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第4章 きりふり山の冒険

20 共鳴


 


雷よ 撃てラヴノス エ フリグマ


 杖の全体が光を帯び、鈴の付いた頂点へと流れ集まる。
 杖の頂点を起点に、金色の光が迸る。
 正面にいた人面獣三体が、一直線に走った雷撃に貫かれ、巨体はその場に崩れ落ちた。
「雷撃……っ、ヴィリ――すごい」
 ヴィルリーアがまだ習得できていなかった、中級第五段階の法術だ。
 攻撃系統の法術では、中級最大の威力を誇るが、その分体力を削る。
 リズリーアは驚きと、それから胸の中に灯る熱を覚えた。
 使える法術を立て続けに使い尽くし、そもそもヴィルリーアは限界だったはずなのに。
 ヴィルリーアは力を失い、リズリーアの腕の中でぐったりしている。
「ヴィリ」
 唇を引き結び、顔を上げる。
 取り囲んでいた五体は雷撃を恐れ、じりじりと退がっている。
 自分が行動するのなら、今だ。
「今のうちに、みんな、レイのそばに! 障壁を張るから!」
 リズリーアはヴィルリーアを抱え、引きずるように歩いた。すぐにグイドがヴィルリーアを抱え上げる。
 ラウルは駆け寄り、レイノルドの状態を覗き込んだ。
「レイ――!」
 あちこちに傷を負っているが、ラウルを庇った時の肩の傷が最も深い。服に滲んだ血が傷ましい。
 だが、胸はゆっくりと規則的に上下していて、その緩やかさにほんの少し救われた。
「レイ……」
「セレスティ、来て!」
 剣を杖代わりに、セレスティが歩み寄る。
 その背後を遠巻きに、雷撃を恐れた人面獣達が視線を注いでいる。霧の向こうに引くこともなく。
「ごめん、セレスティ、レイ、治癒をしてあげたいけど――攻撃、避けるのに障壁を、張るから」
「大丈夫です。気にしないでください」
 セレスティが穏やかに微笑む。
 リズリーアは泣きそうな顔をした。
「ごめん。あたしの障壁、ただその中にいるだけ、だけど――っ」
 顔を振り、杖を立てた。
 その段になってリズリーアははっと、瞳を見開いた。
「ゲネ姉様、どこ」
「混戦になってから姿がない。気に病むな」
 グイドの声は平坦な分、憤りを宿している。
「で、でも――」
 リズリーアは首を巡らせた。
「姉様! 聞こえたら来て! 障壁を作るから!」
『その辺りにゃいる。気にすんなー』
 ヴァースの呑気な声。
『来るぞ』
 遠巻きに引いていた人面獣の一頭が、身体を揺らし前脚を進める。
 他の個体も揺れる。
 地面を蹴る。
 ラウルはヴァースを構えた。
『我が四方に光よ立て』
 人面獣の振り下ろした爪が目前に迫り――
 寸前で立ち上がった光――それは壁と言うべきものだ――が、爪を阻み、弾く。
 見回せばラウル達の周りを、光の壁がぐるりと巡っていた。
 光の壁に遮られ、人面獣はそれ以上近寄ることができないでいる。
 ラウルは状況を見て取り、肩に張り詰めていた力を抜いた。
「――リズ、すごいな。ありがとう。おかげで助かった――」
「ち、ち、違うもん……」
 リズリーアが杖を立て、両手でしっかりとそれを握っている。
 普段愛らしい頬は悲壮に眉根を寄せ、薄っすらと涙を滲ませている。
「あたしの障壁は、ただ防ぐだけなの。ここから動けないし、中からだって何も、できないし、っ、あ、あたし」
 杖を握る両手の指は、力を込め過ぎて白い。
「あたしの力じゃぜんぜんっ、し、四半刻しか、保たないし――っ」
 ラウルは意識のないレイノルドを見つめ、それから顔を上げた。
「じゃあ、いまは休息して、力を溜めよう」
 見開いた水色の瞳に微笑む。
「リズとヴィリがいてくれたから、みんな生きてる。あと、ちょっと頼り過ぎて申し訳ないけど、この状態で治癒を使えたら、セレスティやレイノルドを癒して欲しいな」
「――でっ、できる……っ」
 リズリーアは手の甲で乱暴に涙を拭い、レイノルドの傍らにしゃがんだ。
「先にレイね。二回かける。それからセレスティ」
 暖かな光がラウル達の面を照らす。
「グイドさん、セレスティ」
 二人の視線を受け、ラウルはヴァースをしっかりと手に握った。
 ヴァースの柄から返る確たる手応え。
「俺もう、さっきみたいな馬鹿はやりません」
「そうしてくれ」
「全くです」
 あ、容赦ない。レイノルドが寝てて良かった。
「ラウル。オルビーィスを」
 グイドがオルビーィスをラウルへと手渡す。
 受け取った腕の中に確かな重さを感じ、ラウルは束の間オルビーィスの躯を抱きしめた。
(オルー)
 一つ息を零す。
 顔をしっかりと、上げた。
「これから、全力でここを抜けます。力を貸してください」
「弓は折れたぞ」
 ぐう。
「私の右腕も折れていますね」
 ぐ……
 え?
 嘘でしょ?!
 平然と付け加えることですか?!
 レイノルドの胸に手を当てながら、リズが目を剥いて凄い勢いで顔を跳ね上げた。
「治す! あたしが治すからね! そこいて!」
「セレスティ、座っ」
 どっ、と――
 空間が揺れた。
「何だっ」
 目をやった先、光る壁のすぐ向こうに、男の顔があった。笑っている。
 人面獣。
 すぅっと引き――
 再び、空間に衝撃音が走る。
 嵐で折れた木の枝が壁に打ち当たったように、激しい音。びりびりと障壁が震えた。
「ちょっ」
 人面獣が突進し、障壁に体当たりしている。
 一体だけではなく、次々と。
 ずしん。
 ずしん。
 体当たりを繰り返す毎に光る障壁は、頼りない硝子窓のように震えた。
 人面獣は首を捻って肩から衝突するのだが、視線だけはラウル達に向けられていて、それが滑稽で余計に悍ましさを増している。
 ずしん。
 ずしん。
 ずしん。
 ずしん。
 ずしん。
 この障壁が切れれば、後は引き裂かれ、生きながら喰われるだけだ。
 リズリーアはセレスティへの施術を終え、再び自分の杖と、気を失っているヴィルリーアを腕に掻き寄せた。
「て、転位が、あたしに使えれば――」
 リズリーアは今にも弾けそうな障壁を見つめ、唇を噛み締めた。
「転位?」
「ここから、別のところに移動できるの。例えばラウルの小屋とか」
「それは、すごいね」
「できないの。転位は、第九段階の高等術式だから」
 これだけの人数を安全に転位させようとすれば、更に高い技術を習得し、技と精神を鍛錬し、経験を重ねなくては到底できないのだ、と。
「でも、母様だったら」
 衝撃が加わる。
 空間が震える。
「ごめんなさい。切れる」
 リズリーアは水色の瞳で、ラウル達を見た。
 セレスティもレイノルドもラウルも傷を負っている。
 グイドの弓は折れてしまった。
 ヴィルリーアは意識を失ったままだ。
「あたし、もっと修練を重ねて、力をつけなきゃいけなかった」
 ラウルは自分の手に視線を落とした。
 リズリーアが悔いる程にも、ラウルの手には力は無い。
「あたしが、来たいって言わなければ――ヴィリは」
 障壁の振動。
「ごめんなさい……あたしが」
「俺達が認めた。この旅でお前は充分良くやっている」
 グイドをさっと振り返る。
「で、でも」
「私の腕の骨折を治してくれました。骨折を治す術はまだ完全じゃないと言っていたでしょう? リズリーアの力は確かです。この旅で成長している。ヴィルリーアも」
「で――も」
「さっきも言ったよ、リズ」
 ラウルはリズリーアを見上げ、微笑んだ。
「リズ達は俺を助けてくれた。だから、今度は俺がみんなを連れて帰る番だ」
 オルビーィスを抱えていて、とリズリーアへ手渡し、立ち上がってヴァースを構える。
 まるで歴戦の戦士のように。
 大した力もないくせに、腕も脚も少しも震えていないことが何だか可笑しい。
「絶対に、帰ろう」
 何度目かも覚えていない衝突音。
 もう、障壁の光が薄れている。
 切り抜ける為の有効な手段は無い。
 それでも、帰れると、ラウルは明確な根拠もないままに強く、そう思っていた。
 ヴァースの柄がなんだか暖かい。
 澄んだ音がどこかで鳴っている。管楽器が歌うような。
 気付けばそれは、ラウルの手の中から鳴っているのだ。
 そして、セレスティの手にしたノウムからも。
 レイノルドの傍らに置かれたフルゴルからも。
 剣が鳴っている。
 共鳴している。
 光が、三つの剣身の内側から透けるように差した。
「ヴァース、フルゴル、ノウム――」
 力を貸してほしい。
「グイドさん、レイノルドを起せますか」
「起きた」
 グイドではなく、聞き慣れた声が返る。
 ラウルは笑みを浮かべた。
「良かった。さっそく悪いけど、動けるなら手伝ってくれよ」
「人使いが、荒いな――」
 視界の端に構えたフルゴルの剣身が見える。
 ずしん、と。
 ラウルの正面に人面獣の笑みが突進する。貪欲な目。
(割れる)
 障壁が消えた瞬間、まずは剣を突き出す。
 一体でも多く。
 覚悟を決め、ヴァースの切先を突き出そうと柄を握り直した、その時に背後で驚きの声が上がった。
 リズリーアの声が震えて届く。
「ラウル――オルビーィスが……」











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2023.9.3
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