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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ


 

 目を覚ました瞬間から、身体がギシギシと痛んだ。
 寝台の上だ。
 全身、筋肉の強張りが強く、そして剣や槍を受けた傷が引っ攣れて痛む。
 指を握り込む。錆びた蝶番のようだったが、両手とも動く。
 昨夜のことを断片的に思い出し良く生きてたものだ、とワッツは板張りの天井を見上げて考え、それからここがどこか――自分が捕らえられ連れて行かれた場所は――と考え、そして思い出した。
 剣士がいた。
「剣士――」
 レオアリスではない。ただ、あれは剣士だろう。ワッツはレオアリス以外の剣士を見たことはなかったが、かつてウィンスターがワッツへ剣士とはを説明した際、腕を剣に変えるのだと言っていたからそうだ。
 大型の獰猛な魔獣を易々と狩った。それも二人――
「どこの剣士だ」
 レオアリスは知っている相手だろうか。
 ワッツは起き上がり、素朴な寝台を軋ませて降りた。扉を開けるとすぐ居間がある。見覚えは無く、どうやら民家のようだ。切り出した木材を組み合わせただけの卓と椅子、部屋の壁は造り付けの棚も戸棚も日用雑貨で雑然としていたが、一方で閑散と打ち棄てられたような空気も漂っていた。いかにも生活感に溢れていても良さそうなのだが、その生活感がないのだ。
 ワッツは居間を横切り、覗き窓のある扉を開けた。
 玄関などはなく、すぐ外だ。
 周囲に広がっているのは長閑な農村といった風景だった。
 土の道が伸び、その左右にぽつぽつと素朴な家が建っている。
 一つ先の家の軒先に、三人、家の囲いの柵に二人、その斜め向かいの家の前にも四人ほど、正規軍の兵士達が土や芝の上、木箱や柵に座っていた。彼等はワッツをさっと見て立ち上がった。
「――ワッツ中将」
 見覚えのある顔がちらほらいる。昨夜の追手だろう。みな厳しい面持ちでワッツを見ている。
(捕まったか)
 仕方がない。
 息を吐き、ワッツが向き直る間にも兵士はワッツの前に集まり、膝をついた。全部で十三名いる。
「無事だったか。被害は」
 つい普段の癖で尋ねたが、今は聞く立場にはなかったと肩を竦める。だが生真面目な答えが返った。
「七名、命を落としました。重傷は二名、ですがそれ以外は軽傷で済みました。今一班は出しています」
「そうか」
 七名は多い。もし剣士がいなかったら全滅だっただろう。
「そういや」
 あの剣士について問おうとしたワッツに、三班を率いてきただろう少将――確かゼンという名だった――ゼンが、深く身を伏せる。他の兵士達もゼンに倣った。
「昨夜は我等三班、ワッツ中将の御指示で大半が命を存えました。御礼申し上げます」
「ふん、ありゃ成り行きだ。大体命を救ったのは剣士だろう。剣士に礼を言え」
 ワッツは言ったがゼン達はまだ顔を上げていない。ワッツは首の後ろを掻いた。
「ここは? ボードヴィルの近くか?」
「いいえ。昨夜の地点からは離れましたが、取り急ぎ空いている農家を借りました」
 空いている農家と聞き、そうか、とワッツは眉を寄せた。
 戦火を避けて村を捨て、エンデへ逃れていった農民達のものだろう。
 あの時のクヘン村の住民達はまだエンデ周辺に避難しているだろうか。ワッツの手では彼等を村へ帰してやれなかった。
 それもまた、今の状況では当面お預けになるか、どうか。
 取り敢えず王都と、そしてヴィルトールと連絡を取らなくては。
(奴が無事かどうか――まあこうして捕まっちまった以上、すぐわかる。が)
 のこのこ帰ることをヴィルトールも期待してはいないだろう。
「俺を連れてくか」
 分厚い手のひらで剃った頭を撫でると薄っすら伸びた毛がざりざりと音を立てた。毛の生え具合的に今は昼くらいだな、とワッツは内心時間と、そしてこれからの行動を測っている。今ワッツの前にいるのは、兵士が十三名。みな剣を持っているが、ワッツは持っていない。
「それがお前等の任務だが、そうすっともう一回、仕切り直ししねぇとなんねぇなぁ」
「いえ!」
 ゼンが更に顔を伏せ、低い位置のままワッツを見上げた。
「我等一同、ワッツ中将の供をさせて頂きたく、伏してお願い申し上げます!」
「――はぁ? いやお前」
「我等はワッツ中将に救われた命――どうか如何様にもお使いください」
「しかしな」
「みな一致した思いです。変節と謗られるのは承知の上――、しかしながら」
 ワッツは黙り込んだ。心に浮かんだのは、彼等はボードヴィルに家族がいるだろうということだ。けれどゼンも、他の兵士達も真剣な面をワッツへと上げている。
「そもそも我等ボードヴィルの第七大隊は、正規軍将軍アスタロト様のもと、アレウス王国を守護するものであります」
 そう言いながら、ゼンはまだ二十代前半の若い顔を苦しそうに歪めた。
「西海軍との戦いに於いてウィンスター大将、そしてヴァン・グレッグ閣下までもが討死され――多くの朋輩がサランセラムの戦場に命を落としました」
 少し冷えた陽射しが注ぐ小さな村の風景からは想像もできないが、このサランセラリア地方は三度大掛かりな戦場となり、その都度多くの血が流れた。
 ウィンスター、ヴァン・グレッグ、多くの兵士達、ボードヴィルの兵も。
 ワッツはそれを思い起こすたびに胃の辺りにどうにも拭いきれない燻る熱を覚えるが、今目の前に膝をついている兵達も、同様なのかもしれない。
「我々はボードヴィルの壁の中からそれを見ていただけです。それでも、ミオスティリヤ殿下の御為であれば、それは引いては国の為と言えましょう。ならば納得できます。けど――」
 ワッツはじっと、兵士達を見下ろした。
「ヒースウッド殿は今回、あの戦場で戦ったワッツ中将を捕らえよと言う。もうたくさんです。我々は国の為に正規軍兵士として戦いたいのです」
 ゼンはワッツの前へ膝を一つ進めた。
「中将、お許し頂けないのであれば、我が謝罪のみでもお受けください。その上で我々はこのまま、正規軍を辞します」
「……お前達の想いは判る」
「では!」
 勢い込んで顔を上げたゼン達へ、ワッツは息を吐く。
「だが今、俺個人に付いて来たってあんま意味はねぇ」
「し、しかし――」
「西方軍に戻ればい」
 ゼン達は戸惑ったように顔を見合わせている。
「バッセン砦に行け。っていうか、バッセンまで道中仲良くやろうぜ。あんな魔獣がうろついてやがるんじゃ人数ねぇと不安だしな。バッセンに着いたらお前達の引受先を探してやるよ」
 ゼンの顔にも兵士達の顔にも、さっと喜色が差した。
「有難うございます!」
「そいつ等は第五大隊が請け負います」
 聞き覚えのある声が掛かり、ワッツは声の方を振り返った。二十代半ばほどの若い将校が、質素な民家の間を歩み寄ってくる。その後ろに従っているのは、今言った第五大隊の兵だろう。
 記憶を辿るまでもなく、近付いてくる男が誰だかすぐに思い出した。
「お前――クーガーか!」
 黒竜討伐でワッツが指揮した部隊の兵士だ。地底へも共に入った。
 あれは五年前だ。しかし長い髪を後ろで一つに括った面影は精悍さが増した程度で、記憶とほとんど変わっていない。
 クーガーは快活な顔を綻ばせ、右腕を胸に当てた。
「お久しぶりです、ワッツ殿」


 クーガーの部隊は、ゼンが使者として出した一班がサランセラムの駐屯地へ赴き呼んできた一小隊、百名だった。サランセラム駐屯部隊――第六大隊仮駐屯地バッセン砦よりも、なおボードヴィル寄りに西方軍が置いている部隊だ。ワッツはボードヴィルを抜け、バッセン砦かその駐屯部隊を目指すつもりだった。
「ようやく人心地ついた気がするぜ」
 クーガーの部隊、そしてゼンの部下達がいるお陰で、狭い村がより狭く感じられるが。
 ワッツは寝台を借りていた家の軒先でクーガーと向き合い、まずは旧交を深めることにした。二人の間にはクーガーの部隊が持ってきた携行食糧が置かれ、腹ごしらえも兼ねてだ。
「クーガー、今どこだ。さっき第五って言ってたか」
「今は第五大隊左軍中隊第三連隊で少将を拝命してます」
 ワッツは束の間頬を張り詰めた。
 四か月前、七月の西方軍敗戦の折、第五大隊もまた多くの兵を失った。
「無事だったんだな」
「私は後衛で、第五大隊軍都クエルクスにおりましたので」
 そう言ったクーガーの面には苦渋の色がある。
「幸運だったぜ、そりゃ」
 そう言ってから
「ん?」
 ワッツは右の眉を上げた。
「クエルクスに残った第三連隊ていや、重装歩兵部隊じゃねえか」
「はい」
「お前が重装歩兵? そりゃ似合わねぇな!」
 ワッツははばからず声を立てて笑った。
 クーガーは重い鎧で全身を固める重装歩兵より、騎兵隊の方が合っている体格をしている。重装歩兵部隊の兵士達はあの鎧を纏って、それこそ壁が迫るように敵の中に突進して行くのだ。
「俺の方が似合う。お前じゃ部下の中に紛れたら見えねぇんじゃねぇか?」
「ひでぇ。文句はゲイツ大将に言ってください」
 けれどだからこそ、クーガーは今ここにいられる。西海の泥地化に著しく不利な重装歩兵部隊は、あの戦いの際クエルクスの守備に残ったのだから。
 けど今は装備も軽くしてます、と言ってクーガーは離れた場所で同じように昼食をとっている部下達を示した。確かに彼等は軒並み体格がいいが、軽装だ。
「寒い寒いって奴等うるせぇんです」
「さすがに重装じゃ沈みかねねぇからな」
「なんで。――そういや、チェンバーはどうしてます」
 チェンバーもクーガーと共にワッツが率いた部下で、黒竜との戦いで大怪我を負い、一時期第一大隊の事務官をしていた。
「軍は辞めて田舎に戻った。脚は元通りになんなかったが、あれで細やかな性格してたから、上手くやってるだろ」
「ウェインは第三でしたね」
「ああ。奴はこの先どっかで会うかもな」
 今は騒がしいからあちこちの部隊が動いてる、と有難くなく呟く。
 そんなことをひとしきり言い交して当時を懐かしみ、クーガーはそれと、と言った。
「あの坊主は?」
 レオアリスは。
「王都で会ってたんでしょう」
 ワッツは眉をしかめた。
「王都じゃまあ同じ区域に隊を置いてたからしょっちゅう会ってたぜ。けど今のことは俺も知らねぇ。なんせ半年、ボードヴィルにいたんだ」
 その半分以上は牢の中だった。
「半年前、第七に赴任する前最後に話した時ぁ、変わらず元気だったけどな。今は何だかんだあって、どうだかなぁ――王都もごちゃついてるだろう」
「そうか、そうっすね。俺が聞いた限りでもほぼ半年、蟄居だったって話ですし……まあとりあえずは無事戻ったらしいから、良かったですよ」
「戻ったのは確かなのか」
「数日前、そんな話が王都から来ました」
 ほっとしたし嬉しい報せだったとクーガーは言い、ワッツも息を吐き、頷いた。
 そういやあ、と顔を上げる。最後にレオアリスに会った時のことで思い出した。ワッツの装い・・を見て、あの時のレオアリスが何とも複雑な顔をしていたことも。
 ワッツはしらっとした顔でうそぶいた
「俺ぁこないだの祝祭で第一の重装の奴等とふざけたんだが、なかなか愉快だったぜ。第一に戻ったらお前も呼んでやる、一緒にやろうな」
「へぇ、いいっすね。お願いします」
「おう」
 ワッツはにやりと笑った。一人、祝祭の出し物で周囲を阿鼻叫喚に陥れる面子が決まった。
 ただしそれも、この状況が落ち着いたら、だ。
 その為にやることをやらなくてはならない。
「クーガー、お前んとこは伝令使は持ってるか」
「いえ。駐屯地に帰りゃ中隊のがありますが。王都に?」
「ああ。ヴェルナーと繋ぎを取りたい」
「ヴェルナー? ってあの、筆頭侯爵家の?」
 クーガーはワッツが何故侯爵家、それもヴェルナーと繋ぎを取ろうと考えているのか初めあっけに取られた顔をしていたが、「ああ」と腕を組んだ。
「今の当主、そういや近衛師団の第一でしたね」
「そうだ。一度――」
 口を閉ざし、軍の伝令使を使うのは今の段階じゃちょっと早いか、と思い直す。もう少し道が見え、ヴィルトールの動向も解ってからの方がいいか。
(いや、やっぱまずは繋ぎだけでも取っとこう)
「何にしても、一度サランセラム駐屯部隊と合流するか」
 そろそろ昼食もしまいにして動こうと考えた時、遠くから、あっと声がして、ワッツはその方向を振り返った。
「ん? ありゃあ……」
 村の入り口とは反対方向から、二人、こちらへ近付いてくる。
 昨日の少年だ。あの魔獣を倒した。
「剣士――おお」
 まだ居てくれたかと、ぽんと膝を叩く。
「剣士? じゃあ報告はマジだったんですか」
 クーガーが感心したように呟く間も、少年はワッツに用があるのか、大股にワッツへと近付いた。
 改めてみれば驚くほど愛らしい少女のような整った顔立ちをしていて、剣士と言われてもピンと来ないが、たしかに昨日見た少年だ。
 ワッツを助けた剣士の少年、ルベル・カリマのティルファングは、立ち止まるなりワッツへ指を突き付けた。
「お前に聞きたいことがある!」
「ああ?」
 後からゆっくり歩いてきた青年、レーヴァレインが困ったように眉を寄せる。
「ダメだよティル、人様を指さしちゃ」
 という言葉がティルファングの耳に入ったのかは彼の様子からは心許なく、突き付けている指先は動かない。
「答えろ」
 ティルファングは愛らしい顔でキッとワッツを見据えた。
「この僕と、レオアリスを比べてどう思う!」
「ティル。大人気ないよ」
 唐突な問いだがワッツは動じず、太い腕を組んだ。
「どう思うって――俺はお前さんの剣はほとんど知らないが、あいつの剣は知ってる」
 ティルファングがずいと近寄る。
 誰かに似てるな、と彼らの戴く少女を思い浮かべつつ、ワッツは一つ例を挙げた。
「黒竜を斬った剣だ。お前さんが同等のものを斬れるかどうかじゃないか?」
「竜は――!」
 勢い込んで言い放ちかけ、すっとティルファングは真顔になった。
「……僕は竜は斬らない。他ので比べて」
「判らん」
「判んないって――」
「ティル」
 傍で微笑みがやや冷えて、ティルファングはびくりと肩を揺らしつつも、唇を尖らせた。
 レーヴァレインが代わってワッツ達に向き直る。兵士達はワッツ以外、呆気にとられてやりとりをただ眺めている。
「初めまして。俺はルベル・カリマ――南方の剣士の氏族の、レーヴァレインと言います。この子はティルファング」
「ルベル・カリマ――?」
 ワッツにとっては初めて聞く言葉だ。レーヴァレインはにこりと笑った。
「レガージュの、ザインの氏族です」

















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2020.1.19
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