蛇怪が地を這い突進する。
七本の腕がそれぞれバラバラに動き、蛇身がうねった。
リズリーアを囲んで立つ、ラウル達へ。
セレスティは前傾を深くし、次のひと呼吸で地面を力一杯蹴った。
三歩踏み込み、突進する蛇怪との距離――間合いを潰す。
更に一歩、ノウムを背負い気味に、蛇怪の正面へ満身の力を込めて振り下ろした。
蛇怪の二本の腕が振り下ろされたノウムを掴む。
勢いは死んだもののノウムの刃はそのまま掴んだ指を断ち、蛇怪の肩甲骨へ落ちた。剣の衝撃が地面を穿ち、蛇怪の後方の枝を数本断ち落とす。
「セレスティ! 左だ!」
レイノルドの警告より早く、蛇身の尾が左からセレスティの胴を捉え、弾いた。剣が蛇怪を捉える寸前で、セレスティの大柄な身体が軽々と浮き、樹々の間に叩き付けられる。
セレスティは両手を地面につき辛うじて身を起こしている。蛇怪は蹲るセレスティへ滑るように進んだ。
「ラウル、残れ――」
「俺が行く、レイがここに! リズとグイドさんを頼む!」
レイノルドが出る前にラウルは、ヴァースを構え駆け出した。
「こっちだ!」
蛇怪が振り向く。
腕。手指。それから頸。
刻まれ血を滴らせた傷が、走るラウルの目にも見て取れる。
(血を流してる――だから倒せる)
歌う声が聞こえる。リズリーアの。
今度こそ、術を発動させる時間を作る。
「こっちに来い!」
そのまま斜めに走る。
蛇怪は身をくねらせ、ラウルへと視線を――狙いを定めた。
蛇身が撓む。
『振れー!』
ヴァースの声。腕に加わる、自分以外の力。
視界いっぱいに蛇怪の姿が迫る。
ラウルは剣に合わせて腕を振り、白銀の刃が蛇怪へ疾った。
二本の腕が左右から掴み掛かる。
「ヴァースぅッ!」
『あいよー』
のんびり、そして鋭く。
ヴァースの刃が腕を断つ。
肉を断つ慣れない感覚に、ラウルは胃が持ち上がる思いがした。
断たれた二本腕が地面へ落ちる、その重く濡れた音。
「っ」
痛みに暴れた尾が大きく振られる。リズリーア達へ。
「いけない」
追いつけない。
首だけを巡らせた先、レイノルドが迫り来る尾へ剣を斜めに振り下ろした。
同時に、その左からセレスティが踏み込む。剣は横薙ぎに。
血を流しているが、セレスティの身体を取り巻いている淡い水色の光は、あれは傷を癒すものだろうか。
(リズの)
ならば治癒の術が発動したのだ。
(やった――!)
二人の剣が尾を捉える。金属同士が打ち合うような音。剣は鱗を裂いたが断つまでに至らず弾かれた。
地面に亀裂を刻んだノウムの剣が弾かれたことに驚きを覚える。
(どれだけ、硬いんだ)
尾はまだ動く。
ラウルは腰の後ろへ手を回し、帯びていた剣を引き抜いた。
「みんな、目を伏せて――フルゴル!」
白銀の剣身が煌々と輝く。
蛇怪は甲高い悲鳴を上げ、灼かれた両目を覆った。
「ラウル! 退がれ!」
グイドの声。
ラウルはよろめきつつも何とか、数歩下がった。
グイドの放った矢がフルゴルの光に影を落として疾る。
二本。
ほぼ同時に蛇怪の喉――初めに喉を真横から貫いた矢と垂直に交差して突き立ち、もう一本が胸の中心に突き立つ。
蛇怪は呻き、腕で喉元を掻き毟りながら上体を逸らしてよろめいた。
「行ける、次で――」
セレスティが踏み込む。
ノウムの刃が霧を裂いて蛇怪の腹へと走ったと、ほぼ同時に――
そして唐突に。
蛇怪の正面に、ヴィルリーアが現れた。
セレスティが地面を蹴り、後方へ飛ぶことで自らの剣を抑える。
「ヴィリ!」
リズリーアの悲鳴に似た叫び。
蛇怪の尾がヴィルリーアを巻き取り、その身体は蛇怪の正面に掲げられていた。
真横から頬を叩かれたように、ラウルは一瞬呆然とヴィルリーアを見た。尾に胴を捕えられたまま力なくうなだれているが、胸がゆっくり上下している。
ほっとすると同時に、理解した。
「――盾――」
その意図は、まさに盾だ。
驚きは腹の底からの憤りに変わる。
全員が立ちすくんだ前で、蛇怪は尾に捕えたヴィルリーアの身体を、勝ち誇り嘲笑うように高く掲げた。
尾が揺れ、がくん、がくんとヴィルリーアの身体を揺さぶる。
「――やめて!」
駆け出そうとするリズリーアをレイノルドが咄嗟に抱き止める。
「ヴィリ!」
両腕を懸命に伸ばし、リズリーアは悲鳴に近い声を上げた。
「ヴィリ、ヴィリ、ヴィリ!」
ぐったりとしていたヴィルリーアが微かに呻く。
何度か瞬きを繰り返し、重い頭を上げる。
ぼんやりとした瞳が一点を捉えた。
「――リ、リズちゃ……」
「ヴィリ! ヴィ」
尾が更にヴィルリーアの身体を持ち上げる。
巻きつく力が増し、ヴィルリーアは苦しげに呻いた。鱗が擦れ合い、軋む。
「やめてよ! やめてよやめてやめて! 嫌だ、ヴィリ――!」
女の顔が笑っている。
嬉々として。
リズリーアの泣き叫ぶ声に酔いしれている。
(――駄目だ、これ――)
許せない。
自分の奥底からふつふつと沸く怒り、それが全身を激しく巡る。
「そ――っ」
ラウルは左右の手に握った柄に力を込めた。
「そんな、ことで――」
言葉がうまく出てこない。
鼓動は破裂しそうなほど胸を叩く。
ヴァースが――
フルゴルが、ノウムが、剣身に白く淡い光を纏った。
「お前の思い通りになったりしない!」
後から思い出して自分でも驚くほどの声だった。
リズリーアの瞳が、まず上がった。
直後、ラウルはヴァースを肩の上へ持ち上げ、渾身の力で、鋭く投擲した。
淡く光を纏ったまま、ヴァースの切先が霧を割き、剣身が放つ高い音が霧を震わせる。
耳を劈く音に蛇怪は硬直し、その腹にヴァースが突き立った。
「ヴィリを――、ヴィリを返して!」
リズリーアが駆け出す。
その横を矢が走り、残る蛇怪の手首を二本、同時に貫いた。直後に残る三つの手首に矢が突き立つ。
蛇怪が上体を反らし喉から苦鳴を搾り出す。
「貸せ!」
レイノルドはラウルからフルゴルを引ったくり、蛇怪へと踏み込んだ。
黒く連なる鱗へ剣を薙ぐ。反対からセレスティの剣。
フルゴルもノウムも、淡く光を纏っている。
二つの剣が、蛇体へ、深々と食い込んだ。
ヴィルリーアを捕らえる尾が断たれ、地面に落ちる。
「ヴィリ!」
駆け寄ったリズリーアはヴィルリーアに抱きつき、まだ絡む尾からその身体を引っ張り出した。
「ヴィリ、ヴィリっ、大丈夫? 生きてる、ああ……っ怪我なんて、あたしがぜんぶ、治してあげるから……っ」
「リズ、早くこちらへ!」
セレスティが駆けてくる。
リズリーアは涙を乱暴に拭うと歯を食いしばり、力のないヴィルリーアの身体を肩に担いだ。
よろめきながら、一歩一歩足を踏み出して歩く。
そこへ、蛇怪の尾が断たれた断面の血を撒き散らしながら迫った。
「リズ――!」
間に入ったセレスティが、剣を振るう間もなく弾かれる。
尾はそのまま地面を掻いて流れ、レイノルドを鞭の如く弾く。
レイノルドは地面に身体を強く打ち、転がった。
セレスティも木の幹に叩きつけられ、次いで地面に落ちる。
「レイ! セレスティ!」
「だ――大丈夫です」
セレスティは片手をつき身を起こし、口の中に入った土を吐き出した。その中に血の塊が混じっている。
「二人を」
ラウルは踵を返し、双子へと走った。リズリーアはヴィルリーアを庇って抱え込み、蹲っている。
蛇怪の腹に突き立ったままのヴァースを取り戻すべきか、視線を動かしたラウルは混乱して瞬きを繰り返した。
蛇怪の姿が無い。
「どこに――」
「ラウル!」
頭上に影が差した。
身体ががくんと止まる。
腕――両腕を、後ろから逆さまに伸びた手が掴んでいる。
もう二本の腕が、頭を掴んだ。
背筋が凍る。
「ラウル!」
掴んだ手が、頭に――頭蓋に伝える力。
これから、潰されるのだと。
ヒュッと息を呑んだその瞬間、グイドの矢が蛇怪の右目、右脇腹に突き立った。
頭を掴む手の力はほんの一瞬弛んだが、安堵する間もなくその力が増す。
杭でも押し付けられているような、信じがたい痛み。更に強くなる。割れそうだ。
「ラウル!」
呼ぶ声が遠い。
レイノルドが剣を振り下ろし、頭を掴む腕を一本断つのが見えた。
空いていたもう一本の手がレイノルドの喉を掴む。
「レ――」
逃げろ。
ラウル自身の目が霞む。
グイドが短剣を蛇怪の脇腹に突き立て、裂く。矢筒は空だ。
(グイド、さん、もう、矢が――)
朦朧とする意識の中で、蛇怪の腹に刺さったままのヴァースの柄が見えた。
取れれば。
(ヴァー……ス)
だが、手を伸ばしたくとも両腕を掴まれ、木に逆さまにぶら下がった蛇怪の腹は高い位置にあり、届かない。
腕を掴むのは片手でも力は篭り続ける。
血が目に入った。
痛くて――
ヤバい。
これは、死ぬ。
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