目次


第4章 きりふり山の冒険

12 霧は晴れ


 


 リズリーアとヴィルリーアの悲鳴二重奏で、きりふり山での三日目は始まった。
 あの魔猿の首でもう一つギョッとしたのは、オルビーィスが嬉々として首にかじりつこうとしたことだ。
 思わず止めてしまったが――
(本来オルビーィスの食性ってあそこらへんも含むんだろうし、止めなくても良かったかな。お腹空くもんね、食い尽くし系だもんね。食べたかったなら食べさせて――いやいや、お腹を壊しちゃうかもしれない)
 オルビーィスには昨日途中で獲った兎で我慢してもらったが、大猿の首に未練があったのかきょろきょろし、その後は脚でやたらあちこちを掻いていた。
 朝食を済ませた一行は霧が流れる道を、少しずつ登っていく。
「ああいうのホント、いいから! 持ってこなくていいから!」
「そうかい? 私が仕事したことが分かりやすいと思ったんけどねぇ」
「分かりやすいとかいいから!」
 リズリーアが懸命に抗議している。
 ラウルも心から同意していた。
(やめてほしい)
 心臓に悪いから。
「ははは」
 先頭を歩くセレスティが朗らかに笑う。
 顔が良いので爽やかさが二割り増しだ、が。
「そう言えば私の生家で飼っていた猫が、よく鼠や小鳥を取っていました。朝、起こされると枕元に置かれているんですよ。褒めろと、こう言うんですね。懐かしい」
「鼠じゃないし! そもそも猫は可愛いし!」
「私は可愛くないかい?」
「ゲネ姉様は可愛いとかじゃ――」
 リズリーアはふと口を閉ざして眉を寄せ、女をそっと見上げた。
「――えっともしかして、褒めて欲しいとか……?」
「リ、リズちゃん」
「おや、褒めてくれるのかい? それは嬉しいねぇ」
 微笑みは一瞬、無邪気さを滲ませた。
「もう二、三匹、持ってくれば良かったかね」
「ぎゃっ、不要だし!」
 リズリーアは黒髪を力一杯振った。
「魔獣を退治してくれたのは嬉しいけどっ、ほんとにほんとにほんとに、持ってこなくていいからっ!」
「ところで」
 改まり、セレスティはリズリーアに微笑んで、女に並んだ。
 ラウルはセレスティの動きを目で追った。
(あー)
「ゲネロースウルム殿、一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「構わないよ。私に答えられることならねぇ」
「はい。そのお手元の」
 と、セレスティは女が手にしている大剣を指差した。
(やっぱりー)
「貴方がラウルの工房の中から、その剣を選んだ理由を、お聞きしたいのです」
「ああ、この剣かい?」
 ひょい、と危うげもなく、大剣をセレスティとの間に持ち上げる。
 なお歩いている時は左手に、杖でも下げるように提げている。切先を後ろへ向ければ後続のラウル達が危険なので、刃は前に。
 前に重心があると持ちにくいと思うのだが、気にしていなさそうだ。そもそもシュディアールの重量も。
「他の剣も悪くはないんだが、私には頼りなさ過ぎてね」
 と笑って言う。
「その点これはいい塩梅だ」
(いいんだー)
 新鮮な評価だ。
 自分の仕事を認めらるのはどこかくすぐったい。
(あれでいいんだー)
「撫で斬るにはもう少し重量が欲しいところだが」
(ええー)
 もっと重くていいんだー
「ラウル。頭を人の基準に戻しとけ」
 グイドが後ろからボソリと突っ込む。
(はっ)
 セレスティは頷いた。
「他の剣達も素晴らしい出来ですよ。このノウムも切れ味が他に類を見ません。しかし貴女がシュディアールを選ばれたお気持ち、よくわかります」
 熱く語り始めた。
「大剣を自在に振るうことは剣を扱う者として、一度ならずと憧れを抱くものです」
 そうなんだー
「大剣が空を切り裂き敵を撫で斬る様は、想像するだに心が踊ります。昨日の貴方の所作はまさに常日頃私が憧れていた姿でした。私もシュディアールを扱いたいと手にしましたが、まだ私には扱いきれず、己の未熟さをつくづく思い知らされた次第です」
 未熟云々の問題だろうかー
「恥ずかしながら持ち上げることさえ叶わず……しかしいずれは! 私も心身を鍛え上げ、自らの力でシュディアールを扱ってみせるつもりです」
 まだ諦めてなかったのですかー
 ていうか貴方の目的は王の御前試合でしょー
「そうか。ではお前に私の腕をやろうかね?」
 なるほど腕をー

 ……

 ――何て?
 女はにこりと笑った。

 腕を……
 ――――っこっ

 こッッわ!
 えっ、腕ってもしかしてこの人切ってもまた生えてくる派とかなの? 生えてくる派というより生えてくる属?
 ――いやこっわ!!!
「だめだめ、何かだめ!」
 リズリーアがセレスティの腕を引く。
「腕なんかもらっちゃだめだからね! セレスティ! 絶対ダメだから!」
「そうかい? セレスティの意志次第だがねぇ」
「ダメなの!」
 セレスティを庇うように前に出て、精一杯両腕を広げる。
 そのリズリーアの前に出たのはヴィルリーアだ。両腕を広げた。
「ヴィリ」
 オルビーィスが二人の真似をして、ラウルの顔の前で翼を広げる。「あ、ちょっと見えないからね、オルー」と、ラウルはオルビーィスの翼の下に手を入れ、前に抱えた。
(あれ、なんか、感触)
 ごわっとした。
「あ、あの、お気持ちは……でも、ぼ、僕も、そういうのは、ちょっと、良くないって、思……」
 ヴィルリーアは大きな水色の瞳に涙を滲ませながらも、懸命に頭ひとつ高い位置にある女の顔を見上げている。
「そうかい」
 気を悪くした様子もなく、三度そう言い
「じゃあ次はしないよ」
 ゲネロースウルムは艶やかな笑みを零した。
「怖ぇ」
 ラウルの後ろでグイドが呟いた。




 変化は唐突だった。
 野営地を発って半刻ほど登り続けただろうか。
 強い風が吹いた。
 先頭を歩くセレスティが「おお」と声を上げる。
 冷たい風だと、そう思った次の一歩目で、ラウルは目の前の景色が急速に変わって行くのを見た。
「霧が、晴れる――」
 陽光を含みつつも白く視界を遮っていた霧が、風に吹き散らされ急速に薄れて行く。
 この二日間、ラウル達を取り巻いていた霧が。
 永遠に晴れることはないのでは無いかと思っていた、霧が――
 風が肌に冷たい。霧の中は暖かかったのだと、そう思った。
 霧に慣れ親しんでいた目に陽光が眩しい。キラキラと陽光に舞っているのは、何だろう。
 それまで周囲を濃く取り囲んでいた樹々は、背後の霧に飲み込まれるように後退した。
 左右、そして視線の先は山肌が剥き出しになり、大小様々な岩だけが転がり連なっている。
 世界が一変したような。
「ここからが、中腹――」
 麓に広がるくらがり森から、およそ七百間(約2,100m)辺りで霧を抜けるだろうとグイドは言っていた。
 ゆっくりとではあるが確実に、この高所まで登ってきたのだ。
 ラウルの肩にいたオルビーィスがすうっと空へ、吸い込まれるように上がる。
「オルー……!」
 一瞬、そのまま青い空に溶けていきそうに思え、ラウルは手を伸ばした。
 すぐにオルビーィスはくるりと旋回し、ラウルの伸ばした腕に戻った。
 その重み。
 オルビーィスが肩に乗り、首を自分の背に巡らせてかりかり齧っている。
「痒いの? 掻いてあげよう」
 背中を掻いてやるとオルビーィスは気持ちよさそうだ。
 リズリーアがオルビーィスの動きを追った瞳を空に残し、水色のそれを見開いた。
「ねえ、雪が空に舞ってる。降ってないのに」
風花かざばなだな。積もった雪が風で吹き散らされてるんだ」
 リズリーアはキラキラと光を舞わせている空から、横を抜けて歩くグイドへと顔を移した。
「風花――」
 また瞳を空へ戻す。
「すごくキレイ。ねえヴィリ」
「うん――」
 見張った空色の瞳を見て、グイドは軽く笑った。
「ここらは雪が溶けてるが、もう少し登りゃあ足元は雪で覆われてる。山頂近くは凍ってるだろうな」
 遥かな山頂を背に振り返る。
「さて、ここらで七百間だ、ラウル」
「七百間――」
 ラウルは自分の目を輝いているのを感じた。
 七百間。
 歩いてなら半刻しかかからない距離だが、ここまで来るのが長かった。
「みんな――中腹まできた――霧を抜けたんだ」
 色んなことがあったが、抜けてきた――
 その実感が
「あと半分?」
 リズリーアがちょっと情け無い声を上げ、ラウルは現実に引き戻され小さく呻いた。
「そ、そうだった……標高千四百間だっけ……」
 山頂、ヴィルリーア曰く千三百七十三間(約4,120m)の、いまだ半ば過ぎでしかないのだ。
 竜――きりふり山のぬしが住んでいると言われるのは山頂だ。
 今は空が青く澄んで晴れ、目指すその山頂を目視でもくっきりと見ることができた。
 ごつごつとした岩肌の斜面は、あと三百間(約900m)ほどは比較的緩やかで、その先は斧で薪を割ったかのように鋭く切り立って見える。
「うわあ。登れるかな……」
「行くしかないよねっ」
 リズリーアが右手の杖をしゃらんと鳴らす。細い首筋に風に煽られた黒髪が舞う。左手はしっかり、ヴィルリーアの右手を握っている。
 ヴィルリーアもこくりと頷いた。
「行こう、リズちゃん」
 ラウルは二人を眩しく眺め、それから一度、今抜けてきた背後へ視線を移した。
 背後には誘うように霧が広がっている。その濃厚な乳白色。
 戻れば飲み込まれて溶けてしまいそうに思えた。
 肩によじ登ったオルビーィスの頬を指の背で撫でる。白い鱗は硬質でひんやりしている。
 そう言えば、とラウルはオルビーィスを見つめた。
 きりよせ川に卵のままで浮かんでいたということは、オルビーィスはこの斜面を山頂の巣から卵で転がり落ちてきたのだろう。
(きっとすごい勢いで転がったから、目が回っただろうなぁ)
 オルビーィスは首の辺りをカリカリ掻いていて、のんびりした様が微笑ましい。
「――」
 いや。
 こんな斜面をずっと転がり落ちたらいくら何でも殻が途中で砕けると思う。えらく硬かったとは言えラウルののみでラウルの力で割ることができたくらいだ。
(何かに卵ごと攫われて、運ばれたのかも)
 そう思うと、必ず、オルビーィスを返そうと想いを新たにする。
「行きましょう。きっと今日で、山頂に届きます」










次へ



2023.8.6
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。