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王の剣士 七

<第三部>

第五章『地平の燎火』

三十

 
 ふいに街の方角から響いた音に、ヴィルヘルミナの街を背にしていたベルゼビア軍の兵士達が騒めく。
 音は城のある丘からだ。空を一瞬、閃光が瞬き消える。
 少し前から、城から微かな喧騒が風に乗って届いていたが、今の音と光は不安を更に掻き立てた。
 兵士達が落ち着かなく囁き交わす声があちこちで聞こえる。
「し、城に何が」
「もしかして落ちたんじゃ」
「街は……? 街は大丈夫なのか?」
 マンフリートは辺りを満たす騒めきの中、天幕を出て、街を、その奥の丘に聳える城を見上げた。
「――父上」




「行軍速度、落とせ――!」
 アスタロトの発した指示が伝令に運ばれ、東進部隊と西進部隊、双方の間を走る。
 ベルゼビア軍を挟むように進んでいた王都軍は、その指令に後列から緩やかに進行速度を落とし始めた。一時兵列が長く伸び、次第に戻る。
 既に両軍は、昼間であればお互いの顔が辛うじて視認できる位置まで近付いていた。
「公」
 タウゼンにアスタロトは頷いた。西進部隊の伝令使は、ヴィルヘルミナ城の東棟一階部分で青白い閃光があったことを伝えている。
「ああ。事態は動いてる」
 時計の長針があと二回りもすれば、この進軍速度であっても互いの矢が互いの陣内まで届く距離――約六十間(約180m)に到達する。
 もう、そこに至ればただ睨み合うだけでは収められない。
(大丈夫。止まる)
 夜空へ奔ったあの光がそれを証明している。
 あとは王妃と王女、二人がここに無事来れば。
(大丈夫)
 アスタロトは真紅の瞳に篝火を写し、自軍の前方に夜目にも黒々と捉え始めた、ベルゼビア軍の姿を見据えた。





 マンフリートは表情を押し固め、エルトマを呼び寄せた。
 ベルゼビアがこの戦いの為に力を収めた水晶は、もう内蔵していたそれを使い果たし輝きを失っている。
 この先は、互いの剣と剣がぶつかり合う戦いが残るのみだ。
「矢を放ち、王都軍を迎撃しろ! 今すぐにだ」
「し、しかし――」
 頷き難く口籠るエルトマへ、一歩踏み込む。
「不要な戸惑いを捨てよ。既に我等は王都へ弓を引いているのだ。衝突はもはや避けられん」
「ですがマンフリート様、戦闘になれば、街と、公爵のおられる城にも被害が」
「衝突すれば数で押し込まれ、畢竟、街にも被害が及ぼう。ならば先手を打ち、ここに至る前に王都軍を退かせるのだ」
 エルトマは喉の奥に言葉を飲み込んだ。その様子からマンフリートは視線を逸らし、再び城を振り返った。
(オブリースめ、父上を守る役目、果たしているのだろうな)
 苛立ちと共にマンフリートは丘を睨み、ただ、そこに相反する二つの感情を浮かべながらも、再度エルトマへ「行け」と鋭く手を振った。





 レオアリスは鳩尾に走った痛みに、落ちかけた右膝をぐっと踏み込んで堪えた。アルジマールの剣は纏っていた青白い光を、剣先からゆっくりと拭っていく。
 迸ろうとする力を抑え、かつ、剣に乗せる。自らの剣を振るう時には求められないその繊細さが、全身を泥のような倦怠で覆っている。
 息を吐き、ベルゼビアと向かい合う。
 尚もベルゼビアは、椅子に座したままだ。自らの意志のみでしか動くことはないと、ベルゼビアの矜持がそこに表われているのかもしれない。
 発すべき言葉を探したが、どれも喉を越えてはのぼらなかった。
 四大公、王の国家樹立を支えた四家。現ベルゼビアは三代目だ。
 当主の座に就いたのは大戦前――ならばまだ、彼の若い日々には、建国の記憶を持つ者がその近くにあったのかもしれない。初代当主が。
 何を聞いただろう。かつての日々において――王が何を語り何を目指し、何を思っていたかを――?
 だからベルゼビアはそう・・言い切ったのか?
『王は死んだのだ』と。
 まるで王自らがそう望んだからとでも言うように。
「違う……」
「何が違う」
 ベルゼビアの問いに、レオアリスは強張った面に眉を寄せた。
「――王は……」
「半年前のあの日、王は死んだ。海皇とともに。それが王の自らに課した責務だったというだけだ」
「――違う」
「大将殿。今は聞いちゃいけない」
 ベルゼビアは再び、レオアリスに揺さぶりを掛けている。自らを保とうと――その考えから逃げようと・・・・・しているレオアリスを見抜いていて、喉元を刃を潜めた手で掴もうとしている。
「見えているのに見えぬ振りをし――だから半年、お前達はあの時から一歩も前に進んでいないのだ。アレウスの国も、ファルシオンも」
「黙ってくれるかな、東方公」
「幼い、無力なあの王子を国王代理のまま置き、全てを有耶無耶にしている。そんなに王の死に向き合うのが恐ろしいか? それを認めれば世界が崩れるか――?」
 ベルゼビアはアルジマールをあきれた眼差しで見つめ、そしてそれをレオアリスへ移した。
「否。崩れているのは今、この時だ。国家の足元が崩れている、この時にさえ――王を失ったことを認められず、何一つ出来ぬと」
「黙れ!」
 切り裂くように叫び、レオアリスは一歩、踏み出した。床を突いた軍靴の底から、放射状にひび割れが生じる。レオアリスの身体を青白い光が吹き上がる。
「大将殿!」
 あれは、拙い。
 直観に押され抑えようと声を上げたアルジマールに、穏やかで、たおやかな――、沈痛と憂いを含んだ声が重なった。
「貴方のせいではないのです」
 誰もが、その声を振り返った。
 エアリディアルが、楚々として、凛として背筋を伸ばして立ち、彼等をその藤色の瞳で見つめている。
「わたくしは、王陛下を止めることが叶いませんでした。わたくし自身の身命を以って――それがこの国の王女として生まれた、わたくしの責務であったにもかかわらず。ですからわたくしは、自らを責めます。何度でも」
 広間はしんと静まり返り、エアリディアルの澄んだ声だけが流れる。
「わたくしの言葉は矛盾しているでしょう。誰しもが、受け入れられるものでもありません。けれど、あえてこのように申します」
 藤色の瞳が、一度伏せられ、そしてまた、開かれた。
「貴方のせいではないのです」
 広間に満ちた束の間の静寂は、それまであった熱を拭い去り、そしてレオアリスが身に纏った青白い光も、同様に拭い去った。
 レオアリスが俯き、視線を落とす。
 ややあってアルジマールは息を吐き、ゆっくりと向き合って、ベルゼビアを見据えた。
「もう、矛を下すべきだ、東方公。貴方は打つべき手を全て打ったんだろう。この先は、ただお互いを削り合うだけだし、それでも勝敗は決している」
 美しい大理石を惜しみもなく敷き詰めていた広間の床は、至る所に土を覗かせ、そこから生じた石の槍や木の根の跡を無残に晒している。
 レオアリス、そしてアルジマールへと戻した双眸に、自嘲と苛立ちが覗く。
「この戦い、程も無くお前たちのもとに勝利は落ちる。それは認めよう」
「なら」
「だが、私から矛を下すことはない。新たな国主を立て、既に国家の樹立を宣言した。両軍の激突、そして明らかな敗北無くして、その宣言を廃することは有り得ん」
「――貴方は、まだ」
 レオアリスが憤りを瞳に刷き、踏み出す。
 アルジマールははっとして、王妃のいる場所を振り返った。
 壁際に置かれていた寝椅子は、石の檻を失って露わになっていたが、もうほとんどその形も見えないほどに沈み込んでいる。
「妃殿下――!」
 その声に気付いたエアリディアルが、口元を抑える。
「我が国主だ。国の最期まで、陛下には国主としての務めを果たしてもらおう」
 アルジマールは急浮揚し――、それから驚きに虹色の瞳を見開いた。
 王妃の姿は、沈んで傾いだ寝椅子にはない。
「どこに――」
 その言葉にベルゼビアすら眉をひそめた。「――まさか」
 苛立ちを含んだ双眸が、正面の扉へ向く。初めからそこにいる者に。
 クライフが自らの剣を抜いて立ち、その背後に王妃クラウディアの姿があった。レオアリスが木の根と石の槍を断つ、その合間にクライフは動き、王妃を救い出していた。
 そして、まだ自らの意識を取り戻していない王妃を支えているのは、ブラフォードだ。
「――ブラフォード」
 ブラフォードの背後の扉から、回廊を駆けてくる複数の足音が響く。現われたのはベルゼビアの警備兵ではなく、黒の軍服――近衛師団。
 グランスレイが扉をくぐり、室内を素早く見渡す。レオアリスと、クライフの様子を見て取り、背後へと指示する。近衛師団隊士達は広間へ踏み入り、王妃の周囲を固めた。
 ブラフォードは王妃を近衛師団隊士へ預け、クライフの横を抜け、前へ出た。
「父君。既に勝敗は決した。皆、それを知っている。これ以上貴方の末節を汚すべきではない」

















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2019.12.15
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