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第5章 帰る

6 鏡の中


 

 最後に残ったレイノルドへ、ラウルは向き直った。
「レイも。色々とありがとう」
「別に、お前の為に何かしたわけじゃない」
「素直じゃないなぁ。昔は俺に褒められたくて」
 あ。
 血管切れそうになっている。
 これ以上はやめよう。
 俺にもちゃんとそういうことが分かるようになった。これが成長か。ふふ。
「なあ、レイ。君に渡したいものがあるんだ」
 レイノルドを手招き、ラウルは鍛治小屋へと入った。
 炉の奥の棚を開け、その中に立てかけてあったものを取り出す。
 一振りの剣。
 剣身が三尺(約90cm)ほどの両手剣だ。
「師匠の剣だよ。他は生活費のために手放したけどこれだけ、残しておいた」
「良いことのように聞こえそうで聞こえない……」
 レイノルドが不思議そうに呟いている。
 ラウルは飾り気のない鞘から剣を抜き、澄んだ剣身を水平に寝かせてレイノルドへ差し出した。
「君に使ってもらいたい。いつか師匠の剣を使いたいって、君ずっと言ってただろう?」
「――」
 レイノルドはしばらくの間、冴えざえとした見事な長剣を見つめていたが、ふん、と鼻を鳴らした。
 何かアレだな、猫みたいだな。
「遠慮する」
「え、でも」
「俺もまだ未熟だ。当面はお前の打った剣を使ってやる。街でせいぜい宣伝してやるさ。俺が使ってれば注文も少しくらい入るだろう」
「えっ本当?」
 じゃない。
 注文が入れば嬉しいけれど。
「無理しなくていいんだよ」
「お前な……」
 もっと自尊心を持てよ、と呆れたように眉間に皺を寄せ、レイノルドは壁に掛けてある剣へ歩み寄った。
「どの剣がいいか。フルゴル、はここにあった方が役立ちそうだしな」
 街で抜くには明る過ぎる、と言う。
 それは同感かも。まあもう俺、暗い森なんて歩かないけどね。
「なら……」
 ラウルが見回した先で、優美な剣身を持つ剣が一振り、ガタガタと身を揺らし始めた。
「なっ、何だ?!」
 ぎょっとしてレイノルドが身を引く。
『リトスリトスー。落ち着けー』
「リトス――? 落ち着け?」
「あ、リトスリトスだよ、その剣。綺麗自慢で綺麗好きで褒められ好きでちょっとというかかなり嫉妬深いみたい。レイに選んで欲しいみたい」
 セレスティに夢中だったはずなのになぁ。
 惚れっぽいんだな。
「お、俺に?」
 何かさらっと怖いこと言ってないか? とレイノルドが睨んだが、ラウルはニコニコ笑みを返した。
 レイノルドは胡散臭そうに鼻に皺を寄せ揺れている剣を見た。
『あんたを守ってくれるぞー。惚れっぽいけどなー』
 ヴァースが畳み掛ける。
 決して悪質な押し売りでは無いので安心して欲しい。
「惚れ……?」
 更に胡散臭そうに首を傾げ、それからまあいいか、と、レイノルドは素直にリトスリトスに手を伸ばした。
 いいのかな? とラウルは思ったが口にしなかった。
 リトスリトスがとても嬉しそうな表情をしている、気がする。
「レイ。またいつでも、遊びにきていいからね」
 レイノルドはものすごく嫌そうな顔をした。





 ラウルの住まいを離れ、森の中をレイノルドは歩いていた。
 太陽が上がるにつれ気温も上がり始めたが、まだ森の中には涼やかでやや湿った香気が漂っている。
 半刻ほど歩いてレイノルドは足を止め、辺りを見回した。
 誰もいないことを確認し、鞄の中から手鏡を取り出す。
 白竜からもらったものだ。

『その鏡はそなたが知りたいことを、教えてくれるだろう』

「――」
 銀で縁取られた、手のひらを広げたほどの大きさの鏡だ。
 覗き込むと、自分の目が視線を返してくる。
 その目は恐れている。
 知ること。
 そして、欲してもいた。
「――知りたいこと、か」

『真実を』

 教えられたわけでもなく、それ・・を思い浮かべながら鏡の表面に触れる。
 映っていた自身の姿が揺れ、溶けて渦を巻いた。
 混じり合った複雑な色の中から、新たな像が浮かび上がる。
 良く知った姿――
 レイノルドの
「父さん……」
 父、セルゲイの姿。
 あの時――ラウルの父、アルバートが死んだその日、その時間。
 あの時、レイノルドは館にいなかった。
 父は、どこにいたか――
 鏡の中に浮かび上がった父は、一人机の前に座り手にした書類を睨んでいる。
 室内――
 移り住んだばかりのイル・ノーの館。その書斎だと分かった。
 オーランド子爵邸があるロッソの街からは、馬で半日ほど。
 父が手元の書類をめくる。
 小さくてよく見えないが、内容は分かった。
 オーランド子爵領の、その年の作高を記した帳簿。
 次にレイノルドは違う場所へ想いを巡らせた。
 ラウルの父、アルバートへ。
 鏡の中の景色は変わり、屋外へと移る。
 雨が降っている。強い雨。
 川縁、土手の近く。
 叩きつけるような雨の中、一頭の騎馬が近付いて来る。
 レイノルドは自分の鼓動が高く、早くなるのを感じた。
 川に沿って曲がりくねる道には、川と反対側に低い木が茂っている。
 今にも、そこから、誰か飛び出すのではないか。
 アルバート・ヴォルフ・オーランド子爵を襲うために、黒い装束に身を包み、鈍く光る剣を構えて。
(父さんが、叔父上を――)
 二人は領地の運営について諍いをしていた。
 あれほど助け合っていた二人の間には、修復しようのない亀裂が生じていた。
 父セルゲイはラウルの父アルバートを見限り、イル・ノーへ居を移していた。
(だから)
 けれど。
 父の雇った暴漢が飛び出すことはなく、アルバートを乗せた馬は雨の道を進んで行く。
 じっと鏡の中を見つめるレイノルドの瞳を、ふいに光が突き刺した。
 それが鏡の中から発されたと気付き、そして雷が落ちたのだと理解する。
 馬が土手に倒れている。
 アルバート・オーランド子爵は斜面を滑り落ち、増水した川へと落ちた。
 振り返った従者が、斜面を慌てて駈け下りる。

「――」
 レイノルドは鏡の柄を強く握りしめた。

『真実を』

 自分の見たいものを見たのではないと、レイノルドに証明できるわけではない。
 だが、向き合った白竜の深い青い瞳。

 呼吸を忘れていたことに気づき、レイノルドはゆっくり――、ゆっくりと、息を吐いた。













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2023.10.8
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