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第3章 旅の仲間

7 If Winter comes, can Spring be/アルバート・オーランドとセルゲイ・オーランドの確執

   
 ラウル達をあちこちと連れて回ってくれた祖父も、ラウルが十五歳の時に亡くなった。
 それ以来、フェムルト鍛治師の元を訪れる機会はがくんと減った。
 祖父が亡くなったせいばかりではない。
 子爵家の領地経営が傾き始めたのがこの頃だった。
 元々さほど豊かな地とは言えず、過去にも経営が傾いた時は度々あったが、それなりに持ち直してきた。
 だが今回は悪天候や病害が続いて作高が戻らず、なかなか持ち直すことができない。
 そこに追い討ちをかけたのが、ラウルが十七の年に発生した蝗害だ。
 どこからともなく現れた蝗の大群が、収穫間近の麦の穂や畑の作物を食い荒らし、食い尽くしていった。
 国が対策を講じ、軍と軍の法術士が蝗の群れを焼き払ったことで翌年にようやく回復に向かったものの、収穫は壊滅。
 農地からの収入が激減したことにより、領地経営は深刻な影響を受けた。
 もともとオーランド子爵領は国の東北東の端、主要交易路から外れた地域に位置している。雪も多く降り、交通の便は良いとは言い難い。
 主要な産業は農業で、副産業として林業――くらがり森から伐採する材木の収入で、強みと言えるのがキルセン村の竜舎だ。
 国の交付金などを入れた上でも、領地経営は慢性的に厳しい条件の中にあった。


 書斎から言い合う声が聞こえてくる。
 時折声は、言葉がはっきりラウル達の耳にも届くほど大きくなり、ただすぐに抑えられた。
「父さん達、また言い合いをしてる」
 レイノルドが溜息をつく。
 十六歳を過ぎ、身長はラウルより三寸(約9cm)ほど高くなっていた。剣の鍛錬を重ねてきたこともあり、昔の泣き虫の面影はまるでない。
「ごめんな、ラウル。父さんはいつも言い過ぎなんだ。当主である叔父上にあんな言い方」
 二人の傍では九歳になったエーリックとようやく三歳になったアデラードが、遊び疲れてすっかり眠っている。
 ラウルはエーリックとアデラードの柔らかな髪をそれぞれ撫でて整えた。
「仕方ないよ、セルゲイ叔父さんも領民とオーランドのことを憂いてるからこそだし。結局のとこ二人とも似てるんだ。なかなか他人に譲れないところとか」
 困った大人だよね、とまだ若い二人は目を見交わして苦笑した。
 父達が言い争いをしてもそれはオーランド子爵領のためであり、だから今の課題が改善すれば元通り仲の良い兄弟になると、ラウルもレイノルドも信じている。
「父さん達が喧嘩してても、俺はラウルを支えるよ。ラウルが爵位を継いだら、父さんみたいに俺がラウルの補佐役になる」
 もちろん喧嘩なんかしない、とレイノルドが素早く付け加える。
「俺よりレイの方が領主は向いてる気がするけど」
「そんなことない! 後継者はラウルだぞ。そんなこと言うな」
 むきになったレイノルドにラウルは「そうかなぁ」と微笑んだ。
「うん、でも、俺たちもこのオーランド領を一緒に支えて、発展させよう」
「約束だぞ。忘れたなんて言うなよ」
「レイこそ、俺がぽんこつで手に負えないからって、途中で放り出さないでくれよな」
 この頃はレイノルドの方が馬に乗るのも上達し、剣の腕はラウルなど足元にも及ばない。
 レイノルドはまた頬を膨らませた。
「そんなことするもんか、絶対」


 新年を目前に、ラウルの父、アルバート・ヴォルフ・オーランド子爵は領民、特に農村に手厚い支援金を配ることに決めた。
 これに反対したのが、弟のセルゲイだ。
 兄アルバートの補佐役として子爵家の財政が厳しいことを熟知していた弟セルゲイは、兄の施策を批判した。
 支援金などというその場しのぎの対応をすべきではない。一つの家に渡せる額など高が知れているし、それでは財産を食い潰すだけで経営回復には繋がらない。
 数年の間厳しい状況を堪えてでも、この地の地理的条件や特性を踏まえ、将来的に継続した収入に繋がる取り組みを早急に検討して実施すべきなのだと。
 オーランド子爵はそれに対し、今、食料がなく苦しんでいる領民を救うべきだと譲らなかった。
 協力しあって領地経営に取り組んでいた二人に決定的な意見の食い違いが生じたのも、ここからだった。
 ラウル達の願いをよそに、オーランド子爵とその補佐役であるセルゲイの関係は亀裂を深くし始めていた。





 一年前の蝗害発生により領地に大きな打撃を受けたまま、遠く西の地で大規模な戦乱が発生したのが、五月。
 その戦乱の様子と、長くこの国を収めていた国王が失われたらしいということ。
 衝撃的な情報の詳細がようやくロッソに伝わってきたのは、六月に入ってからのことだった。
 その頃にはすでにキルセン村周辺には、くらがり森ときりふり山脈から現れた獣や魔獣による被害が何件も生じていた。
 討伐隊が組まれ、イル・ノーに駐屯する兵達に町や村の男達も加わった。グイド・グレスコーも加わり、数か月後にはその腕前がキルセンやロッソ、そしてイル・ノーでも知られていた。


 八月に入ると魔獣の出現と戦乱の影響を受けた物流の寸断により、オーランド子爵領内の財政はますます悪化した。
 子爵は次第に酒量が増え、セルゲイと話をしても毎回喧嘩別れに終わっていた。
 十八歳になったラウルは父につき領地経営を学んでいたが、ラウル自身、現状へ直接的な支援を行う父の政策が良いのか、それとも将来的な手を打とうとする叔父の考えが正しいのか、いずれとも判断がつかず迷う毎日だった。
 二つは同時に選べない。財源は限られている。
 もし自分が領地を継いだなら、どのような取り組みをすべきか。
 叔父に考えを聞きたくても、父はそれを嫌った。


「レイ、叔父さんは何て言ってる?」
 レイノルドとは毎日会って話をした。
 お互い経理や資産管理、雇用や農作物について学び、加えてレイノルドは剣の鍛錬に多忙な日々を送っている。
 もう子供の頃のように馬の駆けっこをすることは滅多になくなっていたが、それでも二人で事あるごとに顔を寄せ合い、この先オーランド領をどうして行くべきか、父同士にまた協力しあってもらうにはどうしたら良いのか、そんなことを時間のある限り話した。
「ごめんな、ラウル。父さんが聞く耳持たなくて」
 そう言ってレイノルドはラウルに誤った。
「そんなことないよ」
 二人は少し高い丘にいた。
 レイノルドの向こう、なだらかに下っていく丘の下には畑がどこまでも広がっている。ところどころ土をむき出しにして。その間に点在する家は農家のものだ。
 もう数年、絨毯を敷き詰めたように続く緑を目にしていなかった。
 そろそろ収穫できるようになるカボチャなどの根菜も、街道の行き来が困難なことで新たな種が入手しにくく、収穫量は一昨年の半分にも満たない。
 去年の蝗害で小麦の種も取れず、保存しておいた僅かな種を植えたが、今年の収穫はわずかなものだった。
 例えばこの麦の取り扱いにしても、ラウルの父は挽いて食料にすべきだと言い、セルゲイ叔父は全て種子にして、他から購入する種子と合わせて今年巻くべきだと主張した。
「うちの父さんこそさ。セルゲイ叔父さんの言ってることは間違ってないと俺は思う」
「伯父上だってそうだ。どっちも正しいことをいってると思う」
 でも、全く違う視点で。
 そして、両方の手法を取り入れる財源がないのだ。
 ラウル達も、どちらか一方の施策だけでは今のオーランド領を豊かにするには難しいのだともわかっていた。
「今は国全体が厳しい。父さんもヨルン伯爵に上申してるけど、芳しい答えが来ないんだ。なかなか対応策が取られないって。軍役に国費を当てなきゃいけないから」
「戦争だもんな……」
 遠く西の地で多くの兵が亡くなったと聞く。国王は未だ戻らず、世継ぎである王太子はまだエーリックよりも幼い。
 戦争に負けてしまったら、麦の種の扱いどころではないだろう。
 ふと、ラウルはレイノルドを見た。
 そう言えばレイノルドは良く、鍛えた剣を役立てたいと言っていた。
 戦争が始まって、新兵の募集の触れがこのロッソの街にも届いている。
 兵が不足している状況が深刻だと、そう聞いた。
「レイ。一緒に、良い方法がないかもっと考えよう。こんな時こそ俺達で、父さん達を支えなきゃ」
 ラウルは素早くそう言った。
 レイノルドは何の迷いも見せず、力強く頷いてくれた。












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2023.4.2
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