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第3章 旅の仲間

4 二人と三人目/ツインズ魔法使いは冒険したい

 

 セレスティが来て四日目の、早朝のことだった。
 地面から濃厚な霧が樹々の間に白く立ち込め、五月に入ったとはいえ朝の森は陽射しが差し込まず、まだ肌寒い。
 家の外が騒がしかった。
夢現(ゆめうつつ)に、声が途切れ途切れに聞こえている。
 誰だろう。

 ――呼んでる。
 誰だ。

 WラウルW

 ――父さん

 Wラウル。お前は何をしている。そこでW

 ――父さん。俺は

 Wオーランドを、領地を、お前は見捨てるのか?W

 ラウルは首を振った。
 違うよ、父さん。
 そんなつもりじゃない。

 WラウルW

 ――レイ

 いつもずっと、色んな話をしてきた。
 そのまま、その先もと――

 W何故決闘の場に来なかったW
 W俺を見くびって――軽んじたW

 レイ。レイノルド。
 あの時、俺は



「ラウル」
 はっと目を開ける。
 ラウルは枕から頭を上げ、ほの白く滲んでいる窓を見上げた。
 オルビーィスを見れば、寝台横に置いた籠の中で心地良い寝息を立てている。
「た……もー……」
 また、外で何か声がした。
「なんだ――」
 一瞬警戒したのは先日の密猟者の一件だが、枕元のヴァースは反応していない。
 と、今度は小さいながらもはっきりと、声が聞こえた。
「たーのもー!」
 女性――女の子?
 幼さを残した声だ。
(何で、森に)
「たーのもー!」
 たーのもー?
「――」
「たーのもー!」
 ラウルは首を傾げた。
「……頼もう?」
 コンコン、と扉が叩かれる。
 扉を開いて顔を出したのはセレスティだ。
 いつ起きたのか、もう身支度を済ませている。
「ラウル。どうやら貴殿に客人のようです」
「――客――!? ありがとうございます!」
 がばりと跳ね起き、ラウルは寝巻きの上に上着を羽織ると居間を横切った。居間だと声がはっきりと聞こえる。
 若い、声だ。
 とても。
 一人ではない。
「たーのもー!」
「や、やめなよ、リズちゃん、まだ朝早いんだし、め、迷惑だよ」
「だって全然出てこないんだもん! 寒いしお腹減ったし! たーのもー! たーのもー! たーのもーったらーたのもー!」
「リズちゃんってば。怒られるよぅ」
「いいからヴィリも一緒に声出してよ。気付いてもらえないじゃない。ほらぁっ。たーのも」
 がちゃり。
 玄関扉を開け、ラウルはすぐに来客を見つけた。
 戸口前の三段ばかりの階段の下、足元に霧の漂う中、二人、立っている。
 同じ身長、白と黒、色違いの膝丈の外套を纏い、外套の頭巾を目深に被って立っている様子は、昔読んだお伽話の一場面のように感じられた。
 目を引いたのは、二人がそれぞれ手に持っている五尺(約150cm)とちょっとの、彼等の身長よりも少し背の高い杖。
 二人はラウルを見上げた。
「……たーのもー!」
「あ、聞こえてます。えっと、お待たせしました、おはようございます。何かご用ですか?」
 右側にいた、黒い外套が一歩前へ出た。
 と言うか、白い外套の方が黒い外套の背中に隠れたような。
 黒い外套の頭巾を背に落とすと、耳元までで揃えたまっすぐな黒髪が、顔を縁取ってさらりと揺れた。
 ラウルは目を見開いた。
 大きな水色の瞳。あどけなさを残した頬と唇。
 少女――そしてとても綺麗な子だ。
 少女はラウルを見上げて、胸を張った。
「初めまして。あたしはリズ。こっちはヴィリ。法術士。あ、二人ともね。あなたがラウル・オーランドさん?」
 そう、と声に出す前に、リズは更にもう一歩踏み出し、身体の前に右手に持っていた杖をとん、と立てた。杖の先端に飾られた鈴がしゃらんと澄んだ音を立てる。
「一緒に、きりふり山に行こうと思って来たの」



「改めて、ラウル・オーランドと言います」
 セレスティの時と同じく、ラウルは法術士と名乗った二人を招き入れ、暖炉の前の席を勧めた。
「あたしはリズリーア・トルム。この子はヴィルリーア。ヴィリって呼んでる。二人とも十六歳。見たとおり双子だよ」
 言うとおり、二人の顔の造りはそっくりだった。
 身長は二人とも五尺と少し。小造りで繊細な顔立ちに柔和な眉も同じだ。
 柔らかな黒髪をリズリーアは耳元ですっぱりと切り、ヴィルリーアは首まで伸ばして両側の髪を後ろで括っていて、それが二人の印象を変えていた。
 水色の瞳が何より、意識を捉える。
 素直な気持ちを言えば、滅多に見ないくらい美しい少女達でラウルは密かに緊張している。
「住んでるところはイル・ノー。父さまが学者で母さまが法術士なんだ。だから法術の腕は信頼してもらっていいと思う」
「リズちゃん、僕は自信ないよ……母さまに」
「ヴィリは黙っててっ」
『よー! おれ様
「最初に言っておくけど、この剣喋るんだ」
 ヴァースの機先を制し、ラウルは傍らに置いた剣を指差すときっぱりと言い切った。
「え?」
「ど、どれ……」
 と『この剣』を探してリズリーアとヴィルリーアの目がさ迷う。
「この剣ね、この剣」
 ラウルの指さす先。
「ええー! 何それ、嘘ぉ!」
「じょ、冗談ですよね……」
 二人が瞳を見開き、椅子の上で恐々と身を乗り出した。
「冗談なんかじゃないよ。この剣は冗談ばっかり言ってるけどねー」
 とにこにこし、ラウルはヴァースを持ち上げた。
「ほら、ヴァース、ご挨拶して」
『……おれ様はヴァース。ご主人の打った、ええと』
(戸惑ってる戸惑ってる)
 にやり。
 先手必勝だ。
「ほら、ね? まあちょっと他の剣と違うだけだから、気にしないで。仲良くしてやってね」
 最初から説明してしまった方が何かと楽なのだ。
 二人は瞳も口も丸く開いたまま、互いに顔を見合わせた。
「法術……? ヴィリ、知ってる?」
「え、え、聞いたことない、けど……」
『ちぇー』
 ヴァースは唇を尖らせたように呟き、と思ったらラウルの腕は独りでに動いて高くヴァースを掲げた。
『よーく聞けガキどもー! おれ様はヴァース! ご主人の打った名剣宝剣国宝剣だー! よろしくなー!』
 めげないな。
 そもそもこの子達も、君より年上だけどね。
「へぇえ……」
 双子は口をあんぐり開けて見つめていたが、リズの二つの瞳が宝物を見つけたかのようにきらりと輝いた。
 ぴょん、と子うさぎのように身を跳ねる。
「すごーい! 喋る剣だなんて、初めて見た! どんな術使ってるの? あっ、改めてあたし、リズリーア・トルム。リズって呼んでね。今十六歳。よろしくね! ヴァースさん」
『よろしくなー』
「よ、よろしくです。僕はヴィリです」
『よろしくなー』
「でもきっと絶対、あたし達の母さまならその法術知ってるし」
『法術じゃないしー』
「ええ、嘘ぉ。法術以外ないと思うし」
『違うしー』
「嘘ぉ。法術だし。母さまに聞いたらすぐわかるもんっ」
「リ、リズちゃん、失礼だよ……」
 リズリーアは勝気でどうやら少しせっかちで、ヴィルリーアの方は引っ込み思案のようだ。
 妹のアデラードと印象が重なるところもあり、ラウルは微笑ましくなった。
(アデラードに紹介したいな。年齢ならエーリックと同じだけど)
 二人に。
 とは言えこのままヴァースとのやりとりになってしまいそうなので、ラウルは話を戻した。
「それで、君たちの用件は?」
 きりふり山とか何とか言っていたけれど。
 寝起きだったから聞き間違いかもしれない、と思ったが、リズリーアは得意げに顔を持ち上げた。
「ボードガードさんから貴方が助っ人を探してるって聞いたんだ。きりふり山に登るんでしょ? 二人じゃムリ。だからあたしたちが協力してあげる!」
「僕は、そんな、自信ないし……」
「ボードガード親方が」
 オルビーィスはまだ寝室だ。ラウルは寝室のある壁へちらりと視線を向けた。
 ボードガードが、特に今回のことを滅多な相手に話すとは思えない。
 ボードガードの紹介ならば、この子達は年齢と見た目に反して、かなりの法術の技術を持っているのかもしれない。
「じゃあ本当に、きりふり山へ一緒に行こうと思ってるんだね?」
「そう、当然。だから来たんだもん」
 胸を張る。
 リズリーアの黒い外套――法衣は幅広の襟が肩をぐるりと巻いていて、黄色混じりの白い糸で蔓草と花弁の刺繍が施されている。首元に縫い取られた太陽の意匠が目を引いた。
 ヴィルリーアの白い法衣には灰色混じりの濃紺の糸で同じ刺繍が施され、首元の刺繍は月だ。
「さ。早いとこきりふり山へ向けて出発しよ。今日出るんでしょ?」
 せっかちな様子にラウルは微笑んだ。
「いやいや、まだ無理だよ」
「何で?」
「何でって、食料とか武器とか防寒具とか色々と準備しなきゃ。君たち、たとえば装備は何を持ってるの?」
「この杖」
 再び、とん、と杖を立てる。しゃらり。
 長さは五尺四寸(162cm)ほど、艶やかに磨かれた木は山桜だろうか。ほんのりと赤みがかっている。
 先端が輪っか状になっていて、そこに小さな鈴が三つ、ついていた。リズリーアは金色、ヴィルリーアは銀色。
「失礼――」
 それまでただ話を聞いていたセレスティが、改めて名乗ると、二人へと問いかけた。
「お二人は法術士とのことですが、どのような法術を用いられるのですか」
 セレスティの凛々しい姿と声にリズリーアは頬を輝かせた。
「あたしは、治癒とか。裂傷を治す程度の初歩だけど。あと、泥水の浄化と、眠り寄せ。でも中級治癒を覚えたいんだ。中級なら骨折が治せるようになるから。だから実践の経験が必要なの」
 今回の旅で経験を積むんだ、と意気込んでいる。
「治癒系なのですね。素晴らしい」
「えへへ。ほら、次、ヴィリも。ヴィリはね、攻撃系なんだよ」
 へえ、とラウルは意外さを覚えた。双子の印象は逆だ。
 ヴィルリーアはもじもじと手を組み、俯きがちに口を開いた。
「ぼ、僕は、光の矢とか、えと、その、か、風切り……まだ全然、弱いですけど……」
「だから実践練習が必要なの。ヴィリは特に度胸も」
「でも本番で実践なんて、無理だよう」
「だから前衛がいるとこに参加するんじゃない。前衛に盾になってもらってる間に試すの」
 ね! とセレスティへ首を振る。
 セレスティは特に気を悪くした様子もなく、にこにこと頷いた。
「お任せを。ヴィルリーア殿は攻撃系ですか」
「う、羽翼系も少し……鎧とか、剣とかを、強化するやつ、です」
 右翼系は支援系統の術式だが、ラウルもセレスティもその辺りはあまりわからない。
「強化、それは有難い」
 身を乗り出したセレスティに、ヴィルリーアはますます俯いた。
「あ、あの、ほんの少しだけです、ちょっと」
「それでも有難いものです。ラウルの剣が強化されるんですね。早く実戦に用いてみたいものだ」
「ヴィリは雷撃も覚えたいんだよ。ね」
 振られてヴィルリーアは椅子の中で身を縮めた。声もだんだんと小さくなり、消え入りそうだ。
「そ、そりゃ夢だけど……雷撃なんて、そんなのまだまだ、ムリ……」
 セレスティはますます興味深そうだ。
「雷撃」
 と声を弾ませた。
「目にしたことはありませんが、相当の威力なのだと聞いたことがあります。修得に時間がかかりそうですが」
 ラウルも詳しくは知らないのだが、セレスティと同じ感想だ。
「難しそうだよね。すごいな」
「まだつ、使えないんですぅ」
 ヴィルリーアはますます小さくなり、逆にリズリーアが得意げな声を出した。
「そう、術そのものは第四段階――中級の中の術なんだけど、その中で一番威力があるんだ。攻撃系の中でも上位かも」
 胸を張る。
「熊とかなら数頭を一撃で倒せるくらい。強いの打てれば竜にだって効くよ。でもまあ、確かにまだまだ修得まで辿り着くのに全然なんだけどね」
 リズリーアは勇ましいことを言い過ぎたと思ったのか、照れくさそうに舌を出した。
「でも、あたし達役に立ちそうでしょ?」
 セレスティと、それからラウルへ、水色の瞳を向ける。
 その色は期待でいっぱいだ。
 水色の瞳に弱いのかもしれない、とラウルは心の中で呟いた。
「お父さんとお母さんは承知してるの?」
「と、当然――!」
 リズリーアがぐっと拳を握る。
「母さまも父さまも、行ってらっしゃいって見送ってくれたし!」
「俺が危険だと判断したら、君達だけでも引き返してもらうけど、いいかな?」
 リズリーアとヴィルリーアが瞳を見交わす。
 リズリーアは一度息を吸い、頷いた。
「それは、仕方ないし」
 ラウルは頷いた。
「約束だ」
 そう言って、四人は改めて握手を交わした。
「これで冒険隊結成だね。心強い。俺がいる分ちょっとへっぽこだけど」
「ラウルは立派ですよ」
「冒険! それすごくいい響き!」
「ぼ、僕、僕もがんばるから」
『おれ様がいるから安心しなー』
 戦士と、法術士が二人。と喋る剣。
(ヴァースは俺と行って来いかなー)
 これできりふり山への同行者が三人になった。
 とは言えセレスティもリズもヴィリも、くらがり森に入ったのは今回が初めてのようだ。
 贅沢を言えばあと二人――後衛にもう一人と、森の中に詳しい人物が欲しい。
 二人は無理でもせめて一人。
 何と言ってもラウル自身がへっぽこだ。
(ボードガード親方に、もう一度心当たりの人がいないか聞いてみよう)
 こちらから頼みに行ってもいい。
 リズリーアとヴィルリーアを見回し、
「君達にあとひとり、旅の仲間を紹介するよ」
 そう言って、ラウルは寝室の扉に声をかけた。
「オルビーィス! こっちにおいで」
 ぴい、と返事が返り、開いたままの扉から真っ白な小さい竜がふわふわと、居間へと飛んでくる。
 リズリーアもヴィルリーアもその場に固まったように立ち、白い子竜を穴が開くほど見つめている。
 オルビーィスはラウルの肩にちょこんと降りた。
 青い瞳がぱちりと瞬き、新しくやってきた双子を見つめる。
「この子はオルビーィス。つい最近きりよせ川の岸辺で、卵を拾ったんだ。今回、この子を巣に返すためにきりふり山に登りたい」
「ぴい!」
 Wここにいる!W
「オルー」
 今のうちから言い聞かせておかなくては、とラウルは肩の子竜へ首をめぐらせた。
「――か、かわいいっ!!!」
 弾んだ声が上がる。
 リズリーアが瞳を輝かせ、ラウルに――ラウルの肩のオルビーィスに詰め寄った。
「かわいいきれいかわいいかわいい!」










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2023.3.1
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