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王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

三十四

 

 アスタロトは明るい日差しの差し込む部屋へ入り、足を止めた。
「お前が直接足を運んでくれるとは、光栄だ」
「何を――」
 皮肉な口調に慣れた言葉を返そうとして、口を閉ざす。
 部屋の寝台に身を起こしている男――ブラフォードは、普段と変わらない口調ながらも、その面は血の気がなく白い。負った傷は未だ癒えてはおらず、ブラフォードの命を削り続けているのだとわかる。
「これで少しはながらえられる」
「何で法術の治癒を受けない。アルジマールなら一発で直してくれる。そんな弱々しい状態を、わざわざ見せなくても」
 アスタロトが眉を寄せるのを、ブラフォードは笑って迎える。
「そう、嫌がらせだ。少しばかりは悼んでもらおうと思ってな。そうでなければお前はこの私に見向きもしないだろう」
「そんなことは」
 無い、とまた眉をしかめる。
 アスタロトが椅子に座るのを待って、ブラフォードは寝台の上でもうあと僅か、身体を起こした。痛みにか、顔を歪める。
「無理をするな」
「お前に心配されるのは心地良いな」
「――帰るぞ」
 じろりと睨むと笑みが返る。それはこれまでに幾度も向けられてきた皮肉っぽいブラフォードの様子そのものだ。
 ブラフォードは一命を取りとめたものの、容態は悪く療養が必要だった。けれど法術での治癒を拒んでいる以上、容態は衰えていく一方だろう。
「ベルゼビア公爵家は、ブラフォード、お前が考えている通りの結末になるだろう」
「それでいい。今更惜しむものでもない。私が最後まで在れば、父も満足するだろう」
「――私には」
 言葉が続かない。今、この国の状況とベルゼビアの起こしたものと、どう整理をしてどう考えるべきか、アスタロトは迷うばかりだ。
 けれど結末は決まっている。
 内戦を避ける為に、互いの兵が剣を合わせないことが絶対条件だったように。
 国を成り立たせるための、目を伏せては通れないものだ。
「でも、生きていれば」
 そう言いかけたアスタロトへ、ブラフォードは普段の皮肉に聞こえる口調で笑った。
「まあ、この状態でそうできることはないが――自然に命が尽きるまで、自分にできることをするさ」
 ブラフォードは窓へ目を向けた。外は冬も近付いた秋の一日に相応しく、澄んで輝く空が広がっている。
「あのスキアという兵士はどうしている」
「彼女は、アルジマールが救けた。しばらく静養すれば東方軍へ戻れると聞いてる」
「ならば良かった」
 アスタロトが眉間にしわを寄せる。ブラフォードと向き合っているようで、ブラフォードではないようだ。
 アスタロトはブラフォードとは幼馴染みだ。と言っても幼馴染みらしい、懐かしむような思い出などない。いつでもこの男は皮肉を含んだ、人を見下ろすような目線と口調で、そう好きではなかった。
「もっと、楽しい思い出のある幼馴染みなら良かったのに」
 零れた呟きを聞き止め、ブラフォードが掠れた笑いを洩らす。
「何だよ」
「お前は変わらないな。相変わらず子供のようだ。女としての可愛げも淑やかさもない。少しはエアリディアル王女を見習ってはどうだ。そのままでは誰も、お前を想い人としては捉えるまい」
 眉を釣り上げたアスタロトを見て、口の端を上げる。
「冗談だ。そう落ち込むな」
「落ち込んでないっ」
 笑ってあしらわれる。アスタロトはブラフォードを睨んだ。暗い色の瞳が思いがけずアスタロトの瞳を捉える。
「落ち込む必要はない。……変わる必要もない」
「――変わるつもりなんてない」
 また口元に浮かんだ笑みを見下ろす。何か言おうと考えている内に、ブラフォードは瞳を閉じた。
「もう戻れ。顔を見せてくれたことに礼を言う」
 アスタロトはブラフォードの面を見つめ、皮肉な色の瞳が再び開かれるのを待ったが、やがて息を吐いた。
「もう来ないぞ」
「ああ」
 ブラフォードははっきりと返した。
「それでいい」






 ミラーは黙考し、目の前に膝をつき顔を伏せているエルトマを長く見据えていた。
 既に彼の決意は固く、伏せた顔を一度も上げることなく、そして低く落とした肩は揺らぐこともない。断固たる決意を持ってミラーの前にある。
 ややあって、低く、重い息をミラーは吐き出した。
「責を負ってもらう。それでいいな」
「何卒――」
 エルトマが更に身を低く伏せる。
「我が命、三千の兵に代えられるのであれば、何卒恩情を賜りたく、重ねて願い奉ります」
 東方公ベルゼビアに従い離反した、東方軍第三大隊およそ三千。それを全てゆるし、東方軍へ戻して、再編する。
 指揮官として三千の兵をベルゼビアの元に率い、王都、王家に対して反旗を翻したエルトマは、その責を負って斬首となる。
「愚か者が」
 その言葉はエルトマを温かく包むようでもあり、エルトマはもう一度、身を伏せた。








 この半年の間で何度となく開かれてきた十四侯の協議が、王城五階の謁見の間で行われたのは、既に内々の協議が一通り済んだ、十一月三日の午前のことだった。
 現在赤の塔に留置されているベルゼビアに対する処遇、そして今後の国の方針の審議。
 改めてその二つを議論するため、現在十四侯に連ねる二公、十侯、そして内政官房、地政院、財務院、軍部、法術院、司法庁、それぞれの主要な者が謁見の間に置かれた長円の卓に腰を下ろしていた。
 ファルシオンが玉座へのきざはしを背に卓の頂点に座り、その両側にそれぞれ、北方公ベールと南方公アスタロトが位置取る。その配置が、今の王都中枢の様子を如実に表していた。
 ロットバルトはファルシオンから向かって左側の席、ベールの一つ隣から、全体を見渡した。
 十四侯の内の二公、国を支え国政を司る特に重要な二公が欠けているこの状態を、この場にいる誰もが問題と重く受け止めているだろう。
(今回の協議の結果、東方公が確実に空く――。西方公に引き続き、四大公の二人までを失うのは相当な痛手だ)
 四大公は長く王家を支えてきただけではなく、広大な国土を安寧する為の要となる存在だった。建国から続く始まりの四家。人心、国土への影響、その能力。
 一つ席が空いたからと言ってどこかが繰り上がれば埋められるほど、四大公が果たす役割と意義は容易いものではない。
 東方公を捕え紛争の発展を防ぎ、今回の問題は全て片付いたかのように見えて、だがこの後にこそ、問題が浮かび上がってくる。
 一見この場は今、ベルゼビア元公爵とその周辺の処罰について議論しているが、その内面には実に複雑な問題を包含していた。
(事はベルゼビア公とヴィルヘルミナの処置を決めて終わりというものではない)
 その問題の一つ――特にロットバルトが問題と捉えているもの――は、彼等が次に目を向けるべきボードヴィルにあった。
 ヴィルヘルミナとボードヴィルは合わせ鏡だ。
 今回のベルゼビアを中心とする処置は、そのままボードヴィルの結末を表すものでもある。
 即ち、ベルゼビアとその周辺を処したように、ボードヴィルに旗を掲げる『ミオスティリヤ』を処さなくてはならない。
 中枢のごく一部の者以外には、イリヤの事情は固く伏せられている。
 十九年前――、十九年間の王の意図も。
 十侯爵のほとんどが、ただ第二王妃の子を騙る者、或いは王子は生きていたのだと、その認識だけで『ミオスティリヤ』とボードヴィルを見ている。
 派兵し、ボードヴィルを抑え、平定することはさほど困難ではないだろう。ベルゼビアを平定した今であれば、よりその帰趨きすうは明らかだ。
 ロットバルトはファルシオンからレオアリスへ、瞳を向けた。卓に座るグランスレイの、その後方に立ち、レオアリスはじっとファルシオンを見つめている。固く引き結んだその口元は、ファルシオンが今抱えている苦悩をおもんばかっているからだろう。
 イリヤに対しても。
(彼の処遇――さすがにあまり踏み込めば、ヴェルナーそのものも崩しかねない)
 既に切り離せないところまで踏み込んでいるが、この先はより注意深く状況を見据え、方向を定めなくてはならない。
 何よりも、この二公の空白に、更に国を揺るがす事態を重ねることは避けなくてはならない。




 ベールが協議で結論づけられた処置を宣言する。
「ベルゼビア元公爵、そして長子たるマンフリートは、死罪とする」
 淡々とした響きだ。
 今この謁見の間に、ふと入ってきた者があるとしたら、流れる言葉の上に憂いを窺い見ることは無いだろう。
「公爵家は直系であるブラフォードの上に留保。継続か断絶か、方向が決定するまでは領地――東方一帯は王家直轄に置く。ランゲ侯爵及び長老会は領地運営を補佐するものとする。また」
 白く乾いた朝の光が、長円の卓の上に落ちている。
「ベルゼビアに従ったイェール伯爵及びネルソン男爵も同様に死罪とし、各領土もまた同様に、暫時、王家直轄に置く。以上、異論はないか」
 異議を唱える声も、持ち上がる言葉もなく、ただ緊張のままに謁見の間の空気が揺れる。
 それは次に平定すべきボードヴィルの、結末を決定付ける宣言でもあった。





  












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2019.12.31
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