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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ

三十八

 
「西海の、穏健派と仰ったのですか――」
 穏健派の動きがあると、ベールがそう告げた言葉に謁見の間がざわりと揺れる。
 今、議論の俎上に乗せられているのはボードヴィルにおける戦いの帰趨ではなく、終戦後を見越した『仕立て』の話だ。
 アレウス国主導で新たな、より発展的な条約を締結すべきではないかという議論が上がり、その中で財務院長官ヴェルナーは終戦への三つの手法を挙げた。
 一つには、圧倒的勝利をもとに、相手へ条件を突きつけること。しかしナジャルの存在がある以上、圧倒的勝利の条件は困難である。
 一つには、互いの国力や戦力の疲弊を背景に落とし所を探ること。三百年前の不可侵条約がこれだ。だがこれもまた、互いが疲弊し切るのを待つまで手をこまねいていれば、国体の維持そのものが困難になる可能性が出てくる。
 もう一つ――
『和平』
 終戦のより平和的な手法として、和平の道筋をつけること。その先に発展的な条約として、講和条約や修好条約が見えてくる。
 ただしアレウスの勝利と、アレウス主導による和平を打ち出すことが求められる。
 十四侯の反応はそれぞれ、和平への仕立てを望ましいものとして捉えている。その上で誰と、どう結ぶのかが課題だが、その課題に対して案を提示したのが、内政官房長官、北方公ベールだった。
「サランセラムのワッツから情報があった。西海に、穏健派の存在と、その動きがある。かつて穏健派の旗幟であった西海の皇太子の一派だ」


「穏健派――」
 異口同音に、その言葉をなぞる。列席者は互いに顔を見合わせ、隣人がそれをどう受け取ったのかを確かめようとしている。
 ベールは落ち着いた態度を崩すことなく頷いた。
「三百年間深く潜っていた存在だ。今も表立ってはいないが、ワッツからの情報では現在彼等を率いているのは、西海第二軍将軍、レイラジェだという」
「西海の、第二軍――?」
 西方将軍代理、西方第一大隊大将ゴードンが思わずといった様子で立ち上がる。
「ですが、奴等は先のサランセラム戦役で、西海軍の一翼として我等と剣を交えました。我が方も少なからず損害をこうむり」
 ぐっと両拳を握る。「七月の、第一次サランセラム戦役の折には、兵の大半と、ヴァン・グレッグ閣下を」
 ゴードンは卓に両手をついた。
「恐れながら、そのような相手との和平、納得できません……!」
「ゴードン」
 東方将軍ミラーの抑えた呼び掛けにゴードンはぐっと唇をひき結んだものの、それで落ち着きを取り戻したのか非礼を詫びて再び腰を落とした。
 ミラーが眼差しをベールへ向ける。
「大公。誤解を恐れず率直に申し上げれば、我々正規軍は、西海軍の中に穏健派がいると――その彼等と和平に向けた話をすると、その御提案をすぐに受け入れるのは難しいでしょう」
「理解している。軍だけではなく、他においても――国民の中にも、受け入れ難い者は少なくはないだろう」
 だが、と、ベールは言葉を継いだ。ミラーも、そしてゴードンも、感情と取るべき最善の手法とは異なると、理解した上の発言だ。
「相手を徹底的に打ちのめし、それによって勝利を得ようとすれば、手にする果実は勝利のみになろう。我々にとって何より第一義として貫くべきものは、西海への報復ではなく、国土と国民が安寧であること――それは今ここに座す諸侯等も共有している意志だと考えている」
「その通りです」
 ミラーが頷く。
 内政官房副長官ゴドフリーが場を継ぐ。
「大公閣下。複雑な思いはあれど、この戦いを終わらせることについては、誰しも同じ思いでおられるでしょう。現在財務院とは事務官級でも話を進めておりますが、国庫の状況や国土の現状と今後を考えれば、仕立ては早ければ早い方が良いと愚考致します」
 大きく同意を示したのはアスタロト公爵家長老会筆頭、ソーントン侯爵と、元東方公派であった年若い女侯爵カントナ、それから北方公派のデ・ファールト。
 地政院ランゲと、元西方公派ボーモン等は慎重に耳を傾けている。
 ロットバルトは楕円の卓の正面に座るファルシオンへ瞳を向けた。幼い頬は張り詰め、まるで倒れそうな身体を支えようというかのように両手は椅子の肘置きを握り、それでもじっと議論を注視していた。
 この和平に大きく絡むのは、イリヤの存在だ。
 大きく絡むという表現には語弊がある。イリヤはこの和平の中心であり、それによってイリヤの命運が決まる。
(早い方がいい。ゴドフリー殿の言われるように。ボードヴィルの帰趨がこの場に響く前に)
「――ゴドフリー侯爵のお言葉通り、軍費や西方を始めとした治安悪化が財政状況を圧迫している以上、早い仕立てが必要です。穏健派と、まずは対話の為の繋ぎを付け、その上で動き方や我々の内部での落とし所も含め、同時並行で検討を進めていくのが良いでしょう」
 一度言葉を切り、楕円の卓を見渡す。
「西海との最終戦に向かう前――それが立ち止まりようの無い泥沼の戦いに発展する、その前に」
 再び、十四侯は互いの顔を見回した。
 西海との最終戦が始まれば、その最大の障壁はあのナジャルになることは間違い無い。その戦いの苛烈さは、五月に西海が不可侵条約を一方的に破棄しアレウス国内に進軍したバージェス戦線において、ナジャルの存在が戦場をただの猟場に変えたことが明白に表している。
 スランザールが口を開く。
「結論を今つける必要はないじゃろう。和平を――早い段階での停戦と、その後に向けた話し合いを始めることを念頭に、在り方についてはまだ慎重に議論を重ねねばなるまい」




 一刻の休憩を挟み、十四侯の議論が再開したのは午前十刻。
 議論は和平から入った。列席者達は先刻出た終戦への仕立て――西海穏健派との和平について、休憩の間も個々に議論を交わしていた。
 地政院長官代理ランゲが、片手を挙げて発言の許可を求め、卓の上にやや身を乗り出す。
「先ほどの和平案、改めて賛同致します。しかし、その前に確認が必要と考えますが」
 ファルシオンの瞳が促す。ランゲは乗り出していた身を引いた。
「二点――、情報は西方軍第七大隊ワッツ中将からとのことですが、ワッツ中将はどのようにしてその穏健派の存在を知ったのか、その点は明らかでしょうか」
 ロットバルトはベールへ視線を動かした。
「ボードヴィルにおいて、穏健派と面識を得たと聞いている」
 楕円の卓を囲んだ頭が動き、束の間謁見の間の静寂が破られる。
「ボードヴィル? その、何故ボードヴィルで」
「元西方公の存在だ。先刻私は穏健派が、西海の皇太子の意志を継ぐ一派だと言った。西海の皇太子は元西方公と交流が深かった。ワッツはボードヴィルに在城中、穏健派が元西方公のもとを訪ねて来た場に遭遇したようだ。報告による限りでは、ワッツが初めてそれを知ったのが先月半ばだった」
「西方公――いえ、元西方公の」
 ランゲの面は当然、困惑の色が増している。
「それは、西海と、元西方公が通じていたと……」
「それは今更であろう」
 ソーントンがぴしりと口を挟む。「だから裏切ったのだ」
 やや尖った禿頭を楕円の卓に回した。
「だが、もし元西方公の意図が西海穏健派との間の何がしか――例えば彼等と手を結ぶなどということであったら、我々の考え方も少々変わるのではなかろうか」
「それは――」
 ゴドフリーが複雑そうな顔をする。財務院での上官と副官として、ルシファーの姿が見えていなかったことをゴドフリーは恥じていたし、悔いてもいた。
「いえ。何にしてもそれが我が国に利する為のものであれば、あの方の取った行動は違ったものになっていたのではありますまいか」
 ソーントンはゴドフリーを見て、それ以上は言わず椅子にもたれ直した。
 スランザールが代わって身を起こす。
「わしもゴドフリーと考えは同じじゃ。ルシファーと、そして西海の穏健派とは、同じ理念のもとに行動していたわけでは無いのじゃろう。話を聞いてみねば、推測にすぎんが」
 ベールは頷き、再びランゲに発言を促した。
「二点と言ったが、もう一点は」
「彼等の、意志は和平にあるのでしょうか」
 卓を囲んだ者達の視線が、正面に座るベールとスランザールとに集中する。
 ロットバルトの視線はベールに据えられたままだったが、まだベールの視線は返らなかった。
(まだ、現時点の一歩踏み込んだ接点を表に出すには早い)
 ワッツと、西海にいるヴィルトール。そして、イリヤ。その関わりをこの場に引き出すのはまだ早い。
 その考えはベールもスランザールも同じのようだ。
 ベールはランゲの問いに答え、変わらない態度で首を振った。
「そこをこれから確認する必要がある――というよりは、和平に動くにあたっては、あくまで我が国の主導で行うのが最善だと考えている。西海側よりも一歩先に、視点を進めておいてこそより良い成果が得られるだろう」
「承知しました。以上です」
 そう言い、一度顔を伏せ、すぐに顎を持ち上げる。
「改めて、この和平の案、進めるべきと考えます」
 ランゲに続き、何名かが同意の声を上げる。その最中、彼等の頭上に羽音が鳴った。
 十四侯の協議の卓に、一羽の白頭鷲が降りる。その姿を見て、ざわめきがすっと消え、謁見の間は静寂に満ちた。
 タウゼンの伝令使だ。
 もたらすものは、遠く西の果て、ボードヴィルの状況――
『申し上げます』
 白頭鷲の嘴から、やや軋んだ声が流れる。タウゼン自身のものだ。
『サランセラム戦況をご報告致します。――ボードヴィルは投降勧告に基づき、ほぼ全ての兵が投降、ボードヴィルとの交戦は無く、午後一刻を以て街と砦城の接収完了を予定しております。首謀者である元西方公ルシファーはアスタロト将軍が討ち取り、ヒースウッド伯爵は死亡』
 死亡、という言葉にファルシオンは仮の玉座の中で身構えた。胸を両手でそっと抑える。
(兄上は――)
 心の中の疑問に、白頭鷲が答える。
『畏れ多くも王太子旗を掲げていた、ミオスティリヤは投降致しました。現在正規軍において身柄を預かっております』
「おお――」
 十四侯の間に歓喜を滲ませた溜息が流れる。
 ただ、ファルシオンは安堵と、そして不安とが入り混じった感情のまま、白頭鷲を食い入るように見つめた。
『王都への移送について、ご指示をいただきたく』
 白頭鷲が嘴を閉じ、俄かに楕円の卓は活気付いた。
「ボードヴィルも、これで」
「先日の東方公と続いて、無傷でとは喜ばしい」
「アスタロト公御自身はルシファーを討ち取られたのだ。その戦いは計り知れんが、いずれにしても全くの無傷とは行かなかったのではないか」
 ランゲが強張っていた面を綻ばせる。
「では、あとはアルケサスの戦況ですな。何、剣士であるレオアリス殿のこと、必ずや勝利の報を聞くことができると信じておりますが」
 ロットバルトはファルシオンの面へ、確認の視線を向けた。そこにあるのはランゲが述べた期待よりも、やはり不安だ。
「グランスレイどの。先ほどの休憩中、近衛師団か法術院からは、報告はまだ届いておられませんか」
 ゴドフリーが卓の一方に座るグランスレイへ顔を向け、グランスレイは慎重に頷いた。
「先刻の風竜との接触以来、新たな報告はございません。ですが、ランゲ侯爵の仰る通り、第一大隊大将レオアリスはその任を果たす為に動いております。アルケサスには第一大隊の中将両名もおり、重要な問題が生じれば、都度状況連絡がなされるはずです」
 グランスレイの口振りは慎重で、その想いはロットバルトにも良く理解できた。
(それができる状況であることが前提だが――今は報告を待つしか無い)
 風竜の力がどれほどのものか。
 そして剣を一振り失ったままのレオアリスが、どこまでその剣を用いることができるか。
(アルジマール院長は一つ、仕掛けをしていった)
 盾を自動発動させる護符に、もう一つ、ベンダーバールのプラドというあの剣士が動けるように、その仕掛けを。
 だが今の、まだ互いに十分に話をできていない段階でベンダバールを動かすことは、一方で問題を抱えてもいる。彼等の意図は、レオアリスを氏族に連れ帰ることだ。
 その上でアルジマールはもう一つの『盾』として仕掛けを施し、プラドと接触していた。仕掛けが動くということは、レオアリスに問題が生じたことに他ならない。
(その報を聞かなければいいが)
 ベールが白頭鷲へ、幾つかの指示を持たせる。
 白頭鷲が姿を消し、再びベールは十四侯へ向き直った。
「アルケサスの結果がすぐにでも上がることを待とう。議論を要する今後の――戦乱の終結に向けての動きは、アルケサスの結果が大きく左右することにもなるだろう」














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2020.6.7
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