『雷よ 撃て』
杖の全体が光を帯び、鈴の付いた頂点へと流れ集まる。
杖の頂点を起点に、金色の光が迸る。
正面にいた人面獣三体が、一直線に走った雷撃に貫かれ、巨体はその場に崩れ落ちた。
「雷撃……っ、ヴィリ――すごい」
ヴィルリーアがまだ習得できていなかった、中級第五段階の法術だ。
攻撃系統の法術では、中級最大の威力を誇るが、その分体力を削る。
リズリーアは驚きと、それから胸の中に灯る熱を覚えた。
使える法術を立て続けに使い尽くし、そもそもヴィルリーアは限界だったはずなのに。
ヴィルリーアは力を失い、リズリーアの腕の中でぐったりしている。
「ヴィリ」
唇を引き結び、顔を上げる。
取り囲んでいた五体は雷撃を恐れ、じりじりと退がっている。
自分が行動するのなら、今だ。
「今のうちに、みんな、レイのそばに! 障壁を張るから!」
リズリーアはヴィルリーアを抱え、引きずるように歩いた。すぐにグイドがヴィルリーアを抱え上げる。
ラウルは駆け寄り、レイノルドの状態を覗き込んだ。
「レイ――!」
あちこちに傷を負っているが、ラウルを庇った時の肩の傷が最も深い。服に滲んだ血が傷ましい。
だが、胸はゆっくりと規則的に上下していて、その緩やかさにほんの少し救われた。
「レイ……」
「セレスティ、来て!」
剣を杖代わりに、セレスティが歩み寄る。
その背後を遠巻きに、雷撃を恐れた人面獣達が視線を注いでいる。霧の向こうに引くこともなく。
「ごめん、セレスティ、レイ、治癒をしてあげたいけど――攻撃、避けるのに障壁を、張るから」
「大丈夫です。気にしないでください」
セレスティが穏やかに微笑む。
リズリーアは泣きそうな顔をした。
「ごめん。あたしの障壁、ただその中にいるだけ、だけど――っ」
顔を振り、杖を立てた。
その段になってリズリーアははっと、瞳を見開いた。
「ゲネ姉様、どこ」
「混戦になってから姿がない。気に病むな」
グイドの声は平坦な分、憤りを宿している。
「で、でも――」
リズリーアは首を巡らせた。
「姉様! 聞こえたら来て! 障壁を作るから!」
『その辺りにゃいる。気にすんなー』
ヴァースの呑気な声。
『来るぞ』
遠巻きに引いていた人面獣の一頭が、身体を揺らし前脚を進める。
他の個体も揺れる。
地面を蹴る。
ラウルはヴァースを構えた。
『我が四方に光よ立て』
人面獣の振り下ろした爪が目前に迫り――
寸前で立ち上がった光――それは壁と言うべきものだ――が、爪を阻み、弾く。
見回せばラウル達の周りを、光の壁がぐるりと巡っていた。
光の壁に遮られ、人面獣はそれ以上近寄ることができないでいる。
ラウルは状況を見て取り、肩に張り詰めていた力を抜いた。
「――リズ、すごいな。ありがとう。おかげで助かった――」
「ち、ち、違うもん……」
リズリーアが杖を立て、両手でしっかりとそれを握っている。
普段愛らしい頬は悲壮に眉根を寄せ、薄っすらと涙を滲ませている。
「あたしの障壁は、ただ防ぐだけなの。ここから動けないし、中からだって何も、できないし、っ、あ、あたし」
杖を握る両手の指は、力を込め過ぎて白い。
「あたしの力じゃぜんぜんっ、し、四半刻しか、保たないし――っ」
ラウルは意識のないレイノルドを見つめ、それから顔を上げた。
「じゃあ、いまは休息して、力を溜めよう」
見開いた水色の瞳に微笑む。
「リズとヴィリがいてくれたから、みんな生きてる。あと、ちょっと頼り過ぎて申し訳ないけど、この状態で治癒を使えたら、セレスティやレイノルドを癒して欲しいな」
「――でっ、できる……っ」
リズリーアは手の甲で乱暴に涙を拭い、レイノルドの傍らにしゃがんだ。
「先にレイね。二回かける。それからセレスティ」
暖かな光がラウル達の面を照らす。
「グイドさん、セレスティ」
二人の視線を受け、ラウルはヴァースをしっかりと手に握った。
ヴァースの柄から返る確たる手応え。
「俺もう、さっきみたいな馬鹿はやりません」
「そうしてくれ」
「全くです」
あ、容赦ない。レイノルドが寝てて良かった。
「ラウル。オルビーィスを」
グイドがオルビーィスをラウルへと手渡す。
受け取った腕の中に確かな重さを感じ、ラウルは束の間オルビーィスの躯を抱きしめた。
(オルー)
一つ息を零す。
顔をしっかりと、上げた。
「これから、全力でここを抜けます。力を貸してください」
「弓は折れたぞ」
ぐう。
「私の右腕も折れていますね」
ぐ……
え?
嘘でしょ?!
平然と付け加えることですか?!
レイノルドの胸に手を当てながら、リズが目を剥いて凄い勢いで顔を跳ね上げた。
「治す! あたしが治すからね! そこいて!」
「セレスティ、座っ」
どっ、と――
空間が揺れた。
「何だっ」
目をやった先、光る壁のすぐ向こうに、男の顔があった。笑っている。
人面獣。
すぅっと引き――
再び、空間に衝撃音が走る。
嵐で折れた木の枝が壁に打ち当たったように、激しい音。びりびりと障壁が震えた。
「ちょっ」
人面獣が突進し、障壁に体当たりしている。
一体だけではなく、次々と。
ずしん。
ずしん。
体当たりを繰り返す毎に光る障壁は、頼りない硝子窓のように震えた。
人面獣は首を捻って肩から衝突するのだが、視線だけはラウル達に向けられていて、それが滑稽で余計に悍ましさを増している。
ずしん。
ずしん。
ずしん。
ずしん。
ずしん。
この障壁が切れれば、後は引き裂かれ、生きながら喰われるだけだ。
リズリーアはセレスティへの施術を終え、再び自分の杖と、気を失っているヴィルリーアを腕に掻き寄せた。
「て、転位が、あたしに使えれば――」
リズリーアは今にも弾けそうな障壁を見つめ、唇を噛み締めた。
「転位?」
「ここから、別のところに移動できるの。例えばラウルの小屋とか」
「それは、すごいね」
「できないの。転位は、第九段階の高等術式だから」
これだけの人数を安全に転位させようとすれば、更に高い技術を習得し、技と精神を鍛錬し、経験を重ねなくては到底できないのだ、と。
「でも、母様だったら」
衝撃が加わる。
空間が震える。
「ごめんなさい。切れる」
リズリーアは水色の瞳で、ラウル達を見た。
セレスティもレイノルドもラウルも傷を負っている。
グイドの弓は折れてしまった。
ヴィルリーアは意識を失ったままだ。
「あたし、もっと修練を重ねて、力をつけなきゃいけなかった」
ラウルは自分の手に視線を落とした。
リズリーアが悔いる程にも、ラウルの手には力は無い。
「あたしが、来たいって言わなければ――ヴィリは」
障壁の振動。
「ごめんなさい……あたしが」
「俺達が認めた。この旅でお前は充分良くやっている」
グイドをさっと振り返る。
「で、でも」
「私の腕の骨折を治してくれました。骨折を治す術はまだ完全じゃないと言っていたでしょう? リズリーアの力は確かです。この旅で成長している。ヴィルリーアも」
「で――も」
「さっきも言ったよ、リズ」
ラウルはリズリーアを見上げ、微笑んだ。
「リズ達は俺を助けてくれた。だから、今度は俺がみんなを連れて帰る番だ」
オルビーィスを抱えていて、とリズリーアへ手渡し、立ち上がってヴァースを構える。
まるで歴戦の戦士のように。
大した力もないくせに、腕も脚も少しも震えていないことが何だか可笑しい。
「絶対に、帰ろう」
何度目かも覚えていない衝突音。
もう、障壁の光が薄れている。
切り抜ける為の有効な手段は無い。
それでも、帰れると、ラウルは明確な根拠もないままに強く、そう思っていた。
ヴァースの柄がなんだか暖かい。
澄んだ音がどこかで鳴っている。管楽器が歌うような。
気付けばそれは、ラウルの手の中から鳴っているのだ。
そして、セレスティの手にしたノウムからも。
レイノルドの傍らに置かれたフルゴルからも。
剣が鳴っている。
共鳴している。
光が、三つの剣身の内側から透けるように差した。
「ヴァース、フルゴル、ノウム――」
力を貸してほしい。
「グイドさん、レイノルドを起せますか」
「起きた」
グイドではなく、聞き慣れた声が返る。
ラウルは笑みを浮かべた。
「良かった。さっそく悪いけど、動けるなら手伝ってくれよ」
「人使いが、荒いな――」
視界の端に構えたフルゴルの剣身が見える。
ずしん、と。
ラウルの正面に人面獣の笑みが突進する。貪欲な目。
(割れる)
障壁が消えた瞬間、まずは剣を突き出す。
一体でも多く。
覚悟を決め、ヴァースの切先を突き出そうと柄を握り直した、その時に背後で驚きの声が上がった。
リズリーアの声が震えて届く。
「ラウル――オルビーィスが……」
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