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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ


 

 ボードヴィルへの派兵開始は、五日後、十一月九日に決まった。
 兵達の回復、そして転位陣を運用する法術士達の回復を考えてのことだ。
 協議の場でタウゼンは、現在であれば最大戦力として、およそ四万強を動かすことができる体制があることを示し、だがボードヴィルへの対応には四万は当てない方向だと説明した。
 ボードヴィルにおける最大の問題はルシファーと風竜であり、いたずらに兵の数を増やしても犠牲者を増やすだけとなる。
 逆に言えば、その二者を押さえれば、ボードヴィル自体の戦力は脅威足り得ない。
 故に対ボードヴィルでは兵数は温存し、次に最大戦力を動かすのは、西海との最終決戦である、と。
「先のヴィルヘルミナに対しては、およそ三万六千を動かしています。ボードヴィルはこれと同等の兵数を想定しているでしょう。そこで、公表は最大戦力とした上で、実働数は抑えたいと、そう考えております」


 総大将はヴィルヘルミナと同じく、正規軍将軍アスタロト。
 兵数は公表三万五千、実働数は異なるものにする。




 レオアリスが第一大隊の士官棟に戻ると、クライフは待ち構えていて執務室をレオアリスへと近寄った。
「どうですか、派兵は」
「九日、五日後だ。近衛師団は前回と同様、第一大隊から一小隊を出す」
「やっぱり、上将が?」
「ああ。ルシファーと風竜を分断し、個々に対応する。俺の役割は対風竜だ」
 フレイザーも近寄り、レオアリスから外套を受け取って腕に掛けた。
「ルシファーは?」
「アルジマール院長と、アスタロト」
 二人が顔を見合わせる。かつて風竜を倒したのはジンだ。レオアリスが風竜に対するのは当然、そしてアスタロトはまだ炎が戻っておらず、アルジマールがルシファーへ対応するのは必然だが。
「風竜を上将お一人で?」
 レオアリス自身、まだ体調は万全ではない。先日のヴィルヘルミナの後、目立った不調は見せなかったが――
「ルベル・カリマからは、今回協力得られるんですか」
 レオアリスが首を振るのを見て、クライフは残念そうな顔をした。
「そっか、まあでも有難い話ですよ、魔獣狩りしてるってことは敵対してる訳でも無いですからね」
 そうは言いつつも、ベンダバールのプラドと直接会ったクライフとしては、ルベル・カリマの考えは気になるところだ。
「てことは、本当に一人でか。厳しいっすね」
「法術院の支援が入るけどな。でも、あの風を考えれば、正面切ってやり合うのは俺一人の方が無難ではある」
 クライフとフレイザーは面に懸念を浮かべたものの、「後方支援は任せてください」とそう言った。
 さて、と一息入れ、クライフは室内の時計を確認した。もう昼近い。
「上将、昼どうしますか。行きますか?」
「ああ」
 レオアリスは何か少し考えて、首を振った。
「いいや。ちょっと外に出る」
「え? 外っすか? 食堂じゃなくて? 街?」
「すぐそこだから」
 レオアリスが示したのは部屋の奥の窓の向こう――裏庭だ。
「天気いいし空気もあったかいし、空でも眺めて少しぼーっとしたい。それと……いや」
 素直ですね、とクライフが笑う。
「分りました。けど、今日はあったかいですけど言ったって十一月ですからね。風邪ひかないようにしねぇと」
「そうです」
 フレイザーが手に持っていた外套を再びレオアリスへ渡し、それからさっと隣の休憩室に行って襟巻きやら厚手の膝掛けやらを持ってくると、これも着て、あれも着て、これを首に巻いてと重ねられ、やや着膨れした状態でレオアリスは中庭に出た。


 秋の陽射しはやや斜めに、一番高い位置から降り注いで、室内より却って暖かい。フレイザーの巻いてくれた襟巻きが陽の熱を吸って、首回りがほかほかしてくる。
(丁度いいな)
 士官棟の裏手の裏庭はいつも――ではなく、そう、時折、レオアリスが気晴らしや休息に使う場所だ。士官棟を背に西側が斜面に面していて、風が抜けるからフレイザーの気遣いは有り難い。
 その分、王都の街が緩やかに広がる様と広い空が見渡せ、だから裏庭が好きなのだが。
 士官棟は噴水のある中庭を囲む形になっているが、各棟の一階部分には細い隙間があった。蔦が絡んだその狭い隙間を抜けると、まず空が見える。
 レオアリスはそこで一度立ち止まり、空へ視線を投げた。
 空は青く、薄い雲を遠くに棚引かせている。
 西へ。
 どこまでも、この空は続いている。
 西へ、ボードヴィルへ、バージェスへ。
 イスへ。
(――イス――)
 それを考えようとすると、目眩のような感覚が身体を揺らす。
 呼吸を整え、いったん意識を全身に巡らせ、もう一度深く息を吐いた。
 枯れた芝生を踏んで歩き、裏庭の中心にしつらえられた、今はもう水の流れていない噴水の石組みを選んで腰を下ろす。
 しばらくそうしていて、それから枯れた芝生の上に寝転がった。そうすると陽射しが全身に感じられる。
 温かい。
 目を閉じると陽射しが目蓋や頬に差しているのが分かる。午後に差し掛かった日差しは士官棟の屋根を越えて注いでいて、目蓋の裏に丸い太陽が透けるように感じられる。
 ゆっくり息を吐いた。


『結局、剣を使っちゃったね。まああれは避けようがないけど』
 アルジマールはほんの少し悔しそうにそう言っていた。
 すみません、と謝ると、『違うよ。僕が補助しきれなかっただけだから』と更に悔しそうな響きを含む。
『で、どうなの、状態は』
『――それほど』
 問題は無いと思う、と、答えた。


 無茶をしたとは思わない。
 アルジマールの補助があったお陰で、一度、振るっただけで終わった。
 けれどアルジマールの忠告を聞いておいて良かったとも思う。
 鳩尾の辺りが熱を持っている。鈍い痛みがじわりと、絶え間なく広がっている感覚が離れなかった。ベルゼビアの操る根が剣に触れようと――抉り出そうとしたことも、一因としてあるのかもしれないが。
 十日ほど前、半年を経た眠りから目を覚ました直後は、右の剣の喪失の影響はそれほど感じなかった。三日ほどは王城の、ヴェルナーの部屋を借りて、これまでの続きのように眠っては起きてを繰り返していたこともある。
 不調が明らかに感じられたのは、三日後、近衛師団に戻ってからだ。
 ふとしたきっかけで、痛む。
 そうした感覚はレオアリスのこの状況に限らず、ままあるのだと聞いたことがある。
 失った腕や、体の一部がまるでそこにあるように痛むことがあるのだと。精神的なもの――だからこそ厄介だ。
 それでも、あと二度。
 ボードヴィルと、西海と。
 そこを避けて通る訳にはいかない。
 呼吸を整えて深く身体の内側を探る。左の剣がじわりと温かみを帯びる。
(そうだ。ザインさんに貰った薬)
 あれを飲めば剣の戻りは飛躍的に早くなるだろう。ザインが同じように半年、その多くを眠りつつ過ごし、その上で薬を用いて数日で剣を戻した。
 いつ用いるか――その数日が実際には何日になるか、そこが不明で、判断がついていない。
(もうボードヴィルへの派兵が決まった。なら風竜と相対した後がいい)
 目を閉じたまま、思考を巡らせる。
 そうしていて、時折頬を撫でて抜ける風の中にふと、枯れた芝を踏む足音を聞き取り、レオアリスは寝転がっていた身体を半分起こした。
 裏庭の奥から、良く知った姿――今は近衛師団の士官服ではなく、侯爵家当主としての衣服に身を包んだ姿が歩いてくる。
 胡座をかいて座り直したレオアリスの前に、ロットバルトは足を止めて笑った。
「昼寝ではないんですね」














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2020.2.9
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