目次


第1章 鍛冶師と小竜

5 襲撃

 
 事が起こったのは、夜も更けぐっすりと眠りに落ちていた頃だ。
 昼に拾った子飛竜は夕食も盛大に胃袋に収め、食糧庫に保存していたパンをすっかり食べ尽くしてしまった。
 明日、村に行ったら多めに買い込んでこなければならないと、ラウルは微笑ましさ大半の溜め息を零した。
 その間、おととい打ったばかりの剣はあれこれと話しかけて来ていたが、時折返事をしてしまいつつも概ね流せた。
 居間と台所と寝室と、三つしかない部屋の寝台でラウルはいつものようにやすみ、子飛竜は寝台横の台に置いた籠の中で丸くなっていた。
 眠りも深くなる、深夜二刻の少し前――
 不意に沸き起こったけたたましい声に、ラウルは叩き起こされた。
『起きろー!!!』
 金属を打ち鳴らすようだ。
「――なっ、何だ何だ?!」
『起きろ!! ぼけっとすんな!』
 鋭い警告の響き。
 すぐ隣の部屋からだ。
 だがここにはラウル以外誰も――
「――剣!?」
 慌てて飛び起き、ラウルは寝台から滑り落ちた。思い切り尻を打つ。
「いてて」
 声はまだ続いている。心の奥底に不安を掻き立てる。
 さっと目を向けた子飛竜は籠から首を持ち上げている。その瞳がぱちりと瞬いた。
「ここにいて」
 隣室――台所の食卓に剣を立てかけたままだ。
 扉の把手を鳴らして飛び込んだラウルの鼓膜を、途端に剣の声が震わせる。
『襲撃だ!』
「しゅう――」
 言葉の意味を飲み込むのに、一呼吸かかった。
 同時に。
 派手な音を立て、窓硝子が割れ、石か何か、塊が部屋に飛び込んだ。
「!」
 降りかかる破片に顔を腕で覆う。
 室内は暗くぼんやりとしか見えないが、今いる位置の右、裏庭側の窓だ。向こうの夜の中に火が揺れるのが見える。松明か。
 “襲撃”
 何で、と思考を巡らせる前に、割れた窓は更に叩き壊された。
 窓を乗り越えようと人影が動く。
 ぞっと腹が冷える。
「だ、誰だ!」
 人影は一度顔を上げたものの、構わず窓を乗り越え室内に降りた。それ以外にもまだ外に人がいる。入ってこようとしていると分かった。
 何が起こっているのか判らない。強盗か。もう一人、窓を乗り越える。靴音。
 ヒヤリと、命が失われる恐怖を感じる。足が震えた。
 侵入者達の間を遮るのは木の食卓だけだ。
「で、出て行け! 人の家に勝手に……」
『俺を使え!』
 声が耳を叩く。食卓に立てかけておいた剣に目が行った。
 ラウルは剣に手を伸ばした。柄を握り、鞘もないそれを取り上げる。
 構えようとしたラウルの目の前に、白い光がぎった。瞬きの後、剣が松明の灯りを弾いたのだとわかる。ぎったのは短剣だ。
 幸い掠めもしなかったが、切先の鋭く冷えた名残に背中が凍る。
 よろめいた足が椅子に引っかかり、ラウルは派手な音を立てて床に倒れ込んだ。
 咄嗟に身構えたものの侵入者はラウルを跨ぎ越し、床を無骨な足音で鳴らす。最初より増えて、三人。
(まだ外にいる)
 ラウルはしゃがんだまま背中を壁に寄せ、震える手に剣を握り直した。
 一体何の為に、こんな森の奥の、何もない場所に。
 疑問に覆い被せるように一人が荒っぽく声を上げる。
「いたぞ!」
 三人はラウルには背を向けている。視線の先は寝室だ。
(いたって何が)
「飛竜だ」
 その言葉にはっとした。
「密猟者――!」
 思わず叫んで立ち上がる。
 全員がラウルを振り返った。
 部屋にいるのは三人。慣れて来た目に、男達のそれぞれ短剣が握られているのが見える。
 まずい。
「黙らせろ」
 一人が言い、すぐ前にいた男がラウルへと踏み出す。
 ラウルは剣を正面に構えた。
 ラウルの手元の剣に気付き、男がびくりと足を止める。
 男の手には短剣、ラウルの剣は刃渡り二尺(約60cm)近くの片手剣だ。一見すればラウルに分がある。
「おい、剣を持ってる、厄介だぞ。こいつ先に殺っちまおう」
「甘ったれんなよ」
 舌打ちを返したもう一人もラウルへと足を戻す。
 ラウルは剣を握り直した。さっきから鼓動が激しくて心臓が爆発しそうだ。
『気を付けろよー』
 ラウルと自分達との間から上がった場違いな声に、一瞬男達は怯んだ。
「もう一人いるぞ!」
「何だ、どこに――暗くて見えねぇ」
「とにかくそいつ殺せ」
 一人が食卓を回り込む。正面に一人、食卓を挟んで左側にもう一人。
 じりじりと下がるラウルの背中は部屋の角に早くもぶつかりそうだ。
 寝室、そして居間への扉は男の向こう。正面の食卓の左右に、三人の侵入者。
 逃げ道が完全になくなった。
(どうすれば――)
 ラウルは剣で戦ったことなどないのだ。
 剣術の稽古を真面目にやってこなかったことを今更ながらに悔やむ。
(でも、こいつら、密猟者だ)
 飛竜を狙っている。
 あの小さな飛竜を連れて行かれたくない。母親の元に帰すのだ。
(どうしよう――)
『俺の言う通りに動けよー』
 耳に届いたのはのんびりとした剣の声。
 男達はまた一瞬怯んだ。
「やっぱりいるぞ」
「どこだ、もう一人」
『せーの、右ー!』
 どうやって、と問う余裕もない。
 ラウルは片手剣の柄を両手で力いっぱい握り、剣を右に思い切り振った。
 剣が勝手に動くようだ。
 暗がりの中、右手にいた男の短剣を、ラウルの切っ先は寸分の狂いなく弾いた。
 剣の勢いに引っ張られて身体が泳ぐ。
『馬鹿! 片手で使えー!』
 と言われても手が離れない。
『左返せー!』
 呼吸を喉の奥に飲み込んだまま、身体ごと左へ振る。飛びかかろうとしていた左側の男の鼻先を切先が掠める。
 ラウルはつんのめり食卓に腰を思い切りぶつけた。
「痛っ」
『そんな暇ない! 左上ー!』
 振れない。剣を握ったままの両拳を食卓についている。体勢が悪い。
 頭の左上から、短剣が突き下ろされる。ラウルの後頭部へ。
 笛に似た、鋭い鳴き声が暗い部屋に響いた。
 寝室の扉の近くにいた男の頭上へ、白い影が飛び掛かる。
 気付いたラウルは咄嗟に声を上げた。
「駄目だ、戻って――!」
 まだ不十分な鉤爪で男の頭へ掴み掛かる。
 飛び出したラウルの後頭部に短剣の柄が落ちた。強烈な痛みに呻き、支えるものもなく床へ倒れる。
 床で動かなくなったラウルを見て、男の一人に掴みかかっていた子飛竜はもう一つ高く鳴き、まだ小さな顎を男達へと開いた。
 そこへ、空気を呼び込んでいる。
 ラウルを殴り倒した男が何かを投げる。夜の中で広がったそれは、四隅に重石を付けた捕獲用の網だ。
 網は子飛竜の翼に絡まり、そのまま床へと絡め取り落とした。
 力が入らず起き上がろうにも身体が動かないまま、ラウルは男達が網ごと子飛竜を掴み上げるのを目で追った。
「ま……」
 掠れた声も、喉から出て行かない。後頭部がずきずきと鈍痛を訴えている。
「捕まえたぞ、行こう」
「こいつは」
「念の為に殺しとけ」
 右手にいた男の靴先が、ラウルの目の前の床を踏む。
(殺される――)
 身体が起こせない。頭を打ったからというより、純粋に怖い。
 殺される。
 どうにか剣を握った。思うように力の入らないその手が剣ごと震えている。
 ――唐突に。
 ラウルの手の中で剣は硝子を掻くような、耳をつん裂く音を上げた。
 高く、長く。
「何だ!?」
 室内を圧してどこまでも続く。
 家の外で、どん! と大きな音がした。
 続いて金属が打ち合うような音。
 がしゃん!
「誰かいるぞ!」
「くそ、いい、引き上げろ! 獲物は手に入れた! 急げ!」
 足音がどかどかと床を踏み鳴らし、侵入した窓から外へ、移っていく。
 剣が鳴らす音に追われるように窓の外の松明が遠ざかる。
 下草を踏み荒らす足音が消え、束の間、室内は塗り潰したような夜の闇と静寂に満ちた。
 いくつ呼吸をした後か――
 静寂に梟の鳴き声が響き、ラウルはびくりと身を縮め、我に返った。
 息を吸って、吐く。
 指先に力を入れると、どうにか動いた。
 椅子と食卓に捕まって身を起こし、まだ震えている右手を同じく震えている左手で掴む。
 剣を見る。
 視線が返った気がした。
『大丈夫かー? 奴等逃げてくれて良かったなぁ。心配したぞ、あんた全然おれをつかえないしさー』
 のんびりとした声が、今起こったことが夢だったかのように思わせる。
 けれど現実だ。
 ラウルは立ち上がった。
「今すぐ追わなきゃ」
『ええ、何でよ』
「あの子を連れて行かれてしまった」
『あの竜かー? ありゃ仕方な』
「あの子に助けられた。このままじゃどっか良くない竜舎に売られて、酷使される。あの密猟者達だって捕まえないと」
 盛大に呆れた声が返る。
『あんた、自分を解ってねぇなぁー! あんたにそれは無理だよ。あいつら三人だけじゃねぇぞー? もっといるだろ、一人でどうすんだよー』
 ラウルはぐっと詰まった。
「でも」
 何がでも、だと我ながら思うが。
「本当は、俺の方が助けてあげなきゃいけなかったのに」
 やや呆れた、けれどどこか温かい溜息の気配。
 剣なのに。
「今、追えば、せめて行き先だけでも分かる。それを村に知らせて、ロッソの警備兵を呼ぶ」
 ラウルの名前では警備兵を出さないかもしれない。
 けれど竜舎が呼べば必ず出すだろう。
 それか、徒歩で三日は距離が離れてはいるが、エル・ノーの駐屯兵か。
 剣はもう一度、人とまるで変わらない溜め息を吐いた。人の姿だったら肩でも竦めているのだろう。
『どうやって追うつもりだよー。言っとくけどおれは奴らの行き先まではわからないぞー』
 一緒に行ってくれるつもりかと、ラウルはちょっと笑った。
 心強い。
「森の樹とかに聞きながら行く。得意技だ」
 彼等の声を聞く。
 時間が経つ前なら、迷わず追える。
『まあ、その特技のおかげでおれが喋れるんだけどさ、鍛治師なんだからちょっとくらい剣使えるようにしとけよー』
「ずいぶん前に習ったは習ったんだけど、急には、ちょっと……だいたい鍛治師が剣を使えるとも限らないし」
 そもそも自分は鍛治師とも主張できない気がする。
『今度から勝手に動いていいかー?』
「え? う、うん」
 勝手に……?
 いやまあ考えてみれば、ラウルの意志があっても変わらないというか、かえって足手まといというか。
 けれど。
 ラウルはゆっくりと、改めて、息を吐いた。
「ありがとう、助けてくれて。君がいてくれて良かった」
 そう言うと、剣は不思議なことを言った。
『おれだけじゃないぞ。あいつらもだよ』
「あいつら――?」


 母家から一間(約3m)ほど離れた場所に建つ鍛治小屋に入り、ラウルは驚いた。
 手に掲げた角灯の投げる灯の中、壁に飾っていた十振りの剣が全て、土の地面に重なり合って倒れている。
 先程密猟者達を驚かせた音はこれかと、ラウルは何度も目を瞬かせた。
 一番初めのどすんという音は、立て掛けていた大剣が倒れたものだろう。
 次に響いた派手な音は他の剣達が重なり合って落ちた音。
 眩しいのは重なり合う剣の二番目くらいで光っている剣で、あれは打ち上げた瞬間からぎらぎら光り始めたやつだ。
『あ、まずはリトを早く戻してやれよー』
「リト?」
『名前だよ』
「なま、え……?」
 戸惑うラウルに構わず、剣の切先が勝手に動き、重なり合う剣の一番上の一振りを示した。
 ラウルが打った中でも一番優美な剣身をしている。
 鉱石を掘り出した時から誰よりも美しく打ってくれと訴え続けていた。
『リトスリトス。あいつめっちゃ綺麗好きで自分一番で誰より大切に扱われないと怒って手がつけられないらしいぞ』
「――そうなんだ……」
『おれがリトって雑に呼んだから今怒ってる』
「ええ……」
 ラウルは首を振った。
 ちょっと言っていることがすぐには飲み込み難いが、とにかく今は先ほどの男達を追いかけるのが先決だ。
 地面に倒れた剣を手早く壁に戻し――リトスリトスは思わず恭しく扱った――、最後にやや苦労して大剣を立てかける。
 それからもう一度、壁の剣達を眺めた。
 男達に対抗するには。
 よし、と気合を入れて頷き、大剣に手を伸ばす。
「じゃあ、この剣を持っていって」
『馬鹿なの?』
「ひどい」
 切れ味鋭い。
『おれを満足に使えないあんたにこいつが振れる訳ないだろー』
「うう」
『今回はおれと、そうだなー』
 喋る剣はつつ、とまた切先を動かした。
 ギラギラと光りを放っている剣を示す。
 素材の時にW誰よりも輝きたいWと主張した剣だ。
『フルゴルだ』
 名前だな、とすぐ分かった。
 煌めくとかそういう意味だ。
『こいつを連れて行こう。森は暗いから』
「あ、うん」
 分かる。









次へ



2023.2.12
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。