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第4章 きりふり山の冒険

13 きりふり山の山中で


 


 ゲネロースウルムは彼女自身が口にした通り、見事に一行を護衛した。
 途中出現した一間半(約4.5m)もの巨大芋虫をシュディアールで一刀両断し、水場かと思った粘着的流動体を岩ごと削り取り、立ち上がれば一間はあろうかという大熊を断った。
 巨大な食人花を断ち、岩猪――その名の通り、岩のような硬い表皮で覆われた猪だ――の群れを薙ぎ払った。


「お、多くないですか?」
 魔獣。
『ここらまではなー』
 魔獣が現れる都度ビクビクハラハラしているラウルと対照的に、ヴァースはのんびりしたものだ。
 まあ剣だし。
『しかしなかなかすげーな、あのお――す……』
 ゲネロースウルムの銀の目がちらりとヴァースへ落ちる。
『うへぇ怖い』
 何となくヴァースが首をすくめた気がした。剣だが。
「……」
「ゲネ姉さまが全部倒してくれるからすっごい楽」
 リズリーアは朝方の件すっかり忘れたのか、革靴の靴底でくるりと回った。六枚の布を合わせた膝丈の外套が風を含んで広がる。
 巨大芋虫が出た時は卒倒せんばかりの悲鳴を上げたリズリーアは、あっさり排除してくれたゲネロースウルムにすっかり懐いている。
 しかしリズリーアの愛称の選び方はどんなものだろう。
「うん、僕も……」
 とても安心です、とヴィルリーアが言うと、セレスティが整った面をやや傾げた。
「私は少々、物足りないというか――いずれも剣の腕を磨くため、自ら戦いたかったのが本音です」
 セレスティは来年の王都での御前試合を目指しているのだ。腕を上げるための今回の登山だ。
 ラウルはリズリーアと同じ思いだし、何なら一緒に悲鳴を上げかけたのをリズリーアの悲鳴で誤魔化したのだが、セレスティとしてはそういう感想になるのも頷ける。
 とは言えセレスティも昨日の戦いでそれなりの負傷をしたのだが、そこら辺は特に厭わないようだった。
「まあ役に立つじゃないか。連れて来て良かったな」
 とレイノルドは相変わらずツンツンしている。
 ゲネロースウルムが魔獣を倒すのを感心したように見ていたのに。素直じゃないなあ。
 それから。
 一番、不満そうなのは――
 ラウルはグイドを見た。
「矢の使い所が無ぇ」
 ぼそりと呟いている。
(ですよね……)
 新たに手に入れた矢を試してみたいのだろう。
 弓を構える前にゲネロースウルムが全て薙ぎ払ってしまうので、まだ一度もあの(怪しい)矢を打っていなかった。
 先頭を歩いていたゲネロースウルムはグイドへ首を巡らせ、微笑んだ。
「期待してくれているようで嬉しいねぇ。なら次の獲物はお前に任せよう。何、こんな場所だ、機会はすぐに来るよ」
「そんなんじゃねぇよ」
 グイドは眉を顰めて見せたが、彼女の言葉は、すぐに現実になった。


「寝ちゃった」
 オルビーィスはラウルの肩に降りたまま、首と尾を前と後ろに垂らし、すっかり眠っている。
「かわいいなぁ」
「大丈夫か、それ」
 グイドが呆れた口調で目を細める。
「へへへ、大丈夫です。気持ちよさそうなので」
「野生に帰れるのか」
「た――」
 多分。
 いやきっと。
 霧を抜けてから更に一刻、歩いただろうか。
 とは言え斜面は色が灰色と黒か白のまだらばかりで遠目からはなだらかに見えたが、いざ近づいてみると容易に越えられない段差が少なくなかった。進むのも休み休みで距離が稼げない。
 それでも、ラウル達一行は、目的地の山頂へ、ゆっくり、近づいていった。
 やがて。
 それまで道と言えるものは無い斜面が続いていたところに、背の高い岩が転がり始めた。
 岩を縫って歩いているうちに、気付けば岩の間をくねって進む狭い道の中にラウル達はいた。
 岩は一番高いところで二間ほどもあり、仰げば青い空が川のように見える。
「ええと、このまま進んで、大丈夫ですか」
 そう口にしたものの、戻っても別の道があるかと言われれば、無さそうだと思う。岩の上によじ登るのなら話は別だが、それ以外はどうやってもこの一本の道に導かれるような岩の作りだったからだ。
「剣が使いにくいのが難点ですね」
 セレスティが首を巡らせ、手にしたノウムの剣先を左右に揺らしてみる。セレスティの腕が伸び切る前に剣先は岩の壁に遮られた。
 レイノルドが手を伸ばし岩壁を軽く叩く。
「動きが制限されて厄介だな、剣には」
『ノウムなら岩ごと斬れるぜー』
「そうかもしれません。しかしそうなると、今度は岩が崩れてくるのが怖い」
 そんな会話を交わしながらも、岩の間を四十間ほど進んだ頃、ヴィルリーアが「あっ」と、斜め上を指さした。
「あ、あれ……」
「どうしたの?」
 リズリーアが顔を寄せ、ヴィルリーアの指先を辿る。
「あ」
 リズリーアの呟きと同時にラウルも気がついた。空が眩しく視認し難いが、何か光るものがある。よく見ようと眉を寄せる。
 一つではなく、点でもない。長く、岩の間を渡る――
「――あ、あれって」
「糸ですね」
 セレスティの声に緊張が含まれた。
「蜘蛛の糸、でしょうか」
 岩と岩とを伝い、銀色の糸が幾つも交差していた。
 視線を奥に向ければ、交差の本数は無数に増え、岩の間の道に影を落とすほど重なり合っている。
「えっ、ヤダっ、クモ? ヤダ無理」
 リズリーアは頬を強張らせて後退った。
「戻――」
「リズ、足元気をつけて」
 ラウルはリズリーアを下がらせようと、狭い道を右に寄った。体が斜め倒れそうになり、手を伸ばして岩壁で支える。
 ビィ……ン……
 手のひらの下で何かが、振動した。
「あ」
 まずい。
 ラウルの手が触れて――押さえているのは、細い糸だ。
 そう。
 蜘蛛の糸。
 蜘蛛の糸といってもこれは髪の毛二本ほどの太さがある。
「ごめん!」
 慌てて離した手が粘つく糸を引く。
「動くなラウル、この馬鹿!」
 馬鹿とはひどいよレイノルド。
 と、思ったが――
 ビィィィ……ン
 糸は明瞭にその振動を伝えた。
 道の先を複層的に覆う糸へ、振動が伝わっていくのが、目に見える。
 うん。
 俺が悪い。
「ごめんなさい!」
 声が終わる前に――
 糸の檻の奥から、ラウルが生んだ振動以上の振動が返った。
 ぞわりと。
 何が来るかなど、もはや全くもって、火を見るよりも明らかだ。
 蜘蛛――
「ひぃい」
 リズリーアが消え入りそうな声を出し、ヴィルリーアが肩を抱えて支える。リズリーアの代わりに振動する巣の奥を睨んだ。
「リズちゃん、あんまり見ちゃダメ」
「ヴィ、ヴィリだって、く――クモ苦手」
「平気だよ」
 ヴィルリーアは一つ、ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐いた。
 水色の瞳は連なる岩の道の、奥へ、据えられている。
「あ、あんな大きいと、なんて言うかもう……」
「お、大きい?!」
「落ち着いてね。リズちゃんは目を閉じてて」
 ラウルは肩から落ちないようオルビーィスを咄嗟に押さえた。
 一匹。
 もうすぐ先の、糸の中にいる。その黒々とした影。
「――でかい」
 レイノルドが唸る。
 姿を現した蜘蛛は、脚を含めれば全長八尺(240p)はあった。
 まるまると膨らんだ腹は茶と黒と赤のまだら。刃のように鋭い顎と、その上に連なる八つの赤い目。
 ざわり。
 ざわり。
 ざわり。
 糸が揺れ、振動し、その都度光る赤い目が増す。
 はじめの数匹は数えられたが、蜘蛛の数はあっという間に十を超えた。
「――こ、これは、ちょっと」
 気配を感じて振り仰げば、左右の岩の上に黒々とした影が落ちている。
 背後の岩の上も。
 空にも。
「すっかり、囲まれてしまいました」
 セレスティがノウムを手に囁く。
 その言葉どおり、ラウル達はほんの僅かな時間で大蜘蛛の群れにぐるりと囲まれていた。
「双子を中に守れ」
 グイドの声にラウルは二人の右に立った。前にセレスティ、左にレイノルド、後ろにグイド。自然と定着した陣形だ。
 セレスティがノウムを斜め下に構える。
 正面中央の一匹が、体をゆすった。
 振動が張り巡らされた糸を伝っていく。
 ビィィィ……ン
 糸が揺れる。揺れる。
 ビィィィン
 揺れる。
 ビィィン
 ひときわ――
(まずい)
 大きく。

 ビィン

 次の瞬間――
 無数の蜘蛛は、一斉に糸を吐いた。
 真っ白に、蜘蛛の群れを覆い隠すほどの厚い糸の層。頭上から膜を広げたように降り注いでくる。
 セレスティが剣を振り上げかけ、その刃を細い手が止めた。
 ゲネロースウルムだ。
「危な――素手で――」
 途端に蒼白になったセレスティに頓着せず、ノウムを後ろ手で押しやり、ゲネロースウルムが前へ出る。
 岩に狭められた頭上から降り注ぐ糸へ、シュディアールの一閃が走った。
 切先が弧を描き、細い道を斜めに走る。
 糸を絶たれ、蜘蛛の重い躯が岩壁を滑り落ちた。
「ぎゃー!!」
 リズリーアが悲鳴を上げた。
 どすんと、ゲネロースウルムはシュディアールを身体の正面に盾のごとく立てた。正面から近づく蜘蛛の動きが止まる。
「ここで試すといい」
 女の赤い唇が微笑みながら言葉を綴る。
 誰に言ったのか、ラウルは無意識に後ろを見た。
 同時に視界を矢が疾る。
 糸を失った蜘蛛の群れへ、グイドが放った三本の矢が、空を切り裂き、貫き、突き立った。合わせて六匹。
「いいね――」
 女が微笑む。
 ラウルはグイドが不満げに眉を顰めたのを見た。
(グイドさん――?)
 グイドは第二射をつがえている。三本。右手の小指にもう一本を挟んでいる。
 次に放たれた矢はこれまで通り正確な射線で、三匹の蜘蛛に突き立った。
 そのまま貫く。
 後方にいた一匹、その奥の一匹、更にもう二匹。
 ラウルをはじめ全員が、矢の行方を目で追う。
 合計六本の矢はそれぞれ四、五匹を貫くと、勢いを殺さないまま、方向を変えた。急上昇し、鋭利な放物線を描いて、グイドの足元の岩場に突き立つ。
 既にグイドは七本目を放ち、足元に戻っていた三本の矢を躊躇なく抜くと、流れるような動作で放った。
 二度、それを繰り返した時には、岩場の上の蜘蛛はほとんどが倒れ伏し、僅かに残った数匹は姿を消していた。
 時間にしてほんの数呼吸ほどでしかない。
 あれだけいた蜘蛛が、ラウル達の至近に一匹も近付くことなく。
「何という――」
 剣を振るう間もなかったセレスティが、抜くだけ抜いていたノウムを鞘に戻し、青い目を見張った。
「たった七本の矢で、三十近い相手を、全て」
 矢が放たれ戻り、そして放たれる。
 一瞬の停滞もない動きだった。
「素晴らしい威力です。それだけではなく、能力、というべきでしょうか」
「――確かにな」
 グイドは弓を握っていた左手を、何度か握り、開いた。
「グイド殿の技術と、その矢。貴殿の名声がますます」
 そこまで言って首を傾げる。
「どうかされましたか。問題が」
「グイドさん」
 グイドが眉を顰めたのを見ていたラウルもグイドへ近寄る。
「もしかして、弓が、矢についていかないのでは」
「さすがに鍛治師の視点だ。見た通り矢に弓が負けてる。イチイ主体のを持ってくりゃ良かったな」
「幾つかあるんですか」
 ラウルに頷く。
「もうちょい強度と弾力が上がる。今回は森で取り回しがききやすいのを持って来たんだが。いくら矢が戻っても、早い段階でこっちがイカれるかもしれねぇ」
 なかなか深刻な問題だ。
 無限に射ることができる矢を手にしても、それを打ち出す弓が壊れてしまっては。
「グイド殿の弓は我々の生命線ですからね……」
 口元に手を当て唸るセレスティの背中から、ヴィルリーアが顔を覗かせる。
「あ、あの……」
 両手に杖を握りしめ、おずおずとグイドを見た。
「僕、『鋼鉄』を習得してます」
「鋼鉄?」
 ラウルがヴィルリーアへ首を傾けると、ヴィルリーアは頬を赤くして、首をすくめた。
「あの、ええと、鋼鉄というのは、その……」
「強化だよ。ね、ヴィリ」
 リズリーアがヴィルリーアに並んで代わりに胸を張る。頭巾を目深に被り、周囲に転がっている蜘蛛の死骸は目に入れまいと首を不自然に逸らしている。
「ヴィリは武器とか鎧の強化ができるの。使えるってすごいんだよ。褒めて褒めて」
「すごいな、ヴィリは」
 そう言うとリズリーアの方が嬉しそうな顔をした。
「でしょでしょ」
「素晴らしい。この剣がますます切れ味を増すと言うことですか。ぜひその術をノウムに」
 セレスティが瞳を輝かせ、レイノルドはやや言いにくそうに
「武具が心許なかった」
 と言った。
 そりゃあ後から来た君は軽装だもんね。何が目的かちゃんと把握しないでくるから。
「若いのに、ラウルよりもずっと役に立つな」
 一言多いんだよ君は。
『ご主人の能力は偏ってるからー』
 君も一言多いよ。
「ぴい!」
 あ、オルビーィス起きた。
「ぴぃぴぃ!」
 ありがとう、オルビーィス。元気でる。


 ヴィルリーアによると武器強化の法術は、掛けてから半刻しか保たないらしい。
 加えて一回の詠唱につき、対象になるのは一つの武器か鎧だけ。
 今のヴィルリーアでは、一日に最大五回しか使えない。五回は他の法術を使わなかった場合の回数だ。
「鋼鉄もいい術だが、お前さん達のどちらか、風は扱えないのかい?」
 ゲネロースウルムはリズリーアとヴィルリーアへ、首を傾けた。銀髪が今は陽光を含んで輝き、一層その姿を人とは違うものに見せている。
「風切り! ヴィリが使えるよ」
 リズリーアが得意そうに胸を張る。
 ゲネロースウルムが双眸を細めた。
「それもいいが私のお勧めは、颶風ぐふうほどの風さ。一帯全てを吹き払う」
「そ、それは、上位の術式です……僕には、まだまだ、ぜんぜん」
「これをあげるよ」
 ラウルはまたゲネロースウルムが何もないところから何かを取り出すのかと思ったが、取り出したのは長い袖の中からだった。
(え、いや、あそこも物が入るところじゃないのでは?)
 細い巻物だ。
 差し出されたそれをヴィルリーアはおずおずと受け取った。
「あの」
「颶風、或いは山嵐。好きに名付ければいいが、お前さんが使っておくれ」
「あ、ありがとうございます。きっと、もっと、この旅で経験を積んで――」
「なに、すぐに使えるさ」
 そう言い、ゲネロースウルムは「え、えっ」と狼狽えているヴィルリーアに、にこりと微笑んだ。


 ラウル達は狭い岩場をくねりながら進み、ようやくそこを抜けた。










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2023.8.6
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