「レイも今日ここで一緒に野営するの?」
リズリーアが屈託なく、にこにこレイノルドに話しかけている。
レイノルドはじりじりと後退った。
「べ、べ、別に、居たくて居るわけじゃ、ない」
うん。
もう日はすっかり暮れたし、夜だし。
「えー、でも、明日ここから帰るつもりじゃないでしょ?」
「ここまで来て、明日ただ帰るなんて意味がないだろう」
うん。
散歩で入る場所じゃないもんね。
ロッソからだいぶ遠いしね。
「じゃあレイも火番よろしくね! 順番最初でいい? ラウル、レイ、おじさん、セレスティの順」
「か、構わない、が」
うん。
いい感じだリズ。
俺一番目がいい。
セレスティが「私が中番をやります」とグイドに言い、「俺は慣れてるから問題ない」とグイドが返す。
うう、ごめんなさい。楽しようとしてごめんなさい。
「俺が二番目をやります」
とラウルは自己申告した。何と言ってもこの一行の責任者だ。楽な役ばかりしてはいけない。
「レイは何か目的があって来たの?」
「――そうだ。俺には俺の目的があって」
「そっか」
リズリーアはぱん、と両手を合わせた。
「ラウルの手伝いしたいもんね!」
うん――うぇ!?
先ほどから火の様子を念入りに見ていたラウルは、焚き火の向こうの二人を二度見した。
「ばっっ――、そっ、そんなのじゃない!」
レイノルドの挙動が不審になっている。
焚き火を挟んでラウルと目が合い、影がくっきり浮かぶほど眉間に皺を寄せた。
「おっ、俺は――」
「違うの?」
「リ、リズちゃん……」
ヴィルリーアが袖を引いている。「あんまり、はっきり聞いちゃ悪いよ……」
「だってぇ、面白いし」
「面白い!?」とレイノルドは端正――なはずの顔を思い切り歪めた。
「お――俺は、きりふり山に用があって」
「何の用? 危ないよ? 一人で入るところじゃないよ?」
「あ――」
うん。
リズ。
突っ込んじゃいけないところだそこは。
「いーじゃん、一緒に行こうよ。一緒に行ってほしいなぁ」
「えっ」
焚き火の灯りに紛れたようだがレイノルドは顔を赤くした。
「盾は多い方がいいし」
うん。
そうだね、うん。
「た、盾?」
盾だね。
けれど狼との戦い、レイノルドの剣は見事だった。
「詠唱中、あたしとヴィリ無防備だから」
「やっぱり初めての実戦じゃ、勝手が違うし」と続ける。
「ご、ごめんね……僕、慌てちゃって」
ヴィルリーアが俯いてリズリーアの袖をつまむ。
「もう、いいんだってば。実戦でなきゃできないことばかりなんだから。あたしもきっと同じだし、いい経験だよ」
リズリーアは双子の両手を同じく両手で握り、額をコツンと当てた。
にこり。
首を傾げてレイノルドに愛らしく微笑む。
「盾が厚ければ落ち着けると思うんだ。ね」
「そ――」
レイノルドは口籠もり、顔を逸らした。
「そのくらいなら、やってやる」
「――おい」
『ラウル、貴方の打った剣はとても素晴らしい!』
セレスティの双眸に興奮と信頼が見える。
「いやぁ、そんな……そうかな。そうですか?」
ラウルは剣を打つ夢を見ていた。
幾振りもの剣をどんどん打つ。一日一振りどころではない。どんどんどんどん。かんかんかんかん。
ラウルの打った剣は評判が良く、キルセンの村やロッソの街からだけではなく、イル・ノーや遠く王都からも一振りだけでいいからと、求める者が引きも切らなかった。
――兄さん、すごいよ。今度の注文、誰からだと思う?
エーリックとアデラードが両腕に剣をたくさん抱えてはしゃいでいる。
アデラードは子栗鼠のように飛び跳ねた。
――兄様、私が教えて差し上げるわ。その方、国王陛下の、衛士でいらっしゃる――
すごい、とラウルも気持ちが跳ねた。
彼には剣など不要なはずなのに。
それだけラウルの打つ剣が認められたのだ。
ずっと、一心不乱に鍛治の腕を研鑽し続けた甲斐があったのだ。
師匠、俺、がんばりました――!
母アンナが笑う。
――当然ですよ。ラウル。あなたの打つ剣は、とても素晴らしい剣だもの――
――家なんてもういいの。あなたはあなたの才能を活かしなさい
ありがとう、母上。貴女に認められて、とても嬉しい。
それにしても、俺って。
俺って、もしかして
名工――?
「おい、起きろ」
乱暴に揺さぶられ、ラウルは夢から引き上げられた。
憎い。
じゃない。
そう、夢だった。
と言うか夢だと最初からわかっていた。
うん。
「おはよう……」
眠い目をこすり、起き上がる。
おはようという時間ではない。まだそう、寝てから三刻ほどしか経っていないだろう。
午後の十一刻頃か。
「交替だ」
「うん。ありがとう」
いや。違和感すごいな。
何故レイノルドと見張り番を交替しているのか。
「何事もなかった。だがこの霧だ、視界が切れる先のことまでは判らないが。霧の中に何が潜んでいるか」
「うう、怖いこと言わないでくれよ。俺今から見張りなのに」
見回しても周りは変わらず闇の中に霧が漂っている。焚き火の炎も霧を追い払うには至らず、ともすれば飲み込まれてしまいそうだ。
「うわ。ほんとに怖くなってきた……」
「相変わらずだな」
八、いや、九割呆れを含んでいる。
「情け無い。一人で見張りになるのか」
そんなトゲトゲ言うなら起きててくれていいんだぞ、と言いたかったがそこは抑えて、ラウルは視線を下ろした。
オルビーィス……はすやすやと寝ている。
ヴァースを手に取った。
「大丈夫。ヴァースが一緒にいてくれるしね。な、ヴァース」
『――』
「な、ヴァース」
『――』
「ヴァース……?」
『――』
寝ている。
え? 剣て寝るの?
いやそもそも喋ったりするのもアレなんだけど寝るの?
「起きてくれー」
「ラウル」
「ちょっと待って、今ヴァースを起こして」
「ラウル。その剣光ってるぞ」
「ん?」
レイノルドが指差した先で、フルゴルがじわじわと光り始めている。
ラウルはフルゴルに手を伸ばしてしっかりと抱き締めた。
「フルゴル?! ありがとうフルゴル?! これで心細くないよー」
フルゴルが明滅して応えてくれている。
優しいなぁ、フルゴルは。俺が心細いの分かったのかな。
ていうか結構お茶目なんだよね。
「ラウル」
次は何だろう。ノウム――はセレスティが抱えて寝ているし。
「ラウル」
もう一度、やや語気を強め、レイノルドはラウルの名前を呼んだ。
どうやら話があるようだ、と、ラウルは渋々レイノルドに向き直った。
「お前の――、いや、まずその剣を下ろしてくれ。眩しい」
「あ、ごめんごめん」
言われたとおり、フルゴルを膝の上に下ろす。ついでに「少し眩しいから光を落としてね」と頼むと、フルゴルの光は蝋燭よりやや強いくらいの灯りになった。
ラウルの顔が下から照らされる。
「それで、話は」
ラウルの面に濃い陰影が揺れる。
不穏な感じだな、とレイノルドは呟いてから、胡座をかいた。
「何から聞けばいいのか――とにかくまず、そのお前の剣。光ったり、ええと、喋ったり、それから切れ味が何だか良くわからない……」
ノウムのあの切れ味は俺にも良くわからない。
けしてヴァースが喋ることを良く理解しているわけでもフルゴルの光る原理を理解しているわけでもないが。
残してきた剣達、大人しくしてるかな、とふと思った。
「それは、お前が打ったのか?」
「ええと――」
レイノルドの眉根が寄っている。
「うん。まあ、そうなるね」
「そうなるねって――今まで、そんなこと一言も、俺に」
「いやいや、だって俺も知ったのつい最近だし。そりゃ素材は色々言ってたけど、ヴァースが喋って初めて、ちょっと他と違ってるかなって」
「ちょっと?」
語気を強めないでほしい。
「だいぶ」
とつい言い直してしまった。
「師匠は何か言ってなかったのか」
「何も――まあ、亡くなったのは俺がまともな剣を打ち上げる前だったし」
師匠であるフェムルトは八十九歳で急逝した。
ただもし今も生きていて、ラウルの打った剣達を見たらフェムルトが何と言ったか、それはとても気になる。
「まあ師匠は珍妙な剣を打つ前に、ごく一般的な剣を打てと仰っただろうけどな」
言い返せない。
「俺もそう思うよ。そう言えば、レイのその剣、師匠のだよね」
むすっとしたままレイノルドは、肯定代わりに柄を握った。
両手持ちの、澄んだ剣身を持つ素晴らしい剣だ。
レイノルドは剣の腕を磨き続けてフェムルトから認められ、その剣を譲られた。
『まだまだ未熟だが――、まあいい』
気乗りしなさそうな口振りと裏腹に、フェムルトが誇らしそうだったのをラウルは良く覚えている。
レイノルドの剣の腕は確かで、先ほども狼の首をひと薙ぎで断ってみせた。使い手の腕と剣の性能とが見事に融合した結果だ。
質実剛健。素晴らしい打ち手だった。
先ほどのラウルの浮かれた夢ではないが、フェムルトの剣は王都からも買い求められ、高位の法術士が求めることもあったと聞いている。
(ああ、そうだ)
フェムルトが打った最後の剣。
様々な客から高値で買いたいと請われたが、ラウルはその剣を手放さなかった。
(もし、レイが――)
「まあ剣のことはひとまず置いておこう。それよりも」
うっ、とラウルは肩を引いた。
「お前がこの山に登る理由がその竜を帰すためだと、それはさっき聞いて分かったが、そんな状況だったら何で一言言わなかった」
「何でって」
レイノルドの眉根に更に皺が寄っている。
もうここ数年、会う度にその顔だ。
あんまり眉を寄せすぎると眉間に溝ができてしまうよ。常に皺が寄っているような顔になっちゃうんだよ。
それはともかく。
「レイには言わないよ」
あれ以上迷惑はかけられない。
それにうっかりセルゲイ叔父に知られたら、討伐隊を出されてしまうかもしれない。
「――」
レイノルドは胡座をかいた膝の上で、拳を握り締めている。
「結構繊細な状況だったんだよ。あんまり沢山の人に知られないよう気をつけなきゃいけなかったし、とにかく最小限の人にだけ話したんだ。特にきりふり山に帰すことは、ほんとうに広まっちゃ困ると思ってね」
もしきりふり山に竜がいると広まったら、オルビーィスは穏やかに暮らすことができなくなる。
たがらラウルから話したのはボードガードにだけ。
あとはボードガードが信頼のおける人物に、声をかけてもらった。
「だけど、無事返した後に、レイにも――」
レイノルドは俯き、低い声を押し出した。
「もし誰にも言わずにここでお前に何かあって、エーリックやアデル、アンナ伯母様がどれほど心配して、どれほど悲しむか、考えなかったのか」
「いやぁ……だってほら、帰すだけだか、ら……」
ひいぃ。
すっごい睨んでる。すっごい睨んでる。
眉間がそのまま固まるぞ?
「レイ、あの、ちょっと……?」
レイノルドは握った拳ごとぶるぶると腕を震わせていたが、ややあって静かに、長く、息を吐き出した。
(そんな長い溜息つく……?)
「もういい。お前はいつもそうだ」
「いつもって」
そうなんだろうか。
レイノルドの眉間に皺を刻ませてるのは俺ってことになる?
いやまあ確かに一部は確実に。
ラウルは居住まいを正した。
そう言えば、まだ肝心なことを尋ねていない。
「レイは何でここに来たんだ」
尋ねられたレイノルドはしばらくラウルの目を睨んでいたが、ふい、と視線を逸らせた。
「――寝る」
「はい?」
「お前が見張り番だろ。俺を付き合わせるな」
「はいい?」
いやいや、話があるって言ったのはレイのほうだからね?
そう思ったが口にする前にレイノルドは立ち上がり、焚き火の向こうへ行くとごろりと横になった。
「木の根が痛いから、毛布使えよ」
どうせ「いらない」と答えると分かっていたので、ラウルは立ち上がって否応なしに毛布を押し付け、また焚き火のそばに戻った。
これから三刻、グイドに番を繋ぐまで、真面目に周囲の警戒をしなくては。
気を引き締めていこう。
見ればオルビーィスが翼の下に頭を突っ込んで気持ち良さそうに眠っている。
ヴァースも――眠って――いる。
(ほんとかー)
フルゴルは剣身を柔らかに明滅させてくれた。
リズリーアとヴィルリーアは本当に同じ間隔で胸が上下していて、その様子にくすりと笑みが零れる。
セレスティの呼吸は起きている時のように規則正しく、グイドはほとんど気配がない。
辺りは深い霧に包まれ、森は時折、梟の声を木立の間に響かせた。
風もない。
深い、深い静寂――
――
――
(――こ、こわい……)
レイノルドが眉間に皺を寄せて睨んでいてくれた方が百倍有難い。
ラウルはヴァースとフルゴルをしっかりと抱え、とにかく四六時中首を巡らせて異常がないかを確認した。
暗くて確認できるものではないけれど、とにかく確認した。
幸い――
三刻後、グイドと交替するまで、森は至って静かなまま。
梟が鳴くたびにぎょっと身体を震え上がらせつつも、何事もなく夜は更けていった。
ラウルが次に目を覚ましたのは、高く軋る音のせいだった。
金属を擦り合わせるような――。
寝ぼけた頭が、それが何かに気づいた瞬間、明瞭になった。
(ヴァースの)
警告音。
オルビーィスが唸る。初めて聞くその響き。
同時に何かが空を切る、鋭い音。
寝転がったまま目を見開いたラウルの視界に、霧に打ち込まれた矢羽が見えた。
グイドの矢だ。
慌てて飛び起きる。
セレスティとレイノルド、二人とも剣を抜いている。
駆け寄ろうとしたラウルの足元に、霧の中――樹上から、何かの塊がどさりと落ちた。
「また、猿――」
それを目にした瞬間、全身が凍りつき、吐き気を覚えた。
猿だ。確かに、それは昨日の猿だった。
ただ、死骸として。
猿は首から上が喰い千切られ、腸が出ていた。
「――な、」
喉が喘ぐ。もう眠気など微塵もない。
「何ですか、これは……」
グイドは上を――霧がなければそこにあるだろう樹上を、矢を番え弓を半分浮かせたまま睨んでいたが、数呼吸して弓を下ろした。
「グイド殿」
セレスティもレイノルドも、抜き身の剣を下げたままだ。
グイドが首を振る。
「もういない」
続けて、こう言った。
「昨日、何回か気配があった奴だ。ヴァース、お前も感じてただろう」
ええ……
『いたなー。ずっと遠巻きだったけど、慣れたのか、近付いて来やがった』
もう一度、グイドが頭上を見上げる。
「何がいたかまでは良くわからないが――このまま追ってこられたくはないな」
太陽が昇り始めても霧を照らすことはできず、手早く朝食を済ませ、ラウル達は野営地を発った。
双子が起きる前に猿の死骸は片付けたが、あったことは伝え、何より不穏な雰囲気を感じ取っているのかリズリーアは口元を固く引き結び、青ざめているヴィルリーアの手をしっかりと握っている。
並び順は昨日と同じくセレスティ、ラウル、リズリーアとヴィルリーア。
昨日と異なるのはグイドの後ろにレイノルドが続いていることだ。
昨夜までは帰ったほうがいいのではないかと、そう言おうと思ってもいたが、今はそれも危険に思え、レイノルドが共に行くと言ったことに安堵を覚えた。
グイドは朝食後、何もしないよりはマシだと、焚き火に何やら懐から取り出した丸薬を投じて、ややつんと刺激臭がするその煙を全員に浴びさせた。
オルビーィスは嫌がって煙を浴びず、歩き出した後もラウルの肩に降りようと近寄っては離れるを繰り返した。
(何がいたんだ、あの時――)
猿を貪り食っていたものが、存在したはずだ。
姿は全く見えず、音も聞こえなかった。
ラウルはいつでも気付けるようヴァースの柄をしっかり握っていたが、朝以来ヴァースは警告を発する様子もなく、一行は阻まれるものもなく、狭い登山道を登った。
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