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第4章 きりふり山の冒険

14 白骨ヶ原


 


 魔獣との遭遇がなくなった。
 一刻ほど前からだろうか。
 兎や岩鼠といった小動物もだ。魔獣はいいが、食糧のためには小動物くらいは出てきて欲しいところなのに影も見ない。
 高所まで上がってきたからかもしれない。自分達がいる位置を示す強く冷たい風だけが、石や岩が転がる斜面を吹き抜けた。
「二日かけて登ってきて――時間がかかりましたが、その分身体が慣れて助かっているのかもしれませんね」
「そう思います」
 ラウルはセレスティに頷いた。
「千四百間まで一気に登ったら、多分高山病ってやつになりますし。今は、標高――千間(約3,000m)くらいまで行きましたかね」
「せいぜい八百間(約2,400m)といったところだよ」
 ゲネロースウルムがあっさり希望を打ち砕いて微笑む。
 うう。
「ゲネロースウルムさん。もう少しお手柔らかに、希望を持たせてくれると」
 ゲネ――言いにくいな。書きにくいしな。
 リズみたいにゲネ姉様で――
 いや言いにくいな。
 ゲネお姉様なら――
 いっそお姉様――
「本当のことだからね。この辺りからもっと厳しさが増してくる」
「そうは言ってもお姉様」
 五つの視線が一斉に自分に突き刺さったのでラウルはこの呼称を使わないことにした。
『お姉様ー』
 繰り返さんでよろしい。
「ぴぃぴぃ」
 オルビーィスが首を振っている。
 オルビーィスにも呆れられてしまっただろうか。
 あ、すりすりしてくれた。
「良かった」
 両手で頭を何度もくるくると撫でている。
「かわいい」
「心の中がダダ漏れだね」
 リズリーアが嬉しそうだ。良かった。
「山頂がまだずっと先なのはわかりました。それで、ちょっと気になっているのが、生物の気配がなくなってきたような」
「この辺りはね」
「もしかして、主の棲家に近付いているからとか――」
 グイドが言っていた、もっと恐ろしい存在。
「主は山頂だよ。彼女はそこに棲んでいる」
 彼女――
 さらりと口にしたその言葉をどう捉えればいいか。
(知り合いですか?)
 ラウルは別のことを尋ねた。
「きりふり山の主は、この子の母親ですか?」
 ゲネロースウルムは切れ長の美しい瞳で、ラウルの目を覗き込むように見つめた。
「そうだね。その子と同じ、白竜だ」
 その瞳をオルビーィスへと向ける。
「断言しやがるな。何でそんなに詳しい。何でそんな簡単に俺達に教える」
 グイドの低い声にも掴みどころのない微笑みが返る。
「知りたいから聞いたのだろう?」
 人を食ったような、という表現はこう言う時に使うのだろうか、とラウルは思った。
(いや、何か人も喰いそうだけれども)
 不快さがあるわけではない。
 正直にいえば怖い。
 ただ、ヴァースもオルビーィスも、特に警戒はしていない。
 だからラウルは、導かれるままについて行ったのだ。

 気付けば。
 辺りを再び霧が覆い始めていた。
 つい数呼吸前までは視界を遮るものなど、雲一つもなかったのに。
 滑りやすい足元に気を取られがちだったこともあるが、六人はそれぞれ顔を上げ、驚いた声を出した。
「霧――? いつの間に」
 午前中まで抜けてきたような、濃密なそれとは違う。
 肌に触れると細かな水滴を作る。
 白い幕は風に乗り、するすると周囲を流れて行く。
「霧っていうより雲だな。流れが早い」
「雲?」
「えー。雲の中ってもっと、ふわふわしてるんだと思ってた」
「雲はとても小さい水の粒が集まったものなんだよ。だから雲があったら吹雪を呼ぶ法術とか、すごく楽になるみたい。リズちゃんの系統でも、『水創造』の原理で習ったと思うよ」
「な――習ったかもしれないし、習ってないかもしれないもんね」
「少し寄れ」
 グイドが促す。
「午前中までとは違って道らしい道がない。うっかりするとはぐれる」
 霧は濃くなり薄くなり、ラウル達を撫でて流れていく。
 その中を、銀糸の服の裾を歩むごとに柔らかくひるがえし、足を取られやすい小石を気にすることもなく、ゲネロースウルムだけが軽々と歩みを進めた。ラウル達は小石で時々脚を滑らせながら、といった具合だ。
 斜面も角度を増していて、余計滑りやすく体力を削られる。
(早く、山頂についてほしいなぁ……)
 この山に入って何度そう思ったことか。
 きりふり山の情報がほとんど無かったのもあるが、それにしても旅がこんなに長くかかるとは思わなかった。
 もう一生分動いたかもしれない。
(ということは、これ以上動くと一生分以上を超えてしまうわけだから、これ以上動いてはいけないのでは)
「ラウル」
 ひいひいと、足元に集中していたラウルはセレスティの声にようやく顎を上げた。
 セレスティが少し先の斜面を示している。
 霧の中にぼんやりと、白い何かが落ちている。ようだ。
「何、でしょう」
 近づいていくと、それが何かすぐに分かった。
「うわっ」
「骨ですね。犬くらいの大きさか」
「骨? ひえ」
「あの、あそこにも……」
 ヴィルリーアが指差した先を見て、ラウルは思わず呻いた。
 束の間薄くなった霧の中、斜面に同じく白い骨が、点々と転がっている。
「うわぁ」
 それは石塊いしくれしかなかった荒涼とした光景を、一層寒々しく仕立てていた。
「なんか、やだな。動物、全然いなかったのに」
 リズリーアの声も小さい。
「喰われた跡がある。獣にか。おそらくこれ全部同じ系統の歯型だろう」
「ちょっと、怖いこと言わないでよ」
「事実だ。警戒しなきゃならん、誤魔化しても意味がない」
「そうだけどお」
(そうだけどお)
「ここを縄張りにしていた群れが喰われたか、ここまで引きずられてきて喰われたか――骨の種類がまちまちだから後者だな。随分と大喰らいだ」
「怖いこと言わないでよお」
(怖いこと言わないでよお)
 グイドの言葉どおり、骨には牙の跡が薄ら残り、そして種類は様々だということがラウルの目にもわかる。
 肉は綺麗に食い尽くし、骨も時々砕かれ欠損していた。
「け、警戒しないとですね。ヴァース、近くに魔獣とかの気配は?」
『あるぞ』
「えっ」
 えっ。
 無い、と返るのを期待していた。
「えっ、ある?」
『あるぞー。まあでも近くないけどなー』
 近くない、というのが安心していいのかわからない。
「近くないからと安心はできません。この辺りは早めに抜けた方がいいですね」
 セレスティは周囲を見まわし、グイドを見た。
「抜けるって言っても明確な道がある訳じゃないしな。とりあえず上を目指すしかない」
 再び歩き出し、四半刻も経たないうちに、辺りは山羊の乳のような乳白色に染まっていた。
「雲って、こんな感じになるもの?」
 濃すぎる。
 ラウル達はかなり固まって歩いていた。
 先頭を行くゲネロースウルムの姿は白い世界に今にも溶けそうだ。
 ここではぐれたら――
「方向は合ってるのか?」
 グイドの問いに、端的な言葉が返る。
「合っているよ」
 その声は滲むように拡散し、霧が答えたかのよう思えた。
 遠くで雷鳴が響いた。
 靴底が脆いものを踏み、がくんと身体が落ちる。
「わっ」
 骨だ。
 動物の骨でも踏んでしまったことに申し訳なさを覚え、ラウルは一度目を伏せた。
 目を閉じたのはほんの一呼吸程度でさえなく――
 ぱしん、と、オルビーィスの尾が背中で跳ねる。
「――え」
 顔を上げたら周りには、誰もいなかった。











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2023.8.6
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