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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ

十二

 

「レイラジェ将軍は、皇太子殿下との交友を公にはされておられなかったのですか」
 音も無く、巨大な石の鯨――ファロスファレナは海の中を進む。窓の外を流れていく光を含んだ海水が、室内に僅かに陽射しを滲ませている。室内は薄暗いが、居心地の良い落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
 ヴィルトールと卓を挟み座っているのはレイラジェの麾下、第二軍の大将ミュイルだ。西海の住人の特徴――『変異種』というのだと、レイラジェはヴィルトールに説明した――後ろに突き出した頭と濡れた皮膚を持つ。第二軍二万の内五千を率い、第二軍の副官も務める、レイラジェの腹心でもある。
 ミュイルはヴィルトールの率直な問いに、気を悪くした様子もなく頷いた。
「その通りだ。察しが良いなあ、貴殿は」
「今、第二軍を預かっておられるということは、そうだろうと」
「あの時は――いや、あの時も、か。皇太子殿下の理念は周囲に理解されるものでは無く、海皇を恐れ、好んで近く者はほとんど無かった。そして僅かに意志を隠さなかった者はあの時、皇太子殿下と共に殺された」
 ミュイルの声の響きは重い。
それ・・が我等の――閣下の悔い・・なのだ。皇太子殿下と志を共にできなかったことがな」
 レイラジェが旗幟を鮮明にしていたならば、四百年前の大戦勃発時、海皇によってレイラジェとその部下達は全て処分されていただろう。皇太子の理想は常に西海では異端にあった。皇太子との関わりが密かなものであったからこそ彼等は今、この戦いの和平に繋がる鍵としてヴィルトールと話をしている。
 それを幸運だったと、単純に言うことはヴィルトールにはできないが。
「忸怩たる想いが、お有りだったのでしょう」
 ミュイルは深くこらえる色を両眼の間に滲ませた。
「それは皇太子殿下の御心でもあった。――だが、今、我等はようやくあの方の意志を掲げることができる。俺はそれを嬉しく思っている。閣下の心中を考えれば、尚更な」
 ミュイルの、ヴィルトールからは読み取りにくい面に浮かんでいるのは、自らが支える上官に対する誇りだろう。ヴィルトールにも覚えがある。
「今回、貴殿には礼を言いたい。閣下の前に明確な航路を示してくれたことに。閣下の面が久方振りに晴れやかで、俺だけではなく部下達も皆喜んでいる。目敏い住民達もな」
 朗らかな口調にヴィルトールは苦笑した。
「まだそれを進めるかどうかも確証がある訳では。漕ぎ出したばかりでしょう、我々は」
「貴国に和平の意志がある。これは大きいのだ。四百年、停滞していた我等にとって大きな前進だ」
 その言葉を保証するように頷く。レイラジェから聞いたロットバルトの様子は、やや呆れたものだったというが。
(まあ仕方がないね、悪いとは思うけど)
 危ない橋を渡らせすぎているという自覚はあるが、ヴィルトールに頼れるのは不確定の話ができるほど気心が知れ、今、確たる足場を持ち国の中枢にあるロットバルトを置いて無い。
 その期待通り、ロットバルトを介してワッツとも情報の共有ができた。
(大公、スランザール公、そして王太子殿下までこの話を通せた)
 気がかりは一つ。レオアリスだ。
(まあそれも、奴が何とかするだろう――ほとほと頼りすぎかな)
 ミュイルが拳を握る。
「我等はナジャルを倒し、海皇を捕らえ、禅譲を求める。その上で貴国と和平を締結することになろう」
 そう言いながら、和平の締結、という部分でミュイルはその面にふと、苦悩を過ぎらせた。
「問題は一つ、貴国は王太子殿下がその締結者となろうが」
 察して、ヴィルトールは注意深く尋ねた。
「海皇に、他の御子は」
「おられぬ」
 言葉短く、ミュイルはそう言って首を振った。
「だが、今それに悩んでもどうもしようがない。それは目的地が見えてから考えれば良いだろう。まだ長い道のりだが、まずは進み始めたことが重要なのだしな」








 ワッツから、正規軍の伝令使を通じて再び連絡が入ったのは、十一月五日のことだった。
 内容はルベル・カリマの二人の剣士との会談。
 日は十一月七日。
 会談の場所は王都では無く、西方軍第六大隊軍都、エンデ。
 レオアリスが十四侯の協議から戻って来た時には、剣士達との会談の場がエンデだという話は近衛師団のクライフ達にも伝わっていた。
「エンデだそうですね。上将は……」
「ああ。明後日、俺も行く」
 執務机の縁にもたれ、クライフは腕を組んだ。
「王都に来てくれりゃ良かったんですが――俺もその魔獣狩り見てみたかったですし。上将と歳が近いんですよね? ったって実年齢じゃねぇみたいですけどでも、今までレガージュのザインとか、こないだのプラドって奴とか明らかな年上ばかりでしたし。あ、あのティエラって子はめっちゃ可愛かったですが! はっ、いや、俺の好みとかそういうんじゃなくて! マジでそう、俺の好みはどっちかっつうとキリッとした明朗快活な女性ってか同じくらいの年齢のハッキリ言うならまあその何つーか」
「その子は上将と同じくらいの見た目だったんでしょう?」
 明朗快活にフレイザーは話題を戻した。
「十七、八くらいですか? ルベル・カリマのティルファングという剣士は、十五、六みたいですし」
 何にしても彼等と会うのは楽しみですね、と笑うフレイザーへ、レオアリスは頷いた。
「楽しみではある。けど、さすがに俺が二人に会うのが本筋じゃないからな。どれくらい個人的な話ができるかは判らないし、優先はルベル・カリマの目的を知ることだ」
 彼等は南方軍第一大隊の大将アルノーに話があると、そう言った。今回の会談の主眼はそれだ。
 エンデに赴くのは正規軍からアルノー、アスタロト、タウゼン、参謀総長ハイマンス。近衛師団からレオアリスと、もう一人。
「フレイザー、一緒に行ってくれるか」
「もちろんです」
 フレイザーはきっぱりと頷いた。
 上官として命じればいいのだが、今回レオアリスにはどことなく個人的な意思での同席という感覚があるようで、それが言葉の上にも現れているように思える。
「時間があれば、きっちり話して来てください」
 促すように右手を伸べ、クライフがそう言う。
「ベンダバールとじゃ、考え方だって違うかもしれないですし」
 レオアリスは二人を見て、笑みを浮かべた。クライフと同じく執務机の縁に腰掛けて、両手を脚の上に組む。
「今回の会談と同時に、正規軍は第一陣としてアスタロトと、それから南方軍と北方軍の各二大隊がエンデに入る。タウゼン殿とハイマンス殿のお二人は一旦報告に戻られるが、正規軍としてはそのまま本陣をエンデに置いてボードヴィルに相対する」
 執務室内の空気がその言葉に引き締まる。
 本陣を立て、そして九日、あと三日後にはボードヴィルへ、公式に宣戦布告を行う。
「俺は一旦王都に戻るが、予定通り九日、サランセリア駐屯軍と合流する」
 いよいよ、という思いがフレイザーの上にも、クライフの上にも明瞭に見える。
 一度戦端を開けば、その位置と、またルシファーと西海との関係上、ボードヴィルだけでは収まらず、間を置かずに西海との戦いに進むと考えられていた。少なくとも十四侯の協議では、それを想定している。ルシファーの為に、どこまで西海が出てくるか。
 だがまずは、ボードヴィル。
 そしてボードヴィルで対するのはヒースウッドの第七大隊ではなく、ルシファーと、風竜に集中する方針だった。
 三者を引き離すのはアルジマールと法術院、法術士団が担うが、問題は引き離したその後にある。風竜とルシファー、個々に対応せざるを得ない。
 それは二者同時に相手取るよりも勝機があると――、端的に言ってしまえばマシだ、とそういう理由からだ。
 アルジマールとアスタロト、正規軍はルシファーへ。
 レオアリスは法術院と近衛師団と共に、風竜へ対する。
 クライフもフレイザーも、口に出せばたった一言のそれがどれほど危険を伴うか、半年前のあの晩、王城の空に風竜を目の当たりにして理解している。
 あの時、風竜はルシファーをあの場から連れて行くことを目的としていたが、次は違う。正真正銘、風竜の風と相対しなくてはならない。
 フレイザーはレオアリスの顔を見つめた。
 以前ルシファーとはラクサ丘で対峙している。風竜よりもルシファーの方が勝機があるのではないか。
 けれどレオアリスが風竜に対するのは、かつてジンが風竜を斬ったからでもあり、そこに期待が掛かっている。
(大戦の竜)
 フレイザー達が風竜に対するのは困難だと理解していた。
(わかってるけど、何もできることがないのは、やっぱり歯痒いわ)
 肩に温もりを感じ、フレイザーは隣を見た。クライフが肩に手を置き、明るい笑みを浮かべる。
「後方支援は俺達だ。やれることをやりゃいいさ。頼りにしてるぜ、フレイザー」
「――そうね」
「頼りにしてる」
 レオアリスも笑ってそう言い、改めてフレイザーとクライフを見た。
「第一大隊は俺の剣を熟知してくれてる。風竜に対して力を抑えて戦えるとは思えないし、なおさら距離を測れる後衛がいてくれると有難い。法術院が支援してくれても、戦いの最中に俺から適切な指示ができるかは難しいからな」
 レオアリスの声はいつも通りの響きだが、その言葉は今回の戦いが非常に厳しいものだと理解したものだ。
 フレイザーは改めて頷いた。
「はい。でもあまり無理は」
「ありがとう」
 そう言って笑う。
「でも大丈夫だって。自分のことは自分が一番良く解ってる。まあ、まずは明後日、ルベル・カリマとどんな話ができるか、それが楽しみだな」



















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2020.2.24
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