扉を開ける。
五月の日差しは思っている以上に熱を持ち、四日間も締め切っていた小屋の中はむわんと暑い。
ラウルは一歩――足音を忍ばせ、鍛治小屋に踏み込んだ。
「み、みんな――?」
剣達ー?
「帰ったよー」
と、声を発する前に、二歩目で激しい振動と共に壁に掛けていた剣達はがらがらと床に飛び降りた。
どすん。
「あああ」
最後に――まったくもってそうとしか言えないが最後に、リトスリトスが先に重なり合った剣達の上に落ちる。
『土をつけたくないんだなー。リトらしいなー』
「落ちなきゃ、よくないかな……?」
また掛け直さなくては、とため息を吐いたラウルの横をセレスティがざっと抜ける。
「シュディアール! 帰ってきてますね!」
セレスティが食い気味に駆け寄り、倒れたシュディアールの柄へ両手を伸ばす。
「あ、ほんとです……ここに来たんでしょうか」
「また来て欲しいね!」
とリズリーアは屈託がない。
シュディアールに近寄ったセレスティは大剣を肩に担ぎ起こした。
「――」
両足を踏ん張り、両腕の筋肉を漲らせ、自分の身体ごと持ち上げると、再び壁に立てかけた。
「おお。前より楽に持ち上がるようになったんじゃないか?」
と言ったのはグイドだ。
「そうでしょうか!」
息を切らしセレスティが頬を紅潮させる。
「しかしまだまだ、ゲネロースウルム殿のようには」
「それは」
そうだと思う。竜だし。
あれ、そう言えば、セレスティに腕をやろうとか言ってたけど、竜の腕ってことかなあの人。こわい。
『ドロースガルムだってよー』
「ははは。いずれにしても、私には憧れる存在です」
「やめとけって」
「あたしは好きだな! ドロ兄様」
「切り替え早ぇな」
「ね、ヴィリ」
「ぼ、ぼ、僕は、まだ、こわいと思う、けど――」
賑やかな声に微笑み、ラウルは他の剣を拾おうと手を伸ばした。
傍から伸びた手がリトスリトスを持ち上げる。
リトスリトスの優美な剣身が喜びの振動を一つ、鳴らしたので、手の主はセレスティだとラウルは首を向けた。
「有難う、セレ――、あれ、レイ」
ちょっと驚いた。
何せリトスリトスがはしゃいでいる。
(そうか、面喰いなのか)
華やぐリトスリトスをひとまず置いておいて、ラウルはレイノルドに改めて礼を述べた。
「有難う、レイ」
「気安く呼ぶな」
「有難う、レイノルド」
「そうじゃない」
「レイノルドさん」
「違う!」
イライラと返しつつレイノルドはさっさと剣を掛け直し、ラウルと向き合った。
剣を掛けている壁を手のひらでバン、と叩く。
「改めて言うが、ラウル。いつまでもこんなところで剣を打っていないで街に戻れ」
「改めてって、今までそう言ったことあったっけか」
「あっただろ――っ、いやっ、そんなの今はどうでもいいっ」
バンバン。
「あっ、そんなに叩いちゃまた落ちちゃうよ、剣。まあ俺の剣は確かに、一般には流通しにくいというか常人には扱いにくいというかちょっと理解されにくいというか天才ならではの孤高というか」
「自己肯定感嫌な感じで上がったな。じゃない」
バンバンバン。
レイノルドは苛立ちを壁にぶつけている。
「壁がやめて欲しいって」
レイノルドはラウルを睨み、壁を見て、忌々しそうに手を下ろした。下ろす前に一度壁を撫でる。
「へへへ」
愛いやつだ。
「何だ、気色悪い」
「へへへ」
すごい睨んでくる。
その一点から発火しそうだ。目力強いな、レイ。
『ご主人、ちょっとこわいぞー』
えっ、こわいって誰?
俺?
「ラウル」
底冷えした声に、ラウルはようやく、これ以上はまずいと顔を引き締めた。
悪い癖だ。
その場を誤魔化そうとする癖。
逃げ。
向き合わなくてはだめだ。
レイノルドと。
あの時の。
「俺の父が何をした」
意表を突かれ、ラウルは浮かぶ言葉を失ってレイノルドを見た。
いつの間にか小屋の中は静かで、セレスティやリズリーアとヴィルリーア、そしてグイドも、睨み合うように向かい合っている二人に視線を注いでいる。
「え、いや――何って」
何を。
――最後まで愚かだった。
――だから死んだ。当然の結果だ。
「ラウル。俺の父がお前に――伯父上に」
「違う!」
自分で思ったよりも強い声だった。
レイノルドが驚いた顔でラウルを見ている。
どうしてもその先は言わせたくなかった。不確定な疑問だ。
いや、疑問ですらない。違う。
『俺の父は伯父上に、何をした』
そんな言葉をレイノルドが口にしてはいけない。
ただの疑念だったとしてもだ。
「違うよ、レイノルド」
ゆっくり、区切るように、そう告げた。
告げればそう、それは確かに思える。
あれほど助け合っていたセルゲイ叔父が、ラウルの父に――自分の兄に、何かするとはラウルには思えなかった。
セルゲイの手帳から聞こえたあの声に、初めのほんの僅かな間、疑わなかった訳ではない。
けれどやはりラウルには、そうは思えなかった。
幼い頃から共にいた、叔父の顔が浮かべば浮かぶほど。
「何が違う。ラウル。じゃあ何だ、お前がこの森に甘んじて引っ込んでいる理由は。正統な流れなら、嫡嗣がいるのに父さんに爵位が移るはずがない。何か手を加えない限り――」
「レイ。俺の態度が君に疑念を与えたのだとしたら、その原因は俺にあるんだよ」
レイノルドは一瞬、目を見開いた。
「――何だそれっ」
あ。
レイだ。
子供の頃のレイ。
よく泣いてたなぁ。
「ラウル」
今は怒ってるけど。
最近いつも怒ってて。
「いっつもいつも、のらくらと逃げ回りやがって」
「いやぁ、逃げ回るとか」
のらくら?
「そう言うんじゃないんだけど、いや、逃げ回ってるのはそう」
そう。
「俺は逃げたから――君との決闘を」
逃げた。
当日、邪魔が入ったのをいいことに。
「君と決闘しなかったことを、俺は喜んだ。だって君に殺されたくないし、君に殺させたくもない。だからここに暮らすことになったのを、俺は喜んで受け入れている。誇らしいくらいだ。まあ正直、街より性に合ってるっていうか――」
母上がいるキルセン村より、心穏やかというか――
「それを今まで、君に一つの説明もしてこなかった。気に掛かってたことなら、それだ。ずっと。今更だけど、謝罪させて欲しい」
ラウルは深く頭を下げた。
「――ごめん」
「おま――」
レイノルドはどん、と右足を一歩踏み出した。
「お前が先に謝んなっ!」
「レイ」
「俺が謝ろうとしてたんだ!」
じっと俯いたまま、両拳を身体の脇で強く固めている。
「お、俺が――っ、あの決闘で俺がっ、お前に、詫びたかったのに……っ」
「レイ――」
跳ね上げた顔の目元に、薄っすらと涙が滲んでいる。
「おおばかやろう!」
「おお……」
おお。
「レイって、見かけよりずっと子供っぽいんだね」
リズリーアが核心を突いてしまい、レイノルドが顔を引き攣らせて振り返った。
「あっ、ごめん! 気にしてた?」
リズ。
ラウルはレイノルドを見て、口元を綻ばせた。
いいぞ、リズ。
何だか本当にこの目の前のレイノルドは、子供の頃の彼の面影のままだ。
馬を走らせるのが速すぎると、涙を堪えて訴えた――
「レイ――」
胸に込み上げた暖かさに、ラウルは両腕を広げてレイノルドに近づいた。
お兄ちゃんだよ。
抱きしめようとした腕がすかっと空を切る。
「――」
「――」
「レイ」
「気安く呼ぶな」
あれ?
今の流れは昔の関係に戻る流れでは?
「とにかく、昨日も言ったがお前が決闘をすっぽかした理由なんてとっくに知ってる」
「そうなんだ」
レイノルドの眉根がぴくりと震える。
「――そんなことで俺は怒ってない」
「えっ、そうなんだ」
「ラウル」
口を挟んだのはグイドだ。
ラウルに向けた目がちょっと――いや、それなりに、だいぶ、呆れを含んでいる。
「お前はしばらく黙ったほうがいい」
えっ。
「レイノルドの話を聞け。黙ってだ」
「……はい」
しおしおと、ラウルはレイノルドにもう一度向き直った。
「――」
レイノルドは口を何度か開け閉めしていたが、放り投げるように言った。
「それだけだっ」
ぷい、と横を向く。
「――」
「――」
「――」
「――ずっと、誤解をさせたままで悪かった」
レイノルドはぼそりと、くぐもった声を出した。
「――」
「謝ろうと思ってて、言い出せなかった。今までずっと嫌な想いをさせてたと思う」
「――」
そっぽを向いたままレイノルドはしばらく黙っていたが、やがて拳を震わせ、きっとラウルを睨んだ。
「何とか言えっ。寝てんのか!」
うう。
頑張って黙って聞いてたのに。
「ごめんな、レイ」
「だから謝るなと」
「嫌な想いをさせていたのは、俺の方だと思ってた」
申し訳なかった。
右手を差し伸べる。
「有難う。――嬉しいよ」
二年。
二年もの間、お互い言葉が足りずすれ違っていた。
ラウルは手を差し出したまま、レイノルドが手を伸ばすのを待った。
待った。
レイノルドはしばらく迷いをみせていたものの、やがて息を吐き、ラウルが差し出した手を握った。
「レイ」
胸の中に、暖かな何かの塊が湧き起こる。
「これから、前みたいに助け合って、俺た――痛い!」
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