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第2章 ラウルと小竜 村へ行く

6 訪問者

 
 きい、と安楽椅子を揺らす。
 暖炉の前に敷いた毛足の長い絨毯の上で、これも師匠から譲り受けた年季の入った椅子は、大切に使い続けられ木の手すりや背もたれが磨いたように艶やかだ。
 ラウルは足先を暖炉の火に向け、温もりを感じながら椅子の穏やかな揺れに身体を任せた。
 丸い小ぶりの卓の上に置いた灯りが、煤けた硝子の筒の中でほんのりと室内を照らしている。
 ボードガードの厚意を有難く頼りつつ、ラウルはいずれくるかもしれない未来の想像に、胸が掴まれる気持ちがしていた。
 もしもオルビーィスの存在が知れ渡り、軍がオルビーィスを討伐対象と見做してしまったら。
 竜と聞けば全て討伐する訳ではないが、脅威と判断されれば動くだろう。
(イル・ノーくらいなら、まだ――だけど、もし、王都に危険だと判断されてしまったら)
 そうしたら、小さなオルビーィスはあっという間に討伐されてしまうかもしれない。
 ラウルは椅子の背に深くもたれ、安楽椅子を揺らした。
 天井の梁を見上げる。梁の向こうは三角屋根の丸太の木組みがそのまま見えている。暖かい空気が上に逃げてしまうので、板を張って天井にして上は物置にしようかな、と考えているのだが、まだ手を付けられていない。
 首を巡らせ、足元の絨毯へ視線を落とした。絨毯の上に折り畳んだ毛布にオルビーィスが丸まっている。
 帰ってきてまたひとしきり食事をし、お腹が膨れているせいか、気持ちよさそうに微睡まどろんでいた。
 ラウルの視線に気付いたのか、オルビーィスはまだ半分微睡んだまま首を上げた。こうやってしょっちゅう目が合う。
 本当に可愛く思うし、良く目が合うのは多分オルビーィスが愛情を欲しているからだ。
『いずれ野生に戻す動物に名前を付けるとか、お前さんなぁ』
 ボードガードはラウルの軽率さを叱ったが、拾った経緯とオルビーィス自身がその名前を気に入っている様子に、仕方ないと思ったようだ。
『名前を付けたんなら、尚更最後まで責任を持てよ』
 名付けは覚悟でもあるのだと。
 これまで四十年、何百頭と飛竜を育て送り出してきたボードガードの言葉はずしりと重い。
「ぴい」
 鳴き声の響きはどうかしたのか、と問うようだ。
「うん――そうだね」
 ラウルは椅子を鳴らし、身体を起こしてオルビーィスへと屈んだ。
 オルビーィスも首を伸ばし、自分の鼻先をラウルの鼻先に寄せる。
 そうすると、目一杯青い双眸が広がる。
「君がちゃんと暮らせるように、餌を取ることを覚えようね。本当はちょっとまだ早いのかもしれないけど、明日からは狩りの練習をしよう」
 きりふり山に登る準備が整うまで時間がかかる。ラウル自身の準備として、弓の練習と、それから携行食づくりと。
 オルビーィスの親を探し、親元に帰してあげるにも、まだ少し日数が必要だ。
 懐も保たないし。
 ラウルも自分の口に入る程度、狩りは心得ている。罠も仕掛けている。
 さっそく明日、兎くらいから始めよう。
 オルビーィスが再び首を下ろして丸くなるまで、ラウルはその姿を見つめていた。




 狙いをつけて放った矢が、逸れて木の幹に当たる。
 がさり、と茂みを揺らし兎が飛び出した。
 ラウルも一緒に飛び出る。
 樹々の間を左右に跳ねながら駈ける兎の薄茶色の躯。見え隠れするそれをラウルは懸命に走って追いかけた。
 頭上に一瞬目をやる。重なり合う枝葉の隙間に空が見える。
 どこに。白い鱗を探す。
「――オル」
『足元ー!』
 ヴァースの声だ。
 同時に靴先が木の根に引っ掛かり、ラウルの身体は一瞬浮いた。
 宙を泳ぐように手足をばたつかせ、根と根の間、溜まった落葉の絨毯に突っ込む。
「ぶええっ!」
 顔を上げて口に入った落ち葉をぺっと吐き出し、首を巡らせようとしたラウルの前に、オルビーィスがばさりと降りた。
 脚の鉤爪に先ほどの兎を捕らえている。
「すごいぞ! オルビーィス!」
 目を見張ったラウルに、オルビーィスは得意げな「ぴぃ!」を返した。
 これで今日三匹目だ。どれもオルビーィスが捕まえた。ラウルは手伝ってやろうとしているものの、実際のところ何の役にも立っていない。いや、茂みから追い立てるくらいの役には立ったと思いたい。
「まあね、君が自立できればいいんだからね。俺が狩りの腕を上げなくてもね」
『ご主人はもう少しがんばんねーと、腕上げる以前の問題だぞー』
「俺は罠で十分だもんね」
 ラウルは負け惜しみを言って、
「さ、次は俺の番だ。仕掛けた罠を見に行こう」
 自信満々に歩き出した。


 ラウルの仕掛けた三つの罠はどれも空だった。


『罠のコツを学んだほうがいいんじゃないかー?』
「今日はね、たまたま空だったんだよ」
『餌だけきれいに取られてたぞー単なる餌場だと思われてんじゃねーのー?』
「そしていつか油断するんだよ」
 オルビーィスの成果である兎五匹を肩に背負い、家路を辿る。
「――あれ?」
 家が見える位置で、ラウルは立ち止まった。
 人がいる。
 家の前で、ラウルに斜めに背を向け、鍛治小屋を熱心に見ている。
「オルビーィス、隠れてて」
 ぴ。
『客じゃないかー?』
「客?! ヴァースは静かにね!」
 ラウルは小走りに近寄った。
「あの! お待たせしました!」
 振り返った相手を見て、ラウルは最後の一歩を踏み出すのを、止めた。
 中途半端な位置で立ち止まる。
 身に纏っているのは、鎧。
 銀の銅と、銀の冑(かぶと)。繊細な模様が刻まれていて、見るからに由緒正しそうだ。腰には長剣を帯びていて、鞘の装飾も見事だった。
 背筋はぴんと張り、上げた面当てから覗く面は凛々しく引き締まっている。
 ただ、揃いの肘当てや手甲、膝当てに脛当て、靴は革製だ。
 ラウルが中途半端に足を止めたのは、そのちぐはぐな格好と本人の持つ雰囲気のためだ。
(全部金属だと動きにくいからかな。それとも足りない部品を打って欲しいのかな)
 男は両手で冑を外し体の脇に抱えると、ラウルへと深々と上体を伏せた。
 ほぼ直角。
「え、いや、あのっ」
 たっぷりふた呼吸分頭を下げ、それから顔を上げると、男はラウルをじっと見つめた。濃い青の瞳は生真面目さを表しているようだ。
「私は、セレスティ・ヨハン・バルシュミーデと申します」
 思ったよりも声が若い。
 黒に近い短い髪は緩く癖が付いている。
「バルシュミーデ」
 聞いたことがある。
 ここから更に南に下った地域の領主が、バルシュミーデ――伯爵だ。
 その関係者だろうか。雰囲気がある。
「竜舎のボードガード殿にお聞きした。貴殿が伝説の鍛治師殿とお見受けする」
「ああ、ボードガード親方からの……」
 ラウルは束の間考え込んだ。
「え、親方、どんな言い方したの」
「素晴らしい剣を打たれるとか」
「え、親方、どんな言い方したの」
 先日説明を盛ってしまっただろうか。
「貴殿の腕を見込んで、私に、ぜひに剣を打って頂きたい」
 セレスティの言葉にラウルは瞳を輝かせた。
 やった。
 仕事だ。
 やっぱり鎧が足りないのだ。
 銅だけではこの青年を鎧うに不十分だ。
「剣ですか、分かり……」
 剣。
 ひたと動きを止めて束の間考え込み、ラウルは顔を跳ね上げた。
「え――、剣ですか?!」









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2023.2.12
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