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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ


 
 ロットバルトがベールを訪ねたのは王城ではなく、王城の北面、北方公の館の主邸だった。
 四大公の一角――王城の足元を四分する広大な敷地の大半は、樹々や池、人工の川が配された庭園になっていた。他の公爵家やヴェルナーなどの侯爵家も同様で、その為街から王城を見上げる時、その足元には緑なす森や丘が広がっているようにも見えた。
 北方公の主邸は白と銀色の筋を含んだ石材が多く用いられ、大小様々な方形に切り出された石が優美で繊細な、なだらかな曲線を多用した造形の館を造り上げている。古い建築様式で、この館一つとってもこの国の建築史上の価値、そして文化的な価値としても非常に高い。
 日中であればその美しい建築様式を目にすることができるだろうと、それを惜しみつつ淡い灯に照らし出された玄関を潜り、執事の案内で二階の応接の間へと通された。
 迎えたベールは既に内務官服に身を整え、その上には明け方の空気は欠片も見当たらない。
 そしてもう一人、スランザールがベールの斜め前の長椅子に腰をかけていた。
「早朝にも拘らずお時間をいただき、有難うございます。老公までおいでとは」
 ベールは一礼したロットバルトへ、長椅子へ掛けるよう身振りで示す。
「早朝、執務室ではなく館を訪ねてくるのなら、スランザール殿が同席された方が良い話なのだろう」
「恐縮です。老公へは、あまり早いお時間はご迷惑かと」
「若造め。老人は朝が早いんじゃ。気遣いなど無用」
 スランザールはしわがれた、砕けた口調でそう言った。
「失礼いたしました。今後そうさせて頂きます」
 目礼し、一拍おいてロットバルトは瞳を上げた。正面のベール、そして左斜め前に座るスランザールを見る。
「新たな情報が二つ、入りました。一つは昨日正規軍から報告のあった件に付加した情報――ボードヴィルを脱出したワッツ中将から、当家の伝令使を介したものです。もう一つは、その情報を別の角度から見たもの。これはボードヴィルにいた、近衛師団第一大隊ヴィルトール中将から」
「ヴィルトール? ボードヴィル内部と連絡が取れたのか」
「いえ。ボードヴィルから発信されたものではありません。ここはやや、今私が語る内容を検討する上で、複雑な要素かと」
 二人が視線を交わし、促したのはスランザールだ。
 ロットバルトは慎重に、しかし端的に言葉を綴った。
「この国と西海との、和平について」






 西方軍第七大隊中将ワッツが生きていたという報は、正規軍だけではなく十四侯協議の場にも活気を与えていた。
 不可侵条約再締結の儀の際一里の控えの任務に就き、その後のサランセラム戦役にも加わったワッツは、直接戦場を見て、更にあの苛烈な戦場を生き延びた数少ない一人だ。
 そしてまた、昨日夕刻に再度西方第六大隊仮駐屯地のゲイツから齎された南方の剣士の氏族、ルベル・カリマに関する一報も。
 十一月四日、十四侯の協議は定刻である朝八刻を待たず、そこここで議論が交わされている。ただその面持ちは十月までよりも明るさを増していた。ベルゼビアの案件が最上の結末を迎え、そこにボードヴィルに捕らえられていたワッツが、ルベル・カリマの報を持って来る。アレウス王国が進む先行きを占う兆しにも感じられた。
「ワッツが帰って来ればボードヴィルの内情が判るだろう」
 西方将軍代理、第一大隊大将ゴードンが最も期待しているのはそこだ。そしてもう一つ。ゴードンを初め、複雑な表情を昇らせる。
「ヴァン・グレッグ閣下と、サランセラム第一陣、そして第七のウィンスター殿の姿も――」
「ああ」
 頷いたのは北方第一大隊大将ルビノだ。
「正規軍は皆、その姿を知ることで自らを鼓舞できるだろうからな」
 この半年間で、余りに多くの僚友を失っている。
「ボードヴィル、そして西海との最終決戦において、僚友と兵達の弔いをするのだ」
「ルベル・カリマについては、アルノー殿はお会いになった剣士だろうか」
 傍らの南方第一大隊大将アルノーへ、東方第一大隊大将レブロはそう問いかけた。
 アルノーは腰に巻いている真新しい剣帯を、左手で触れた。
 以前身に付けていた剣帯は、ルベル・カリマの里へ戻る飛竜に託した。
「私が会った剣士の誰かだろう。あの時、助力を得られなかったが――今、魔獣を狩るという形で答えてくれているのかもしれない。氏族長のカラヴィアスという人物はそういう気質に思えた」
 そう言い、アルノーは階の前に置かれた卓に座るアスタロトを見つめ、その視線を対面の卓の向こう、アルノー達と同じように控えて立つレオアリスへ移した。
 ルベル・カリマについて、アルノーからはレオアリスへ伝える機会がないままだ。里へ赴いた話はすでに聞いているだろうが、彼等がどんな存在なのか、レオアリスはやはり気になっているだろう。
 それとも、先日王都に現われたベンダバールのプラドという剣士のことを考えれば、ルベル・カリマという存在が不意に出てきたこと――特にカラヴィアスのあの時の言葉を聞けば複雑な想いを抱くかもしれない。


『我々は今でもルフトを敬愛し、喪われた彼等を悼んでいる。その彼等の子の為であれば、何らかの手を貸したいとも思う』
『だからこそ、我等は憤ってもいる』


『王は都合よく彼を使ったのではないか』


 少なくとも彼等には、この国はそう見えていた。
 レオアリスが戻った今、それは彼等の思い違いだと、カラヴィアスは考えただろうか。
(彼も、複雑な存在だな)
 ルベル・カリマの視点から見ればアレウス王国はルフトを滅ぼし、アレウス王国の視点から見ればルフトはやはり、国へ反旗を翻した存在なのだ。
(この国はもっと開いても良いのかもしれない)
 とは言え部外者である自分がどうにかできる問題ではないと、アルノーは自分の考えに苦笑した。
 この先レオアリスがカラヴィアス達と会い、誤解が解けることを期待するくらいだ。その時に少し、何かできるかもしれないが。
 正式な話は、この後の協議で出るだろう。
 アルノーは目が合ったレオアリスに軽く会釈し、視線を戻した。



 レオアリスはアルノーに会釈を返した。アルノーが何を思い浮かべていたのか想像が付く気がする。
(多分、ルベル・カリマ)
 南方の剣士について。彼等はアルケサスに拠点を持つ、ザインの氏族なのだとグランスレイから聞いた。
 そして、レオアリスの一族が北のヴィジャに暮らした氏族――ルフトという名を持つ氏族だったとも。
 彼等とルフトには直接の血の繋がりはないが、交流はあったのかもしれない。
(会ってみたい。ザインさんに似てるだろうか)
 ザインのような温かさと厳しさを持っているのだろうか。


 そろそろ八刻になろうかという頃になり、扉脇に控える近衛師団隊士が財務院長官の到着を告げた。レオアリスは落としていた視線を、新緑の絨毯が伸びる先の扉へ向けた。
 扉が開き、ロットバルトが入室すると卓へと歩いて来る。控えていた財務官長ルスウェント伯爵、主計官長ドルト、税務官長ノイライン伯爵と地方税務官長ロスウェル伯爵が、それぞれ歩いて来るロットバルトへ深く一礼して迎える。
 ロットバルトはレオアリスの前を通り過ぎる際、視線を束の間、レオアリスへ投げた。
(――)
 しばらく瞳を捉え、再び前へ向けられる。
 ロットバルトが席に着き、列席者達が囲んだ楕円状の卓の上に、天窓から淡い朝の光と共に、八刻を知らせる鐘の音が落ちて来る。
 同時に玉座後方の扉が開き、ベール、スランザール、そしてファルシオンが謁見の間に入った。
 玉座のきざはしを降り、ファルシオンは既に日常となった仕草で十四侯と同じ卓に着く。
 彼等を見渡すと、幼い、けれども厳粛な声で「始めよう」と告げた。
 十四侯の協議は内政官房長官ベールの差配のもと、粛々と進む。
 昨日のワッツからの情報の再確認、そしてバッセン砦の西方第五大隊大将ゲイツが新たにもたらしたルベル・カリマの剣士の情報――
 一報のあらましを既に耳にしてはいたものの、居並ぶ諸侯の頭が揺れる。
 ワッツを助けた剣士二人は、南方、主にアルケサスから流出する魔獣を狩りながら移動していたという。二人だけではなく、他にもルベル・カリマの剣士達が同様に魔獣狩りを行なっている。
 レオアリスはそれらを聞きながら、ワッツが生きていたという事実を、改めて噛み締めた。
(良かった、本当に――)
 ワッツが王都へ戻って、もしくはレオアリスがサランセラムへ赴いて、いずれにしても早く顔を見たい。
 それから、ルベル・カリマのこと。
 タウゼンが報告を続けている。
「ワッツは彼等と行動を共にすることを提案し、受け入れられています。ただし現在二人はサランセラム駐屯地には入らず、物理的距離を置いてはいるようです。その対応を見る限り、安易に戦力になると期待することはできないでしょう」
 傍らのアスタロトは自らの手のひらに視線を落とし、ただそれは、以前の思い悩む様子とは違う。
 それからもう一つ、とタウゼンは自らの後方に視線を送ってから、再び卓を見渡した。
「彼等は、アルノーと話をしたいと、そうワッツへ伝えています」
「アルノー大将と?」
 何より驚いたのは後方に控えていたアルノー自身だ。ただ、驚きの中にも、どことなく納得した色がある。
「恐れながら、閣下――」
 一歩、アルノーが進み出る。
「私に会いたいというのは、その二人がということでしょうか」
「そのようだ。レーヴァレインと、ティルファングという剣士――彼等はルベル・カリマの里で公と共に会った剣士だろう。アルノー、お前と会いたいという話はルベル・カリマの長、カラヴィアスの意思のようだ。覚えがあるか」
「一つ――ございます。私は借用した飛竜が彼等の里に戻る際、その返礼として私自身の剣帯と、それからもう一度だけ、彼等の意志を尋ねる書き付けを送りました。ヴァン・グレッグ閣下の西方軍が壊滅した直後――やはりその際の助力は、得られませんでしたが」
「あの時――そう言えば」
 アスタロトが記憶を辿り、真紅の瞳を瞬かせる。それに対してアルノーは目礼し、元の位置に立った。
「剣帯の礼か。義理堅いのだな」
「さほど高価なものではございませんし、その程度で彼等が信念を曲げて動くとも思えません。もともとカラヴィアス殿はそのお考えだったのでしょう」
「かもしれんな」
「そうだとしても、とてもありがたい」
 ファルシオンが小さな手を卓上に握る。その瞳を一度レオアリスへ向けた。
「私も彼等に会ってみたい。会うときは、王城に来てもらえるだろうか」
「そのように交渉致します。ワッツと共に、一度王都へ」
 ベールが頷く。


 レオアリスはファルシオンの視線を受け、そしてその瞳を卓へ静かに降り注いでいる光に向けた。
(ルベル・カリマ――)
 彼等はこの王都へ来るだろうか。
(ティルファングと、レーヴァレイン。カラヴィアス)
 その名を口の中で舌の上に乗せる。
 プラドといい、剣士の名をこうして、今いる存在として口にする機会が出て来るとは考えたこともなかった。少し恐れに近い感覚はあっても、やはり一番強いのは郷愁のような感情だ。
 王都へ彼等が来なかったとしても、今回西方、サランセラムの戦場に行けば二人に会う機会があるのではないか。その時、まずどんな話をするだろう。初めて会う、同じ剣士と。
『俺と来い』
 プラドの言葉が脳裏に過る。
 あれ以来プラドとは会っていない。マリーンの所からも引き上げたと聞いた。だがまだ王都にはいると言っていたのだから、いずれまた話をする機会が出てくる。
 その時に、自分はどう考えているだろう。
 彼等と――レオアリスのもう一つの氏族のもとに行くのか。
(――それは)


「ボードヴィルへの派兵は、兵達に休養を取らせた後、ただ日を置かず行うべきと考えております」
 アスタロトはベールとスランザール、そしてファルシオンへ、瞳を順番に移す。
「ボードヴィル、そして西海へ。立て続けに戦うことも考えられます。当然、兵を出し惜しみすることはしません。けれどそうなると、軍を動かす資金も相当額必要になります」
 ベールは視線を転じた。
「財務院の考えは」
 問いを受け、ロットバルトがファルシオンの座る位置へ身体を向けた。控えていた主計官長ドルトが手許に数枚の書面を差し入れる。
 ロットバルトはそれを手に取った。
「まず、一日にヴィルヘルミナを平定した成果は、軍事面以外でも出始めています。幾つかの街では都市間の物流が活発に動き始めており、このまま街道の治安が向上すれば、今後半月で従前の六割まで回復が見込めると推定しております。また、ヴィルヘルミナ周辺についても半年間大きな戦渦を受けていないことから、生産業の落ち込みは現時点でも、さほど顕著には見られません。税収の減少は収まり、以後緩やかではありますが安定に進むと考えます」
 アスタロトが口元を、ほんの僅か緩ませる。
「しかしながら魔獣の流入は止まった訳ではなく、特にミストラ山脈近郊、ヴィジャ近郊については物流、生産性は七割がた低下しています。その中で悪化傾向がさほど見られないのが南方です。その理由として考えられるのは、先程タウゼン殿よりご報告いただいた、ルベル・カリマ――」
 ロットバルトは書面に落としていた双眸を上げた。
「これまで南方は魔獣による被害報告が少なく、それをアルケサスからの流出が少ない故と単純に捉えていましたが、ワッツ殿の報告に鑑みるに、南方域の被害数は南方の剣士の氏族、ルベル・カリマによるところが大きいと捉え直しています」
 これまでこの十四侯の協議の場でも、国内の魔獣被害について折に触れ議論していたが、その時よりも一層、南方の状況は明るい兆しを帯びた。
 今が後退を防ぐ為でもなく、停滞の打破でもなく、前に進む為の協議をする時なのだと、この場にいる者達全員が意識している。
「話を戻しますが、物流等が回復し始めたとはいえ、これらの影響が出て税収に反映してくるのは早くても半年ほど――現状の国庫状況では、最大兵力を動かすのは長くとも一月ほどに抑制するのが理想です」
「それは肝に銘じる」
 アスタロトは真紅の瞳をまっすぐ上げた。
「兵達の損害、国土の損害を最小限に、可能な限り短期間に決着をつけたい。それが我々正規軍の役割だ」
 場の空気が朝のまだ温度を持たないそれと混じり合い、凛と引き締まる。
 ロットバルトが書類を卓に置き、一度ファルシオンやベール、スランザールへと向けた面を、諸侯へと改めた。
「もう一つ、別の議論について今後の課題として提案させて頂きたい。今現在は戦いの勝敗、勝利が喫緊の目標になっていますが、特にこの十四侯の場では、その先を考えていく必要があります」
 投げ掛けられた言葉がもう一段、謁見の間の意識を引き締める。
「西海との戦いの帰趨だけではなく、財政面においても、国土全体を見渡しても、少なくとも三月みつき後、或いは半年後、この国がどのような姿になっているのが望ましいか」
 投げ掛けに、タウゼンが覚悟を滲ませた面持ちを諸侯へ向ける。
「当然、国土の安寧が重要でしょう。我等正規軍はただ勝利だけの為ではなく、アレウス王国の国民達が豊かに、平和の中に暮らせるよう戦うのです。三月後と言わず、一月後には西海との決着が着き、元通りの――いえ、少なくともそれに近い安寧を取り戻していることが理想です」
 タウゼンはアスタロトを見た。アスタロトもまた、自らの覚悟を真紅の瞳に浮かべている。
「我等正規軍の多くの犠牲は、その為でなければと考えます。せめても」
「仰る通り――」
 内政官房副長官ゴドフリーも頷いた。
「既に多くの兵が犠牲になり、民達が生まれ育った故郷を離れざるを得ない状況にあります。これをいつまでも継続すれば、更に治安は悪化し、人心も荒む。なるべく早い段階で民達の不安を取り除き、この先の国の、暮らしの安定した姿を示さねばなりません」
 ゴトフリーが発言し終わるのを待って、地政院長官代理ランゲが続ける。
「地政院としても国土の安寧は最重要課題であり、それこそが果たすべき使命でもあります。ここ半年、そして最近はこの十四侯の議論も戦いに重きを置き過ぎていた――いや、西海への勝利が最優先であることは百も承知です。しかしながら、いざその戦いが終わったときのことは、やはり考えておくべきでしょう」
 それぞれ、卓に着いている他の顔触れも同意を示して頷く。
 ベールは彼等を見渡し、議論を引き取った。
「では、今後の十四侯の議題は西方の戦況を見つつも、その先、国家基盤をどう維持するかを並行して議論するものとしたい。良案があればいつなり、この場に載せていきたいと思うが――老公」
 スランザールはベールと諸侯の視線に皺深い面を向ける。
「それが良かろう」
「王太子殿下」
「そうして欲しい。みなで考えよう。私たちがこの国を、ここに暮らす人達を、守るために」
 ファルシオンは幼いながらも、聡明さを思わせる面に嬉しそうに微笑みを浮かべた。
 ベールはロットバルトへ視線を投げ、それから席を立つとファルシオンへ身体を向け、上半身をゆったりと伏せた。
 居並ぶ諸侯もまた同様に、席を立ち、或いは今立っている場で姿勢を正し、ファルシオンへと顔を伏せる。
「御心のままに――」





 











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2020.2.9
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