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第2章 ラウルと小竜 村へ行く

1 癒し系は食い尽くし系で淋しがりや系

 
 食料庫が空になった。
 とても厳しい状況である。
 ラウルは今朝もたらふく食べて幸せそうに丸くなっている子竜を見つめ――うふふ、と笑み崩れてから、改めて表情を引き締めた。
「いかんいかん」
 食料庫はすっからかん、もう今日の昼の分すらない。
 家の周りの畑で細々とした収穫はあるものの、もともとラウル一人の口を賄えばいい程度でしかなく、子竜が加わった今それだけでは如何ともし難い。
 昨日朝方の疲れはまだ取れきっていないが、やはり今日、村へ行かなくては。
 今は朝の八刻。支度をしてすぐ出れば村には十刻には着ける。
 家に顔を出して、それから食材を買い、いやその前に竜舎に行こう。オルビーィスのことを相談したい。
 だいたい戻って来るまでに、合わせて五刻といったところか。
「よし」
 子竜――オルビーィスをもう一度見つめる。
 お腹がいっぱいになったからか、丸まったまま眠っているようだ。
 置いていくのも心配だが連れて歩けば珍しい白鱗は目立つ。また良くない輩に目をつけられないとも限らない。密猟者の手入れがあったばかりだし、森の方が問題は少ないだろう。
「眠ってる今の内にさっと行ってこよう」
『起きちゃうんじゃないかー?』
 そう話しかけてきたのは鋭利な刃を持つ片手剣、ヴァースで、その声はのんびりかつ剽軽な響きだ。
 打ち上がって四日にして、すっかりラウルの生活に馴染んでいる。
「そしたらヴァース、君に頼むよ。相手をしておいて」
『ええー! どうやってだよー』
 ヴァースの閉口した様子にラウルはちょっとばかり、してやったりな気分になった。彼が打ち上がってからこの方、さんざん困惑させられている分、少しくらい困ってもらいこちらの気持ちをわかってもらいたい。
「相手――話かけたりしてくれればいいから。お腹空いちゃうと思うから、鍋にある朝の残りを食べてって」
 じゃがいもなどの根菜と兎の干し肉を煮込んだスープがまだ鍋に半分くらいある。
「帰りは驢馬を借りないとなぁ」
 大量の食材を運ばなくてはいけない。
 懐持つかなぁ、とラウルは震えた。
 今まで道具類を売って得た微々たる蓄えが、二、三度の買い出しですっかりなくなりそうな気配がする。
『剣の誰か連れてけよー』
 斬新な投げかけだな。
「いやいや大丈夫」
『何かあったらどうすんだー?』
 余計何かありそうだな。
「いやいや大丈夫」
『おれを連れていくのが一番だと思うけどなー』
 社会的に終わりそうだな。
「いやいや大丈夫」
 ラウルはてきぱきと身支度し、ヴァースに留守を任せ、四半刻で家を出た。
 村までは歩いて二刻かからない。
 今日は空も晴れ、森の上に昇った太陽が、さんさんと陽射しを注いでいる。
 緑の葉は輝き、木漏れ日は樹々の葉影を足元に淡く揺らす。時折木立を抜けていく風が心地よかった。
 ラウルは目を細めた。
 深々と息を吸う。
 ここ数日なんだか慌ただしかったなあ、と、溜めた息をゆっくり吐
「ぴぃー!!」
「えっ」
 ずどん。
「おごッ」
 背中に何かが激しく衝突し、振り返る前にラウルは柔らかな地面に正面から倒れた。
「ぴぃ! ぴぃ! ぴぃ!」
「……」
 ぐりぐりと背中に鼻先を押し付ける感覚。
 子竜の鼻先はなかなかに尖っている。それに硬い。さすが竜。剣をも弾くという硬質な鱗が持ち味だ。
「ちょ」
 ぐりぐり。
「オル」
 ぐりぐり。
「……」
 ぐりぐり。
「……もうちょっと……左……」
 ぐりぐり。
「そうそう、その肩甲骨の、脇……」
 だいぶ凝ってて。
 じゃない。
 起き上がり、ラウルは背中から滑り落ちた物体を抱き上げた。
 腕の中でじたじたしている。
「オルビーィス」
 ぴぃ! と声が返る。
 オルビーィスは長い首をラウルの首に絡めた。
「オルー」
 ――行っちゃやだ――
 伝わる切々とした響きに、ラウルは思わず胸を掴まれた。
 置いていかないでくれ、と。
 独りにされる不安――巣から、親からたった独り離された不安を、この子竜は胸の奥に抱えているのだろう。
 ラウルは長い首に頬を寄せた。
「違うよ、オルビーィス。すぐ戻ってくるから。ずっとひとりになんてしないよ」
 ラウルに長い首を絡めたまま、前脚と後ろ脚、四つの鉤爪はしっかりとラウルの服を掴んでいる。
「オルー……」
 ラウルは優しく微笑み、オルビーィスを剥がそうとした。
 が、鉤爪ががっちり服を掴んだままだ。
「ちょっ……」
 ぐいぐい。
「ちょっと、オルビーィス、いいかな。爪を一旦放そうか」
 ぎゅうぎゅう。
「オルー」
 びり。
 竜の爪って鋭いんだな、と、ラウルは改めて知った。
 服が破れようが何だろうが、オルビーィスはラウルに――もはや破れた服にだが――しがみついている。
 ラウルは笑みを零し、諦め交じりの溜息を吐いた。
「これは縫わないとなぁ。まあ仕方ないね。着替えたいし一旦帰ろうか」
 まだ陽は昇りきってもいない。一日の余裕はたっぷりあった。
 ラウルはオルビーィスを肩に乗せ、来た道を引き返した。


『やっぱ飛び出してったなー』
 迎えるヴァースの声にラウルは恨みがましい目を向けた。
「頼んだじゃないか、ヴァース」
『無理言うなよーご主人、おれ歩けないんだからさー。そもそも飛ばれたらお手上げだぜー』
 ヴァースはしれっとしている。
「戦う時は君の意思で動けるじゃないか」
『それは持ち手がいるからー』
 まあそうか。
「でもその内君は、脚くらい生えそうだけどなぁ」
『次はそういう剣打つかー?』
「いや、それはもう剣ではないというかね」
 何と定義付けすればいいのだろう。
 とりあえず下手なことは言わない方がいいのは確かだ。
「さて、困ったなぁ」
 もう一度村へ向かうために服を着替えたのだが、オルビーィスはラウルの肩と頭にしっかりとしがみつきなおしている。
 尻尾をぐるりと首に回し、爪はやわ噛みならぬ、やわ掴みだ。
 うん。
「えらいぞ、オルビーィス。爪を立てないのえらいぞ」
 頭の横に覗かせた額を撫でる。
「あと、服は破っちゃダメだって覚えような」
 ぴぃ。
 と一応理解してくれた。
「えらいぞー。オルビーィスは頭がいいんだなぁ」
 かわいいなぁ。
「じゃあ、おうちで待ってようか」
 ――一緒にいく。
「ヴァース」
『無理だってー』
 ううん。
「とすると、出かけるのはやめに――でも食糧が必要だし――」
『連れてけ連れてけ』
 ううん。
『おれも連れてけー』
「ううん。それはちょっとね」
『おーい、みんなー、ご主人が出かけるから誰かお供に立候補』
 ラウルは急いでヴァースを掴んだ。
「行こうかヴァース!」
 また剣達に一斉に地面に落ちられてはたまらない。
 ラウルはヴァースを腰に帯び、蔓で編んだ背負い籠を引っ張り出すとオルビーィスをそこに入れ、再び家を出た。


「ああいう脅し方、良くないよなぁ」
『時短時短ー』
「時短って」
『結局誰か連れてくことになるんだからさー』
「誰かって誰」
 まあ、落ちた剣を壁にかけ直す手間はかけなくて済んだが。
「頼むから母さんの前では喋らないでくれよ、ヴァース」
『興味深いなー』
「いやいやいや」
『ご主人の母上、剣とか好きー?』
「あまり好きじゃないよ」
 控え目に言って。
『ええー』
「ぴ」
「オルビーィスは籠から出ちゃだめだぞ」
「ぴい」
「村では鳴かないようにね。竜を連れてるってわかったら騒ぎになるだろうし、飛竜だと思うにしても俺が飛竜を、しかも白い鱗の君を連れてるなんてやっぱり問題になるだろうし」
 軍に知られたらあの密猟者の仲間と思われてもおかしくない。
「ぴい!」
 わかった! だろうか。
「ありがとうね」
『あっ、ご主人! ご主人! 村の人に挨拶していいかー』
「いいわけ無いよねー」
 きりよせ川を渡り、樹々の間を曲がりくねって伸びる道を半刻ほど進むと、くらがり森の外に出る。
 村はそこから東に三里(約9km)ほどだ。
 途中農家の荷馬車と一台すれ違い、あれ、という顔をされながら、ラウルは畑の中の農道を歩き、十刻過ぎにキルセン村に着いた。









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2023.2.12
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