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第1章 鍛冶師と小竜

6 夜の追跡

 
 ラウルは割られた窓の下に立ち、まずはすぐ前に立つ樫の樹の幹に右手のひらで触れた。
 どこへ行っただろう、と問いかけると、
 ――右の道を行った
 と深い声が答える。
 これが本当に声として耳に聞こえているのかはラウルには分からない。弟達には聞こえないらしいから、証明ができないと言うべきか。
 ともかく示された道へ、夜の森を歩き出す。
 ――真っ直ぐだ
 ――わたしを右へ進んだ
 ――水楢みずなら達の古道を抜けていった
 耳に響くのは自分の靴底が落ち葉と枯れ枝を踏む音と、夜の向こうの梟の鳴き声。
 手には星の光を集めたように、内側から輝く剣。
 腰に帯びたもう一本はずっと黙っている。あんなに喋り続けたのが嘘のようだ。
 ふと見れば、樹々の間に小さな光が散っている。釣鐘型の小さな花を咲かせる地星草で、紫や白の花が光を含んで僅かな風に揺れている。
 幻想的な、静かな夜の森の中を一歩一歩、樹々に訪ねながらラウルは確実に男達の後を追い歩く。
 まるで穏やかな散歩に見えるが、内心では剣もまともに扱えない自分が大胆なことをしている不安が一歩ごと、川底に足を踏み入れたときに上がる泥のように舞い起こっていた。
 心臓が鼓動を夜の中に散らしている。
『ところでご主人』
 調子っ外れの声が腰の辺りから届く。
 ラウルは思わず飛び上がった。
「――な、な、何」
 喋り続けるか喋らないかのどっちかにして欲しい。
 でも少し、迫り上がっていた不安が落ち着いた。
「ていうか、ご主人?」
『おれを打ち上げたんだからご主人だろ?』
「別の呼び方がいいなぁ」
『考えてたんだよーおれ』
「何を?」
 もはや普通に会話しているが、先ほどまでの無限に繰り返される不安よりずっといい。
 一人じゃないと安心できる。一人だが。
『ご主人はへっぽこだけどおれみたいな優れた剣を生み出せる力もある』
 それは結論へっぽこでまとまるような。
「あまり嬉しくないような」
『何言ってんだ、最大の賛辞だぜー。賛辞は素直に受け取るもんさ』
「自画自賛のような」
 ラウルを無視して剣はそれでさ、それでさ、と嬉しそうに続けた。
『今度、打った剣全部並べてこの国の王様にでも売り込もうぜー。面白がって取り立ててもらえるんじゃないか?』
 やっぱり面白いと思ってるんだな、とラウルは内心呟いた。
「国王陛下にはもう全然剣は必要ないんじゃないかなぁ……んー……まあもしかしたら逆に興味をお持ちになるかもしれないかな」
 とは言えそれは国王自身の剣に、ではないだろう。
「まあ、そもそも俺なんかじゃお会いすることもできないし、そんな未来もあるといいよねって」
『何言ってんだ』
 心底呆れた声音だ。
『無欲とかってさ、いいもんじゃねーぞ。怠慢ってんだ。自分で動かないと期待だけしてたって誰も拾ってくれねーよ』
「厳しいなぁ」
 グサリときた。
 ふっと思い浮かんだことがある。鍛治のことではないけれど。
 確かに、無欲の振りをして誤魔化しているのかもしれない。
 弟。妹。
 母の願い。
 それと。
(うーん、にしても)
 この剣、何歳生きてきたんだろうと思わせる。つい悩みを相談したくなる。
 水楢の続く古道を抜けると、きりよせ川の川沿いに出る。昼間、子飛竜を見つけたのはもう少し上流の川岸だ。
 この辺りは子飛竜を拾った場所まで、川岸しか歩ける場所がない。
 川を辿り見覚えのある場所へ着くと、狭い河原の大きな岩に手を触れ、ラウルは目を閉じてまた密猟者達の行方を問いかけた。
 ――私を左に巡って、小径を森へ入っていった
 小径の入り口に立つ樫の木に振れる。
 ――少し前に通った
 ラウルは思わず手にしていた剣を背後に隠した。灯りが見つかってしまうかもしれない。
『布で隠せ。おれと持ち変えろ』
「うん」
 ギラギラと光る剣を布で包む。たった今まで照らされていた周囲がふっと暗くなり、川面を渡る風がより冷たく感じられる。
 一度身を震わせ、ラウルは手元の剣達を見た。フルゴルは布の奥で相変わらずぎらぎらと光り、包んだ布の隙間からわずかに光をこぼしている。
 きちんとした鞘を作ってやらないとな、と思った。他の剣達にも。
 この喋る剣は鞘に入ったらお喋りが止まるのだろうか。そういえば。
「君――、名前は」
『ないぞ。欲しいぞ』
「自分で決めてないなら、俺が名前をつけてもいいかな」
 喋る剣さんとはさすがに呼びにくい。
『付けてくれるのか? よろしく頼むぜ!』
 と言われ、ラウルは束の間考えを巡らせた。
 すぐに思い浮かんだ単語はひとつ。
「ヴァースにしよう。言葉に連なる意味がある」
『ヴァース! ヴァース! いいな、いいな!』
 嬉しそうだ。
 ラウルは口元に笑みを滲ませた。
「他の剣はみんな自分で名前考えてるのかな」
『主張強い奴しかまだ聞いてないなー』
 あの主張だらけの剣達の中でも主張の強い弱いがあるのか。
 まあ帰ったら聞いてみて、まだ無いのなら考えよう。
「ヴァース、君も一緒に」
『おっと、静かに』
 ヴァースの声もまた、これまでで一番小さく抑えられた。
『近い』
 ラウルはそっと足を止めた。
 傍らの樹に手を伸ばし、触れる。
 声が返った。
 ――その奥、左に二百歩ほど入ったところに小屋がある
 ぎゅっと、心臓が縮み上がった。


 極力音を鳴らさないよう、地面に足をそっと下ろしながら進む。
 五十歩ほどそうやって進んだところで、重なり合う樹々の間にちらちらと微かな灯りが見えて来た。
 はじめは誰かいるのかと怖気付いたが、よくよく見ると動かない。
 最後の樹が小屋と言っていたから、おそらく窓から洩れる明かりなのだろう。
 じりじりと近付くにつれ、夜目にも小屋の姿が見えてきた。
「こんな場所に――」
 石積みの小さな小屋だった。四角く切り出し重ねた石には苔が蒸し、小屋全体を重苦しい印象にしている。足元は雑草で生い茂げり、打ち捨てられて長いように見えた。
 ラウルが暮らすところもなかなか手狭ではあるが、ここは例えば樹木伐採の仕事の休憩小屋程度の大きさだ。
右手の奥に柱四本に屋根だけという物置があり、そこに長い木材が数本寝かせられているから、実際そうだったのかもしれない。
(最近は、くらがり森で木材の伐採をやってるって聞かないし)
 ラウルの父が付けていた財産台帳でも、くらがり森での林業の記録があるのは五年前までだった。
都からイル・ノーの街まで物流が飛躍的に改善して、もっと安全に伐採できる森から木材が運ばれるようになった。
(それもうちの収入が、落ちる原因の……)
 梟が思いのほかすぐそばで鳴き、ラウルは肩を跳ねさせた。
 逸れていた思考を引き戻し、小屋に集中する。
 手元でヴァースは黙っている。ただ手の中の彼の意識を感じられた。
「――」
 そっと息を吐く。
 自分がこれからやることをもう一度確認する。
 無理はしない。絶対に。
 まず、気を付けて近寄って、中にあの男達がいるのを確認する。
 確認したら朝を待たず村に行って竜舎に報告しよう。
 竜舎からロッソの街に応援を呼んでもらうのだ。
 応援と一緒にまたここに戻り、小屋に踏み込んで、あの子飛竜を助ける。
(よし)
 深呼吸を、一つ。
(もっと、近付いて……)
 灯りの漏れている窓から中を覗けそうだ。
 近付くほどに体内で鼓動が音を増し、乱打している。
 ラウルは時間をたっぷりかけ、どうにか灯りを湛えた窓の側に寄った。
 さっきと逆だな、と何とも言い難い気持ちになる。あの男達も同じようにラウルの家の窓を覗き込んだのだろう。
 あの時のことを思い起こし、今更ながらに背中が粟立った。
 煤けて半ば曇っている硝子窓の隅から室内をそっと覗き込む。
 暗い森に慣れた目には室内が眩しくさえ感じられた。殴られた頭は正直まだ痛いが、それでも大きな怪我がなく済んでよかった。
 覗き込んだ室内はほぼ物置に近かった。部屋も一つだけのようだ。
 真ん中に小ぶりの木の机が一つ。その前の椅子に男が一人、机に両足を乗せ眠っている。もう一人、椅子の背に身体をだらりと預けている男と。
(あいつらか、どうか――)
 襲われた時は暗かったから、確信は持てないが。
 壁際に木箱が幾つか置かれている。上に重ねるように置かれた鉄格子の――檻。
 その中に。
「いた」
 あの子飛竜、とラウルは目を凝らし、そのまま見開いた。
「え、違う」
 子飛竜は真っ白な鱗をしていたが、檻の中に入っているのはどうやら緑鱗に見える。
 その隣の檻も、その隣にも同じく緑鱗の飛竜の幼竜が入れられていた。おそらく生まれたてだ。
 眠っているのか、檻の中で躯を伏せている。
 壁に寄せて積まれた檻はラウルから見えるだけでも七つあるが、部屋の様子からして今覗いている窓側にもありそうだ。そしてそのどれにも飛竜が入れられているようだった。
「竜舎――」
『な訳ねぇ』
 そうだ。こんな森の奥の、こんな狭い荒れた場所で。
「けどあんなに」
 村の竜舎のボードガード親方は、慣れた、飛竜養育官を多く抱える竜舎でもひと季節に四、五個、卵を採取できれば上出来だと言っていた。
 そして採るのはあくまでも卵だ。一つの巣から一つだけ。
 生まれた後は手を出さない。
 もうひとつ、ボードガードから聞いたことがある。
 ボードガードの言葉を借りれば、
 W密猟者やつらは巣から根こそぎ持っていきやがるW
 卵から孵すよりも時間も手間もかからない。
 買い取る竜舎は当然真っ当な許可を得ている所ではなく、飼育環境は劣悪だ。
 何よりも許せないのは、とボードガードが低く押し出した言葉。
 Wあいつらは大抵、親を殺してくW
 追ってこられると面倒だという理由で。
 その後のことを何も考えない、完全な荒らし行為だ。
 小屋に今いる飛竜達も、みなそうして連れてこられたのだろうか。
(あの子も、もしかしたらそうだったのかもしれない)
 子飛竜の青い、綺麗な瞳。
 本当は親の姿を写しているはずだった。
 ラウルは強い憤りを覚え、手にしていた剣の柄を握りしめた。
「――村に、知らせに……」
『まずい』
 ヴァースが緊張を帯びた声を発した。
『誰か来た』
 ラウルは首を引っ込め息を殺したが、室内の男達は眠ったままで、扉が開く気配もない。
「大丈――」
 ヴァースの声は更に、緊張を増した。
『違う、後ろからだ』









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2023.2.12
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