『それでは、そなたの名は、オルビィスウルムとしよう』
白竜の声は慈しみに満ち、我が子の健やかな成長を願う、祈りのようだった。
自分のつけた仮の名を認めて、本当の名前としてくれたことへの喜びが、間違いではなかったのだという想いが、ラウルの胸にじわりと浮かぶ。
「オルビィスウルム――」
とても良い響きだ。
オルビーィスも嬉しそうにくるくる回っている。
「――ウルム」
あ。
ラウルは「あの」とまた手を上げた。
「その、ウルムっていうのは、どのような意味でしょう」
瞬きが一つ返る。
『我らの名に用いる。『ウルム』とはそなたらの概念で言うならば、『生命に連なるもの』を意味していよう』
「生命――」
生命に連なるもの。
オルビーィスを見つめる。
空色の瞳。
『合わないかね?』
「ぜんぜん! 似合ってます! とっても! 高貴さが増した感じします!」
ラウルは両手を上げ、首を縦に振った。
「ええと、その、ウルム……」
もう一つ気になっていたのは、さきほどヴィルリーアの――ゲネロースウルムの詠唱で聞こえた、アイ――アイ、なんとか、ウルム。
そもそも、ゲネロースウルムが、あの鉄色の竜が、そう名乗っていた。
『やけに気にするが』
「はい、いえ、実はついさっきまでいた女性が、ゲネロースウルムと名乗って」
「ぴい」
オルビーィスは首を振った後、うんうん、と頷いている。
「そう、その人も実は竜で。鋼玉みたいな色の鱗の」
「ぴい!」
ラウルは白竜を見上げ、口を噤んだ。
白竜の青い瞳がラウルへと落ちている。
ずぅっと、空気が重くなった、気がした。
『――誰だと……?』
ひい。
低い。
声が低い。
温度も低い。
え? 問題あり……?
『もう一度――そなたは今、誰と言った』
「ゲッ、ゲネロースウルム、さん、です……銀髪の、女性……」
だんだん口の中に消えて行く。
白竜が纏った空気――圧力に、ラウルは真剣に、ここで死んじゃうのではないかと思った。
(こっ――)
怖い。
怖い怖い怖い。
怖い。
一瞬にして人が畏れる竜そのものになった。怖い。
(何か、今にも、竜の息吹きそうな感じ……!?)
ややあって。
辺りを凍らせる怒りは身を潜めた。
息吹を吐く代わりに、白竜は苛立ちを吐き出すように言葉を吐いた。
『高潔と名乗っただと?』
二つの響きが重なって聞こえた。
「え、ち、違うのですか……俺はそういうの知りませんけど……意味までは……」
高潔って意味なんですね。
高潔――
『面の皮の厚い。あれのどこが高潔なものか。あれは狡猾だ』
狡猾。
ぴ
「ぴったりだな。名は体を表すか、体が名を導くか」
グイドさん。
そんなはっきり、と苦笑しつつ、ラウルはもう一つ首を傾げた。
「あの、ご存知ということは、あの女性とあなた方とのご関係は、あるんでしょうか……。行動はよくわからない人――竜でしたが、オルビーィスを助けに来てくれたのは確かです。たぶん」
白竜は不機嫌そうに黙った。
「あっ、あのもちろん、無理にではないので、」
『この子の父だ』
今度はラウルが束の間固まった。
後ろのグイド達もだ。
「――はい?」
首をガクンと傾ける。
「今なんと」
『この子の父だ。不本意ながらね』
――
――
お兄様でしたか。
「姉様じゃなかったんだね」
「――そうなんだ」
頬を緩めふわりと笑ったヴィルリーアを、リズリーアはぎゅっと抱きしめている。
『あの鉄砂竜めは、今頃になって現れて、好き放題気まぐればかりしおる』
何というか、文句がいっぱいありそうだ。
グイドと一晩語り明かせるかもしれない。おそらくグイドが聞き役に回るだろうが。
とは言えあまりご家庭のことに嘴を突っ込むのはやめておいて、ラウルはもう一つ、はい、と手を挙げた。
「あの、アイ――アイなんとかウルムというのは、貴方のことですか」
「アイエーティウルムです、ラウルさん」
ヴィルリーアが補足してくれる。
「あ、そうです。アイエーティウルム、さんは、貴方のお名前ですか?」
白竜はまた驚いている。
竜が驚くとか、そうそうないのではないか。
『――違う』
と、ひと呼吸後、白竜はそう言った。
返る眼差しは今度は興味深そうだ。
『それもあの狡猾めから聞いたのかね』
「え、えっと、ゲネ……ドロ……、その、教えてもらった風の法術の、術式に組み込まれて、いました……」
とヴィルリーアが口籠もりながらも答える。
『ふむ』
白竜は一つ頷いた。
長い首を持ち上げる。
その先にはどこまでも丸く覆う天蓋。
『アイエーティウルムはそなたらで言うところの、風竜の名――かつて風を司る者であった。今は滅びた、我等が祖に連なる者の、ひとつだ』
「風竜って」
リズリーアが口元を押さえる。
「あの、四竜の?」
この国には四竜と呼ばれる強大な竜がいる。
南の赤竜。
北の黒竜。
東の地竜。
西の風竜。
人が勝手に名付けたのだが。
いる、というのも少し違う。
今は赤竜と、地竜。
黒竜と風竜は、『空位』だ。いわゆる。
『永く生きれば崩れるものだ』
そう言った白竜の声の響きは、どこか憂いを帯びていた。
(崩れる――何のことだろう)
見上げても瞳の色からは理由を伺えない。
『今はそこに座せるものは無いが、いずれその役割も継がれよう。この子はそれを目指すのかも知れないねぇ』
「ぴい!」
――なる!
と、オルビーィスは元気いっぱいだ。
いずれ本当に、なってしまうのかも知れない。
伝説と呼ばれる竜に。
ラウルは、改めて、オルビーィスと向き直った。
ゆっくり一つ、深呼吸する。
さあ。
お別れだ。
オルビーィスもラウルと向き合い、空色の丸い瞳をぱちりと瞬かせた。
「オルビーィス。よかったね、お母さんと会えた」
澄んだ空の水色。
やや翳ってきた夕焼けの空を背負った、藍色。
夜の空と同じ、濃紺。
くるくると変わる瞳の色が美しく、愛おしい。
「君は色々と驚かされることが多くて、実際君のお母さんも驚いてたし、そうそう一番驚いてたのは竜の息吹をもう吐けることよりも、君が卵ごと、きりふり山の斜面をずっと転がり落ちてきたことだったね。俺も言われてみればそれが一番驚異的かも。だって想像してご覧よ、君は卵の殻の中であっちこっち」
何を言おうとしているのか、自分でもまとまりがなくなってきた。
ええと、オルビーィスを母の元に戻すために、このきりふり山――
(今いるのは別の山か)
を遥々登ってきた。
「この旅で俺たちを、すごくたくさん助けてくれたね。まだこんなに小さいのに」
ここまで色々な苦労をして、周りに迷惑をかけて、助けてもらって、今、目的を果たして。
今。
「――ありがとう」
会えて良かった。
心からそう思う。
心から願う。
「今度こそお母さんと、幸せに暮らすんだよ」
オルビーィスは翼を広げ、元気一杯に、
「ぴい!」
と鳴いた。
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