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第4章 きりふり山の冒険

17 決闘の日


 



「レイ!」

 レイノルドの腕を掴み、そのまま斜面を転がる。レイノルドの身体を何とか、抱え込んだ。
 岩に遮られ、強かに叩きつけられる。代わりに落下は止まった。

 頭を起こそうとして虚しく、意識が遠のく。







『決闘を――明日、朝六刻に』



『ヴァルビリーの枯れ園で』




「行きたくない……」

 一晩ずっと、悩んで、悩んで、悩んで――
 気持ちはやはり、“行きたくない”だった。
 ただその一言だ。

(レイと決闘なんて、無理だ)

 エーリックやアデラードと変わらない。実の兄弟のように育った。
 乗馬だって教えたし、氷の上の滑り方も、雪合戦の効果的な投げ方も教えた。
 剣だって最初はラウルが教えたのだ。ほんの少しの間だったが。
 息を切らしながらラウルを追いかけてくる姿が愛おしかった。

(最近かわいく無……いや)

 決闘。
 もう国内では廃れた風習だが、こうした端も端の街ではいまだに残っていた。
 決闘で物事を決めるなど、悪しき風習だと思う。

 怪我だけならばまだいいが、命を落とす事すらあるのだ。
 そしてそれを、より美談とするのだ。
 世間が。

(レイを――)

 剣の腕で敵うわけがない。
 まともにやったら死んでしまう。

 嫌だ。


 レイノルドを、人殺しになんてしたくない。



 窓の格子戸の隙間が、淡い光を滲ませる。
 夜が明けようとしている。
 約束の場所に、約束の時間に間に合うためには、もう館を出なくてはいけない。





 馬が既に引き出されていた。
 十一月の初め、太陽は昇りかけたばかりで、ラウルの立つ玄関先まで陽射しは届かない。風がなく、ただ空気は冷え切っていた。
 腰に帯びた剣の鞘が布越しにも冷たい。
 エーリックとアデラードの姿が無いことにほっとした。二人には決闘のことを絶対伝えないで欲しいと、家の者達に固く頼んだのだ。
 ただ。
 ラウルはそっと息を吸い、足を止めた。
「――母上」
 母アンナが、引き出された馬の斜め前に身支度を整えた姿で立っている。
 両手を前に揃え、背筋をぴんと張り、綻び一つないその姿で、まだ玄関階段の上にいるラウルを見上げている。
 ただ一言――
「お父様の汚名を雪ぎなさい」
 ラウルは返す言葉を――、飲み込み、階段を降りて母の前に立った。
 父――彼女の夫が亡くなってから頬が目に見えてけ、生来のたおやかな印象にきつさを加えている。柔らかな栗色の髪も艶を失い、灰色の瞳は暗く沈んでいる。
 柔らかく笑っていて欲しかった。
 そんな言葉を言わせたくはなかった。
「――行ってきます」
 それだけを口にして、ラウルは馬の手綱を掴んだ。



 ヴァルビリーの庭園は、オーランド子爵家の館のあるロッソの街から馬で半刻ほど、農道や森の中の道を進んだ先にある。
 ラウルの祖父である先先代のオーランド子爵が整えた庭園で、かつては狩猟の時期に大勢が集まり、園遊会などが開かれた。
 狩猟の時期以外は一般に開放されていて、周辺の領民にも親しまれている。
 小さな丘を中心として、丘の上に東屋があり、植え込みや花壇の間を小川が流れ、広場に噴水がある。
 春になれば花々が爛漫と咲き誇る庭園も、冬の入り口のこの時期は閑散としているはずだ。
 憂鬱な思いを抱えたまま、ラウルは半分上の空で馬を進めた。
 ずっと考えているのは、この決闘をどうにか回避できないかということばかりだ。
 レイノルドを説得できないか。
 誰か、おそらく見届けに集まってくるだろう街の人々に止めてもらうとか。
 急に大雨が降ってくれたら。
 誰かがラウルを急ぎの要件で呼びにきてくれないだろうか。
 何なら、自分が怪我をすれば。
 ラウルは地面を見た。
 ここで落馬して――
 腕の一本でも折れば。
 こんなゆるい速度では擦り傷程度で済んでしまう。
 馬を思い切り走らせて――
 手綱と鎧から、両手両足を浮かせる。
 それだけ。
「よ――よし」
 もう道は森の中に入っている。この森を抜けて少ししたら、ヴァルビリーの庭園だ。
 辺りを見回す。道の前後には誰の姿も無い。
 落馬の痛みを想像して鼓動が早く、息苦しくなったが、それでも、今――
 やらなければ。
 着く前に。
「やるしか、ない」
 手綱を握り、馬を走らせようとしたその時だ。
 叫ぶ声が聞こえた。
「えっ」
 森の中、今いる道の右手側からだ。
「助け――」
 悲鳴に近い声。
 ラウルは馬を降り、道から外れて森の中に踏み入った。
「どこですか!」
 人影が樹々の間に動いた。掠れた声が返る。
「助けてくれ! 罠に、足が取られて」
「今行きます! 無理に動かないで!」
 叫び返しラウルは馬の鞍から鞄を掴んで人影へと走った。
 太い樹の根元に蹲っていたのは、三十歳を過ぎたくらいの小太りの男だ。樹を伐りに来たのだろうか、手斧が下草の上に落ちている。
 彼の足首を捉えているのは獣を捉えるための鉄製の罠だ。半円の鉄の輪を蝶番とバネで円形に広げて草むらに隠し、踏み込んだ獣の脚を内側に並んだ歯が噛むように捉える、虎鋏と呼ばれるものだった。
 鉄の歯が男の足首に食い込んでいる。
 呻く男のそばに膝をつき、手早く両手に布を巻きつけるとラウルは閉じた鉄の輪に手をかけた。
「動かないで――今外しますから」
 バネが固いことを覚悟しつつ、ラウルは両手に力を込め――思わず身体が前のめりになって下草の上に右肩から倒れた。
「えっ」
 バネが、軽すぎた。
 思い切り力を込めたら軽すぎたせいで体勢を崩したのだ。
「え、何――」
 驚いて起きあがろうとした時、首筋にヒヤリとしたものが当たった。
「動くなよ」
 目を動かし、それが手斧の刃だと見て取る。
「な――」
「お前にはここにいてもらえってよ。そうだな、昼ぐらいまでか」
「誰だ……」
 違う。
 誰に・・
 問う間もなく、ラウルの後頭部を石のように硬いものが打った。
 痛み。
 意識が遠のく。
 何とか伸ばした指先が、男が腰に括っていた袋を掴んだ。
 硬質な何かが触れ合う音が袋の中で鳴る。
 指先から、声が流れ込んだ。


 ――前金だ
 ――ラウルを、決闘前に


 聞き覚えがある。


(セルゲイ、叔父上――)


 意識は、そのまま灰色の闇に沈んだ。





 目を覚ました時、ラウルは森の中に倒れていた。先ほどの大樹の下だ。
 男の姿はなかった。
 罠の跡もない。
 馬は道の脇の木に繋がれ、のんびりと草をんでいた。
 陽は樹木のてっぺんから陽射しを落とし、正午辺りだとわかった。
 決闘の時間などとっくに過ぎていて――


 ラウルは心から、ほっとした。











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2023.8.6
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