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第4章 きりふり山の冒険

18 巣(その2)


 

18 巣(その2)



「ラウル――おいラウル!」
 頬をはたかれて目が覚めた。
「なっ」
 何が?!
 頬がじんわり後から痛い。
「ラウル!」
 もう一度振り下ろされる気配に、ラウルは咄嗟に首を捻って避けた。
 目の前で拳が空を切る。
 振り下ろしたのはレイノルドだ。体重こそかけていないものの、転がったラウルを跨いでいる。
「レイ――」
「チッ」
 え。
 今、舌打ちした?
「今、舌打ちした?」
「してない」
 いやいやしたよね? しっかり聞こえたもんね?
 何かすごい眉顰めてるしね?
「気付いて良かった。立て」
 ラウルは首を起こし、呻いた。
 ズキズキと身体のあちこちが痛む。
 なぜ今この状況なのか、記憶をたぐった。
 そう。
「決闘――」
「何だ?」
「俺、君と決闘を――?」
 レイノルドも肩に怪我をしている。
「避けたつもりなのに――」
「その通りだ。知ってる」
「え」
 レイノルドは手を伸ばし、ラウルの右肩を掴むとぐいと引いた。痛い。
「だが今はそれどころじゃない。立て」
「え」
 咆哮が響いた。
 ほんの少し離れた場所。
 混乱しかけた意識が、すぐに現実を取り戻す。
 ここはきりふり山だ。
 ラウルだけではなく、セレスティ、リズリーアとヴィルリーア、グイド、それからレイノルド。
 ヴァース、フルゴル、ノウム。
「みんなは!?」
 オルビーィスは。
 飛び起き、走った痛みにまた顔を歪める。見れば左肩と右腕上腕に深い傷を負っている。
 確か足も尾の蛇に咬まれたはずだ。ズキズキと重苦しい痛みと熱を感じるが、見たくないので確認はしなかった。
 周囲は霧に包まれ、人面獣の姿は見えない。
 さっきの場所はもっと上――ラウル達が滑り落ちてきた、斜面の上だ。何かがぶつかるような物音と人の声。グイドの声だとわかる。
 腹の底を震わせるような咆哮が響いた。
「戻らなきゃ。レイ、君は」
「問題ない」
 そう言ったレイノルドも傷を負っている。右肩は服が三筋に裂け、血が袖口から滴っていた。
「ごめ――」
 半ばで口を引き結び、ラウルは立ち上がった。頭の上あたりにあったヴァースを掴む。
 フルゴルはと見れば、もうレイノルドが掴んでいた。
 また咆哮。先ほどとは異なる位置から上がった。
「戻るぞ」
 踏み出したレイノルドが身体を傾がせ、ラウルは右肩を入れて支えた。ずしりとかかった体重が、すぐ軽くなる。
「余計なことしなくていい」
 言われたがラウルはもう一度、レイノルドの身体を支えた。
「君は無茶するから。小さい頃も無理に登った木から落っこちて怪我したりして」
「兄貴面するな」
「前は素直で可愛かったのに、これも成長だねぇ」
「聞いてんのか?」
 数歩歩いた時、丸い光が前方の霧の中に灯った。
 鈴が鳴る。
 澄んだ、軽やかなその音。
 もう一度。



 しゃらん。




『――来れ、来れ、夜のとばりにそのかいなを開くもの』


『眠りよ、のものをその腕にいだけ』


 杖の先端に揺れる鈴が、澄んだ、歌声を思わせる音色を揺らす。


深き眠りをここへヒュプノースカゥロ


 リズリーアは杖で頭上に円を描いた。
 朝露が降り注ぐように、杖から振り撒かれた淡い光の粒が、リズリーア達を囲む人面獣の群れへ注ぐ。
 朝露に香る花を思わせる芳しい風が流れる。
 七頭いた人面獣は全て、その場に蹲るように倒れた。
 両手で力一杯杖を握りしめていたリズリーアは、一呼吸置いて、そっと周囲を見まわした。
「――はあぁ」
 全身の力を抜いて、その場にへたり込む。
「効いた――っ」
「リズちゃん、すごいよ」
 興奮した様子で飛びつくヴィルリーアを受け止め、
「ヴィリの風切りがあったから」
 ぎゅうっと抱きしめて、リズリーアは視線を巡らせた。
 ヴィルリーアが『風切り』を唱えて人面獣の足を止め、グイドが二体、セレスティも一体、牽制に動いた。
 それを利用してリズリーアは、長い呪言を唱えられたのだ。
「おじさん、セレスティ、怪我は」
「俺は無い」
「私も、幸いかすり傷程度で済んでいます」
 グイドは言った通り負傷はなく、矢も既に矢筒と手元に戻っている。セレスティはところどころ血を滲ませてはいるものの、目立った負傷はなかった。
「良かった。ラウル達は」
 斜面の方へ首を巡らせかけ、先に声がかかった。
「みんな――!」
 霧を掻き分けるように、ラウルとレイノルドが斜面を登ってくるところだ。
「ラウル! レイノルド! 無事だった――じゃない、怪我! 結構ひどい!」
 リズリーアは駆け寄り、「骨折は? 無い? 良かった座って!」
 二人を座らせて治癒の法術を素早く口ずさんだ。

 暖かな光が二人を包む間も、グイドがラウルの前に立った。厳しい目に見下ろされ、ラウルは治癒を受けながらその場で姿勢を正した。
 叱責は甘んじて受けなければ。
 冷静になれば愚かな行為だと、つくづく恥ずかしい。
「ラウル――」
「待ってください、グイド殿」
 グイドを左腕でやんわり制し、セレスティがラウルの前に立つ。
「ラウル」
 セレスティの声も初めて聞くほど厳しい。
 ラウルはセレスティの青い瞳を見上げた。
「貴方の先ほどの行為は決して褒められません。特に我々は、皆一人ひとりが同じ目的のもと、一人ひとりが意志を持って共に行動しているからこそ。貴方の行動はその私達を信用していないと、そう言われているように感じさせてしまう」
「そんなつもりはないです!」
 ラウルは慌てて首を振った。
「絶対」
 セレスティを、グイドを、リズリーアとヴィルリーアを見つめ、ラウルは深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。みなさんを、侮辱することになってしまった」
「お前は視野が狭いんだ。昔から」
 レイノルドへ返す言葉も無い。
「あたしは、ラウルはおバカだと思うし」
「リ、リズちゃん」
 黒い法衣の頭巾はすっかり背中に落として愛らしい面を持ち上げ、リズリーアはほっそりした両手を腰に当てた。
「あたしもやっぱりちょっと怒ってるけど、でも、無事に戻ってきてくれたから、それでいいよ」
「僕も、し、心配、しました……っ」
 頭巾の下で頬が赤く染まる。
「まあそういうことだ」
 グイドが呆れを含んで見下ろす。
「ごめ――」
 ラウルは彼等の前に深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ラウル」
 リズリーアが頭巾に入れていたオルビーィスを抱き抱え、ラウルへと、そっと差し出した。
「オルビーィスはラウルが連れて行ってあげなきゃ」
「――うん。そうだ」
 オルビーィスを抱き上げ、力を失ったその躯を抱きしめる。
「そうだね」
 親許に帰してあげたかった。
 それが心残りだ。
「どうする、ラウル。お前とレイノルドの傷も完全に治ったとは言えないだろう」
 問われ、ラウルはグイドを見上げ、それから白い鱗へと瞳を落とした。
 動かないオルビーィスの鱗を撫でる。
 セレスティが背に当てた手の、暖かさ。
 布越しに伝わる温度に、彼等が生きていることを実感する。そのセレスティも傷を負っている。
 顔を上げ、ラウルは六人へ、それぞれ視線を巡らせた。
「すぐに下山しましょう。もうこれ以上、危険なことはできません」
 人面獣達が眠っている間に、ここを離れなければ。追って来れないところまで。
 そう決めたらもう停滞してる暇はない。
 ラウル達は、まずこの霧を抜けることを目指し、斜面を降り始めた。
 道もなく方角は明確ではなかったが、登っている時は太陽が山の右側にあり近くに渓谷はなかった。
 太陽を左に見ながら渓谷を背にするように進む。
 滝の音が周囲に轟き、霧は中々薄くならず、手足に絡みつくように思える。一行は黙々と、つまづきやすい足元に注意を凝らしながら歩いた。
 降り始めて四半刻ほどは経っただろうか。そんなに長く歩いてはいない。
(けど)
 ラウルは――ラウルだけではなくおそらく全員が、焦りと不安を覚えていただろう。
 霧は全く薄くならない。
 そして、轟く滝の音は、すぐ背後にあるように響いている。
(進んでるのか、これ――)
 同じ場所をぐるぐると歩いているような。
 先頭を行くセレスティの歩調も、時折踏み出すのを迷うように乱れる。
「――あの、グイドさん」
 セレスティのすぐ後ろを歩くグイドの背へ、ラウルは恐る恐る声をかけた。
「俺達、降りてますかね……」
 グイドがぴたりと立ち止まる。
「あっ、いや、貴方の案内に疑問があるとかではなくっ」
 振り返ったグイドは、左腕をすっと上げた。
「グイドさん?」
 グイドの険しい目がラウルを射竦める。
 構えた弓――番えた一本の矢を。
「えっグイドさ」
 いや、ラウルをではなく――
「俺達をここへ誘い込んだ、目的は何だ」
 一番最後を歩いていたゲネロースウルムへ。
 矢を向けられていることなど気にもせず、微笑んで立っている。
「誘い込んだ――? 違うよ。これが効果的な道順だ。お前達の目的を果たす為のね。まあまだ、踏むべき手順があるのだが」
「命が対価の道順か。そもそも俺達の目的? 違うな」
「グイドさ」
「お前自身の目的の為だ」
 そのままゲネロースウルムを射るかと思えたが、グイドは矢筒から二本の矢を取り出し、最初の矢を番えたまま小指と人差し指の腹に挟むと、再び弓を持ち上げた。
 ラウルの右手の下で、ヴァースが振動する。
「セレスティ、レイノルド、ラウル、剣を構えろ。まだ来る・・・・
 ゲネロースウルムは微笑んでいる。
 グイドは忌々しそうに視線を外し、双眸を細めた。
「ここは巣だ――」
 降りようとしていた方向、霧の奥で、小石を踏む音が聞こえた。
 足音。一つではない。
 振り返る前に右側で。
 左も。
 それから、後方――
「囲まれています」
「きょ、強化を……」
『鋼鉄』を唱えようとしたヴィルリーアをグイドが止める。
「あと何度も使えないだろう。攻撃系に徹してくれ」
 ヴィルリーアははっとして、頷いた。
「――は、はい」
「ヴィリ、あと幾つ」
 ヴィルリーアと背中合わせに立ち、リズリーアが尋ねる。
「た、多分、光の矢と、風切り、一回ずつくらい……」
 少ない。
 リズリーアは精一杯の笑みを広げ、両手を握った。
「じゅ、充分だよ! あたしは治癒ならあと七回くらい使えるし、光球とか、障壁、あとまだ眠り寄せも使えるもん。ヴィリと合わせれば、充分戦えるよ」
 音は霧の向こうから、次第に、確実に、近付いてくる。
 ヴァースの柄の振動が、静まった。
『来るぞ、ご主人――』



 次の瞬間、霧が一斉に咆哮を上げた。










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2023.9.3
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