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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ

十九

 

 王都の街に朝の光が差し掛かる。
 もう住民達は起き出して、日々の営みをこれまでと変わりなく始めている。
 けれど誰もが今日、西の地で大きな戦いが行われることを知っていた。
 西の地、辺境の軍都ボードヴィルの西方公――元西方公ルシファーと、蘇った風竜との戦いであり、そしてその後に続くだろう西海との戦い。
 その戦いが終われば、きっと元どおりの平穏な暮らしがこの国に戻るのだと、その期待が王都の住民達の間にあった。
「お嬢さん」
 王都北西地区の三階の窓から朝陽が伸びていく方角を見つめていたマリーンは、ダンカの声に振り返った。
 扉の横に立ったダンカが、いいか、というように首を傾け部屋に入る許可を求め、それからマリーンのそばに寄る。すぐ横ではなく窓を挟んで立ち、先ほどまでのマリーンと同じように、開け放った窓の外を見渡した。
 薄い雲が空に棚引いて、澄んだ青い空の中、昇り始めた陽光に白く輝いている。
「良く晴れましたねぇ。西も、同じですかね」
「うん」
 マリーンはダンカの横顔からまた窓の外へ瞳を動かした。
「――無事、帰ってくるわよね、レオアリス。レオアリスも、アスタロト様も、それから軍の兵士の人達も、法術士の人達も」
 窓の桟に手を置き、視線が空から街へ落ちる。
「私、レオアリスに悪いことしちゃったかしら。あの人達に引き合わせるような形になっちゃって――なんかすごく、重い話だったみたいだし」
「――」
「大丈夫かなぁ。また考えすぎちゃってないかしら」
 ダンカは浮かしかけた手をマリーンの肩に近づけ、触れる寸前で引っ込め、窓の桟に置いた。
「ま、大丈夫ですよ! あいつはなんか無謀だけどちゃんと前に進んでく奴だし。そもそも炎帝公も、法術院長って人も、どれだけの戦力だか俺なんかじゃ想像も付かないですけどとにかくこの国じゃ一番なんですし、だから無事、みんな戻ってきますよ」
 ダンカはちらりとマリーンの様子を窺い、マリーンの瞳が自分に向いていたことにぎょっとして、慌てて逸らした。
「まあ、安心してください。勝って帰って来るのを待ちましょう。すぐですよ」
「そうね――うん。そう思う」
 マリーンは息を吐き出した。
「私がここで悩んでたって、何にもならないし、私は私にできることをしっかりしなくちゃね!」
 両手を上げ、ぐっと握り拳を作る。ダンカも同じように右手で拳を握った。
「そうですよ! その方がお嬢さんらしいです」
「さ、今日もがんばって炊き出ししましょ! 荷運びよろしくね!」
「任せてください。俺仕事護衛ですけど」
「あ、あと屋台の組み立てとか、水汲みとか、力仕事よろしくね!」
「任せてください、俺仕事護衛ですけどね」
「気にしない気にしない。あ、それから」
 軽い足取りで扉へ向かいながら、マリーンはまだ窓のところにいるダンカをくるりと振り返った。朗らかな笑顔にダンカも笑みを返す。
「はいはい、他になんかありますか。この際なんでも言ってください」
「そろそろ結婚しょましょ」
「はいはい、任せ――、は……ぇえ?!」
 驚きに口を開けたダンカを他所に、マリーンはにこにこしながら廊下へ出ていく。
「や、俺仕事護衛――商売なんか全然、いや、ちょ、お嬢さん……!」
 慌てて追いかけたダンカは、廊下に出た途端つんのめるように足を止めた。
「げ、旦那様」
 マリーンの父、デント商会主のエドモンド・デントは腕を組んでダンカの前に立ち、細い顔の鋭い眼差しでじろりとダンカを見上げた。
「未だに独り者だからもう二十七だっていうのにいつまでもふらふらしてるんだ。早くしないか」
「えぇ? ――や、それは俺のせいじゃ無いですって……」
 ダンカは顔を赤くして困った様子で頭を掻いていたが、それも束の間で息を吐き出した。二度ほど、重ねて深呼吸をする。
 デントと、廊下の向こうに立ち止まっているマリーンへ向き合い、もう一度息を吸い込み、吐いた。
「俺、単なる護衛ですけど、旦那様が認めてくださるんなら――必ず、お嬢さんを守ります」
 マリーンはぱっと顔を輝かせて駆け寄り、ダンカに抱きついた。
「――ありがとう!」
 デントは娘の笑顔に頬を緩めつつ、ダンカへ値踏みする目を向けた。
「商売は覚えてもらわんとな。みっちり仕込んで、そうだな、まあ一年もあれば店を一つ任せられるくらいになるだろう」
「商売――」
「だいじょうぶ! ダンカならきっといい商売人になるわ」
 マリーンはそう言って、少しだけ怖気付いているダンカへにっこり笑った。









「行かないの?」
 ティエラは王都の西を望む小さな広場に立ち、空を見上げているプラドへ、静かに歩み寄った。
 薄い雲が空を流れている。冷えた空気が心地良い。
 寡黙な人だ。瞳がティエラへ問い返す。
「彼を助けてあげないの?」
 もう一度、言葉を変えてそう尋ねた。
「完全だったとしても一人であれほどの竜を倒すのは難しいでしょ。いくらそのジンという人の子供でも」
「その必要はない」
「でも、風竜はベンダバールの管轄でしょう? 私達の氏族が空の座の監視に飽きてこの国を出たのなら、私達が責任を果たす必要もあるんじゃないのかしら」
「長はそうするよう言ったか?」
「こんな時ばっかり、そんなこと言って」
 ティエラはプラドよりも歳上のように腕を組み、首を傾けた。
「長は連れて来いって言ったわ」
 そう言ったが、プラドの上にはその言葉に動かされた様子は見えなかった。
「――プラドは、どう思ってるの?」
 彼の厳しい眼差しがとても好きなのだが、こういう時は全く読めないから厄介だ。
 やはり答えはなく、ティエラはやや呆れた想いを込めて微笑んだ。











 風の音がする。
 ここはどこまでも、果てが無い――

 まだ熱のない乾いた風が、砂丘の上に立つ身体を取り巻いて過ぎる。
 南方、アルケサスの砂丘。初めて訪れたそこは、空と、緩やかに重なり合う砂の大地しかない。あとはただ静かな、澄んだ空気だけ。
 レオアリスは明けていく空を見上げた。
 西の空はまだ夜の名残をとどめ、遠くの薄紫の帯が少しずつ色を変えて行く。
 こうして砂丘と空の境に身を置くのは、まるで空の中に立つように思える。

 右手を鳩尾に当てる。
 西北西、ボードヴィルのある方角へ、視線を転じる。
 まだその空には一欠片ほどの変化も見えない。
 静かに呼吸を重ね、指先にまで意識を巡らせながら、瞳を閉じた。














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2020.3.22
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