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第5章 帰る

 5 またいつか


 


 二頭の竜が、抜けるように青い空を、真っ白な鱗の軌跡を重ねて心地良さそうに飛んでいる夢を見た。



 ラウルは鳥の囀りで目を覚ました。
 室内は鎧戸の隙間から差し込む細い光だけでまだ薄暗く、静かだ。
 起き上がり、まだぼうっとした頭で居間を見回す。セレスティとレイノルドが雑魚寝をしていて、グイドの姿はない。もう起きているのかな、と玄関に目を向けた。
 寝室にも物音はないからリズリーアとヴィルリーア、クリスタリアはまだ寝室で寝ているのだろう。
 ラウルは額に手を当てた。
「うう、あたまいたい……」
 動かすと痛むし、目の周りもごわついている。
「昨日……うう、昨日……」
 記憶を辿りつつ、ラウルはまだ寝ている二人を踏まないように歩き、玄関をよろめき出た。
「目が覚めたか」
 井戸端にいたグイドの声が掛かる。
「おはようございます……」
 ラウルの様子を見てグイドは口元だけで笑った。昨日延々と葡萄酒を飲んでいたと思うが、全く影響が無さそうに見える。
 今は石を積んだ井戸の淵に腰掛け、湿らせた布で矢の手入れをしている。
「それ、あの、ゲネ――ドロースガルムさんの」
 七本の矢はそのまま、グイドの手元に残されている。
 それから、その脇に置かれた白い短弓。
 白竜がオルビーィスを助け連れてきた礼にと、それぞれにくれたものの一つだ。


『生憎私は宝物を溜め込む趣味がない。満足な礼もできないが』

 白竜はそう言って、深く青い双眸をラウル達へと向けた。
『そなたらの望むものを一つ、言うといい』
 初めは戸惑いつつも顔を見合わせ、初めに進み出たのはグイドだ。
「礼を得る為に来た訳じゃない。目的の達成どころか命も危うかったところを助けて頂いた。何よりそれが我々への返礼だ」
『狩人よ。その矢、ドロースガルムめのものだろう』
 白竜がグイドの背の矢筒に両眼を細める。
 ふん、と鼻息を吹く。勢いで髪がちょっと煽られた。
『相変わらず何事も適当な奴だ。見合う強度の弓がなければ、どのような矢も何ほどの役にも立つまい』
 白竜の前に法陣円が浮かぶ。
 ラウルは目を見張り、それから幼い頃の御伽噺で、高位の竜は法術を用いるのだと聞いたのを思い出した。
(本当だったんだー)
 法陣円から浮かび上がった光が、弓を形作る。
「見て、ヴィリ」
「物質創造――」
 リズリーアが頬を紅潮させ、ヴィルリーアと両手を合わせる。
「特級、最高位の術だよヴィリ! すごいすごい」
「も、もしかして、グイドさんの矢も」
「そうだよ、きっと! すごいすごい」
 白竜は言葉通り、それぞれへの品を法陣円から創り上げた。
 セレスティには盾を。
 セレスティがそう望んだもので、下部の尖った縦長、白竜の鱗に似た装飾が表面を覆っている。剣を望まなかったのはシュディアールに拘っているからだ。
 リズリーアとヴィルリーアには、術式強化の触媒として自らの鱗を。
 術式を飛躍的に高められると聞いて、二人は高位になるまでもったいないから使わないと誓っていた。
 レイノルドには、手鏡を一つ。
 何故鏡かと戸惑いつつもレイノルドは固辞しようとしたが、白竜が長い首を寄せて耳元に何事か囁くと、レイノルドはそれを受け取った。
「レイ、それ何?」
 リズリーアが覗き込む。
『役に立つかどうかは本人次第さ』
 最後に白竜はラウルを見下ろした。
『鍛治師よ。そなたの鍛治に役立つものは私には生み出せぬ』
「やはり、へっぽこ過ぎだからか」
 レイノルドが溜息を零す。
「しみじみ言わないでくれるかな、レイ」
『だがそなたは我が子と私の恩人だ。いつかそなたが求める時に一度、そなたの命を助けてやろう』
「そんな……」
 ラウルは気恥ずかしさと共に微笑みを返した。
「有難うございます。お気持ちがとても嬉しいです。でも」
 へへへ。
「俺は、もうこんな冒険に出ることはありませんので、命の危険があるところになんて、もうこの先一生、二度と、絶対、行かないと思います! いえ、行きません! だからお気持ちだけ、ありがたく頂きます!」
「断固たる決意表明だな」
 グイドが目を細め、隣でレイノルドが何とも言い難い情けなさそうな顔をしている。
「ラウルらしいですね」
「ねぇ」
 セレスティとリズリーア、ヴィルリーアが首を傾け合う。
『人の生もそれなりに長かろう。我は百年先でも構わぬよ』
 どことなく可笑しそうな響きを含み、白竜はそう告げると翼を広げた。



 太陽が昇るにつれ、くらがり森の中にも陽射しが差し込み始めた。
 風が梢を揺らすごと、森の中に落ちる幾筋もの光が揺れる。
 グイドはあっさり過ぎるほどあっさりと立ち去った。
『キルセン村にいるんだろ、遊びに行こうぜー』
 のんびり言うヴァースの声に寂しさを紛らわす。
 それにしても。
「俺、あのグイド・グレスコーと一緒に冒険しちゃったよ。今度エーリックとアデルに自慢しよう」
 何故か傍らでレイノルドがうんうん頷いている。
「では、私達もこれで。本当にこの子達がご迷惑をおかけしました」
 深々頭を下げるクリスタリアへラウルは慌てて両手を振った。
「いえいえ、迷惑かけたのは俺ですから! 二人に本当に、助けてもらいました!」
「一緒に行ってよかったでしょっ」
 と胸を張ったリズリーアへ母の眼差しが動く。
「外出禁止」
「うっ」
「反省してないなら三日追加」
 既に昨日の時点で五日間の外出禁止を言い渡されている。
「は、反省してるもん! ごめんなさい母様!」
「ぼ、ぼく、リズちゃんの分まで家に籠るから……」
「ヴィリにはお仕置きにならないのよねぇ」
 賑やかに、明日また会おうね、とでも言うように盛大に手を振って、三人は森を去った。
 クリスタリアが現れた時と同じ――リズリーアが言っていた、『転位』の法術を使って。
「すごい……あっという間にいなくなっちゃった」
「あれが転位ですか」
『かなり高位だなー』
 セレスティが感嘆したように息を零し、ヴァースが相槌をうつ。
 セレスティはラウルへ、体を向けた。
 帯びていた剣を鞘ごと外し、ラウルへと差し出す。
「ラウル。お借りしていたノウムを、お返しします。とても素晴らしい剣だと、この旅で改めて分かりました」
「役立てて頂き、有難うございます」
 ラウルはノウムを受け取り、その上でどちらを差し出すべきか、束の間迷った。
 けれどここは、やはり。
「あの、シュディアールは貴方に差し上げます」
「シュディアールを――」
 セレスティが嬉しそうに頬を輝かせ、それから引き締める。
 首をゆるく振った。
「いえ――私にはまだ、あの剣を扱う力がありません」
 力ってまんま力だよね。
 使えるとしたらどれだけ筋骨隆々にならなきゃいけないんだろうか。
「セレスティ。貴方はそう言うと思ってました。でも使えるようになるまで、シュディアールはここにいますので」
「ラウル――」
 セレスティは右手を握りしめ、その拳を感情を表すように胸の真ん中に当てた。
「――お言葉に甘えて――」
 ラウルは微笑んで頷き、それから手にしていたノウムをもう一度セレスティへと差し出した。
「ノウムを使ってください。国王陛下の御前試合でこの剣を貴方が使ってくれたら、俺も誇らしいです」
「必ず。一年間修行を積んで腕を上げ、御前試合で優勝します」
 セレスティならば有言実行、きっとやり遂げてくれるに違いない。
 白竜の盾もある。
「セレスティ殿なら、次に会う時は近衛師団の士官としてでしょうね。楽しみにしています」
 レイノルドが手を伸ばし、固く握手を交わす。
 自分への態度とはだいぶ違うなぁ、と思いながらラウルも頷いた。
 国王の御前試合で勝ち上がれば、正規軍や近衛師団の士官級が約束されている。
 その時のセレスティの姿が目に見えるようだ。
「シュディアールを迎えにきます」
 リトスリトスが嫉妬しそうだ。
 ここが鍛治小屋でなかったことに胸を撫で下ろす。
『頑張れよーお前ならできるー』
 もう一度、「必ず」、と約束し、セレスティも旅立った。















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2023.10.8
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