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第4章 きりふり山の冒険

9 その光る(その2)



 

 目に浮かんだのはオルビーィスの白く輝く姿だ。
(オルー……)
 ここに来たのはオルビーィスを帰す為だった。
 結局また、約束を果たせない――



『決闘を――明日、朝六刻に』

『ヴァルビリーの枯れ園で』


 ごめん。
 ほんとごめん。
 レイノルドとの決闘を、受け入れたくなかった。
 決定的に終わると、そう思った。
 だからラウルは、それ・・を利用したのだ。
 行けない理由にした。


『お前が――』


『お前が自ら、名誉の回復を放棄したんだ』


 ごめん、レイ。
 ごめんな、エーリック、アデラード。何にも言わずに出てきてしまった。
 ごめんなさい母上。
 父上――貴方の名誉を回復できなくて、ごめんなさい。


「ラウル――!」
 潰れかけた声。
 レイノルドの。
 ごめんな――
「簡単に諦めてばかりで、ふざけるな!」



「――ぴい!」

 突風が吹いた。

 叩きつけるその風のあまりの冷たさに、薄れかけていたラウルの意識が急速に戻る。
 木からぶら下がり逆さまになった蛇怪の、怒りと愉悦の混じり合った笑み。
 その向こうに、真っ白な塊が見えた。
 光る――輝くような鱗。
(オルー……)
 ラウルの頭を掴んでいた蛇怪の腕が、凍り付いて砕ける。
 締め付ける力がふっと消え、体は地面に落ちた。
 呻いたラウルの横を、黒い鱗に包まれた蛇体がすり抜けて動く。
「いけ、ない……」
 蛇怪の向かう先にはリズリーアとヴィルリーアがいる。
 ラウルが咄嗟に掴んだのは、腹に刺さったままのヴァースの柄だ。
「ヴァー……」
 力が入り切らず、ヴァースだけが蛇怪の腹から抜けて手の中に残った。
 蛇怪は八本あった腕を残り三本にまで失いあちこちから血を撒き散らしながら尚も、それだけは何としてでも喰らおうと、蹲る獲物へ腕を伸ばした。
 オルビーィスがラウルの頭上で、大きく顎を開き、息を吸い込んだ。喉の奥が白く光る。
 けれどその前に。
「リズちゃんに、触るな!」
 上半身を起こしたヴィルリーアが、腕を振り上げ、宙に紋様を描いた。
 シャン。
 杖が鳴らす、澄んだ音。
 描いた紋様は宙に円形の光を刻み、煌々と輝いた。
 それも一瞬――
 円陣から風が吹き出す。
 一陣というよりは無数の刃。
『風切り』という法術だ。
 詠唱は無く、法陣円を描き出すことにより、その法陣円を反映した風の刃を打ち出す。
 円の直径が大きければ大きいほど刃の威力は上がるのだと、そう言っていたのはラウルの小屋にいた時、リズリーアだったか――
 ヴィルリーアが作り上げた法陣円は、直径一間(約3m?)。
 風の刃は蛇怪を包んで無数の裂傷を刻んだ。蛇怪の身体から吹き出した血が、霧を赤く染める。
 威力が衰えないまま、蛇怪の後方頭上にいたオルビーィスへも走った。
「避けて、オルー!」
 避ける代わりにオルビーィスは、喉の奥に溜めていた空気を、体全体を使うように吐き出した。
 光に似て白く、息が迸る。
 さほど大きくはなく、広がりもせず、だが正面に迫った風の刃を霧ごと凍り付かせ、吹き散らした。
 蛇怪が血を撒き散らし、蛇体をうねらせて霧の向こうに消える。
「待て――」
 追いかけようとしたラウルの膝は地面に落ちた。
 疲労と、それから頭を割られる恐怖からの解放と――腰が抜けたような状態だ。
「お、追いかけ、なくちゃ……」
 膝がガクガクと笑っていて情けない。
 四つん這いになって、ラウルはとにかく腕を伸ばした。
「ぴい!」
 幼い鳴き声と共に、オルビーィスがラウルの肩に降りる。
「オルー……オルビーィス――」
 丸く青い、澄んだ瞳がラウルを見つめる。
 ラウルは力つき、べしゃりとその場に倒れ伏した。
「良かった。良かったぁ……」
 頭はまだ混乱気味だが、それでもヴィルリーアも、オルビーィスも無事だった。
 喜びと、それから驚きと。
「うう、身体が、力入らない……」
 でも助かった。
 最後に現れたオルビーィスが、喉の奥から、吹きつけた――
(吹雪――?)
 あれが蛇怪の腕を凍らせ、砕いてくれたおかげで。
「オルー」
「ぴい?」
「君、さっきの、あれ」
「氷、吹雪ってのか?」
 そう言いながらグイドが横に立つ。
「まさか竜の息とはなぁ。こんなに小せえのに」
 心なしかオルビーィスは誇らしげに、長い首を持ち上げている。
「竜の、息――」
 ラウルも物語を読んで知っている。いや、三百年前に起きた大戦でも、それから五年前の戦乱でも、その脅威を聞いた。
 ただでさえ強大な竜の最大の武器だ。それは炎や風、酸、雷――そう、吹雪も。
「オルーは、すごいねぇ……」
 ラウルは微笑み、それから周囲を見回した。
「ヴィリは」
「無事です。怪我はあるようですが、リズが今、治癒を」
 剣を鞘に収め、セレスティはリズリーア達を指差した。
 リズリーアは抱きつくようにして、ものすごい早口で何やら術式を唱えている。ヴィルリーアの身体が温かな水色の光に包まれているのがラウルからも見えた。
 教えてくれたセレスティはあちこちあざを作って血を滲ませ土埃にまみれている。
(レイは)
 首を巡らせ、自分の斜め後ろで座り込んでいるレイノルドを見つけて、ほっと息を吐いた。
 レイノルドもあちこち血を滲ませているが、無事だ。
 それぞれの様子に、たった今までの戦いの困難さと激しさが現れているようで――
「んん??」
 ラウルは顔を戻しじっとセレスティを見て、目を剥いた。
 ひぃっ。
「セ――、セレ、セレス、セレスティっ」
「はい」
「かっ、か肩、肩、左肩――!」
 セレスティの左腕は、だらりとぶら下がっていた。
「それっ、肩、は、外れてませんか!?」
「今入れます」
 えっ、爽やかに微笑んで言うことですか? えっ?
 逆に顎が外れそうなラウルを他所に、セレスティは木の幹に外れた側の腕を当て、何やら怖い気合を入れた。
「ふんっ」
 ごり。
(ヒいいいいいい!!)
「おっハマったか? 痛み止めでも飲んどけ」
「ありがとうございます」
「ちょっ、セレスティ、来て! こっち! ちゃんと直すから!」
「大丈夫ですよ。リズはヴィリを癒してあげてください」
「ぼ、僕は、もう、大丈夫です……」
 レイノルドだけ何も言わないな、俺と同じで驚いているんだな、と見れば、レイノルドは腕を組んで感心しきりにセレスティを見ている。
「――俺、やっぱり心がよわいな……かよわいな……」
『――』
 あれ? ヴァース、ちょっと突っ込んで?
「ぴい!」
 オルビーィスが長い首をラウルの頬にすり寄せる。
 どうやら懸命に同意してくれているようだ。
 ――守る! らうる!
 うう。
 本来守るのは自分の役割なのにこんなに幼い子に、とラウルは反省し、それからオルビーィスの首を撫でた。
「オルビーィス、ありがとうね。君がヴィリを守ってくれたんだね」
 蛇怪の首の傷跡は、幾つも並ぶ牙が刻んだものだった。
 まだ小さな。
「ぴ」
「君は怪我はない?」
 翼の下に手を入れて持ち上げ、一周ぐるりと回して確認する。
 感覚が気に入ったのか、オルビーィスは尾をぱたぱた振った。
 どこも負傷などは無いようだ。
『息まで吐けるとか、オルーは成長が早いんじゃねーかー? すごいなー』
「ぴい!」
 得意そうな様子が愛らしい。
 安堵と愛おしさを覚えると、緊張がほぐれたのかようやく脚に力が戻ってきた。ラウルはよいせと立ち上がった。
 途中レイノルドが腕を掴み、引き上げてくれる。
「レイも、ありがとう」
「お前に礼を言われてもな」
 相変わらずとげとげしてるなぁ。
 昔は可愛かったのになぁ。
 あ、俺、レイに謝らなきゃいけない。決闘のことを――
「この剣返す」
 レイノルドが差し出したのはフルゴルだ。
「ラウル、さっき剣が光ったが」
「うん。フルゴルだしね」
「そうじゃなく、お前の打った剣、三本ともだ。その喋るやつとこの剣と、セレスティ殿が持っている」
「へえ、そうだった?」
「へえ? そうだった?」
 レイノルドの声が一段低く繰り返し、眉根に皺が寄った。
 ラウルは一歩、後退りした。
「お前は、注意力が足りない」
「うう」
 良くわからないが、怒られている。
 ラウルが一歩退がった分、レイノルドが一歩の距離を縮める。
「いいか。お前の剣がそれぞれ同時に光った。それまで俺とセレスティ殿の剣はあの硬い鱗にほぼ弾かれていたが、剣が光った後、尾を断つことができた」
「そういえば……」
「切れ味が上がったんだ」
「そういうこともあるんだね。なるほど」
 やや前傾姿勢になっていたレイノルドは、目をすがめ、身体を起こした。
「……のんびり過ぎないか」
「うん。まあ。俺も剣達のこと、正直良くわかってないしね。ヴァース、君わかる?」
『知らねー。おれ様はもともと切れ味抜群の至高の剣だからなー実力だしー』
「――話にならん」
 レイノルドは盛大に――それはもう盛大に呆れ、遠慮会釈のない溜息を吐き出した。
「帰ったら原因を究明しろ。放置するな。いいな」
 くるりと背を向け、もう一振りの自らの剣を布で拭って鞘にしまう。
「わかったよ。ありがとう、レイ」
 心から言ったのにじろりと睨まれた。
 謝る機会を逸してしまった。
(――帰ったら、話そう)
「ラウル、レイノルド」
 セレスティが呼んでいる。リズリーアの法術が傷を癒したのか、打撲や擦過傷、脱臼の影響も無いようだ。
「次、レイとラウル。こっち来て」とリズリーアが手招きしている。
 ラウルは素直にリズリーアの前に立った。
 法術の治癒の光が暖かく身体を包む。お湯に浸かっているような心地よさだと、そう思った。続けてレイノルドも光に包まれる。ぽかんと驚いた顔、そのままわずかに緩んだのが面白い。
「リズリーアのおかげで傷は充分癒えました」
 セレスティはラウルへ、それから一行へ顔を巡らせた。
「奴を追いかけましょう。あれだけ負傷すれば逃げた先で絶命しているかもしれませんが、それならばそれで確認しなくては。生きていたらまた襲ってくることも大いにあり得る。それに、これから先他の被害を抑えるためにも今、止(とど)めを刺すべきです」
 流れた沈黙は、それぞれセレスティの提案を検討するものだ。
 ほんの少し前の戦いは、勝ちはしたが、もう一度相対したいかと問われれば、『嫌だ』と言いたい。即答したい。
「――でも」
 ラウルは瞳を上げた。
 霧でわかりにくいが、太陽はまだ天頂の、やや西にある。日が暮れるまで、充分に時間があった。
「――そうですね。俺も、今倒しておくべきだと思います」
 恐ろしかったからこそだ。
 ヴィルリーアが攫われて、リズリーアがどれほど心の潰れる想いをしたか。
 ヴィルリーアがどれほどの恐怖を味わったか。
 細い手が上がる。
「賛成」
 リズリーアだ。
「ヴィリみたいに、他の人が攫われて――」
 リズリーアは一度言葉を探した。「――そんなの、あってほしくないし」
「ぼ、僕は――僕は、怖かったです。すごく」
 肩を振るわせるヴィルリーアをリズリーアが抱き締める。ヴィルリーアは微笑み、柔らかな面をしっかりと上げた。
「他の人に、あんな想い、してほしくないです。僕も」
 レイノルドも頷く。
「俺もセレスティ殿に賛成する」
 今、セレスティを強調したね。俺も提案したんだけどね。そりゃ腰引け気味だったけどね。
 あとは――
 ラウルはグイドを見た。彼の判断が肝心だ。
 思い返せばグイドの矢が、どれほど的確に蛇怪を捉えたか。
 あの技を以てしてもまだ倒し切れなかったことに脅威と感嘆を覚える。
 やはりここで、倒しておかなくてはならないと、その思いが強くなる。
「それはそう思うが――」
 グイドは肩に背負っている矢筒を振ってみせた。
「悪いがもう矢が無い」
 束の間の沈黙の後、グイド以外の全員が驚きのあまり一斉にのけ反った。
「え!?」
「うそ!」
「何と――」










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2023.7.2
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