでもあり、若手達のやる気も向上し、結果的に良かったと言える。舞台の大道具、小道具、衣装、ひと月ほど前から勤務の後、隊士達が熱心に作り上げてきた。
「土嚢積み大会とか大通り補修競争とかで良かったよな、軍らしいし実益も兼ねてて」
 そんな案も挙げられていた。特にグランスレイに受けが良かったが、やりたくても競って補修するほどの破損箇所がなく、断念された。
 要は何でも有りだ。
「まあやる奴等が楽しそうだからいいけどな」
「上将、ひと言お願いします」
 クライフに舞台の中央へと促され、レオアリスはまだほんの少し憂鬱な溜息を吐いた。




 詠唱を始めた頃はまだ斜めに掛かっていた太陽も、ほぼ中天に昇っている。既に二刻が経過しているが、ヒースウッドはそれを長いとは思わなかった。
 目の前に起こっている事を考えれば、当然だ。
 変化はすぐに現れた。
 アルジマールが詠唱しながら屋敷跡を一周回り切った時、白い石の土台から、地中から吹き上がるように光の壁が立ち上がった。
 始めは時折揺らぐ陽炎だったが、今では揺らめく事の方が稀になっている。
 驚くべきは、それらが窓や梁や、屋根を形造っている事だ。
 屋敷がそこにあるのが、良く判る。
 浅い山型の橙色の瓦屋根。広い窓、その上の破風の庇、そして同じ破風の庇の両側に柱を備えた玄関。
 次第にはっきりと見えてきたそれらは、今や手を伸ばしてみれば触れられそうだった。
「み……見た事があります。確かにあの屋敷だ」
 呻くように言った部下をヒースウッドはまじまじと眺めた。
「――素晴らしい、な。これが法術院院長の力か」
 声は少しかすれていた。
 汗ばむほどの強い陽射しが降り注いでいるにも関わらず、ヒースウッドは寒々しさを覚えていた。そこにある、ヒースウッド達には操る事も見る事すらできない、強大な力。
 もう程なく、術は完全するのではないかと思われた。
 ヒースウッドは何度目か、そっと視線だけを巡らせた。
(ルシファー様は、現われるのか……)
 未だその気配は無い。その事が焦りを抱(いだ)かせた。詠唱は途切れる事なく岸壁の上に流れ続けている。
(もう二刻もの間ずっと……何という精神力だ)
 アルジマールは手に巻物を一巻持っていたが閉じられたままで、何かを読む様子はない。彼の頭の中に全て収まっているのだろう。
(いつ終わる)
 どれほどかかるのか聞いておけば良かったと思った。
 窓が陽光を弾いている。
 風は立ち上がった光の館の外周を撫でるように吹いていた。そこに建物があるように。
 術はいつ完全するのだろう。
 あの中に入って――、何が見つかるのだろう。
(入れないかもしれない)
 頭ではそう思ったが、心が違うと言った。
 入る事ができ、手に取る事ができ、持ち帰る事もできる。
 アルジマールは王都へ、それを持ち帰るだろう。今日にでも。
 間違いなくそれは、ほどなく王へ伝わる。
(――)
 ルシファーが現れなかった場合、ヒースウッドは何をすべきなのか。
 じりじりと腹の底が焦げる。
 額には汗が浮かび、玉のように光っていた。


 次第に――、光が、薄れ始めた。
 それにつれ、屋敷は色と存在を濃くしていく。
 兵士達の誰かが呻いた。
「ああ――」
 屋敷だ、と。
 朝には白い土台を覗かせるだけの草原だった岸壁の上に、今は素朴ながら立派な館があった。
 橙色の瓦屋根は陶器で造られ、壁は白い漆喰で波模様に塗られている。窓枠や鎧戸は木材に松脂を塗っただけだが、より木そのものの艶やかさが引き立っていた。
 今は見ることのあまり無い様式だ。詳しい者が見れば、五百年ほど前に主流だった建築様式だと判っただろう。
「本当に――、復元した」
 別の兵士が呆然と呟く。
 屋敷の前に造られた花壇や菜園まで復元され、色とりどりの花が咲いていた。
 秋桜が見える。
 詠唱が途切れる。
 完成だ。
 アルジマールがヒースウッド達を振り返った時、ヒースウッドは恐ろしくて彼の目を見れなかった。
「さて」
 アルジマールは満足気に言った。
「これで完成だ。待たせたね」
「いえ――」
 首を振るのがやっとだ。
「まあ許してくれ、これでも想定よりずっと早く終わったんだ。状態が良かったからね」
 にこにこと笑う姿はまだ十代の少年のようで、屋敷一つを理解を越えた力で創り出すほどの力を持っているとは到底思えなかった。
「その、――この後は」
「もちろん入る。君たちはどうする?」
「わ、我々は……いえ、当然お供致します」
「うん、じゃあまあ入ろうか」
 アルジマールはくるりと踵を返し、玄関へ向かった。
「今すぐでありますか」
 ヒースウッドが驚くと、アルジマールはきょとんとして何で、と言った。
「いえ――その、少しお休みになられてからでは。その、昼食もまだでありますし」
「別にお腹空いてないし。あ、でも君たちお腹空いてるなら食べてていいよ。僕はもう、早く中を見たくて仕方ないんだ。中が完璧に復元できているかどうか、さすがに見てみないとね」





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