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第4章 きりふり山の冒険

9 その光る(その1) 




   蛇怪が地を這い突進する。
 七本の腕がそれぞれバラバラに動き、蛇身がうねった。
 リズリーアを囲んで立つ、ラウル達へ。
 セレスティは前傾を深くし、次のひと呼吸で地面を力一杯蹴った。
 三歩踏み込み、突進する蛇怪との距離――間合いを潰す。
 更に一歩、ノウムを背負い気味に、蛇怪の正面へ満身の力を込めて振り下ろした。
 蛇怪の二本の腕が振り下ろされたノウムを掴む。
 勢いは死んだもののノウムの刃はそのまま掴んだ指を断ち、蛇怪の肩甲骨へ落ちた。剣の衝撃が地面を穿ち、蛇怪の後方の枝を数本断ち落とす。
「セレスティ! 左だ!」
 レイノルドの警告より早く、蛇身の尾が左からセレスティの胴を捉え、弾いた。剣が蛇怪を捉える寸前で、セレスティの大柄な身体が軽々と浮き、樹々の間に叩き付けられる。
 セレスティは両手を地面につき辛うじて身を起こしている。蛇怪は蹲るセレスティへ滑るように進んだ。
「ラウル、残れ――」
「俺が行く、レイがここに! リズとグイドさんを頼む!」
 レイノルドが出る前にラウルは、ヴァースを構え駆け出した。
「こっちだ!」
 蛇怪が振り向く。
 腕。手指。それからうなじ
 刻まれ血を滴らせた傷が、走るラウルの目にも見て取れる。
(血を流してる――だから倒せる)
 歌う声が聞こえる。リズリーアの。
 今度こそ、術を発動させる時間を作る。
「こっちに来い!」
 そのまま斜めに走る。
 蛇怪は身をくねらせ、ラウルへと視線を――狙いを定めた。
 蛇身がたわむ。
『振れー!』
 ヴァースの声。腕に加わる、自分以外の力。
 視界いっぱいに蛇怪の姿が迫る。
 ラウルはヴァースに合わせて腕を振り、白銀の刃が蛇怪へ疾った。
 二本の腕が左右から掴み掛かる。
「ヴァースぅッ!」
『あいよー』
 のんびり、そして鋭く。
 ヴァースの刃が腕を断つ。
 肉を断つ慣れない感覚に、ラウルは胃が持ち上がる思いがした。
 断たれた二本腕が地面へ落ちる、その重く濡れた音。
「っ」
 痛みに暴れた尾が大きく振られる。リズリーア達へ。
「いけない」
 追いつけない。
 首だけを巡らせた先、レイノルドが迫り来る尾へ剣を斜めに振り下ろした。
 同時に、その左からセレスティが踏み込む。剣は横薙ぎに。
 血を流しているが、セレスティの身体を取り巻いている淡い水色の光は、あれは傷を癒すものだろうか。
(リズの)
 ならば治癒の術が発動したのだ。
(やった――!)
 二人の剣が尾を捉える。金属同士が打ち合うような音。剣は鱗を裂いたが断つまでに至らず弾かれた。
 地面に亀裂を刻んだノウムの剣が弾かれたことに驚きを覚える。
(どれだけ、硬いんだ)
 尾はまだ動く。
 ラウルは腰の後ろへ手を回し、帯びていた剣を引き抜いた。
「みんな、目を伏せて――フルゴル!」
 白銀の剣身が煌々と輝く。
 蛇怪は甲高い悲鳴を上げ、灼かれた両目を覆った。
「ラウル! 退がれ!」
 グイドの声。
 ラウルはよろめきつつも何とか、数歩下がった。
 グイドの放った矢がフルゴルの光に影を落として疾る。
 二本。
 ほぼ同時に蛇怪の喉――初めに喉を真横から貫いた矢と垂直に交差して突き立ち、もう一本が胸の中心に突き立つ。
 蛇怪は呻き、腕で喉元を掻き毟りながら上体を逸らしてよろめいた。
「行ける、次で――」
 セレスティが踏み込む。
 ノウムの刃が霧を裂いて蛇怪の腹へと走ったと、ほぼ同時に――
 そして唐突に。
 蛇怪の正面に、ヴィルリーアが現れた。
 セレスティが地面を蹴り、後方へ飛ぶことで自らの剣を抑える。
「ヴィリ!」
 リズリーアの悲鳴に似た叫び。
 蛇怪の尾がヴィルリーアを巻き取り、その身体は蛇怪の正面に掲げられていた。
 真横から頬を叩かれたように、ラウルは一瞬呆然とヴィルリーアを見た。尾に胴を捕えられたまま力なくうなだれているが、胸がゆっくり上下している。
 ほっとすると同時に、理解した。
「――盾――」
 その意図は、まさに盾だ。
 驚きは腹の底からの憤りに変わる。
 全員が立ちすくんだ前で、蛇怪は尾に捕えたヴィルリーアの身体を、勝ち誇り嘲笑うように高く掲げた。
 尾が揺れ、がくん、がくんとヴィルリーアの身体を揺さぶる。
「――やめて!」
 駆け出そうとするリズリーアをレイノルドが咄嗟に抱き止める。
「ヴィリ!」
 両腕を懸命に伸ばし、リズリーアは悲鳴に近い声を上げた。
「ヴィリ、ヴィリ、ヴィリ!」
 ぐったりとしていたヴィルリーアが微かに呻く。
 何度か瞬きを繰り返し、重い頭を上げる。
 ぼんやりとした瞳が一点を捉えた。
「――リ、リズちゃ……」
「ヴィリ! ヴィ」
 尾が更にヴィルリーアの身体を持ち上げる。
 巻きつく力が増し、ヴィルリーアは苦しげに呻いた。鱗が擦れ合い、軋む。
「やめてよ! やめてよやめてやめて! 嫌だ、ヴィリ――!」
 女の顔が笑っている。
 嬉々として。
 リズリーアの泣き叫ぶ声に酔いしれている。
(――駄目だ、これ――)
 許せない。
 自分の奥底からふつふつと沸く怒り、それが全身を激しく巡る。
「そ――っ」
 ラウルは左右の手に握った柄に力を込めた。
「そんな、ことで――」
 言葉がうまく出てこない。
 鼓動は破裂しそうなほど胸を叩く。
 ヴァースが――
 フルゴルが、ノウムが、剣身に白く淡い光を纏った。
「お前の思い通りになったりしない!」
 後から思い出して自分でも驚くほどの声だった。
 リズリーアの瞳が、まず上がった。
 直後、ラウルはヴァースを肩の上へ持ち上げ、渾身の力で、鋭く投擲した。
 淡く光を纏ったまま、ヴァースの切先が霧を割き、剣身が放つ高い音が霧を震わせる。
 耳をつんざく音に蛇怪は硬直し、その腹にヴァースが突き立った。
「ヴィリを――、ヴィリを返して!」
 リズリーアが駆け出す。
 その横を矢が走り、残る蛇怪の手首を二本、同時に貫いた。直後に残る三つの手首に矢が突き立つ。
 蛇怪が上体を反らし喉から苦鳴を搾り出す。
「貸せ!」
 レイノルドはラウルからフルゴルを引ったくり、蛇怪へと踏み込んだ。
 黒く連なる鱗へ剣を薙ぐ。反対からセレスティの剣。
 フルゴルもノウムも、淡く光を纏っている。
 二つの剣が、蛇体へ、深々と食い込んだ。
 ヴィルリーアを捕らえる尾が断たれ、地面に落ちる。
「ヴィリ!」
 駆け寄ったリズリーアはヴィルリーアに抱きつき、まだ絡む尾からその身体を引っ張り出した。
「ヴィリ、ヴィリっ、大丈夫? 生きてる、ああ……っ怪我なんて、あたしがぜんぶ、治してあげるから……っ」
「リズ、早くこちらへ!」
 セレスティが駆けてくる。
 リズリーアは涙を乱暴に拭うと歯を食いしばり、力のないヴィルリーアの身体を肩に担いだ。
 よろめきながら、一歩一歩足を踏み出して歩く。
 そこへ、蛇怪の尾が断たれた断面の血を撒き散らしながら迫った。
「リズ――!」
 間に入ったセレスティが、剣を振るう間もなく弾かれる。
 尾はそのまま地面を掻いて流れ、レイノルドを鞭の如く弾く。
 レイノルドは地面に身体を強く打ち、転がった。
 セレスティも木の幹に叩きつけられ、次いで地面に落ちる。
「レイ! セレスティ!」
「だ――大丈夫です」
 セレスティは片手をつき身を起こし、口の中に入った土を吐き出した。その中に血の塊が混じっている。
「二人を」
 ラウルは踵を返し、双子へと走った。リズリーアはヴィルリーアを庇って抱え込み、蹲っている。
 蛇怪の腹に突き立ったままのヴァースを取り戻すべきか、視線を動かしたラウルは混乱して瞬きを繰り返した。
 蛇怪の姿が無い。
「どこに――」
「ラウル!」
 頭上に影が差した。
 身体ががくんと止まる。
 腕――両腕を、後ろから逆さまに伸びた手が掴んでいる。
 もう二本の腕が、頭を掴んだ。
 背筋が凍る。
「ラウル!」
 掴んだ手が、頭に――頭蓋に伝える力。
 これから、潰されるのだと。
 ヒュッと息を呑んだその瞬間、グイドの矢が蛇怪の右目、右脇腹に突き立った。
 頭を掴む手の力はほんの一瞬弛んだが、安堵する間もなくその力が増す。
 杭でも押し付けられているような、信じがたい痛み。更に強くなる。割れそうだ。
「ラウル!」
 呼ぶ声が遠い。
 レイノルドが剣を振り下ろし、頭を掴む腕を一本断つのが見えた。
 空いていたもう一本の手がレイノルドの喉を掴む。
「レ――」
 逃げろ。
 ラウル自身の目が霞む。
 グイドが短剣を蛇怪の脇腹に突き立て、裂く。矢筒は空だ。
(グイド、さん、もう、矢が――)
 朦朧とする意識の中で、蛇怪の腹に刺さったままのヴァースの柄が見えた。
 取れれば。
(ヴァー……ス)
 だが、手を伸ばしたくとも両腕を掴まれ、木に逆さまにぶら下がった蛇怪の腹は高い位置にあり、届かない。
 腕を掴むのは片手でも力は篭り続ける。
 血が目に入った。
 痛くて――
 ヤバい。
 これは、死ぬ。










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2023.7.2
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