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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ

二十

 
 王都軍の宣戦布告から明けて、十一月十日。
 早朝のボードヴィル砦城、そしてボードヴィルの街は息を潜め静まり返っていた。
 住民達は皆それぞれの家に閉じこもって扉を固く閉ざし、時折薄く窓を開けて外の様子を覗いては、嵐が一刻も早く彼等の頭上を通り過ぎてくれるのをひたすら待っている。
 ボードヴィルに残っている千人余りの兵士達、そして近隣諸侯達が伴った警備隊士達は、定められたそれぞれの持ち場に着きながらも自分の隣に立つ兵がどう考えているのか、将校達がどのような命令を下すのか、王都軍がどう動くのか、――それを互いに内心で窺い合っている、そんな状態だった。
 前方の丘の上に布陣する王都軍陣営にはまだ何の動きもない。ボードヴィルの様子を見ているのだろう。彼らの動きを。
 昨日の王都軍の宣戦布告、そして投降の勧告は兵士達の中に確実に突き立っていた。そしてそれを告げた人物が左軍中将ワッツだったことが、彼ら兵士達にとって一つ希望になっている。
 ワッツが勧告し、投降するなら罪を免じると明言したのならば、きっとそれは嘘偽りではない。保証された言葉だ。
 街には家族がいる。
 王都軍は一晩待つと言ったが、夜が明けても投降者のないボードヴィルに対し未だ動きがないのは、彼等が動くのを待つつもりなのかもしれない。
 これ以上、痺れを切らした王都軍の攻撃が始まる前に――
 けれど。
 兵は時折、ちらりと砦城の大屋根の上を見上げた。
 そこに在るものは、彼等にとって僅か数日前までは絶大な信頼を寄せたこの街の守護者であり、今この段階にあっては最も脅威となる存在になっていた。








「風竜とルシファーとの分断――仕立ては問題なく進んでおります。あと一刻もあれば転位陣の発動が可能でしょう」
 王都守備を束ねる西方将軍代理、西方第一大隊大将ゴードンは伝令使からの情報を聞き取り、王太子ファルシオンと十四侯を前に語気を意識して強め告げた。
 この早朝、法術院長アルジマールが現地へ発ちサランセラムの王都軍法術士団と合流後、転位陣の最後の仕上げをしているところだ。おそらくは後一刻もなく、風竜とルシファーとを分断する転位陣の敷設が終わる。
 ファルシオンはボードヴィルとアルケサスへ、想いを馳せるように黄金の瞳を西の方角へ注いだ。
『確実に転位させます。その為にはまず風竜とルシファーの目を誤魔化す必要がありますが、でも発動すれば』
 十割。
 術式が固着するまで法陣の存在を隠し通せば、確実に風竜をアルケサスへ転移させると、アルジマールは約束した。
 アルジマールが転位陣の敷設を、そして転位陣を固着まで覆い隠す術式を法術士団が施している。
 転位が成功するか、そしてまずは転位陣を風竜やルシファーの目から隠し切れるか――もうそれはファルシオンの手の及ぶ範囲ではない。このことに限らず、ファルシオン個人ができることはまだほとんど無いけれど。
 アルジマールの言葉と法術士達を、そして分断した後の苛烈な戦いの場に身を置くアスタロトや正規軍、近衛師団、レオアリス――彼等を信じて、ファルシオンは王都でできることをするだけだ。
(西海との、和平――)
 ファルシオンはベールとスランザール、そしてロットバルトをそっと見た。
 その話を聞いた数日前の夜、ファルシオンは西海との和平を成功させたいと思った。
 何よりも、この国に住む人たちが、早く安心して暮らせるようになってほしい。
 和平は兄の、イリヤの意志でもあるという。それがとても嬉しい。兄上が和平を考えているのです、と、そうみんなに言いたかった。だから兄上を――
 それでも、自分がそれだけのために動くことはできないと、ファルシオンは理解していた。
 ファルシオンは西へ馳せていた想いを卓の上に引き戻した。
「戦うものたちの無事を、まず願おう。心から」
 ベール、スランザール、十侯爵、正規軍、近衛師団、司法庁、法術院、それぞれの顔を一人一人見つめる。
「サランセラムと、アルケサスの戦いの勝利と、戦うものたちの無事と、また会えることを願う。みんなが戻って、そして、その後の西海との戦いを最後にできるように、私たちは今、次のことを考えなくてはいけない」
 十四侯が楕円の卓のそれぞれの席で緩やかに顔を伏せる。
 ベールがファルシオンの傍らで同意を示し、同じく諸侯を見渡す。
「王太子殿下の仰る通り、それについては先日のこの十四侯の場でも、先を見据えた議論の必要性を共有したことを覚えておられるだろう」
 ゴドフリーが頷く。
「十四侯の場に共通した認識と受け止めております。その上で、今日はより踏み込んだ具体的な議論をさせて頂きたく存じます。先般ヴェルナー財務院長官も仰られたように、徒らに戦いが長引けば国土が疲弊するのみでありましょう。早期の終戦が望まれており、その先の暮らしを考えなくては」
「それは全く同感です。ですがナジャルは何を置いても倒さなくてはなりますまい」
 慎重な口ぶりでそう言ったのは地政院長官代理、ランゲ侯爵だ。
「一足飛びに戦後を考えるのは早いと申しますか……、もう少し後でも良いのでは。ナジャルの力は計り知れない。あれを倒すには我々は最大戦力を向けなくてはならず、そうなればおそらく西海も同様に最大の戦力を当ててくるでしょう。一歩間違えば泥沼の戦いになりかねません。そこをどのようにお考えですか」
 手を上げたのはソーントン侯爵――アスタロト公爵家長老会筆頭である彼はこの場の最高齢だが、矍鑠かくしゃくとした所作を保っている。
「どのように考えるかは我々十四侯全体で協議すべきであろう、ランゲ殿。どのような手段があるか。現実的かつ具体的な方策をこの場で考えるのが良かろう」
 もう一人、デ・ファールト侯爵も手を上げる。北方公派閥であり、今は地政院副長官の役を追っている。
「ナジャルについてはランゲ殿の仰るように総力戦しかありますまい。此度の西の戦いでどれほど戦力を残せるかが鍵ですが、我々王都は今始まろうとしている戦いの結果をただ待っていても致し方ありません」
「しかしな、デ・ファールト殿」
「戦いそのものの帰趨と、国全体の先行きは切り離して考えるべきだと、私も思います」
「むう」
 ランゲは唸ったが、それ以上は言わず顎を首に埋めるように引いた。ゴドフリーが苦笑する。
「いずれも大切な視点でしょう。西海との戦いも無視はできません、両論、同時に検討しなくてはなりません」
 そう言われてランゲも首を戻す。
 ファルシオンにとってはまだとても難しい事柄が交わされている。傍らのスランザールを見上げ、スランザールの目元が和らぐのを見て、彼等の議論がファルシオンの考えと大きく外れていないことを確認する。
「それでは、どのような方法があるだろう。いちばんの目的は、この国がまた平和になることだ」
 視線が一度ファルシオンに集まる。
「みんなが、安心してくらせること」
 高い窓から注ぐ陽射しが明るさを変える。太陽を遮っていた薄い雲が流れたのだろう。
 時の移ろいを意識し、それまで口を閉ざしていた東方公派――元、と言うべきか――のカントナ侯爵が鳶色の髪を揺らした。東方公の離反後、前当主の引退に伴い侯爵家を継いだばかり、まだ二十代と若い女性だ。
「恐れながら――不可侵条約を、再度締結し直すのが現実的ではないでしょうか」
 カントナが発言したことで、同じく発言の少なかったボウモン侯爵も手を上げる。四十代、ボウモンは西方公派だった。
「明解な方針と思います。しかし……、その、私の立場で憚られる意見ではありますが、今回の戦乱のきっかけとなった不可侵条約の再締結では、印象が良いとは言えません。どうしても西海の一方的破棄の印象――今後の不審とまでは言いませんが、懸念が拭えないのでは」
「それならば、不可侵条約を刷新する、新しい二国間の約定を締結するのは」
 同じく西方公派だったゴールディが言う。
「例えば修好条約など――不可侵ではなく、より前向きな」
「ヴェルナー殿、貴殿のお考えは。財務と、そして国防の視点で……ヴェルナーには内務の知見もおありでしょう」
 ロットバルトはゴドフリーの視線を受け、蒼い双眸を卓に廻らせた。
「終戦を仕立てるには、幾つかの方法があると考えます。一つは圧倒的な勝利の元に相手に条件を突き付ける。しかしながらこれは現状況では困難であり、その先に必ず軋みが生じます。もう一つは互いの戦力や国土の疲弊を背景に、落とし所を探る。これが三百年前の不可侵条約です。今回においても、特に手を打たなくともいずれ必然的に同様の流れに至ると想定できます。しかし互いの疲弊を待ちたくはない」
 もう一つ、と続ける。
「不可侵条約より、より平和的な決着をつける方法として、まずは和平を前提とした道筋をつけることが肝要かと――その先に講和条約、或いは修好条約を視野に入れて動くことができるでしょう」
 スランザールがちらりと視線を動かす。
 昨夜の内にロットバルトから、この場で和平を明確に議論に入れたいと話を受けている。
 十四侯の反応は様々だが、受け止め自体は悪くはない。
「和平――それが確かに望ましいと思うが、我が国から和平を働きかけると?」
 足元を見られるのでは、という懸念がランゲの言葉の中にある。
「仰るとおり、対等以上の立場を有する為には我が国の勝利が前提でしょう。その上でアレウスが主導して和平を打ち出し、締結しなければなりません。後手に回ることは避ける必要があります」
「後手に? それはどういう意味ですか。西海にそのような動きが?」
 その問いをベールが引き取る。
「ボードヴィルを脱出したワッツから、一つ確度の高い情報を得ている」
 ベールは自らに注がれる視線をそれぞれ捉えた。
「西海に穏健派の存在、動きがあると。これはボードヴィルで得た情報だ」
「穏健派――」
 幾つもの視線が交差する。
「かつて、西方公ルシファーは西海の穏健派の旗幟であった皇太子と親交があった。彼等が今も、一派として西海の中に残っている」















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2020.3.29
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