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第2章 ラウルと小竜 村へ行く

2 キルセン村

 
 キルセン村は小規模村落に分類される。
 丸太を組んだだけの簡素な囲いで一周ぐるりと囲んだ村には、二百人ばかりが暮らしていた。
 村人達の生業は三分の二は農家で、ほかに服や雑貨、道具類、小料理屋などのちょっとした店を構えている家と、宿。
 この村は宿の数が近隣の同規模の村より多かった。
 竜舎があるからだ。
 その竜舎は村の外れ、くらがり森側にほぼ円形に作られた村からやや突き出すように位置していた。
 竜舎の飛竜養育官が十名ほど。
彼等は村の名士だ。
 直接竜舎に行きたかったがラウルはまず、弟と妹、母の暮らす家に顔を出すことにした。
 非常に気が重いが。
「エーリックが働いてる店に寄るかな」
 母の様子を聞いておこう。
「あれ、ラウルさんじゃないですか」
 途中声をかけてきたのは顔馴染みで、道具屋の息子のケイといった。
 ラウルの作る道具類を買い取ってくれるありがたい店でもあり、ラウルを見かけると屈託なく挨拶をしてくれる明るい青年だ。
「こんにちは、ケイ。この間はくわを買ってくれて有難う」
「すぐ売れましたよ。また頼むねラウルさん。今日はなんか持って来てくれたんですか?」
「ぜひ仕入れて欲しいけど、手元に何にもなくて。またお願いします」
「こっちこそ、頼んます」
 ケイはにこやかに笑みを返し、通り沿いの道具屋の扉を潜り、店の中に消えた。
「ラウルだって」
 次に届いた声は別にラウルに掛けられたものではない。
 うっかり首を回らせてしまい、ラウルは内心しまった、と思った。こちらはケイのように歓迎してくれる視線ではない。
 くらがり森に暮らすようになってしばらくは、それこそラウルが逃げたことをみんなが知っていて、それに対する軽蔑の眼差しが主だった。『たいそうな家に生まれたのにねぇ』と。
 だが今は。
「ぜんぜんまともな剣を打てないらしいよ」
(うっ)
 ラウルは胸を押さえたくなった。
「立派な工房だけ先代から譲られて。名鍛治師だったってのにねぇ」
「剣が打てなきゃ炉も先代も泣いてるよ」
(ううっ)
「たいして稼げなくて、弟を働かせて」
(うううっ)
 つらい。
 つらいし、エーリックに申し訳なくて心苦しい。
 すいません師匠。
 ごめんなエーリック。兄ちゃんが、兄ちゃんが不甲斐ないばっかりに苦労させて……!
 腰の辺りで気配がす――る予兆を素早く捉え、ラウルは咄嗟にヴァースの柄元を押さえた。
『剣なら打っむぐ』
 そこを押さえると止まるんだと感心しつつ、
「こんにちはー!」
 いい天気ですね、と、村人へ精一杯明るく挨拶をして通り過ぎた。
 通り過ぎてから小声でヴァースを嗜める。
(頼むから、喋んないでくれよ)
『挨拶してないぞー』
(そうじゃなく! 声出すのが森以外ではだめだから!)
 ちぇ、という気配がして、それでもヴァースはおとなしくなった。
 息を吐き、顔を上げ――ラウルははっとして、足を止めた。
 エーリックが働いている貸本屋兼雑貨屋が、あと五十歩ほど先にある。
 店の前にはエーリックが、ラウルに背を向けて立っていた。
 その前に。
「――レイ……」
 背の高い青年だ。エーリックより頭ひとつ分ほど越して、肩まで伸ばした濃い茶金の髪が揺れる。
 整った面はややきつい印象を受けた。
 レイノルド・マリウス・オーランド。
 この一帯の領主であるオーランド子爵の息子だ。
 ラウルの――、一歳下の従兄弟。
「また来てたのか」
 ラウルは一つ息を吐き、唇を引き結んで二人に近付いた。
「レイ」
 さっとレイノルドの顔が上がり、ラウルを見つけて開いた口を、ぐいと閉じた。
 険しい視線がラウルに注がれる。
「レイ、弟に何か用かな。話なら俺が聞くよ」
「――兄さん? 急にどうしたの」
 エーリックが振り返り、ラウルの姿を見て驚きと安堵を昇らせる。
 ラウルはエーリックの横に並び、あともう一本、前に出た。
 レイノルドは苦いものでも噛んだように眉根を寄せ、ラウルを上から下まで眺めた。
「俺のことをそんなふうに気安く呼ぶな、ラウル。逃げた奴が偉そうに」
 毎度のことだと、ラウルはほんの少し首を傾けた。
 事実は事実だ。
「それで、用件は。こんな店の真ん前に立って話をしてたら迷惑だから、場所を移そう。ごめんなエーリック。後で寄るよ」
 レイノルドがいいとも何とも言う前に、ラウルはすたすたと歩き出した。
 レイノルドはラウルを無視することもできるはずだが――ついて来る。
 目が合うと後ろから棘のある声が追いかけてきた。
「ラウルお前、おとといの捕物に関わったらしいじゃないか」
「耳が早いなぁ。まあそうか」
 オーランド子爵はロッソの街の領事でもあり、この辺り一体を管轄している。それに一昨日の件で軍が動いていたのは当然竜舎がロッソに申し入れ、ロッソがエル・ノーの駐屯軍に要請したのだろうから、情報は入るはずだ。どんな伝わり方だか気になるところだが。
 ラウルは人目につかない小屋の横に回り、レイノルドと向き合った。
「ここでいいか。レイ、それで、何の用かな」
「だから、俺を気安く呼ぶなっていつも言ってる」
 苛立ちを含んだ声が返ってくる。
「偉そうに」
 レイノルドはラウルの一つ下の二十三歳。
 そして、従兄弟だ。
 ラウルの父が生きていた二年前までは仲が良く、しょっちゅう行動を共にしていた。
 ラウルの父の酒量が増えていることを親身になって心配し、悩んでいるラウルのことを励まし助け、エーリックやアデラードとも良く遊んでくれていた。
 ラウルの父が死んだあとすぐ、ほんの少しのことで諍いになり、ラウルはレイノルドから決闘を申し込まれた。
 決闘などだいぶ昔に廃れた制度だが、こうした片田舎の土地ではまだ残っている。
 互いの命と名誉を賭ける、由緒正しい儀式。
 その決闘から、ラウルは逃げた。
 ラウルは指定された時間までに、決闘の場に行かなかったのだ。
 だからラウル・オーランドの名前はオーランド子爵領の中で、著しく不名誉なものとして広がっている。
「おとといのことを聞きに来た」
「だったら鍛治小屋に来ればいいじゃないか。いつでも歓迎するよ」
 いや、ちょっと今は状況的に歓迎しかねるか。
 突然来なくてよかった。
「ふん、あんな所に行けるか。お前が街に住めばいいだろう」
「それは無理だよ」
 むっとしたのか、レイノルドは口を尖らせたやや子供じみた顔つきになった。
 もう二十三なのになあと可笑しくなる。昔からそうだった。ラウルよりほんの少し、いやまあそこそこ、子ども――
 でももしかして今も昔通りだったら、今回のことをレイノルドに相談できたかもしれない。
(まあ昔どおりだったら、ヴァースも、オルビーィスもいないんだけど)
「隊長のヘインズから聞いた。お前が密猟者と争ってたとか、妙な光だとか、他にも人が――お前の仲間かなんかがいたんじゃないかとか、そんなことを言ってたが」
 内心ギョッとしつつ、ラウルはしれっと首を傾げてみせた。
「他にって、そんなのいないし、争う以前のやばい状況だったよ。俺が剣はからっきしなの知ってるだろ。レイとは違う。軍が来てくれてほんと助かった」
 レイノルドは憎々しげにラウルを睨んだ。
 まるでレイノルドの方こそ親の仇でも見るようだ。
「俺は、目立つことはするなと言いに来たんだ。お前は森の中の小屋に引っ込んで、身を縮めて暮らしてればいいんだからな!」
「ぴぃ!」
 ラウルの背中から、やや憤った声が上がった。
 レイノルドが眉を寄せ、きょろきょろと辺りを見回す。
「何だ、今の声」
「と、鳥じゃないかな」
 ラウルは微笑んだ。
「お前の背――」
「これは納めに来たくつわとか、あぶみだよ!」
「何か隠して――」
「無いって。もういいだろう、レイノルド・オーランド」
 その言い方にレイノルドはまたむっと眉を寄せた。
「俺の」
「貴方にお願いしたい。あまり弟達に、不安な思いをさせないでやってくれないか。何かあったら俺に直接、言ってほしい」
「――」
 レイノルドはしばらくラウルを睨んでいたが、ややあって首をフイと巡らせ、ラウルに背を向けて大股に歩き出した。
「――」
 ラウルはその背中を見送って、息を吐いた。
「とりあえず」
「兄さん、それ」
 ふいにかかったエーリックの声に、ラウルは驚いて振り向いた。
 エーリックが一間後ろくらいに立っている。
「エッ、エーリック! いつの間に」
「それ、どうしたの」
 エーリックが指差しているのはラウルの背中だ。背負い籠の蓋からはみ出す、白い尾。
 ふりふり。
「うわ!」
 蓋を開けて見上げた青い双眸に「ダメだよ」と言い聞かせ、ラウルは尾をしまい込んでからエーリックに向き直った。
 エーリックの不審そうな目が痛い。
「兄さん……それ、飛竜? じゃないよね?」
 白いし、と鋭いことを言う。
「いっ、やっ、これは、ちょっと、そう、わ、訳があってね」
 エーリックは繊細な眉をすうっと寄せた。
「兄さん、大丈夫なの? レイ従兄(にい)さんから密猟者の騒動に巻き込まれたって聞いて、本当にびっくりしたんだ」
 余計なことを話すなと言うのに。
 釘を刺すのが遅かった。
「今日村に来たのはどうして? 危険なことに巻き込まれてるんじゃないよね? ただでさえ離れて一人で暮らしてて、心配なんだから」
「大丈夫だよ、エーリック。心配なのは俺の懐くらいだ」
 エーリックの眉根は寄ったままだ。
「いや、だから、ちょっとした訳があるんだけど、だから竜舎に相談に来たんだよ。巣に返そうと思って」
「――」
 じいい。
 真っ直ぐな目がラウルの言い訳をどう受け止めようかと考えている。エーリックはそんなふうに大人びている。
 ややあって、エーリックは軽く息を一つ、吐いた。
「わかったよ。説明できるようになったらちゃんと説明して」
「ごめん。――あのさ、母さんには」
「僕は何も言わないよ。でも今日、この後会いにいくんでしょう」
 行きなよね、と。
 なんかもう、今日は顔を出すのをやめておこうかと思っていたところを釘を刺された。これではどっちが年上だかわからない。
「うん……」









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2023.2.12
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