Novels


王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ


 
 ワッツは目の前にいる二人の剣士と、向かい合って座った。間借りしている農家の居間だ。
 素朴な木の卓を挟んで正面にレーヴァレインが腰掛け、その横にティルファングが座る。
 レーヴァレインは緩く波打つ髪を頭の後ろで一つにまとめている。長身で物腰が柔らかく、髪と瞳は鳶色、整った面と併せて穏やかそうな空気を醸し出していた。すぐ横のティルファングは小柄で柔らかな黒髪が顔の輪郭をふわりと覆い、それも相まって一見しては美しい少女と見紛う姿をしていた。歳はレーヴァレインが二十代前半、ティルファングは十五、六歳ほどに見える。
(剣士か――)
 レオアリスとは雰囲気が異なる。ずっと見てきたからかもしれないが、ワッツにとってどちらが剣士らしいかと問われれば、迷わずレオアリスの方と答える。
 そんなことを考えつつ、ワッツは二人へ、頭を下げた。
「あんた方があそこにいてくれたお陰で命拾いした。改めて礼を言いたい」
「いえ。間に合って良かったと思っています」
「間に合って――あんた方の目的は、あの魔獣ってことか?」
 二人をそれぞれに見る。
「いや、質すつもりはねぇんだが、けどそこら辺は何か事情があるんだろう」
 ティルファングは会話をレーヴァレインに任せて、その横にぴたりと身を寄せつつ、ワッツを上から下まで、遠慮会釈なく眺めまわしていた。物珍しい生き物でも眺めるようだ。
 実際、「やっぱりあの魔獣を一撃で倒すくらいの見た目をしてるよね」とレーヴァレインに囁いている。聞き付けたクーガーが、「この人は竜も飛竜位の大きさまでなら盾で殴り倒すからな」と余計な情報を加えていた。
 ワッツは外野の会話に眉をしかめつつ、言葉を続けた。
「俺は命を救われて有り難かったが、これまで偶然剣士に助けられましたなんて話は、ほとんど聞いたことがない」
 カトゥシュ森林の黒竜は、偶然といえば偶然だったが。
 ティルファングが不服そうに唇を尖らせる。
「今回だけじゃない。前も助けて、軍だって知ってるはずだぞ。それで僕等の里まで来たんじゃないか。それ以外にだって、僕達が地道に魔獣狩りしてるからこの国の治安も悪化しないでいられてるんだけど」
「そうなのか?」
 ワッツにとっては初めて耳にする情報ばかりだ。やはりボードヴィルは隔絶され、そしてこの国と敵対しているのだと、改めて実感する。
「俺はしばらく、中枢の情報とは切り離されたところにいたからな。なるほど。重ね重ね、この国の兵として心から感謝したい」
 もう一度深く頭を下げ、それからティルファングの言葉を一つ、拾った。
「ついでに、差し支えなければ教えて欲しい。あんた方の里へ行ったってのは」
「あんたらの将軍だ。何とかって女の」
「将軍――アスタロト公か?」
「そう、それ」
 隣に座るクーガーや、ワッツの後ろに椅子を置いているゼンが少しばかり頬を引きつらせた。
「ティル、他者に対してそんな礼節を欠いた言葉を使うものじゃないと、前も言ったよね」
 レーヴァレインが嗜め、それからワッツへ向き直った。
「お会いしたのは七月のことです」
「七月――」
 ワッツは束の間押し黙った。七月は、ヴァン・グレッグが率いた西方軍一万が、ほぼ壊滅した、その月だ。ワッツ自身が身を置いていた、あの戦い。
 レーヴァレインはそれをどこまで承知しているのか、ワッツの沈黙を見て済まなさそうに表情を曇らせた。アスタロトがルベル・カリマの里を発ったその朝、西方軍は壊滅したのだ。
「その時、将軍閣下は西海との戦いに参戦を要請されたのです。わざわざアルケサスを越えて訪ねて来られました。ですが我々は、その要請を拒みました」
 ワッツが片手を上げる。
「あなた方にも事情があるんだろう」
 あの時戦況は消耗戦に入ろうとしていた。剣士の力添えがあれば一気に好転したかもしれないが、それはワッツ達アレウス国側の事情だ。
「ただその時頂いた縁によって、我々の長であるカラヴィアスはほんの少しの助力を考えた、ということです。あくまで独自にですので、貴方が情報を得られる場にいてもご存知ではなかったでしょう」
 柔らかく微笑む姿は剣士という苛烈さを感じさせない。ただワッツは向かい合って気付いたが、彼の左手は義手になっていた。
(剣を失ったのか? いや、昨日魔獣を狩ってたはずだな)
 柔和な姿からは思い至らないが、彼も確実に剣士なのだろう。魔獣達を狩ってきただろうその身には傷一つ見当たらない。
 ワッツの右隣でクーガーが物問いたげに身を動かし、ワッツはクーガーとゼンと、今いる兵達の疑問と期待とを代わって口にした。
「それで、あんたらは今、我々に協力してくれる考えはあるのか――そうだとしたら有難いんだが」
「無いよ」
 ティルファングがすげなく言い切り、ワッツは苦笑した。まあ、そうなのだろう。右隣のクーガーの落胆が判る。
 レーヴァレインはワッツと同様の笑みを頬に刷いた。
「長はあくまで、魔獣に限って対応するよう我々を出しました。アルケサスから流出しているものもいますから。けれど基本、大掛かりには動きたくはないのです」
 その微笑みがやや、陰を含む。
「長もあの時、その理由の一つを申し上げましたが――我々はそう数の多い種族ではありません。ルベル・カリマが最大氏族ですが、それでも今、八十名程度しかいない。新たに生まれる者もそうおりません。ルフトの彼――レオアリスが生まれるまで、全氏族を見渡してもおよそ百年――」
 百年、とワッツは繰り返した。百年もの間次代が生まれない。それは種として、どれほどの強靭さを誇ったとしても、破綻しているのではないか。破綻、という自分の浮かべた言葉にワッツは罪悪感を覚えた。
(悪ぃ――けど、そうか)
 レオアリスの氏族が失われたことは知っていたが、それとは別の部分で、彼等は斜陽に立っていた。
 今もだろう。
「いずれは滅びて行く種なのでしょう。種を繋げない、それは、淘汰の流れに乗っていると言える――けれど自らその滅びを引き寄せるつもりは、今のところ我々にはありません」
「ああ、いい。当然だ――」
 ワッツは深く息を吐いた。
「俺も、あんたらが、あいつの種族が滅びていいとはこれっぽっちも思わねぇ」
「有難うございます。ですので今回、貴方を偶然助けられたことを私もティルファングも嬉しいとそう思っていますが、その先に求められることがあったとしても、応えることは非常に困難なのです」
「ああ」
 神妙に頷いたワッツへ、レーヴァレインはそれまでの陰のある笑みをふわりと変えた。
「貴方は良い方だ。レオアリスを気に掛けておいでなのでしょう。ご安心ください、滅びに瀕していると言っても、明日、明後日のことではありませんから。少し、先手を打っておこうと思ったのです」
 気持ちを少し軽くしつつ、ワッツは眉を上げた。
「先手?」
「実は、長からとある方に伝言を預かっておりまして。その機会に恵まれた場合は伝えよ、と」
「アスタロト公に?」
 それともレオアリスにか。
 いえ、とレーヴァレインは苦笑した。その苦笑の意味は、レーヴァレインとティルファングにしか判らないもののようだ。ティルファングも複雑な顔をしている。
「あの時将軍閣下と共にいらっしゃった、アルノーという方です」
「アルノー? 南方軍第一大隊の大将の?」
「そうだと思います。他にいらっしゃらなければ」
「だな」
 太い腕を組む。剣士達には積極的に参戦する意思はない。となるとアルノーとの引き合わせ方は考えなくてはいけない。だが、『機会に恵まれた場合は』と彼等の長が言ったのであれば、本当に切っ掛けが無ければ横に置かれてしまう。
 ワッツは「なら」と言った。
「アルノー大将とぜひ会って頂きたい。しばらく我々と共にいて頂けないか」
「承知しました」
 頷いて、ティルファングは肩を竦めたが、レーヴァレインは穏やかに微笑んだ。
 さて、ならば行動しなくてはいけない。本来の目的もある。
「ん?」
 ワッツはティルファングを見た。先程レーヴァレインはこの百年、と言っていた。彼の外見は十五、六歳だが。言動も。
「何だよ」
 目敏く視線に気付いたティルファングが唇を尖らせる。
「いや、何でもねぇ」
 嬢ちゃんじゃなくアルジマールと同類か、とワッツはこっそり独りごちた。
「よし、クーガー、サランセラム駐屯部隊に行こうぜ」
「その怪我、せめて明日にしたらどうですか」
「何てこたぁねぇ」
 そうかな、とクーガーは眉を寄せたが、ワッツはもう椅子から立ち上がり背伸びしている。
「いつまでも勝手にこの家に居座ってる訳にもいかねぇしな、それに王都に連絡を取りたい」
「ヴェルナー侯爵ですか」
「ああ。それに正規軍にボードヴィルの状況も伝えなきゃならねぇ。お前の部隊も剣士と聞いて色々気になってるだろうし――そういや今、サランセラムにどんだけいる? どなたが率いてるんだ?」
 正規軍の編成だとすぐに心得て、クーガーは頷いた。
「北方軍と再編した西方軍、およそ八千です。北方将軍ランドリー閣下が率いておられます。サランセラム仮駐屯地に三千、第六のバッセン砦に五千、俺たち第五大隊重装歩兵隊は一小隊が軽歩兵編成でサランセラムに入ってます」
 ワッツは息を吐き、よし、ともう一度言った。




















Novels



2020.1.26
当サイト内の文章・画像の無断転載・使用を禁止します。
◆FakeStar◆