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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ

二十一

 
 風がボードヴィルを取り巻いて吹いている。
 ヒースウッドは砦城の城壁の上を、白銀の鎧を鳴らして早足で歩いた。北面に広がるサランセラム丘陵には、王都軍が五つの丘を埋め布陣している様子が見える。
 昨日から陣形は変わらず、まだ目立った動きはその中には窺えない。
(我々が動くのを待っているのだ)
 現時点の兵数は一万を超え、総軍はおよそ四万――ボードヴィルに今いる兵二千弱では、このボードヴィルが防御を主眼とした砦城だったとしても、単純な兵力差では勝機はほぼ無かった。
(だが、このボードヴィルにはあの方と、守護竜がいる)
 必ず、ヒースウッド達に機がある。まだ。
(そう、まだなのだ)
 ヒースウッドは呟いた。けれど頭の中に明瞭な考えがある訳ではない。
 ただ、彼女の顔を一目見れば迷いは晴れると、そう強く信じて――願っていた。
 途中、それぞれの持ち場を守る兵士達がヒースウッドへ敬礼を向けてくる。皆一様に緊張の面持ちで、その中に複雑な感情が見え隠れしていたが、ヒースウッドはそれには気付かなかった。
 一心に見上げた先、サランセラム丘陵を臨む砦城で最も高い塔の窓辺に求める姿が見える。ヒースウッドは呼吸を弾ませ、その塔の入り口を潜って螺旋の階段を駆け上がった。
「ルシファー様――!」
 これほど近くにその姿を見るのは数日ぶりだ。こんな状況にも関わらず、心に熱が沸き起こる。
 硝子の無い窓辺に寄りかかっていたルシファーは、ヒースウッドへほんの僅か顔を向けた。その面に憂いが覗いている。
 ヒースウッドはその場に膝を落とし、深く頭を伏せた。
 王都をどのように説得するか、一晩考えていた。ボードヴィルに王都への叛意など無いことを。
 この女性ひとに。
(お守りせねば)
 あくまでもこの国の為だと、それをどう伝えればいいか。
「依然、一万強の兵が前面の丘陵に布陣しておりますが、昨日の宣戦布告以来、いまだ大きな動きはございません」
 ヒースウッドはそう報告しながら更に面を伏せた。
「しかしながら、我等の意図は王都へは歪んで伝わっております。この誤解を解く為には……、一度、王都軍と会談の場を設けてはと――」
 暁の瞳が僅かに動き、ヒースウッドを見下ろす。
 冷えたその色。だがヒースウッドには美しい瞳が自分へ向けられたことそのものに喜びを覚えていた。
 きっとヒースウッドの提言は、心に染むものだったのだ。
「ぜひ、わたくしをその使者として」
 不意に、ボードヴィルからどよめきが上がった。この塔の周囲や城壁、そして街から。
「何だ」
 笛を鳴らすような音が塔を取り巻いている。塔の周囲を風が渦巻く。
 音を追った先、ルシファーの肩の向こうの小さな窓一杯に、白い柱のようなものが動いていた。空の青とその白が狭い窓枠の中で交互に入れ替わる。
 その不思議な交差を唖然と見つめていたヒースウッドは、数呼吸後、それが風竜の広げる骨組みの翼だと思い至った。
 風竜が翼を広げている。
 もう、一呼吸後――、
 白い骸の竜は、大屋根から飛び立った。
 窓に駆け寄り、冷えた石の枠に手を付いて大柄な身を乗り出す。
「飛んだ?! な、何故――」
 まだ何も決めていない。これから王都軍との会談の場を設け、ボードヴィルの真意を伝えようとそう考えていた矢先だ。
 風竜が動けば、もう、後戻りはできない。
「ル、ルシファー様」
 上擦った声を漏らし、傍らの存在と窓の外の風竜と、忙しく視線を動かす。
「守護竜を、止めなくては」
「それは難しいわ」
「し、しかし」
「ご覧なさい」
 ルシファーの白い手が上がり、遠くを指差す。ヒースウッドは指の指し示す先を目で追った。
 青い空を埋めるように舞い上がった風竜の姿があり、街があり、丘との間の草地、王都軍が布陣する丘。
 違和感は見当たらない。
「その、何が――」
「見えないわよね。そう。でもそこにある」
 何のことかと振り返りかけた時、耳を覆う風の音が一層高くなった。笛のように甲高く、実体を持つように重く。大気がうねる。
 風竜の骨組みの翼が、風を大きく掴み、丘へ向けて打ち煽った。
 強烈な突風が渦巻き、塊となって丘へとなだれかかった。







 ワッツは丘の上に立てた騎馬の傍から、ボードヴィルの街を見渡した。
 この明け方まで、まだ投降してきた兵は無い。ただそれは想定していたことでもあった。彼等の意識を押さえ付けるものを取り除かなければ、兵はあの場から一歩も動かないだろう。
(分断が成功すれば動きが出る)
 もうあと四半刻で転位陣は完着するはずだ。分断を十割成功させると、法術院長はそう言った。
 本陣の丘に、四方、それぞれ二層に分かれた各十名の法術士団の術士達が構築する、計八個の法陣を敷いている。それは外部の目から法陣を覆い隠す為のものと、そして力を集める為のものだ。
 中央にアルジマールが敷設した法陣円へと。
 法術にとんと疎いワッツははなから仕組みなど理解するつもりはないが、それでも一つだけ、ワッツにとっても確実な事実がある。
 分断できればアルケサスとの間に横たわるおよそ千八百里(約5,400km)は、いかに風竜といえども一息で超えられるものではなく、ただそれだけで充分な障壁となる。
 逆にこの法陣によって風竜とルシファーを分断できなければ、王都側の勝利は遠のく。距離千八百里もの戦力の分断は、王都軍自身の問題になって返ってくる。
(どっちにしろ厳しいし、俺達常人にゃどっちにしろ手が出ねぇ領域だ)
 アルジマールと法術士達に任せるしかない。
(あの院長は胡散臭えが腕は確かだ。今んとこ、投降勧告もいい方に作用してる。分断成功まで待ってりゃその後は、街門は触らなくても開く)
 緊張と共に、ワッツが一度本陣のある背後に視線を戻しかけた時だ。
 ボードヴィルがどよめき、直後にワッツの周囲の兵達もまた、驚愕の声を上げた。
「ワッツ中将! あれを――! 風竜が、ふ、浮上しています!」
 走る兵の声にワッツもまた空を睨んだ。喉の奥に呻きが篭る。
「風竜――」
 大屋根の上空、白い巨大な骨組みの翼が、空へと広がっている。
「――まさか」
 本陣へ向かいかけた身体へ、突風が叩き付けた。瞬間、辺りが轟音に包まれた。
 足が浮く。その次に風を意識した。
 重い馬体ですら薙ぎ倒し、張っていた天幕を空へと巻き上げる。兵達の兜、盾、軍旗が凶器となって舞う。
 ワッツは騎馬と共に数間、丘の上を押され滑った。周囲の兵士達も一緒くただ。
 咄嗟に伸ばした手で下草を掴み、だが根っこごと地面から剥がして更に転がる。
「――ッ」
 ぐっと身体を丸めた直後、背中が何かに叩きつけられ、ようやく身体が止まった。
 息を吐き、頭を振って立ち上がる。見回す必要もなく、陣形が全くごちゃごちゃに掻き回されているのは判った。あの風一つ。今のそれだけで負傷した兵も騎馬も少なくないだろう。
 だが、一番の問題をワッツは見て取っていた。
「――気付かれた」
 五つの丘の中心に陣取っていた本陣の位置から、空へ白い光が輝き立ち昇っている。
 剥き出しだ。
 風竜を転位させる為に完着まで覆い隠していた転位陣、その放つ光が地上に置かれた道標のように明らかに顕れていた。













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2020.3.29
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