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王の剣士 七

<第三部>

第六章『空とみぎわ


 

 王都のヴィルヘルミナの平定から遡ること、二日。
 十月二十九日、深夜――ボードヴィル砦城は俄かに騒がしさを増していた。
 ヒースウッドが子爵メヘナを捕らえたのだ。二日前に起きた王太子ミオスティリヤ暗殺未遂の首謀者として。
 事実メヘナは王都への帰順を目論み、ミオスティリヤの命を自らの王都への帰順の意思の証査にしようと考え、そして失敗した。次に兵を以てミオスティリヤ捕縛を謀った直前に、ヒースウッドはメヘナを捕らえた。
 そして、メヘナ一人にとどまらず――



 しんと冷えた廊下の、足音を吸う赤い絨毯の上をワッツは半ば駆け足でイリヤ達の待つ部屋へ入った。
 王太子ミオスティリヤの起居にと当てられた貴賓室は、ボードヴィル砦城東翼棟の四階を全て占め、廊下は左右それぞれ扉で仕切られ他と隔てられている。だから兵の突入までは、少しばかりではあるが猶予が期待できる。
「ヴィルトール」
 前室にいたヴィルトールは立ったまま待ち構えていて、ワッツの双眸を見た。
「ヒースウッドがメヘナを捕らえた」
 少し前に響いて来た喧騒は、何らかの問題が起こったことを示していた。ヴィルトールは驚くよりも厳しい面持ちで頷き、ワッツが苦々しく眉をしかめる。
 今もまだ階下は兵達の動きで騒めき、この部屋にも窓を通して伝わってくる。
「王太子ミオスティリヤの暗殺未遂――メヘナと、俺と、ヴィルトール、お前が共謀したとよ。あのヒースウッドが内部のゴタゴタを、これほど派手に始末に掛かるとは思わなかったが」
 ヒースウッドはミオスティリヤを助ける行為に、理想を覚えてもいたはずだ。
「ルシファーはまだ、やりたい事があったらしい」
 ヒースウッドの向く方向を変えたのは、やはりルシファーだろう。手のひらで首の後ろを何度か擦る。
「メヘナの兵はヒースウッドが掌握した。ってことは、次に抑えに動くのはどこか判るな?」
 ワッツは扉の鍵をがちりと閉めた。大して役には立たないだろうが。
「イリヤを連れ出すか。まずはこの砦城から、外へ」
 窓へ歩み寄って中庭を見下ろし、鼻に皺を寄せる。
「中庭は埋まってンな。まあシメノス側から出りゃいい、岸壁を降りる道がある。今すぐ行こうぜ」
「ワッツ」
 ヴィルトールの呼びかけに、ワッツは片眉を上げて振り返った。
「予定通り君がボードヴィルを抜けろ」
 ヴィルトールは揺るぎなく、そう言った。
 それはほんの十日前、ヴィルトールと話をしていたことだ。
 ルシファーによって情報が遮断されているボードヴィルを出て、王都と繋ぎを付ける。ワッツがボードヴィルを出れば、ヴェルナーの伝令使がワッツを見付けるだろうと。
「はぁ? こんな時に何言ってんだ、そりゃもう無しだ。こんな状況でここに残ったって意味はねぇ。ヒースウッドは俺達がミオスティリヤ暗殺をメヘナと共謀したってことにして兵を動かしてる。そこまでぶち上げたら、まあ良くて投獄は免れねぇ。一番まずけりゃ公開処刑だな」
 朝になれば――いや、すぐにでも、兵はこの貴賓室を押さえに来るだろう。
「まずはここを出るしかねぇ」
「それでは西海との和平に繋がらない。イリヤはただ罪を背負ったまま国によって死を迎え、西海との関係も断たれるだけだよ」
「ヴィルトール。そりゃ命あってから考えることだ」
「いいから。王都に繋ぎを取るのが君の役目だ。王都に状況が伝われば適切な対応が取られるはずだ」
「駄目だ。意味がねぇ。イリヤごと連れて出る。その後のことは出た後で考えりゃいい」
 ワッツは手を振り、イリヤの居室へと足を向けて、ぴたりと立ち止まった。
「ワッツ中将、行ってください」
 いつの間にかイリヤが扉の前に立ち、ワッツを真っ直ぐに見つめていた。
「ヴィルトール中将も。俺だけなら、ヒースウッドは何もしないでしょう。俺は旗印ですから」
「イリヤ」
「お二人はここを出てください。今すぐ。ワッツ中将の言う通り、出た後で考えればいいんです」
「駄目だ」
 ヴィルトールとワッツ、二人が異口同音にイリヤへと近付きかけ――
 階下が、騒がしさを増した。
 それは階を上へと移り、そしてすぐに、この貴賓室に至る廊下の扉を何度か叩く音が伝わった。
「早ぇな」
 ワッツは舌打ちし、剣を抜いた。
「二人とも、行ってください!」
 その声も打ち消して、今度は三人の居る部屋の扉が何度となく叩かれる。
「ワッツ! 行け!」
 ヴィルトールの声は、有無を言わさない響きでワッツを打った。
「王都へ! これが最後の機会だ」
 ワッツは一瞬、躊躇いを見せたものの、剣を鞘に収め直し身を弾くように踵を返した。居間へ飛び込み、露台への硝子戸を開く。
 かろうじて硝子戸が閉じた直後、扉が、イリヤがこの場所に来て初めて荒々しく開かれた。
 兵が雪崩れ込み、その後からヒースウッドが踏み入る。 ヒースウッドは面を強張らせ、兵達の前に出た。
「申し訳ございません、ミオスティリヤ殿下――! 恐れ多くも殿下を暗殺しようとした逆賊を、捕えねばなりません!」
 兵士達は皆、剣を抜き放っている。
 イリヤはヒースウッドの前に立ちはだかった。
「ヒースウッド上級大将。こんな夜更けに何の用ですか」
 震えそうになる声を抑える。この段階になってなお、ヒースウッドはイリヤの前で直立した。
「恐れながら、ミオスティリヤ殿下! 殿下暗殺を目論んだ逆賊を――」
「逆賊? それで何故、私の所へ来るんですか。逆賊をというのなら、貴方の行くべき場所は違うはずです」
 イリヤの眼差しを受け、ヒースウッドは怯んだ。彼の純粋な部分にある良心の呵責が激しく動くのが見て取れる。
 けれどそれも束の間で、その感情をヒースウッドは振り切った。
「誠に、残念ながら……そこにおいでのヴィルトール中将と、それからワッツ中将が、メヘナと共謀したのです。メヘナはそう証言しました。お心苦しいことと存じますが、彼等は」
 視線をイリヤの上から逸らす。「――逆賊です」
 ヒースウッドの顔は青い。
「殿下、これは殿下御自身の為なのです。そもそもお二人は王都の所属。この先も保身のため、貴方を王都へ売る可能性は否定できません」
 ですから、と言いかけたヒースウッドの言葉を、イリヤは斬り捨てるように制した。
「私が、それを信じると思うのか!」
 イリヤが纏った威厳は、ヒースウッドが一度もその姿を見たことが無いにも関わらず、間違いなく王家の威風をヒースウッドに与えた。
「ヴィルトール中将もワッツ中将も、断じて逆賊などではない! あくまでもそう言い通すならば、私はあなた方とたもとわかつ。それが我が身を滅ぼすことになろうとも――!」
 苛烈な眼差しに呑まれ、ヒースウッドは一歩、後退った。
「ミ、ミオスティリヤ殿下――どうか」
 崖の淵に踏みとどまるように、ヒースウッドは声を振り絞り前へ出た。
「尊き御身をまずお考えに――」
「尊い? 知らないのか。我が母の一族は大罪人だ。あなた方が本来仕えるべき王太子を奪ったんだ」
「殿下」
「あなた方が捕らえるべきは私ではないか。そして私を連れてきたのは、ルシファーだ。なら罪はどこにある。私と共に、ル」
 ヒースウッドの顔がさっと強張る。
「で――殿下はお疲れだ! 構わん、ヴィルトール中将を拘束せよ!」
 色の失せた唇から掠れた声を振り絞って叫び、背後の兵士達に腕を振った。兵士達がイリヤの左右を抜けて広がり、ヴィルトールを囲む。
「待――」
 イリヤが制止の声を上げる前に、ヴィルトールは自ら進み出た。イリヤの横を抜けながら、低く囁く。「ヒースウッドを刺激するのは避けてください」
 ルシファーを否定した際のヒースウッドは、一瞬だが、怒りを面に昇らせた。
 ヴィルトールはイリヤと向き直った。
「御厚情に心より感謝を申し上げます、ミオスティリヤ殿下。ですが今はこれまでに」
「ヴィルトール中将!?」
 兵士が三人、ヴィルトールの両手を後ろ手に縛り、肩を押さえて扉へと歩かせる。イリヤは追いかけようとしたが、ヒースウッドが阻んだ。その身体にヴィルトールの姿が遮られる。
「ヴィルトール中将を戻せ!」
「お静まりを! まずは詮議を行うだけです。そこで罪がないと判断できれば、解放されます」
「そもそも、詮議を行う必要がない、いいから」
 ヒースウッドの背後から兵の驚きの声が響いた。ヒースウッドが振り返り、イリヤもその肩越しに向こうを見た。
 イリヤの目に映ったのは、十人近い兵士達が何もない壁に向かい、そして狼狽えている姿だった。
 何もないというのは正しくはなく、部屋の角には腰高の花台に陶器の花瓶が置かれている。その下の床に小さな水溜りができていた。活けていた花が数本、水溜まりや花台の周りに落ちている。
「どうした」
 ヒースウッドの問いに兵士達は困惑した顔を向けた。
「い、いえ」
 落ち着かない声が返る。
「不意に、その、ヴィルトール中将が……その、目を離したのはほんのわずかだったのですが」
 いなくなった、と、兵士がやはり困惑した口調で言う。
 その言葉につられて、イリヤは前室の中を見回した。ヴィルトールの姿がどこにもない。
 廊下への扉との間は兵士達が塞いでいて、窓へはヒースウッドがいた。居間や寝室への扉も、兵士達に気付かれないでは行かれない。
「馬鹿な、窓から出たのでは」
「いえ、窓側は人数がおりました」
「ではどこに」
 ヒースウッド達の声を聞きながら、イリヤは息をつめ、床にできた水溜まりを見つめた。




 ヴィルトールは廊下への扉へ向かいながら、部屋の角の花瓶から水が溢れているのに気が付いた。
 花を活けた花瓶の口、そのすれすれまで水を湛えているせいで、零れ出しているのだ。
 妙だな、と漠然と思う。あんなぎりぎりまで水を入れる必要がない。
「廊下へ」
 促されて進んだ靴先が、床をつ、と伝って来た水を踏む。
 ぴちゃりと湿った音を見下ろした、その次には、足元の床が消えていた。
 灰色の瞳を見開く。
「――何」
 鼓動が跳ねた。
 一呼吸後には、ヴィルトールは自分が、暗い、どことも知れない場所にいることを見て取った。
 明らかに、たった今までいたボードヴィルの砦城ではなく、周囲を取り囲んでいた兵士達の姿も無い。
 ヒースウッドの姿も。
 イリヤの姿も。
「ここは――」
『バルバドスだ』
 不意に背後から声がかかり、跳ねるように振り返ったそこに、四人――暗くて判りづらいが少し先にも数人の人影が立っている。
 その特徴的な影が、それがどういう存在で、今いる場所がどこなのか、漠然と想起させた。
 バルバドス――西海の版図の、いずれか。
 だとすると海の中。ヴィルトールは周囲を、そしてもう一度足元を見回したが、俄かに納得できるものでもない。
 とはいえ、さきほど答えを返した男が歩み寄って来る、その姿には見覚えがあった。
「貴方は」
 西海第二軍将軍、レイラジェだ。
『しばしその身は預かる。貴殿との話、深めねばならん』
 今すぐ戻してくれと、そう言おうとしてヴィルトールは口を噤んだ。
 レイラジェは、以前ヴィルトール達が持ち掛けた共同の事を言っている。
 ボードヴィルにいるよりレイラジェ達に近くいた方が、事は動いていくのではないか。イリヤの事が気になるが、戻ったとしてもヴィルトールは投獄されイリヤと会うことは困難だろう。ワッツは、きっと無事ボードヴィルを抜けるはずだ。
 ヴィルトールは覚悟を決めて、息を吐いた。吐けることが幸いだ。
 それで少し落ち着くと、一層今の自分が置かれた状況が夢でも見ているかのように思えたが。
「とりあえず納得しよう――このまま、私は溺れたりせずに済むのかな」
 レイラジェが笑う。
『そうあるように願え。我らの道が続くことをな』
 そう言って半身を捻り、レイラジェは自らの背後を示した。
 昏い水を隔て、巨大な黒い影がある。
 ヴィルトールは再び息を飲み、揺らめく黒い影を見上げた。
 それは城だ。
 城を抱えた、一つの山ほどの島と言おうか。
 城壁と尖塔を備えた武骨な城。城の足元を、三倍ほどの高さと、そして全長は更にそれを三倍にしたほどの巨大な岩が支え、基盤となるごつごつした岩肌に、窓や戸口らしきものがいくつも穿たれている。
 それが暗い海の中からヴィルトール達へ向かってゆっくりと滑り出てくる様は、船のようにも、海中を行く巨大な海洋生物のようにも見えた。
(――西海の街は、海の中を移動しているのだったか)
 驚きというよりは感心し、そんなことを思った。
『暫く滞在してもらう。我等の拠点――第二軍軍都、ファロスファレナだ』



 ゆるりと身をゆする海中に立ち、レイラジェは昏く遠く、揺れる水面を見上げた。
 月の光が微かに移ろっている。
『御方の望み――僅かばかり邪魔させていただく。それが我等の目指す場所に向かう道ならば』



















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2020.1.12
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