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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ

十四

 

 身構えて臨んだはずのルベル・カリマとの会談は、エンデに入って半刻後、ようやく始まった。
 窓の外は細い雨が降り出していたが、室内ではほぐれた空気の中、卓に向かい合って座りまずは互いに名乗り、挨拶を交わす。
「この度は我々の要望に応えていただき、お礼申し上げます」
 レーヴァレインはアスタロトと、タウゼンやランドリーへと順に視線を移し、そしてアルノーの上に留めた。にこりと笑い、またアスタロトへと。
「これほど早く、将軍閣下やアルノー大将に再びお会いできたことを嬉しく思います」
 それからレーヴァレインは双眸を斜め前に座るレオアリスへと向けた。レオアリスから見える二つの瞳は湖面のように静かだ。
「君が、レオアリスですか。ルフトの――」
 レオアリスは複雑な気持ちで頷いた。
 ルフト、と、先日聞いたばかりの氏族名で呼ばれるのは自分のことではないようで、それでも自然と身に馴染み、微かな喜びもまた、あった。
 喩えるなら、寄り掛かる場所を見つけたような。
 ただレーヴァレインはそれ以上のことは言わず、穏やかな口調で続けた。
「さて、我々ルベル・カリマは今現在、氏族長カラヴィアスの意向で、勝手ながら南方域を中心に魔獣狩りを行なっています。その理由として、一つにはアスタロト公爵御自らアルケサスへ足を運んでいただいたこと。それでいながら、我々があなた方の期待に応えられなかったことには我々自身の種族的理由とは異なる、割り切り難い思いも当然あります。このアレウス国に長く暮らしてきたのは、我々も同じですから」
 もう一つは、と、レーヴァレインが笑む。
「アルノー大将殿から我等へ、剣帯をいただいたこと」
 アルノーは気恥ずかしそうな顔をした。
「あれは何か、我々の心意をお伝えできればと――あの剣帯は我が父から受け継いだものですので――とは言え、それほど高価なものでは」
「剣士に剣帯なんて贈っても、意味ないよね」
 ティルファングの呆れを含んだ指摘に、アルノーがまた赤面する。
「確かに……仰る通りです。これは失礼を」
「だから我等の長カラヴィアスはその行為に意義を感じたのです」
 レーヴァレインの言葉に、アルノーが瞳を瞬かせる。
「意義――」
「あの場面で咄嗟に贈る物は、貴方が価値を感じている物なのでしょう、貴方なら。それが剣を帯びる為の剣帯。その事と、その咄嗟の行為そのものを有難いと、我々は感じたのです」
「それと」と、と言ってレーヴァレインがやや困った顔をする。今のそれは苦笑に近く、傍のティルファングは頬を膨らませている。その理由は掴みかねた。
「あの剣帯には宝石が一つ、あしらわれていたでしょう。紅玉でしたか。とても濃い色の」
 アルノーが頷く。
「あれを気に入ったようだから、会う機会があったらくれぐれも礼を述べてくれと、そう言い使って参りました」
「いえ――そう言って頂けるのは私も有難い」
 レオアリスは内心首を傾げた。
 カラヴィアス自身のことではないようだが、誰が気に入ったのだろう。ルベル・カリマの他の誰かだろうか。
「それで今回、このような場を設けていただいたのです。とは言え、これだけの方にご足労いただいた上で、剣帯のお礼を述べるだけでは過度な対応をしていただいただけになってしまいます。ですのでもう一つ、やや踏み込んだ話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
 その問いはアスタロトへと向けられている。アスタロトは頷いた。
「あなた方はこの先、西海との決着を付けることを最終的な目的としつつ、まずはボードヴィルの風竜とルシファーに対するお考えと思います」
 切り込んだその言葉が、穏やかだった会談を本来のものへと切り替える。
 タウゼンやランドリー等正規軍側の面持ちも変わる。
 ワッツは一番右端の席で卓を見渡した。
(あの兄さんの本来の目的はこっちだな)
 広間の中央に置かれた長方形の広い卓に向かい合って座り、ルベル・カリマが意図した会談の本旨が、ようやく卓の上に乗せられる。
「我々の視点から考えても、風竜とルシファー、同時に対峙するのは得策ではないのは明確です。となれば、両者を分断する必要が出てくるでしょう。今、あなた方はそうお考えではありませんか」
 アスタロトは一度タウゼンを見て、レーヴァレインへ視線を戻した。
「その通りだ。分断は簡単じゃあないけど、被害を抑えて勝つにはそうするしかない」
 そうだろう、とレーヴァレインの穏やかな顔は言っている。ティルファングは隣から唇を突き出した。
「単純だな。まあがんばってよ」
 ティルファングの手を左の甲でこつりと叩いて嗜める。
「分断先の場所は――? 同じ戦場でただ位置を分けて囲むだけでは、両者の風を防ぎきれません。特に風竜は、周辺に被害が及ばない広範囲の戦闘域が必要だと思いますが」
「候補は幾つか考えてる。ルシファーとはサランセリア丘陵で。だから風竜の方を別の場所へ移動させたいけど、あまり西海沿岸に近付くのは得策じゃない、そうなるとハイドランジア湖沼群――」
 アスタロトの真紅の瞳がレオアリスの上に束の間留まる。ティルファングの視線がその意図を鋭く射抜く。声はひやりと低い。
「ジンが倒した場所で、ジンの子のレオアリスにお任せってこと? 相変わらずだね」
「それは」
 アスタロトは頬を強張らせたが、彼女が返す言葉を口に出す前に、レオアリスはルベル・カリマの二人を見つめて口を開いた。
「それが適切です。俺はこの国の人々が暮らす場所や農地に被害を及ぼしたくない。それを気にせず剣を使える場所が望ましいし、それが、ジンの――父の戦った場所なら、俺にとっても験がいい」
「一人で? 周りを巻き込みたく無いってことはそうなんだろ。上手く使われてるとは思わないわけ?」
「思わない」
 明瞭に言い切ったレオアリスの横顔を、アスタロトはじっと見つめた。
「この一言で、俺のこれまでを全て説明できるとも思わない――それでも」
「――」
「ティル。彼等は両者と対峙するんだ。レオアリスだけが戦う訳じゃない。それにその場所に謂れがあることも士気の上で重要だよ。そう言う点は俺達も変わらない」
 やや不満そうな色を残しながらもティルファングは口を閉ざし、腕を組んで椅子の背にもたれた。
 レーヴァレインが改めてアスタロト達へ向き直る。
「失礼しました。ただそのこと――あなた方が両者の分断を考えていることを確認したかったので。その上で一つ、我々の長、カラヴィアスから伝言があります」
 黒い双眸は穏やかな色を変えることなく、ほんの僅か細められた。
「周囲に影響を与えない広範囲の戦闘域ならば、アルケサスが最も適している。あなた方は当然それも考慮されたでしょう。今回ハイドランジア湖沼群を選んだとしたら、その選択には我々の存在も少なからず影響しているかもしれません」
 アスタロトはレーヴァレインを見つめた。
 アレウス国内で広範囲戦闘に適した場所として上がった候補地は、まずハイドランジア湖沼群、サランセラム丘陵、そして北のヴィジャ、北辺域――それからアルケサスだ。中でもアルケサスは最も遮蔽物がなく、生産地がなく、生活拠点が少ない。
 アルケサスを選択しなかったのは、大戦の地ハイドランジア湖沼群が風竜との戦いの場として誰しもが納得する場所だったからだが、レーヴァレインの言う通りルベル・カリマの存在を気にしたこともある。
「ですから、カラヴィアスからの伝言はこうです」
 レーヴァレインの傍らでティルファングが組んでいた腕を解き、椅子に座り直す。
「今回、風竜との戦闘の地としてアルケサスを選んでも、我々はそれを阻害しない」
「――それは」
「まあ、言葉通りの意味でしかありませんが」
 穏やかな微笑みがまた刻まれる。
「考慮に入れてみてください」
 アスタロトはしばらく視線を落として思考を巡らせ、それからタウゼン、ハイマンスと、レオアリスを見た。
「アルケサスは、適していると、思う。今から戦地を変えられるか?」
「ハイドランジア湖沼群へ配するのは法術院と近衛師団、それからレオアリス殿自身。地点の変更はさほど準備行動に影響を与えないでしょう」
 ハイマンスが自分へ問いかける眼差しを向けたのを受け取り、レオアリスは頷いた。
「問題ありません。足場は湖面より砂丘の方が動きを縛られる懸念が少なくなりますし、ハイドランジア湖沼群は麓の街が十里内にありますが、アルケサスの奥ならほぼ百里近く戦闘域が取れる。風竜が多少移動してもすぐには影響が無いと考えます」
「レオアリスの気持ちは」
 アスタロトへ、レオアリスは笑みを返した。
「ハイドランジアでなくても、ジンと同じ役割を果たすことに変わりはない」
「――タウゼン」
「では、改めて王都で協議をし、判断致しましょう」
 アスタロトは頷き、ルベル・カリマの二人へ向き直った。
「助言、ありがとうございます。カラヴィアス殿へも、配慮のお礼をお伝えください」
「はい。アレウス国の御武運を」




 一刻ほどの会談は終了し、ルベル・カリマの二人がまず席を離れる。
 長方形の卓を回って歩いて来るレーヴァレインとティルファングを、アスタロトは椅子の傍らに立って待った。
 ティルファングとレーヴァレインの二人――ルベル・カリマの里を訪れた夜、飛竜を降りた二人が暗い階段を上りアスタロトへと近付いて来る姿と重なる。
 あれから、四か月だ。
 ティルファングがアスタロトのすぐ近くに立ち止まる。黒い瞳がじっとアスタロトを見た。
 また何か、文句を言って来るのかと身構えたアスタロトをしばらく眺め、ティルファングは唇を尖らせた。
「少しはマシな顔になったみたいだね」
「――えっ、ほんと? そう見える?」
 頬を輝かせたアスタロトに対し、ティルファングが眉をしかめて身を引く。
「少しはって言っただろ。ちょっとそう思っただけだ」
「ちょっとでも――そう言われるのは嬉しい」
「――あっそう」
 フレイザーは「はたから見たら美少女同士の会話ですね、ふふ」とレオアリスに楽しそうに囁き、レオアリスは「会話……?」と眉を寄せた。
 レーヴァレインは二人の横を過ぎ、レオアリスの前に立った。
「改めて――初めまして。君に会いたかった」
 差し出された右手を握る。
 温かい手だ。
「俺は一度、ジンに会った事があるんだ。幾つの時だったかなぁ。ティルが生まれる前だから、もう百年以上前か」
 レーヴァレインはそう言ってまた微笑んだ。彼一人の微笑みではなく、ルベル・カリマという剣士の氏族がそう言っているように思える笑みだ。
「ジンに良く似ているね」
「有難うございます。そう言われるのは嬉しいです。とても」
「あの時は俺の方が子供だったから、こうやって歳の若い君と向き合うと、あの時の光景が逆転したみたいで不思議な感じがするよ」
「僕も――! 僕もジンに会いたかった!」
 ティルファングがぐるんと身体を回す。
「似てるの? レーヴ」
「うん、似てるね」
「へえー」
 ティルファングの目がレアオリスを上から下まで見回す。
「へえ」
 もう一度そう呟いて、「ん」と右手を差し出した。
「――ああ」
 その手を握ると思いの外強い力が返る。
「会えたのは嬉しい」
「……俺も」
「僕歳上だけど」
「あ、すいません」
 唇を尖らせたティルファングの頭へ、レーヴァレインが右手を乗せる。「歳下扱いされたいんじゃなかったの」
(何か――変わらないな)
 そう、何というか、自分達と何も変わらない。
 四つの氏族の中でも最大の氏族、ルベル・カリマ。
 会う前はもっと特別な雰囲気があると――、例えばプラドやティエラのような日常とは外れたところにある存在のように身構えていたのだが、二人のやり取りはレオアリス自身の周囲にあるそれと何ら変わらないものだと思う。
 けれど、ふとザインを思い起こし、彼の持つ雰囲気を考えて納得した。
「……一つ、お聞きしたいんですが」
 何でも聞け、と胸を張るティルファングを、やはりアスタロトに似てるな、と内心苦笑する。
 頷いたレーヴァレインへ瞳を向けた。
『剣士とは、失う者だ』
 その剣により――
 その生により。
 最大氏族であるルベル・カリマもまた、そう考えるのだろうか。
「何かな」
「あなた方は剣士とは、どのような存在だと考えているんですか」
「剣士?」
 ティルファングが顎を持ち上げる。
「強くてかっこいい」
「――」
 レオアリスは薄っすら笑った。それはまんま街の少年達の評価だ。
(ファルシオン殿下は会ったら喜ばれるかもしれない)
「それが気になる?」
 レーヴァレインがレオアリスの瞳を見つめ、組んだ腕の右手を口元に当てた。
「そうだねぇ。あんまり真面目に考えたことはなかったけど……」
 レオアリスは気付かなかったが、アスタロトは瞳をじっと、レオアリスの後ろ姿に当てた。
 しばらく考えを巡らせていたレーヴァレインが右手を下ろす。
「とどまる者、かな?」
 そう言った。
「――とどまる、者……」
 ティルファングが少しずつにじり寄り、レーヴァレインにぴたりとくっつく。レーヴァレインは気にせずレオアリスへ首を傾けた。
「うん。ああ、そうか、君はベンダバールに会ったんだね。君のもう一つの氏族」
「……はい」
「何て言ってた?」
 レオアリスは一度、息を吐いた。
「失う者だと」
 同じ黒い瞳が動いたが、驚いた様子はなかった。ただ、なるほどね、と呟く。
 それからレーヴァレインは、レオアリスをもう一度見つめた。
「きっとね、氏族それぞれで答えが違うんじゃないかと思う。個人個人もそうかもしれないけどね。だから君は、君自身がどう考えるか」
 納得できるまで探せばいいんじゃないかな、と、レーヴァレインは微笑んだ。




















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2020.3.1
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