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第3章 旅の仲間

5 四人目/狩人、そして案内人

 

 リズリーアとヴィルリーアが訪ねて来た翌日。お昼に差し掛かった頃だった。
 煮炊きの煙が煙突から薄らと、樹々の枝葉を越え、雲の多い空へと上がっていく。
 その煙を目印に、男が一人、ラウルの小屋へと続く森の中の道を軽々とした足取りで歩いている。
 膝丈の短い外套とその下の上下の服。なめし革の靴と服の上に重ねている年季の入った革鎧に至るまで、全て薄茶色で統一され、樹々の中に溶け込みそうだ。
 肩に負っているのは四尺(約120cm)ほどの短弓と矢筒。腰の背中側には使い込んだ短刀を一振り帯びている。
 五十歳近いだろう陽に焼けた面は、左頬から左耳にかけて切り傷を刻み、とっくに癒えているそれがほんの少し引き攣れている。こめかみから下を剃り上げた灰色の髪は、頭頂部だけ長く伸ばして後ろで括っていた。
 太い眉の下の灰色の瞳が、樹々の合間に目指す家――ラウル・オーランドの住まいを見つけ、男は首を一つ、回した。
 ほどなく辿り着くと、男は三段の階段を二歩で登って張り出した庇の下に立ち、丸太を組み合わせた玄関扉を拳で叩いた。
「ラウル殿はいるか」
 張りのある声が家の周りの空地に流れる。
 扉の向こうで人が近づく気配。
 扉が開く前に男はもう一度声を張った。
「グイド・グレスコーだ。今回の件、アーセンの奴から頼まれた」
 扉が開くのと驚いた声が返るのとが同時だった。
「――グレスコー……さん?!」
 迎え出たのは家の主人であるラウルで、取っ手を掴んだまま身を乗り出し、グレスコーという名にまじまじと目を見張った。
 グレスコーの言ったアーセンとは竜舎のボードガードの名前だ。アーセン・ボードガード。
 そのボードガードから頼まれたというグイド・グレスコーのことを、ラウルは直接の面識はなかったが、人づてに何度も聞いて良く知っていた。
 ボードガードが飛竜の卵を採取に行く際、必ず伴う狩人で、弓の名手。
 六年前、戦乱で国が荒れた。治安が乱れ、この辺りでも魔獣が跋扈しキルセン村にも被害が出たが、グレスコーはその際キルセン村周辺の魔獣討伐に参加し、一年で百頭以上の魔獣を狩った。
 その後、王都で新王から勲章を授与されている。
 長弓で百間(約300m)先の的を射抜いた逸話や、弓に矢を三本番え同時に三羽の鳥を撃ち落とした逸話は有名だ。
 アーセン・ボードガードと並ぶ村の名士であり、英雄でもある。
「えっ……、ボードガード親方が、今回のために、貴方を?」
 まだ驚きが抑えられないまま、とにかくラウルはこの名狩人を室内に招き入れた。
 グレスコーは外套を脱いで室内に入りつつ、ラウルの問いに頷く。
「きりふり山に登る無謀な奴がいるから、手伝ってやってくれってな。先に何人か来てるはずだが」
 台所から顔を覗かせたセレスティを見て頷き、それから暖炉の前の絨毯の上に座っていたリズリーアとヴィルリーアの二人へ視線を移した。
 若い二人がいることにほんの少し訝しそうな顔をしつつ、「全員は揃ってないか」と独りごちる。
 ラウルはまだ状況が呑み込みきれず、やや下にあるグレスコーの顔を見た。
「貴方が手伝ってくださるんですか? 本当に?」
 グイド・グレスコーが。
「ああ」
 とグレスコーはことも無げに答えたが、今回の冒険にこれほどの人物が加わってくれると思っていなかったラウルは驚きと興奮が抑えきれない。
「すごい……あ、ちょっと待っててください、今お茶を! どうぞ、あの、暖炉の前に……! お昼を召し上がりますか?!」
「気を使わなくていい。ちょうど昼時に来ちまって悪かったな。弓をここに置いていいか?」
 扉の脇を指すグレスコーに何度も頷く。
「いえ、なんにも、全然です。お昼、ぜひ! セレスティが作ってくれてるのもあってとても美味しいです! 人数分以上ありますんで! お代わりもありますんで!」
 何といってもオルビーィスの分がある。
 グレスコー一人が加わっても何ら問題はない。
「下にも置かない扱いってこのことね」
 暖炉の前にぺたりと座ったままリズは呆れた様子だ。
 ヴィリは感心したように
「それだけ凄い人なんだねぇ。リズちゃんは知ってる?」
 とのんびり言った。
 リズリーアが目を剥く。
「え、ヴィリ、聞いたことないの? あの時イル・ノーでもしょっちゅう名前聞いたじゃない。軍の話とか、ちょっと気にかけてれば耳に入ってきたよ」
「そ、そうなの……?」
「まったくぅ。ヴィリったらいっつもぼーっとしてるんだから」
「ぼーっとなんてしてないよう」
「してるもんね」
「してないよう」
 むうっとヴィルリーアが頬を膨らませる。
 リズリーアはその頬をつついた。
 猫がじゃれるような会話に微笑みながら、セレスティが前掛けを外してグレスコーへ近寄り、姿勢を正して片手を差し伸べた。
「セレスティ・ヨハン・バルシュミーデと申します。私の出身である北ゴースはここからかなり離れておりますので、お名前は寡聞ながら初めてお聞きしましたが、ラウルの反応を見るだけで、優れた技能をお持ちなのだろうと分かります。とても心強い」
「グイド・グレスコーだ。よろしく。アーセンから戦士が加わると聞いていたがあんたか。名前からするとどこぞの貴族の出か?」
 グレスコーも細かい傷が刻まれた手でセレスティと握手を交わした。
 大柄のセレスティと小柄なグイドは頭半分ほど身長差があるが、その差など感じさせない存在感がグレスコーにはあった。
「南方の、フェン・ロー地方のごく小規模な貧乏貴族です。私は四男で、爵位とは無縁で」
「なるほどね」
 グレスコーはセレスティと握手したまま手を持ち上げ、「手のひらが分厚いな」と笑った。
「剣の鍛錬を欠かしてないのがわかる。あんたに前衛を任せることになるな、頼んだぜ。どうやら戦闘力は俺とあんたと、二人か」
「はい。全力を尽くします」
「あとは法術士ってのがどの程度かだな」
「はい!」
 リズが立ち上がり、手を上げた。
「法術士! 私たち!」
「はぁ?」
 グレスコーの頬の傷が歪む。
 鋭い目が細くなった。
「子どもがこんなとこに遊びに来てたら危ねぇぞ」
「あたし達子どもじゃないから! もう十六だし。法術士だし、ふたりとも。あたしがリズリーア、リズで、この子はヴィリ」
 と言ってリズがグレスコーの正面にくっつきそうなほど近くに立つ。
 精一杯睨みを聞かせている。
 が、グレスコーはさらりと流し、両腕を組んだ。
「法術士って――アーセンは確か、トルムって法術士に声を」
 ぎくりと、リズが息を呑んだように見えた。
「だ、だからっ、あたし達がそのトルムなんだってば!」
「お前さん達が? しかしなぁ」
「あたしが回復役で、ヴィリが攻撃役なの。ヴィリの法術はけっこう強いんだから!」
 胡散臭そうに眺めたが、視線を一度天井へ流し、グレスコーは肩を竦めた。
「へぇー、まあ、なら期待してるぜ」
「あっ、今鼻で笑ったでしょ、おじさん!」
「んなこたぁねぇが、評価も認めんのも実力見てからだな」
「じゃあ今見せたげる。ヴィリ、風切り!」
「お、落ち着いて、リズちゃん」
「やんなさいよっ」
「屋内でなんてできないよう」
 居間があっという間に賑やかになり、ラウルはヴァースを台所に置いておいて良かったと息を吐いた。
「収拾がつかなくなるしね。あれ? オルビーィスは」
 紹介しなくては、と台所の戸口に視線を向ける。
 ついさっきまで、お昼ご飯を作っていたセレスティの周りをうろうろしていたはずだが、見当たらない。
 つつ、と下に視線を落とすと、オルビーィスが床に伏せ、戸口の木枠から鼻先だけ覗かせるように身を隠していた。
「オルビーィス? どうかした?」
 目が三角になっている。
 しゃがんで、抱え上げようと手を伸ばしたとき、ふっと影が差した。
 振り返り見上げた先に、いつの間にかグレスコーが立っている。
「そいつが、例の」
「あ、はい」
 ラウルの手が捉える前に、オルビーィスは素早く飛び上がって食卓の後ろに隠れてしまった。
「オルー?」
「俺が怖がられてんだな」
 とグレスコーはオルビーィスに向かって両手を広げて見せた。
「そら、弓は無い。お前に射かけたりもしない。な?」
「狩人って分かるんですかね」
「まあ、俺も身に染み付いてるもんがあるんだろう」
「竜も?」
 これまで狩ったものに、と恐る恐る尋ねると、グレスコーは「無いんだが」、と言ってから頬の傷を歪めて豪快に笑った。
「狩ってみてぇなぁ!」
「ぴー!」
 オルビーィスは水場の足元にあった野菜の木箱の中に、頭から突っ込んだ。長い尻尾が丸見えだが。
 がたがたがたがた。
「オルー! 大丈夫、大丈夫だから! グレスコーさん!」
「おっと、すまんすまん。つい本音が」
「この子は! この子は絶対に駄目ですからね?!」
「冗談だって」
 本音って言った……。
 じと、とラウルは複雑な目付きをグレスコーに向けつつ、オルビーィスを抱き上げて落ち着くよう長い首を撫でた。



 グレスコーが色々と必要なものや注意すべきことを教えてくれたおかげで、きりふり山登頂準備はあっという間に整った。
 彼が来て二日目の夜、出発をいよいよ翌日朝と決め、ラウル達五人は暖かな部屋での食事を終えた。
 きりふり山から戻ってくるまで数日――数日で済むと期待しているが――、暖炉とも寝具とも、たっぷりの食事ともお別れだ。
 食卓を片付け、暖炉のある居間へと移る。
 セレスティ、リズリーアとヴィルリーア、グレスコー、それぞれが明日出発の準備に余念がない。
 ラウルはヴァースを椅子に立て掛けて置き、オルビーィスを手招いて、彼等の輪の間に背筋を伸ばして座った。
 セレスティが鎧を点検する手を止め、ラウルへと顔を上げる。
「ええと」
 弓の弦に松脂を刷り込んでいたグレスコーも、熱心に法術書を読んでいたリズリーアとヴィルリーアも顔を上げた。
「少しいいでしょうか」
 一つ、出発前に話しておきたいことがラウルにはあった。
 ラウル・オーランドという人間の過去についてだ。
 キルセン村では当然、イル・ノーの街でも噂程度に、ラウルの話を耳にする機会はあっただろう。
 きりふり山への登頂という危険なことに手を貸してくれる四人には、その噂話についてきちんと説明して、知っておいてもらいたい。
「皆さんには、俺の過去を話しておきます。半分くらい知ってるかもしれませんが」
 そう言って、ラウルは懐かしい想い出を掘り起こすように話し始めた。











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2023.3.1
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