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第5章 帰る

7 へっぽこ鍛冶師の日常


 


 五月も末に近づき、くらがり森の中でも夏の兆しが感じられるようになった。
 樹々の梢の間から零れる陽射しは、緑の葉や朝露に弾かれきらきらと光を散らす。
 少し動くと薄っすらと汗ばみ、時折抜けていく風が肌に心地良い。
 最近は堂に入ってきた薪割りを朝の内にすませ、半分とちょっとを薪小屋に積む。残りは鍛治小屋だ。
『そろそろ新しい剣打たねーのかよー』
 ヴァースを腰に帯びるのが日常になってしまった。
 ほんの十日ほど前の賑やかさが懐かしく、今となってはヴァースが会話できることに感謝しているくらいだ。やはり話し相手がいるのは違う。
 側から見ると一人で喋っているのだが。
「まあお客さん来ないし」
 とヴァースと自分との両方に答える言葉を返す。
『お客が来てから打ってたら間に合わねーだろー。セレスティとレイノルドが外で宣伝してくれてんだからさー。そのうちわんさかお客が来るんじゃねーのー』
「毎日それ言ってるんだよねー」
 一人も来ない。
 その間アデラードとエーリックが二度ほど来てくれたが、街でラウルの剣が噂になっているかというと、良い方でも悪い方でも特には聞こえていないとのことだった。
「もう……来ないかもね……」
『元気出せよー。きっと来るってー。最悪来年、セレスティが王都の御前試合で優勝すりゃあよー』
「うう。それまでに飢え死ぬかも……」
 これから爽やかな夏になるというのに、懐が極寒だ。
『じゃあなおさら無難な剣打って少しでも小銭稼がねーとー』
「無難な剣が俺に打てるのかな……」
『まったく、うじうじしてんなー』
 ヴァースがいてくれてよかった。
 何だかんだ言ってもラウルのジメジメ俯き加減に常に変わらず付き合ってくれる。
「レイだったら眉間に絶壁ができてるな……」
 あらかた薪を積み終えると、残りを積んだ一輪車を押し、ラウルは薪小屋から小さい畑を抜け、鍛治小屋へと向かった。
「前はこの一輪車もうまく押せなくてすぐ倒しちゃってさ」
『ご主人には難しいかもなー』
「二輪にしようかなって思うんだけど、畑の間を抜けにくいんだよね」
『畑の位置変えるのも、ご主人には大仕事だもんなー』
「その間に井戸もあるしね。家とさ、井戸と、風呂と、鍛治小屋と、全部離れてるのどうなのかな」
『一棟にしようと思えばできるだろうけどご主人一人じゃ無理だろうしなー』
 ふふ。
 やればできるからやれと言われなくて心地良い。
『駄目なこと考えてねーかー』
「ぜんぜん考えてないよ!」
 一輪車を押して鍛治小屋の扉の前に止める。
「まあでもそろそろ、ほんとに剣を打ち始めないととは思ってるよ」
 扉を押し開ける。
 薄暗い小屋の中に、開いた扉から、ラウルの姿を切り取って陽光が差し込む。
 土の床。
 押された空気に舞い上がった埃が、陽光の中にゆっくりと舞う。


 明け方だった。
 奪われたオルビーィスを追って、ヴァースと、フルゴルと、夜の森で無謀な冒険をした。
 あの時、帰り道、足が重かった。とっても。
 一歩踏み出すごとにもう一歩も歩くことができないと思い、よく家まで辿り着けたと我ながら感心する。
 ふらふらになりながら鍛治小屋へ、入って――
 ――ぴい!
 ばさりと、翼の音と共に白い影がラウルの肩に降りた。
 白い透き通るような鱗、まんまるな青い瞳。
 飛んでいってしまったと思っていた。
 目的は果たしたから、それでいい。
 けれど。
 覗き込んでくる子飛竜の、青い目を見つめた。
 光に照らされると空色に澄みわたる。


 ラウルは一輪車を押して鍛治小屋に入り、炉のそばに薪を積んだ。
 剣を掛けてある壁の前に立ち、挨拶代わりに彼等を眺める。ノウムとリトスリトスを譲ったので少し寂しくなった。
 フルゴルが明るく輝き出すのは毎度のことだ。
 フルゴルの灯りに照らし出された炉には、今は火が入っていない。
 鍛刀台、研磨台、水桶。鋼を入れる木箱。金槌や鉄鋏、ヤスリや革など道具類を突っ込んだ棚。
「まず、鋼採取からやらないとなぁ」
 ちょっとサボっていたから手元には一本分の鋼もない。
『よーし、ご主人、今日は鋼掘りに行こうぜー』
 ヴァースが明るく言い、今日の重労働を思いラウルは肩を落とした。


 一息つくと行きたくなくなるので、ラウルはツルハシなど採掘具一式を背負い籠に入れ、昼食と蜂蜜酒と水を揃えるとすぐ、くらがり森の小道を歩いて坑道へと向かった。
「今度こそ、売れる剣を打ちたいなぁ」
 衆目の中でも気にせず使える剣を。
 セレスティやレイノルドがラウルの剣を宣伝してくれて、客が殺到する前に。
「お客さん、大勢来すぎちゃったらどうしよう」
 押さないで押さないで。
 皆さんの分、充分にありますから。
「ぐふふ」
 そんな、名鍛治師だなんて、俺なんてまだまだ。
「ぐふふ」
『ご主人、気持ち悪いぞー』
 爽やかな森の中を妄想を膨らませて歩き、きりよせ川辺りを抜け、二刻弱で坑道に着いた。


「どっこいせぇ!」
『どっこいせー』
 ガツン!
「どっこいせぇ!」
『どっこいせー』
 ガツン!
「どっこいせぇ!」
『どっこいせー』
 ガツン!
「どっ、こいせぇ!」
『どっこいせー』
 ガツ、ン!
「どっこい、せぇ……」
『どっこいせー』
 ガツ
「どっ……こい……せ……」
『どっこいせー』
 カツ
「どっ……」
『どっこいせー』


 二刻ばかりツルハシを振るい、一貫(約3kg)ほどを採掘すると、背負い籠に積み入れる。
 さあ、最後の苦行だ。
 重量を増したこれらを担いで家まで帰ること。
「どっっっ――、こいせぇ!!」
 と担ぎ上げ、ラウルは苦しい息を吐いた。
「こ、これが無ければ尚、いいんだけどなぁ。ヴァース君、俺の身体動かして」
『がーんばれーがーんばれー』
 まあうん。
 分かってるんだけどねうん。
 うん。
『レイノルドに頼めばいいじゃねえか』
「そうだね、今度はレイに頼もう」
『そこはふつう、“いやいやヴァース、自分のことだから自分でするよ”、とか遠慮するもんじゃないのかー』
「レイに頼もうー」
 坑道を出て、入り口にしっかりかんぬきと鍵をかけると、ラウルは重い荷物を背中でゆすって背負いなおし、ふう、と空を見上げた。
 覆い被さるような樹々の枝の向こうに青い空が広がっている。
 昼も過ぎているがまだ空は澄んで明るく、とても良い天気だ。


 緩やかな傾斜の道をしばらく降ると、小道はきりよせ川に行き当たる。
 ラウルでも飛び越せるほどの幅しかないが、きりふり山から流れ出て、森を抜け、ボードガード竜舎のあるキルセン村に流れを供給しつつ、ミスノル平原を南下して流れていく川だ。
 どこまで流れていくのか、きっとどこかで他の川と合流して雄大な流れになっていくのだろう。
 きりふり山の山肌に染み込んだ雨水は地下水となって、ラウルの家の井戸も潤してくれている。
 ラウルは川のそばに立ち、開けた空を見上げた。
 高く伸びる枝の向こうにきりふり山の山頂が見える。
「――」
 切り立つような山頂は雪を纏っている。
 山肌は険しく、急峻だ。
「俺たちがあんなところを登って行ったなんて、今考えても信じられないなぁ」
『途中までとは言ってもなー』
「もう二度と、登らないだろね」
『どうだろうなー』
「いやいや、登らないよ、誓って」
 背負っていた籠を下ろし、重量から解放された可哀想な肩を回す。
 背中をうんと伸ばし、肺に溜まっていた息を盛大に吐き出した。
「ふはあー!」
『あと半刻、がんばって歩こうぜー』
「何度も言うけどさ、ほんとにヴァースが俺の足を動かしてくれたらなぁ」
 諦めきれない。
『応援してやるぞー』
 重い荷物を担いで歩いてきた上、行きよりも暑さが増していて、すっかり汗をかいている。
 冷たい水に足首でも浸そうと、ラウルは革靴の紐を解き、裸足になって小川へ入った。
 指先や足首を撫でて流れていく水が心地良い。
 ラウルは澄んだ水の流れから目を上げ、深呼吸するように、言った。
「ここで、拾ったんだ。話したっけ、ヴァース」
『何度も聞いたけど、この場所を見たのは初めてだなー』
「卵の状態でさ」
 ヴァースは答えないが、耳を傾けているのは分かる。
 耳があるかはともかく。
「一里以上も転がり落ちてきたなんて、びっくりだよね。それで怪我がなかったの、すごいよなぁ」
 ――伝説の竜になる
 うん。
 そうだ。きっとなるだろう。
 ラウルよりも遥かに長い生を生きて、ラウルがこの世からいなくなって、数百年後か、千年後か。
 宝玉に例えたその名が、この国の歴史の一つに刻まれるのだ。
「俺を、覚えてくれているといいなぁ」
 記憶のほんの僅か、片隅にでも。
『覚えてるさー』
 ヴァースがのんびりと言う。
「うん」
溜まり・・・って、あれかー?』
 どうやって周囲を見ているのか、ヴァースの声にラウルは首を巡らせた。
 左の川岸の、一角が流れにより削られて、水が渦巻くように滞留している場所だ。
「うん、そう。あそこに白い卵が浮いてて――」
 ゆらゆらと。
 ラウルは目を見張った。
 白い塊が、流れ溜まりに浮いている。
「え、また卵――」
 なあんて。
 そうそうあるわけが無い、と首を戻そうてして、
「わぁあ!?」
 見間違いではなく、確かに。
 白い。
 けれど卵じゃない。
 ラウルはたっぷりふた呼吸分、呼吸を止めた後、我を忘れて川の中を駆け出した。
 苔むした川底の小石に足を滑らせ、腹から川に倒れ盛大に飛沫を上げる。
 顎やら肘やら痛かったが、それも全く気にはならなかった。
 視線の先で、川の中にぷかぷかと浮かんでいる、真っ白な――
「なっ、な、な……」
 子竜。
 流れ込む水が緩やかな渦を作り、その渦の中で首だけ出してくるくると回っている。
 回りながら何度か、目が合った。
「ぴい!」
 とにかく駆け寄って川の中に膝をつき、急いで翼の下に手を入れ、ラウルは子竜を川面から抱え上げた。
 零れる水が陽光を弾いて辺りに光を散らす。
「何やってんの君っ、オ――」
 いつから浸かっていたのか、真っ白な綺麗な鱗がすっかり冷えている。
「オルビーィス!」
 陽射しを受けて、空色の瞳がくるりと瞬く。
「ぴい!」

 ――会いにきた!

 声が流れ込む。
「会いに――」

 ――ラウル

 ダメじゃないか、山を降りてきちゃ、まだ君は小さくて、いくらこれから伝説になろうと言ったって、何があるかわからないのだから、と。
 厳しく言い聞かせようとして――
 ラウルはオルビーィスを抱きしめ、言葉にならないまま仰向けに倒れた。
 もう一度、盛大に上がった水飛沫が、梢から降り注ぐ陽光をきらきらと弾いた。













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2023.10.8
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