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王の剣士 七

<第一部>
〜見えない手〜

第二章『風姿』

十一

 アルジマールは再び室内を見回した。
 ルシファーがユージュに斬らせようとした飾り棚がやはり怪しくて、どこかに手記のようなものでもないかと先ほどから探しているのだが、まだ見つかっていない。棚には一番上に香水の瓶や陶器の花瓶などの細々こまごましたものがあるだけで、他の引き出しは空だった。引き出しの奥や棚板も触ってみたが、隠し場所などの絡繰りも無い。
「ううーん、何もないのかな――? でもじゃあ、何で壊させようとしたんだ?」
 何かがあるのだ、とは思う。
「さっさと見つけたいなぁ。復元を維持するのも結構疲れるし。僕頭脳だけで体力は自信ないんだよね」
 もう四百歳越したし、と独りごちる。
 だが一番の要因は、外的な力に揺さ振られている事だ。時折、ルシファーの風による大きな負荷を感じる。防御はしているが、それでさえ復元した屋敷の形が、その都度少しずつ削り取られていく。
 レオアリスが上手く逸らせてくれるのを期待するしかない。
「でも大将殿は斬らないだろうし」
 後々の展開を考えるのならここで斬るべきだと思うのだが、そもそも王がそれを命じていない。王が命じていない以上、レオアリスが斬ろうとしないのも仕方ないとも思った。
「王が命じたら、斬るのかな」
 レオアリスを押し留めている理由がそれだけではないように思え、アルジマールは一度外へ目をやった。
 その瞬間、館がどん、と揺れてアルジマールは「わぁっ」と声を上げ床に転がった。背中を打ち付け、自分で復元した木の床を恨めしく睨む。
「いたた……勘弁してよー、僕反射神経もそんなにないし骨だってすぐ折れちゃ――ん?」
 起き上がろうとして床に手をついて顔を起こした時、ふとあるものが視界に入り、飾り棚の下の隙間を覗き込んだ。
「額縁……絵だ」
 飾り棚の裏に落ちている。
 隠しているというよりは、落ちたまま放っておかれたように見えた。
 手を伸ばしてみたが床の隙間が狭くて届かない。ちょうど真ん中に落ち、飾り棚と壁に挟まれている。
 アルジマールは立ち上がり、飾り棚を動かそうと角に手をかけて力を込めた。古い造りの飾り棚はアルジマールより一回り大きく、ずっしりと重量がある。
「う……重いなー」
 あっという間に息が切れ、一旦手を休めると、アルジマールは酸素を求めて深呼吸を繰り返した。
「大将殿に頼もうかな」
 ふざけるな、とレオアリスは言いそうだ。
「あの子ちょっと怒ってたもんな。はー、正規軍のあの大きい人に残ってもらえば良かった」
 愚痴のように零しつつ、もう一度歯を食い縛り、アルジマールにとっては最大の力を振り絞ってようやく、壁との間に腕が何とか入るほどの隙間を開けた。
 引っ張り出した額縁を覆う埃を払う。絵は額縁を入れて一尺四方の大きさで、一人の青年が描かれていた。
 眉を寄せ、顔を近づけてじっと見つめる。
「――あれ、これ……誰だっけ」
 色褪せて所々かすれてはいるが、見た事がある。
 ためつすがめつ絵の人物を眺め、やがてアルジマールは小さく息を呑んだ。
「――思い出した」


「っ――」
 
 手足を貫いた痛みに眉を顰めながら館に視線を走らせる。アルジマールの防御陣があるのか、館はレオアリスの光の膜と同様に一瞬白く発光し、また元の状態に戻った。
 息を吐き、レオアリスは再びルシファーに視線を戻した。
 狙いが館なのかレオアリス自身なのか、正規軍なのかが判断しにくく、その都度対応に振り回される。正規軍の介入はレオアリス達にではなく、ルシファーにこそ有利に働いている。
(あの指揮官、状況を理解してんのか)
 正規軍が退く気配は無い。
 ルシファーが頭上に左手を上げる。風が渦巻き、今度は正規軍へと襲い掛かる。
 真後ろにいた十名ほどが風に巻き上げられ、草地に叩き付けられる。
「第七軍、退け!」
 もう一度叫んだが、風の音に掻き消され正規兵へは届いていないようだった。
「くそ、先に退かせねぇと――」
 レオアリスの身体が浮き上がる。
「うお」
 次の瞬間には、地面に叩きつけられた。
「――っく」
 受身を取ったものの背中を強かに打ち付け、息が詰まる。落ちたすぐ先に、まだ意識を失ったままのユージュが横たわっていた。
 風切り音が鳴る。レオアリスは咄嗟にユージュを抱え、飛び退いた。たった今二人がいた地面を無数の風の刃が穿つ。
 どこかにユージュを降ろそうと見回した所へ、再び風の刃が叩き付ける。
 腕や足がすぱりと裂け、風が血の滴を散らす。
 再び迫った風の刃を剣で断ち切る。
 その向こうで正規兵達が倒れるのが見えた。
 後方でアルジマールがいる館が風で軋む。
 ルシファーが操る風は四方で吹き荒れ、レオアリスを嘲るようだ。
「切りが無い――」
 右手の剣が鳴る。
 斬ればいい、と――
 レオアリスはぐっと唇を引き結び、ユージュを抱えたまま身体を捻り、館を取り巻く風を断った。
 同時にレオアリスの剣が断った館の一角も消滅する。
「! マジかよ――」
 ルシファーの笑う気配が吹き荒れる風に混じる。
「気を付けないと、アルジマールごと無くなっちゃうわよ」
 ルシファーへ斬り込もうとした正規兵が風に弾かれる。正規軍の損害ははっきりとは判らないが、立っている兵士は半分近くまで減っていた。
 未だ正規軍が退こうとしない事に、レオアリスは苛立ちを覚えた。
 既に指揮統制も無く混戦に陥り、このままでは兵に被害が出るだけで何の意味が無い。将が判断して退かせるべきなのだ。
「全滅させるつもりか――アルジマール! まだ見つからないのか!」
 上空でルシファーが両手を広げる。
 彼女を中心に、風が渦を巻く。巻き上げられた石が一瞬で砕かれ砂になった。
「カイ」
 呼ぶと同時に黒い鳥がレオアリスの右肩に止まり、黒い瞳がぱちりと瞬いた。レオアリスはユージュを下ろし、カイへ彼女を示した。
「この子を守れ」
 カイは一声鳴くと、艶やかな黒い翼を広げた。翼がぐうっと広がり籠のようにユージュを覆う。
「頼んだぜ」
 レオアリスは素早く全体を眺めた。まずは館への攻撃を防ぐ事と――、正規軍を退かせる事だ。
「――」
 地面を蹴る。
 この混戦状況を制するには、ルシファー自身への攻撃で風を止めさせるしかない。
 光の帯を引いて剣が奔る。
 ルシファーはくるりと剣の正面へ身体を向け――身体に纏わせていた風を、消した・・・
「!」
 ルシファーを斬り裂く寸前、レオアリスは剣を引いた。
 すれ違いざまルシファーの笑みを捉える。
「そこまで甘いの?」
 防御を消せば逆にレオアリスは剣を引くと、完全に見透かした笑みだ。
 レオアリスは草地に降り立ち、ルシファーを振り返った。
 風はルシファーの周りから消えただけで、館や正規軍への攻撃が弱まる気配は無い。
 甘い――
 それは良く判っている。ルシファーを斬ると、そう選択するだけで状況は変わる。
(……王のご下命は)
 言い聞かせるように呟きかけ、ふと、レオアリスは口を閉ざした。
『その場にいながら捕える事も斬る事もなく見過ごしたのは、そなたの落ち度だ』
 謹慎を受けた時の王の言葉――それがまざまざと脳裏に蘇る。
「――」
 レオアリスの視線が戸惑って揺れ、剣に落とされる。
 その戸惑いが消えないままに剣の柄を握り直しかけた時、草を蹴る音が聞こえ、次いで声がした。
「大将殿! 私も」
 振り返った先で正規軍の指揮官が駆けてくる。
「必要無い! いいから早く部下を退かせろ」
 ルシファーがヒースウッドへ手のひらを向けた。
 風が円盤状に渦を巻き、駆け寄るヒースウッド目がけて奔る。
「っの」
 レオアリスは駆け寄るヒースウッドの直線上に立ち、目前に迫る風へ剣を薙いだ。
 白刃が風の円盤を捉え、真っ二つに割る。
 割れた片方の風の刃がレオアリスの左胸から肩を裂き、消えた。鮮血が吹き出し草地を濡らす。
 レオアリスは一歩よろめき、傷口に視線を落とした。
 あと僅かで心臓に達するほど深い。
「大将殿!」
 駆け寄ったヒースウッドに左手を伸ばし、襟首を掴んだ。
「名は!」
 レオアリスの傷にぎょっとしながらヒースウッドが反射的に直立する。
「だ、第七軍中将、ヒースウッドであります!」
「ヒースウッド中将、兵達を退かせろ!」
「し――しかし」
「お前が兵の命を握ってる。退かせろ」
 ヒースウッドにはレオアリスとは正反対の、ルシファーへ助勢するという内心があった。
 ただレオアリスの眼光の前に、ヒースウッドは押されるように頷いた。
「しょ、承知しました」
 レオアリスはヒースウッドの肩を押し、ルシファーへ向き直った。ヒースウッドはちらりとルシファーへもの言いたげな視線を走らせたが、それでも二人へ背を向けると駆け出した。
 遠ざかる足音と兵を呼ばわる声を聞きながら、レオアリスは一度ゆっくり息を吐いた。
 ヒースウッドにああ言ったものの、結局自分がやっている事も大差が無い、と思う。
 そもそもレオアリスがあの時ルシファーを捕えていれば、今のこの状況も無かったはずだ。レオアリスが今選ぶべきは、個人の感情ではなく、ここにいる兵士達の命だろう。
 既に充分危険に晒している。
「――」
 ルシファーは面白そうに状況を眺めていたが、くすりと笑って口を開いた。
「さすがにその傷、治るまでに少し時間がかかるでしょう。退かせる間保つかしら」
「――すぐ終わる」
「あら、やっと私を斬る気になったのね」
 レオアリスが剣を握り直す。白刃から立ち上がる青白い陽炎が全身を包んだ。
 一歩踏み出そうとした時、場違いに明るい声が降りかかった。
「大将殿、やっと見つけたよー」
「アルジマール院長!」
 アルジマールがレオアリスの隣に降り立つ。
 レオアリスはようやく、安堵に息を吐いた。アルジマールは両手に板のような物を抱えている。
「それは」
 アルジマールへ視線を向けながら尋ねようとし、レオアリスはばっと顔を戻した。
 空気が、変わった。
 ルシファーの瞳に、初めて、凍えるような怒りが湧き上がる。ゆっくり、アルジマールへと手を差し伸べた。
「――それを渡して、アルジマール。あなたには必要無いものよ」
「ああ、大当たり? ここに描かれてる彼は」
 凍えるような感覚が背筋を走る。
「アルジマール……!」
 レオアリスが草を蹴り、アルジマールの身体ごと抱えて草地に倒れ込んだ。
 たった今二人がいた空間を、笛を鳴らすような鋭い音が通り過ぎた。
 その向こうにあった館の、上半分が掻き消える。
「ああ、あれじゃもう復元できない」
 アルジマールが悲しそうな声で呟くのを半ば呆れと共に聞きながら、レオアリスは身体を起こした。
「そんな事言ってる場合じゃない」
 ルシファーの激しい怒りが皮膚を撫でるようだ。
 瞳と同じ暁色の光がルシファーの身体を取り巻いている。
 風の唸りが、次第に大きくなっていく。周囲の空気がルシファーへと収縮していくように思えた。
「――」
 レオアリスは立ち上がり、左手を鳩尾へ当てた。右に提げた剣が輝きを増す。
 左手がずぶりと沈み、青白い光が零れる。
「君」
 二刀目を出すのだと気付いて、アルジマールは被(かず)きの下で息を呑み、そして僅かに身を乗り出した。その意味するところがアルジマールにも判る。
 レオアリスは二刀目の剣を引き出し、軽く振った。今までとは全く別種とすら言える、肌に叩き付けるような圧迫感にアルジマールは思わず一歩後ずさった。
「すごいな、二刀――」
 レオアリスは左右の手に剣を提げ、ルシファーと向かい合った。暁の瞳と真っ直ぐ視線を合わせる。
 ルシファーとレオアリスと、それぞれが放つ空気が互いの領域をせめぎ合い、大気が極度に緊張している。
「アルジマール院長、転位を――まずは正規軍をボードヴィルへ。それからユージュを」
 アルジマールは絵を左手に抱え直した。
「悪いけどボードヴィルは良く知らないよ」
「どこでもいい。ここから離れてれば」
「兵が散らばってて地道にやるしかないから時間がかかるけど、いいかな」
「保たせる」
「じゃあ頼んだ」
 アルジマールは被きの中の瞳を半ば伏せ、一言二言呟いた。
 彼の前に光の法陣が浮かぶ。
 法陣の中には幾つかの光点があった。今は五つ――ちょうどアルジマールの前方で倒れている兵士の数だ。
 アルジマールが法陣に指先で触れると、五つの光点はふっと消えた。
 倒れていた兵士が消える。
「――本当に地道だな」
 レオアリスは呟いて、地面を蹴った。







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