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第1章 鍛冶師と小竜

4 固い卵

 
 靴底で拳大の石がごろりと逃げる。
 きりふり山に近付くにつれ、足元は大きめの石や岩がごろごろと転がり始めた。斜面の角度も少しずつ、きつさを増している。
 ラウルはつるはしを担ぎ、朝早くに小屋を出て採掘場へと歩いていた。
 剣を打つ為の鉱石を掘り出すのだ。
 出かける間際に一昨日打ち上げた剣が連れて行けと騒いだが、煩いので置いてきた。
「自分が使える剣も打てないんだもんな」
 一昨日は鍛治師としての先行きが不安過ぎて落ち込んだが、だいぶ立ち直ってきた。
 やっぱりまだまだもう少し、剣を打ちたい。
 胸を張って外に出せる剣が打てるまで。
 師匠から引き継いだ採掘場は、きりふり山を少し登った位置にあった。
 入口を閉ざしているかんぬきを外し、入ろうとしたラウルの耳に、聞いたことのない音が辺りに響いた。
 獣の咆哮だと思った。咆哮は悲しげに長く、頭上から降り注ぐようだ。
 一瞬、空気が冷たくなったと感じ、ラウルは身を一つ震わせ、周囲を見回した。抜けてきた森の小道は、森の奥の曲がっていく辺りまで変わった様子はない。
 咆哮に似た音ももう止んでいた。
 だが、くらがり森には昔から魔獣が棲む。今いるきりふり山の麓辺りはあまり出没しないのだが、それはきりふり山のぬしの縄張りだからだと考えられている。
 恩恵にあずかれ、かつ邪魔だと思われない絶妙な位置がラウルの暮らす小屋辺りなのだと、いつだか師匠が言っていた。
「今の声は、それかな」
 見上げた空は灰色の雲で厚く覆われ、山の斜面は中腹を覆う霧に隠されている。
 山の主を一度見てみたいものだと、そんなことを思った。
 ラウルは採掘場の入り口を潜ると、獣の侵入を防ぐため、扉に中からつっかえ棒を当てた。
 掘り進んで洞窟になった採掘場は、入り口からもう十間(約30m)も山に入り込んでいる。
 壁に手を当て鉱石達が囁く声を聞きながら、ラウルは奥へ進み、一番声の大きいところで採掘を開始した。
 午前十刻ごろから五刻ほど、途中昼食も挟みながらつるはしを振るうと、用意した背負い籠は鉱石でいっぱいになった。
 これで二振りは剣が打てそうだ。
 束の間考え、ラウルは自分の考えを訂正した。
 剣は一振りにして、生活の足しになる轡や鎧を作ろう。それなら売れる。
「今日もいい汗かいたなぁ」
 持って来た蜂蜜酒を一口、二口含んで喉の渇きと疲れを癒し、ラウルはずっしりと重くなった籠を背負い、採掘場を出た。
 採掘場に入る前は空模様が怪しかったが、出てみると晴れているのか霧の向こうに太陽の丸い光が見えた。このきりふり山だけは一年中その中腹に白い霧を纏わせていて、麓からは山頂を見ることができない。
 真っ直ぐ降れば二刻ほどで暮らしている小屋に帰り着くが、ラウルは来た道とは違う、川へと繋がる道を選んで歩く。鍛治で使う川底の泥を採取したいのだ。
 半刻ほど歩くと川の流れる音が聞こえてきた。
『きりよせ川』という名で、山腹から流れ落ちてくる幾筋もの川が寄り集まり流れてくる。
 きりふり山を覆う霧が集まり、川になったと言われていた。
 森を抜けると川岸に出る。川は幅半間(約150cm)にも満たず細い。
 斜面を流れ落ちる水は速く、所々抉れて落ち込み、小さな段差を作っていた。
 乾いた喉を川の水で潤す。四月のこの時期、まだ水はキンと冷えている。
 先に岸に枯れ枝を組み火をおこしてから、靴を脱ぎ、靴下も脱いで、ラウルはざるを持って川の中に入った。
深い場所に足を取られないよう慎重に二、三歩進む。裸足の指先と足裏で川底の感覚を探り、柔らかい場所を確認すると、手にした笊で川底の泥を掬った。澄んだ水に泥が舞い起こる。
 何回か掬っては岸に運び、あと一箇所だけ掬おうと上流を見渡した時だ。
 ラウルは少し先の岸の傍に、何かが浮いているのを見つけた。
水に削られて窪みになったそこに上流から流れて来たものが溜まっているようで、ラウルが見つけたものは流れに巻かれ二、三度沈んでは浮き上がりを繰り返している。
 岸に上がって近付くと、卵だと分かった。けれど大きい。
「大型の動物か、魔獣とか――」
 辺りに親が居たら拙い。
 だが頼りなく浮き沈みしている卵を見過ごすのも憚られ、ラウルは恐る恐る近寄り岸から腕を伸ばして卵を持ち上げた。
 重い。
 加えて、両腕に抱えて丁度いいほどの大きさに、改めて驚きを覚える。
「でかい。何の卵だろう」
 川底に石なども多い速瀬を流れて来ただろうに、卵は上部の数カ所に穴が開いているだけで他はほんの少し傷がついているだけだった。
 河面を浮き沈みしていたとしたら、かわいそうだがもう中の生物は。
 卵を逆さにして溜まっているだろう水を出そうとしたが、数滴、滴っただけだ。
「ほかも穴が開いてたかな」
 卵を起こし、
「ぴぃ……」
 ラウルは驚いて思わず声を上げた。
「――えっ」
 目が合った。
 丸い、深い青い瞳。
 まるで宝玉のようだと思った。
「生きてる」
 応えるように、殻の中の存在がもう一度、「ぴぃ……」と弱々しく鳴いた。
 ラウルは慌てて卵を下ろし、自分の上着を脱いで包んだ。
「じゃない、卵包んでも」
 中の子は孵化同然だ。早く身体そのものを温めてやらないと、と卵の穴に指を掛ける。親指をそのまま入れても十分な穴が空いている。
 力を込めたが
「――ッッ、ぐぅおッ硬! かった!」
 ラウルは思わずまじまじと卵を見つめた。
 全く割れない。
 もう一度指をかけ、今度は全身の力を込めた。
「――ぅ、ぅぅおおおあ! え、何だこの卵!?」
 殻は確かに分厚いのだが、もう既に穴が空いているのにこんなに割れないことがあるだろうか。
 ラウルは一瞬躊躇したものの、すぐに道具袋の中から小ぶりの金槌とのみを取り出し、のみの先端を上着の上に横たえた卵の、穴に当てた。
「お前、奥に行ってろ!」
 声をかけ、金槌を鑿に振り下ろす。
 一度、二度。
 それでも割れない殻に内心舌を巻きつつ、三度目、金槌を鋭く振り下ろした。
 ガキンッ、と派手な音がして、ようやく殻に皸が入る。
 生まれる時一体どうやって殻を破るのかと、そんな疑問を奥歯に噛み締めながらもラウルは殻に手をかけて力を込め、今度こそ卵を割った。
「冷たっ」
 ラウルは手のひらを見た。掴んだ殻の破片と
「氷――?」
 薄く張った氷。しゃりしゃりと手のひらで微かな音を鳴らし、溶けた。
 卵の中に、氷――、と持ち上げた卵から、滑り出る。
 ラウルの膝の上にぐったりと転がり出たのは、蜥蜴――
「……えっ」
 違う。
 首と尾が長い。
 鱗は真っ白だ。
 そして、空を飛ぶ為の翼。
 すぐに思い浮かべたのはキルセン村の竜舎だ。飛竜を卵から孵して育てている。
「――えと、飛竜の、子どもか……?」
「ぴぃ」と弱々しい鳴き声に我に返り、ラウルは子飛竜を上着に包み込んだ。
 その時、ラウルの脳裏に小さな声が流れ込んだ。
 ――おかあさん
 思わずそっと抱きしめる。
 それから、声が響いたことに改めて驚いた。
 ラウルは人以外の声が聞こえる体質だが、鉱石などや例えば家具、植物に限られ、これまで動物の声を聞いたことはない。
 ともかく上着の中の小さな飛竜の仔を慰めるように撫でた。
 巣からどう運ばれたのか、本当なら殻を破って生まれたこの子を迎えるのは親だったはずだ。
「……冷え切ってる。飛竜って冷えて平気なのか? とりあえず温めた方がいいのか?」
 岸に熾していた火へと寄り、ラウルは子飛竜を抱えたまま火にあたった。
 改めて姿を眺める。ラウルの上着の中で、畳んだ翼に顔を埋めるように縮こまっている。
 体長は頭から尾まで、一尺五寸(約45cm)ほど。
 鱗は真っ白だが、竜舎で孵る飛竜も最初は色が薄いと言う。
 子飛竜は火の温もりにあたり、安堵しているように見えた。
 温まれば次に気にすべきは餌だ。どのくらい食べていないのだろう。
「孵化したてだと、餌は……」
 飛竜は雑食で食べられないものは少ないと聞くが、生まれたてなら柔らかいものがいい。
 ラウルは自分の鞄から昼の残りのパンとチーズ、蜂蜜酒を取り出した。
 焚き火の上に小さな鍋を置く。自分で打った鍋なので少し無骨だ。
 そこにパン、チーズを入れ、蜂蜜酒をひたひたに注いだ。
 しばらくすると蜂蜜酒が煮立ち始めた。チーズがとろけパンと絡み合う。蜂蜜の甘い香りが辺りに漂う。
 子飛竜がぴくりと頭をもたげる。
「匂いに誘われたかな? 食べられるといいけど」
 酒精を飛ばし、パンもチーズもとろとろにすると火からおろして焚き火のそばに置いた。
 木のお椀にほんの少し注ぎ入れ、今にも飛びつきそうな子飛竜を抱えて抑え、人肌程度に冷めるのを待った。
「もういいかな」
 意味が解ったのか、子飛竜は飛び出すようにお椀へ長い首を突っ込んだ。
 音を立ててお椀を揺らし、まだ不器用ながらも夢中になって食べている。
 懸命な姿に微笑ましさと心に灯るような温もりを覚え、ラウルは子飛竜の首を撫でた。
 お椀はあっという間に空になり、子飛竜が頭を巡らせもっと欲しいとラウルを見つめる。
 きらきらと期待に光る瞳は、殻の中から見えた時は濃い青だと思ったが、陽の光の下で見ると澄んだ空色だった。朱金の虹彩が見える。
「ちょっと待って」
 鍋の残りが程よく冷めているのを確認してもう一杯注ぐ。
 途端に首を突っ込んだ子飛竜に、ラウルは今度は声を出して笑った。
「お腹空いてたんだねぇ。まだあるからいっぱい食べな」
 子飛竜が一旦顔を上げ、了承なのか期待なのか、きらきらした目を向ける。
 合計五杯、食べ終えた時には小さな鍋はすっかり空で、それでも子飛竜は物足りなさそうだった。
「よく食べるなぁ。きっと大きくなるね」
 生まれたてながら足の大きさも立派だ。
 爪もまだおとなし目だが、立派な鉤爪になりそうだった。
 そういえば、とラウルは思い起こした。
 あれほど硬かった卵の殻に綺麗に空いていた幾つかの穴、あれはひょっとすると獣の爪が付けたものではないだろうか。子飛竜も大きくなればその位の爪になりそうだ。
「でもまさか、親が爪で穴は開けないよな」
 殻を破るのを手伝って、だとしたら無いこともないか。
 それとも獣が巣から卵を盗もうとしたか。
「うん……この子はどこから来たんだろう」
 ラウルは腕を組んで思案した。
 周りを見回しても、樹々の枝の向こうの空を見透かしても、やはり親らしき姿は見当たらない。
 状況からすると、川のもっと上の方から流されて来てしまったのだろう。
「どうするかな」
 巣に返してあげたいが、飛竜の巣がある場所は竜舎だけが知っている。飛竜の卵を密猟から防ぐ為だ。
 飛竜は重要な移動手段であり、許可を得た竜舎が卵から育てて人を乗せられるように整える。
 竜舎は所有する飛竜のつがいが産んだ卵を育てるか、森で卵を採取しに行くのだが、乱獲は固く禁止されていた。
 飛竜は春になると、一度に二個から四個の卵を産む。
 採取できるのはその中から一個だけ。そして森に入れるのもこの四月のひと月だけ。厳正な決まり事だ。
 破ればその竜舎は許可を取り消され、関わった者は牢へ直行で罪が軽くても五年は出られない。
 竜舎の職人は飛竜養育官とも呼ばれ、国が決まり事を整えている国家的重要職だった。
 おまけに飛竜の巣から卵を取ってくるのは命懸けの勇敢な仕事でもある。
 だから辺鄙なキルセン村に正式な竜舎があることは、村人達の誇りでもあった。
「取り敢えず、今日は家に連れて帰って、明日竜舎のボードガード親方にどうしたらいいか聞いてみよう」
 屈強なボードガードの姿を頼もしく思い浮かべて頷く。
 もしかして、エーリックの言っていた密猟者に巣が襲われたという可能性もあるかもしれない。情報を入れておかなくては。
 それから。

 WおかあさんW

 ラウルの脳裏に響いた声。
 通常生き物の声は聞こえないのに、とても強く、そして切なく届いた。
「お母さんに会いたいもんな」
 早くこの子を巣に帰してあげよう。
 見ればお腹が満たされて落ち着いたのか、ラウルの上着を躯の下に敷いて翼の下に首を突っ込み丸くなっている。
 健やかな寝息をたてる子飛竜を見つめ、ラウルは母の元に帰してあげたいという思いを一層強くした。



 荷物を担ぎ、子飛竜を上着ごと体の前に抱え、ラウルは薪に水をかけて火をしっかり消すと歩き出した。
 きりよせ川の川岸に沿ってしばらく降り、途中で森の中に入る。両側に水楢みずならの木が続く古道を歩く。
 緩やかな風が肌をやさしく撫でる。揺れる梢。
 午後の四刻、もうそろそろ森の中には陽の光が届かなくなる頃合いだ。見上げる頭上の枝葉の間には青い空が垣間見える。
 鳥達が囀る声。短く澄んだ音を重ねて鳴くのはハイタカだろうか。
 珍しい拾い物をしたものの、いつも通りの森の爽やかな香気と穏やかさに浸りながら、ラウルは森の小径を歩いていった。

 ――その後を。
 小道に落ちた木の枝を踏む足音を極力抑えてごくゆっくりと、付かず離れず追いかける影があった。









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2023.2.12
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